「世間師 宮本常一の仕事」斎藤卓志 春風社 2008年 ② /「フィンランド・メソッド入門」北川達夫 経済界 2005年 ①(上)【再掲載 2016.1】 [読書記録 民俗]
今回は、3月6日に続いて、斎藤卓志さんの、
「世間師 宮本常一の仕事」の紹介 2回目です。
出版社の案内には、
「『忘れられた日本人』などで知られる民俗学者・宮本常一の生涯を
追った評伝。日本全国を旅した宮本の仕事を探索するとともに、学者
的でも民俗的でも高踏的でもない、宮本の人間に対するやさしさと温
かさを伝える。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「多くの人の力を有機的にまとめて,日本全体をよくするような考え
方を持つこと,それこそ政治なのではあるまいか。そうすれば,日
本人全体の生活が良くなる。わたしは文明がみんなに行き渡ったと
きは,どんなことをしても,それは贅沢とは言えないと思っている。
少数の人だけしか受けられないこと,それが贅沢なのである。すべ
ての人が贅沢したいと思っている。また,けして悪くないと考える。」
渋澤敬三
・「宮本の書いたものを読んでいくと,しゃべった人の人間性までが伝
わり,話している人間が浮き上がってくる…そうして聞き取った宮
本の姿はふっとんでいる」 高松圭吉
・「宮本にとっての民俗学は、現実の問題を解決するための手がかりで
あった」
もう一つ、再掲載になりますが、北川達夫さんの
「フィンランド・メソッド入門」①を載せます。
☆「世間師 宮本常一の仕事」斎藤卓志 春風社 2008年 ②
◇渋澤敬三の学問
□昭和10年4月14日 宮本,渋澤に会う
沢田四郎作 大坂・小児科専門開業医
昭和10年 アサ子(旧姓:玉田)との結婚
日本史学者・魚住惣五郎の紹介
「こんな我が儘な人は自分がもらってあげないと…」宮本の印象
◎ 柳田の「山の人生」と宮本の「忘れられた日本人」
渋澤
学問と実地
「学者になるな」
宮本は渋澤の判断を最優先
満州建国大学への誘い(恩師 森信三)を断念
東大講師への誘い(石田英一郎)も
□渋澤敬三
「多くの人の力を有機的にまとめて,日本全体をよくするような考
え方を持つこと,それこそ政治なのではあるまいか。そうすれば,
日本人全体の生活が良くなる。わたしは文明がみんなに行き渡っ
たときは,どんなことをしても,それは贅沢とは言えないと思っ
ている。少数の人だけしか受けられないこと,それが贅沢なので
ある。すべての人が贅沢したいと思っている。また,けして悪く
ないと考える。」
◇終戦前後
□高松圭吉(東京農業大学)
「柳田が縦なら渋澤は横,宮本はその間にいた」
「宮本の書いたものを読んでいくと,しゃべった人の人間性までが
伝わり,話している人間が浮き上がってくる…そうして聞き取っ
た宮本の姿はふっとんでいる」
◇対馬調査
□昭和25~26
対馬調査
→ 宮本のものの見方にとって一つの転換点
能登調査
早大・武田良三,外木典夫 東大院生・山階芳正
◇離島のために
□離島振興協議会
→ 大見重雄入所(安城市出身) 東農大・高松門下
浅野芳正(防大教授)旧姓・山階
宮本が事務局長
条件
①無報酬 ②誰にも悪いことを悪いと言える
神保教子
全国離島振興協議会書記 昭和29年2月12日
宮本の表の顔
「忘れられた日本人」昭和35年
内なる顔
「庶民の発見」昭和36年
→ ◎ 人間に対する揺るぎない信頼
宮本にとっての民俗学
= 現実の問題を解決するための手がかり
(財)日本離島センター
「しま」(№106 1981)宮本常一追悼号
高松圭吉「防波堤」
「何でもいいから問題提起しておけば,そこへ食いついてき
た人がもっと深めてくれる」
田村善次郎 S28(1953)1浪後 東京農業大学
↓ 河岡武春 峠下の村調査に参加
S29 林業金融調査会
◎立ち上げに宮本と高松が尽力
田村もメンバーに
→ 宮本に引き寄せられるように行動を共に
高松圭吉(現相模女子大学教授) 外木典夫(早稲田大学教授)
河岡武春(日本常民文化研究所常任理事)
