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(1)「佐藤学さんはこんなことを」⑨  (2)私の「夜間中学」教師体験記・命の光がいっぱいの教室 いっぱいの学校 ② 夜間中学校教論・松崎運之助 『致知』2004.3 【再掲載 2012.3】 [読書記録 教育]

「小学校の教室の『明るく元気な』騒々しさが、中学生の重苦しい沈黙を導いていること
 の認識を! = 偽りの自分の体験蓄積」







今回は、9月 2日に続いて、キーワード「佐藤学」さん、
佐藤学さんはこんなことを」9回目の紹介です。



教育学者・佐藤学さんは、教育現場と強い結びつきがあります。
著書等から多くのことを学んできました。






今回紹介文より強く印象に残った言葉は…

・「無理のある活発さ → 中高の『貝のような沈黙』」


・「依存できる子は自立でき,自立できる子は依存できる」
「問題なのは依存も自立もできない子供」


・「オープンエデュケーション」


・「学級崩壊の特徴」



もう一つ、再掲載となりますが、『致知』2004年3月号より、
松崎運之助 さんの「私の『夜間中学』教師体験記・命の光がいっぱいの教室 いっぱい
の学校 ②」を紹介します。


ほしいものはやはり自分の「おかあさん」。








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(1)「佐藤学さんはこんなことを」⑨

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<改革の指針>
◇教室の改革(3)

□聴き合う関係

 明るく元気ならばよいのか?

無理のある活発さ → 中高の「貝のような沈黙」

 ※ 小学校の教室の「明るく元気な」騒々しさが、中学生の重苦しい沈黙を導いている
  ことの認識を! = 偽りの自分の体験蓄積



□幼・小
「依存」と「自立」は対立的ではない
依存できる子は自立でき,自立できる子は依存できる



 ※ 問題なのは依存も自立もできない子供

→ 緩やかな「自立」の促進を


 ◎ 教室のコミュニケーションの基本は聴き合う関係

聴く = 受動的能動性

          ↓

   聴き合う関係づくりは難しい

最良手段 教師自身が良き聞き手として教室に立つこと

= 教師の息づかいと言葉と身体



□教育哲学者

「子供の発言の意味を受け止める教師は多いが,発言する子供の存在を受け止めている教
 師は少ない」



□カリキュラム
 
「学びの経験」-「学びの履歴」

※ カリキュラムの本義は学期や年度の始まる前に「計画」として立てられるというより
 も,むしろ,学期や年度の過程に置いて子供の学びの軌跡として創造され,学期や年度
 の終わりに子供の学びの履歴としてできあがるものと理解すべき

             ∥

  教室を開発の場として教師と子供の○○を残したカリキュラムの創造



□カリキュラム改革の基本

 生産性と効率性を追求してきた「目標・達成・評価」モデルの研究

↓ テーラーの近代的労務管理の原理をモデルに

↓ (大工場のアセンブリラインが原型)