→ 若い人たちも
神崎宣武,谷沢明,印南敏秀(武蔵野美術大学)
田村善次郎,香月洋一郎
→ 武蔵美生活文化研究所
日本観光文化研究所
大見
「宮本は人生の精神的支え」
大見重雄
1993年没「離島一路-回想 大見重雄と島の仲間たち」
全国離島振興協議会事務局長
(財)日本離島センター総務部長(H4.10~)
☆「フィンランド・メソッド入門」北川達夫 経済界 2005年 ①(上)【再掲載 2016.1】
[出版社の案内]
フィンランドの国語教科書で採用されている方法や、教育現場で用いら
れている手法を、世界ではじめて5つのメソッド、発想力・論理力・表
現力・批判的思考力・コミュニケーション力で分析。フィンランドでは
小学生から取り組んでいるカルタの考え方や書き方をはじめ、さまざま
なものの考え方・コミュニケーションの取り方などを総合的に学んでい
きます。今まで日本にはなかった教育メソッドですが、子どもから大人
までだれでも簡単に身につけることができます。
◇フィンランド共和国
森と湖の国
15~20万の湖
国土の7割が森林
北部ラップランド
福祉国家 ムーミン シベリウス
◇今なぜフィンランド・メソッドか
(北川氏)
外交官 → 国語教師
□グローバル・コミュニケーション力
基礎 ①発想力
②論理力
③表現力
応用 ④批判的思考力
⑤コミュニケーション力の育成
◇発想力
□徹底的にカルタを使う
カルタ
~ マインドマップ
中央にテーマ
~ 連想を放射状に
□中心のテーマから
テーマを中央に
← 先生が質問を投げ掛ける
□カルタを使って自己紹介
わたしは何?
□みんなで一つのカルタを書いてみる
発想力 → 分析力 → 創造力
◇論理力
「ミクシ(どうして?)」 攻撃の秘密
先生の「ミクシ」攻撃
「意見には理由」
大人にも養いたい論理力
□論理の回路を頭の中に
意見
- 理由の論理型
①意見
②なぜなら(理由1)
③それに(理由2)
④また(理由3)
□論理力を使って物語を読みましょう
原因と結果の法則
- 教える側の意識を変える
□先生の着眼点は「結果よりプロセス」
◇表現力
一番短い作文を書けるのは誰かな
「15個の単語をすべて使って作文を書こう。
一番短い作文を書くことができるのは誰かな?」
言葉を自由自在に使いこなす
フォーマットを使って作文を書こう
□初歩的なメソッドで物語を創作しましょう
① 基本的人物設定
趣味,仕事,名前,見た目,性格,職業名等
② 物語の登場人物の設定
味方,敵,何をしようとしているのか,武器等
□ショートストーリーを創作しましょう
カルタを使って発想力
作文の書き方
~ パラグラフ・ライティング
「中心文」 + 「支持文」
「世間師 宮本常一の仕事」の紹介 2回目です。
出版社の案内には、
「『忘れられた日本人』などで知られる民俗学者・宮本常一の生涯を
追った評伝。日本全国を旅した宮本の仕事を探索するとともに、学者
的でも民俗的でも高踏的でもない、宮本の人間に対するやさしさと温
かさを伝える。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「多くの人の力を有機的にまとめて,日本全体をよくするような考え
方を持つこと,それこそ政治なのではあるまいか。そうすれば,日
本人全体の生活が良くなる。わたしは文明がみんなに行き渡ったと
きは,どんなことをしても,それは贅沢とは言えないと思っている。
少数の人だけしか受けられないこと,それが贅沢なのである。すべ
ての人が贅沢したいと思っている。また,けして悪くないと考える。」
渋澤敬三
・「宮本の書いたものを読んでいくと,しゃべった人の人間性までが伝
わり,話している人間が浮き上がってくる…そうして聞き取った宮
本の姿はふっとんでいる」 高松圭吉
・「宮本にとっての民俗学は、現実の問題を解決するための手がかりで
あった」
もう一つ、再掲載になりますが、北川達夫さんの
「フィンランド・メソッド入門」①を載せます。
☆「世間師 宮本常一の仕事」斎藤卓志 春風社 2008年 ②
◇渋澤敬三の学問
□昭和10年4月14日 宮本,渋澤に会う
沢田四郎作 大坂・小児科専門開業医
昭和10年 アサ子(旧姓:玉田)との結婚
日本史学者・魚住惣五郎の紹介
「こんな我が儘な人は自分がもらってあげないと…」宮本の印象
◎ 柳田の「山の人生」と宮本の「忘れられた日本人」
渋澤
学問と実地
「学者になるな」
宮本は渋澤の判断を最優先
満州建国大学への誘い(恩師 森信三)を断念
東大講師への誘い(石田英一郎)も
□渋澤敬三
「多くの人の力を有機的にまとめて,日本全体をよくするような考
え方を持つこと,それこそ政治なのではあるまいか。そうすれば,
日本人全体の生活が良くなる。わたしは文明がみんなに行き渡っ
たときは,どんなことをしても,それは贅沢とは言えないと思っ
ている。少数の人だけしか受けられないこと,それが贅沢なので
ある。すべての人が贅沢したいと思っている。また,けして悪く
ないと考える。」
◇終戦前後
□高松圭吉(東京農業大学)
「柳田が縦なら渋澤は横,宮本はその間にいた」
「宮本の書いたものを読んでいくと,しゃべった人の人間性までが
伝わり,話している人間が浮き上がってくる…そうして聞き取っ
た宮本の姿はふっとんでいる」
◇対馬調査
□昭和25~26
対馬調査
→ 宮本のものの見方にとって一つの転換点
能登調査
早大・武田良三,外木典夫 東大院生・山階芳正
◇離島のために
□離島振興協議会
→ 大見重雄入所(安城市出身) 東農大・高松門下
浅野芳正(防大教授)旧姓・山階
宮本が事務局長
条件
①無報酬 ②誰にも悪いことを悪いと言える
神保教子
全国離島振興協議会書記 昭和29年2月12日
宮本の表の顔
「忘れられた日本人」昭和35年
内なる顔
「庶民の発見」昭和36年
→ ◎ 人間に対する揺るぎない信頼
宮本にとっての民俗学
= 現実の問題を解決するための手がかり
(財)日本離島センター
「しま」(№106 1981)宮本常一追悼号
高松圭吉「防波堤」
「何でもいいから問題提起しておけば,そこへ食いついてき
た人がもっと深めてくれる」
田村善次郎 S28(1953)1浪後 東京農業大学
↓ 河岡武春 峠下の村調査に参加
S29 林業金融調査会
◎立ち上げに宮本と高松が尽力
田村もメンバーに
→ 宮本に引き寄せられるように行動を共に
高松圭吉(現相模女子大学教授) 外木典夫(早稲田大学教授)
河岡武春(日本常民文化研究所常任理事)
→ 若い人たちも
神崎宣武,谷沢明,印南敏秀(武蔵野美術大学)
田村善次郎,香月洋一郎
→ 武蔵美生活文化研究所
日本観光文化研究所
大見
「宮本は人生の精神的支え」
大見重雄
1993年没「離島一路-回想 大見重雄と島の仲間たち」
全国離島振興協議会事務局長
(財)日本離島センター総務部長(H4.10~)
☆「フィンランド・メソッド入門」北川達夫 経済界 2005年 ①(上)【再掲載 2016.1】
[出版社の案内]
フィンランドの国語教科書で採用されている方法や、教育現場で用いら
れている手法を、世界ではじめて5つのメソッド、発想力・論理力・表
現力・批判的思考力・コミュニケーション力で分析。フィンランドでは
小学生から取り組んでいるカルタの考え方や書き方をはじめ、さまざま
なものの考え方・コミュニケーションの取り方などを総合的に学んでい
きます。今まで日本にはなかった教育メソッドですが、子どもから大人
までだれでも簡単に身につけることができます。
◇フィンランド共和国
森と湖の国
15~20万の湖
国土の7割が森林
北部ラップランド
福祉国家 ムーミン シベリウス
◇今なぜフィンランド・メソッドか
(北川氏)
外交官 → 国語教師
□グローバル・コミュニケーション力
基礎 ①発想力
②論理力
③表現力
応用 ④批判的思考力
⑤コミュニケーション力の育成
◇発想力
□徹底的にカルタを使う
カルタ
~ マインドマップ
中央にテーマ
~ 連想を放射状に
□中心のテーマから
テーマを中央に
← 先生が質問を投げ掛ける
□カルタを使って自己紹介
わたしは何?