学びを意味ある経験として組織する「主題・探究・表現」モデル単元



□オープンエデュケーション

2学年 複式学級での組織




 年少者と年長者相互体験 社会性の発達に



 
□学級崩壊の特徴

① 子供の側に何の抗議も主張も存在しない

    勉強が嫌 - 幼稚で虚無的に行動

    ニヒリズムの浸透した幼稚な言動



 ② 多発する地域に特色がある

大都市郊外や地方都市郊外の中間層の人々の住む地域

子供も親も教師も孤立 → ニヒリズムの浸透



 ③「学級崩壊」に苦しんでいる教師にも特徴がある

40代50代のベテラン教師
「かつての指導法を頑固に固執しているベテラン」



 ④ 学校にも特徴がある

・自ら責任を取ろうとしない校長のいる学校

・相互不干渉が暗黙の不文律になっている学校

・教師同士が小グループに分裂し一人一人が孤立している学校



 職員室の崩壊










(2)私の「夜間中学」教師体験記・命の光がいっぱいの教室 いっぱいの学校 ② 夜間中学校教論・松崎運之助 『致知』2004.3 【再掲載 2012.3】

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◇母の涙

 「父」と「母」という漢字を教えて差し上げた時のことです。


 「父」は斜めに線を引っ張って下にバッテンを書くだけだけど、「母」は「く」と「く」
のさかさまを組み合わせ、不安定に傾いていて、中に点々まである。


 父は簡単だけど母は難しいというのが皆さんの一致した意見でした。


「先生、点々は略しちゃいけないの?一本の線でいいじゃない」


「点々はお母さんのおっぱいを表しているから、簡単には変えられません」


と答えると、


「ええけ おっぱい出していいの?」


「やっぱり棒線で消したほうがいい」


と大騒ぎ。


 そうこうしているうち、ある生徒さんが


「先生、悪いけど私にはあれがお母さんのおっぱいには見えません」


と言い出しました。困ったなと思っていると、その方は、


「私にはお母さんの涙に見える」


とおっしゃいました。すると他の生徒たちも、


「そうだ。あれはお母さんの涙だ。お母さんの涙は大事にしなくちゃな」


と頷き、それぞれが苦労の多かったお母さんの話を始めました。




 若い頃、母の心など知らずどれだけ反抗したか。

 逆らったか。溢れ出る涙を

 そのままに皆さんが語り出しました。


 年が違おうと国籍が違おうと、父がいて母がいて、今日まで多くの方々に支えられて生
きてきたことは変わらない。


 それは私も同じです。私もクラスの仲間として、皆さんに母の話をしました。




 私は両親が満州から引き揚げてくる混乱のなかで生まれました。


 小さかった兄は、私が母のお腹にいる時、逃避行を続ける最中で息絶えたといいます。


 失意のどん底に叩きつけられた母は、泣き明かした後、


「いま息づいているこの命だけは何があっても産み出そう」


と誓い、私を産んでくれたのです。


 私は誕生日が来る度に、母からこの話を聞かせられました。


「あんたが生まれたのはこういうところで、その時、小さな子どもたちがたくさん死んで
 いった。その子たちはおやつも口にしたことがない、おもちゃを手にしたこともないん
 だよ。あんたはその子たちのお余りをもらって、やっと生き延びられたんだ。あんたの
 命の後ろには、無念の思いで死んでいった人たちのたくさんの命が繋がっている。その
 ことは決して忘れちゃいけないのよ」



 私は生まれてこのかた、母に誕生日プレゼントをもらったことはなかったし、欲しいと
思ったこともありません。私にとって誕生日は、産んでくれた母に感謝をする日でした。


 一家は長崎へ移り住みましたが、結局父親は外に女をつくり、母とは離婚。


 父は家を売り払って、そのお金を元手に女の人と新しい生活を始めました。


 無一文になった母は、小さな子ども3人を抱え、市内を流れるどぶ川の岸辺にある、吹
けば飛ぶようなバラックに移り住みました。


 すぐにお金が必要ですから、母は男の人に交じってなれない力仕事を始めました。疲れ
て帰ってくるので、すぐに横になって寝てしまう。


 それが子ども心にどれだけ寂しかったことか。


 一日中帰りを待ちわびて、話したいこと、聞いてもらいたいことが山ほどある。


 弟や妹は保育園で覚えた歌や踊りを見てもらいたいのです。


 そこで私は考えました。弟と妹の手を握り締め、橋の上で母の帰りを待つことにしたの
です。やがて橋の向こうから小さな母が姿を現すと、三人は歓声を上げて転がるように走
っていきました。


 あのね、あのね…。同時に喋る私たちの話を上手に交通整理をしながら、母はまっすぐ
家には帰らず、近くの石段を登って眺めのいいところへ連れて行ってくれました。


 母が真ん中に座り、子どもたちがそれに寄り添う。眼下に広がる長崎の夜景を見ながら、
私たちきょうだいがひとしきり話し終えると、母が少しだけ自分の話をしてくれました。


 朝早くから夜遅くまで働いていたので、母はほとんど家にいませんでしたが、心はいつ
も一緒でした。物はない、金はない、町の人や学校の先生からは臭いだの汚いだの言われ
ていましたが、母と子の間にはいつも真っ青な青空が広がっていた。


 そんな気がします。




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