□みんなで一つのカルタを書いてみる
発想力 → 分析力 → 創造力
◇論理力
「ミクシ(どうして?)」 攻撃の秘密
先生の「ミクシ」攻撃
「意見には理由」
大人にも養いたい論理力
□論理の回路を頭の中に
意見
- 理由の論理型
①意見
②なぜなら(理由1)
③それに(理由2)
④また(理由3)
□論理力を使って物語を読みましょう
原因と結果の法則
- 教える側の意識を変える
□先生の着眼点は「結果よりプロセス」
◇表現力
一番短い作文を書けるのは誰かな
「15個の単語をすべて使って作文を書こう。
一番短い作文を書くことができるのは誰かな?」
言葉を自由自在に使いこなす
フォーマットを使って作文を書こう
□初歩的なメソッドで物語を創作しましょう
① 基本的人物設定
趣味,仕事,名前,見た目,性格,職業名等
② 物語の登場人物の設定
味方,敵,何をしようとしているのか,武器等
□ショートストーリーを創作しましょう
カルタを使って発想力
作文の書き方
~ パラグラフ・ライティング
「中心文」 + 「支持文」
「世間師 宮本常一の仕事」斎藤卓志 春風社 2008年 ① /「教師 大村はま96歳の仕事」大村はま 小学館 2003年 ⑤(最終)【再掲載 2016.1】 [読書記録 民俗]
今回は斎藤卓志さんの、
「世間師 宮本常一の仕事」の紹介 1回目です。
出版社の案内には、
「『忘れられた日本人』などで知られる民俗学者・宮本常一の生涯を
追った評伝。日本全国を旅した宮本の仕事を探索するとともに、学者
的でも民俗的でも高踏的でもない、宮本の人間に対するやさしさと温
かさを伝える。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「鈴木登美さんが宮本から学んだこととして挙げたのは
①対等の立場で聞くこと ②土地の人になりきること」
・「クロポトキンの『相互扶助論』を愛読した。宮本は日常の体験や生
活感覚から自分の問題に」
もう一つ、再掲載になりますが、大村はまさんの
「教師 大村はま96歳の仕事」⑤を載せます。
生涯現役の教師であり続けたともいえる大村はまさん。
- 先生は教えるもの
子どもに力をつけるために自分に厳しく臨む姿勢から教えられます。
教えるためには大変な準備が必要になります。
現役の現場の方に読んでもらいたい本です。
☆「世間師 宮本常一の仕事」斎藤卓志 春風社 2008年 ①
◇斎藤卓志
1948年愛知県生
中央大学法学部卒
安城市教育委員会文化財課長(安城市歴史博物館)
◇奥三河の灯 愛知県北設楽郡名倉村
昭和31(1956)年11月8日 名倉村の大蔵寺で座談会
計3回の調査
S31.10.6~10.8 S31.11.5~13 S32.5.13~21
相手の関心事,話の広がりに任せた
~ 皆で話すことのおもしろみ,話の場の楽しみ
宮本を助けた沢田久夫と鈴木登美夫
鈴木登美夫
「宮本は気さくな方」
宮本から学んだこと
① 対等の立場で聞くこと
② 土地の人になりきること
◇出発は郵便局員
郵便局員 15~25歳
高麗橋郵便局 T13.5.13~
大阪府立天王寺師範本科第2部 T15.2~
→ 修齋尋常小学校訓導 S元年9月
天王寺師範専攻科 S3.3~4.3
→ 田尻尋常小学校訓導
東京高等師範の試験には落ちた
神保教子
大9(1920)周防大島生
久賀のお寺の一人娘
昭和8年9月
「口承文学」口承文学の会
宮本常一,織戸健造,高田十郎、南要,山口康雄,
前原貞次郎、鈴木東一
小学校教員時代
昭和2年9月から
2人の先生
国文学の金子実英(後に金子又兵衛)
- 関西大学・谷沢永一の師
地理の山極三郎
森信三
明治29年愛知県知多生 哲学を学ぶ
森71歳で出版した「日本文化論」校閲を行ったのは宮本常一
「人生二度なし」で知られる
昭和2年 有真香小学校
◇生涯の師・柳田国男
クロポトキン
「相互扶助論」
→ 宮本は日常の体験や生活感覚から自分の問題に
昭和10年7月31日~8月6日 還暦記念講演会
宮本常一,折口信夫,金田一京助,伊波普猷,岡正雄,
最上孝敬,大間知篤増、瀬川清子,関敬吾,大藤時彦
☆「教師 大村はま96歳の仕事」大村はま 小学館 2003年 ⑤(最終)【再掲載 2016.1】
[出版社の案内]
「戦後国語教育の最大の失敗は、“教えない”先生が増えたことです」
と言い切る、〈国語の神様〉大村はま。「子どもの個性尊重」の名に隠
れて“プロとして教える”ことがおろそかになってしまったのではな
いか?
百人の子どもに百種の教材を用意する。そして人と比べられることの
ない「優劣のかなた」で真の力を身につけさせることを目ざして、ひ
たすら実践を磨いた人の言葉は鮮烈である。国語教師を52年勤め、
96歳の今も新しい教材を作っている大村はまが、この1年間、渾身で
世に訴えた発言(講演、インタビュー)を集成。
◇講演 「教材をつくる授業をつくる」 2002年12月6日 第5回朝日NIE講座
□能力別グループ学習で新聞を作る
優秀なグループをいじめて弱いグループに手助け
- 能力別グループの指導のために新聞に近付いた
□何のためにグループにするのか
戦後の失敗
= 1 先生たちが教えることを遠慮するようになった
2 グループ指導が行われた
指導をせずに
3 話し合い指導
やりっぱなし
討議を教えていない
□目的に合わせたグループ編成
4人 ABCDと席を決める
Aには必ず司会者
座席表を配った
4人の内1人がその日の当番
◎グループ指導は子どもを理解し教材を理解したところにある
自由に組むのではなくいろんな意味の配慮をしながら先生が
指導すべき大切なもの
= 教師の腕のふるいどころ
□話し合いこそ戦後民主主義の基盤
□話し言葉を勉強する
西尾実
「話し言葉の会」
□話し合いは生きた言葉で指導する
◎ お芝居でなくその人になりこの人になり、言い方まで気を付け
ながら鍛える
□教えることは手を引くこと
□よく読むなんて読み方はない
◎「本が呼びかけてくる」
□手引きによって子どもの心を耕す
勉強っぽくなく
□何をどう書いたかという先生への手紙
P185 作文に添えて
□楽しく本を探させる手引き
教師が子どもを教材を知っていたか
□書きたいものと心にもたせる手引き
□私の生まれた日
私は自分の学校の図書館の本は一冊残らず読んでありました
- 全員の誕生日を調べて何もない日はないか?
□表現比べ
新聞と比べて
- 花火大会
□私の構想する日本語教室
「世間師 宮本常一の仕事」の紹介 1回目です。
出版社の案内には、
「『忘れられた日本人』などで知られる民俗学者・宮本常一の生涯を
追った評伝。日本全国を旅した宮本の仕事を探索するとともに、学者
的でも民俗的でも高踏的でもない、宮本の人間に対するやさしさと温
かさを伝える。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「鈴木登美さんが宮本から学んだこととして挙げたのは
①対等の立場で聞くこと ②土地の人になりきること」
・「クロポトキンの『相互扶助論』を愛読した。宮本は日常の体験や生
活感覚から自分の問題に」
もう一つ、再掲載になりますが、大村はまさんの
「教師 大村はま96歳の仕事」⑤を載せます。
生涯現役の教師であり続けたともいえる大村はまさん。
- 先生は教えるもの
子どもに力をつけるために自分に厳しく臨む姿勢から教えられます。
教えるためには大変な準備が必要になります。
現役の現場の方に読んでもらいたい本です。
☆「世間師 宮本常一の仕事」斎藤卓志 春風社 2008年 ①
◇斎藤卓志
1948年愛知県生
中央大学法学部卒
安城市教育委員会文化財課長(安城市歴史博物館)
◇奥三河の灯 愛知県北設楽郡名倉村
昭和31(1956)年11月8日 名倉村の大蔵寺で座談会
計3回の調査
S31.10.6~10.8 S31.11.5~13 S32.5.13~21
相手の関心事,話の広がりに任せた
~ 皆で話すことのおもしろみ,話の場の楽しみ
宮本を助けた沢田久夫と鈴木登美夫
鈴木登美夫
「宮本は気さくな方」
宮本から学んだこと
① 対等の立場で聞くこと
② 土地の人になりきること
◇出発は郵便局員
郵便局員 15~25歳
高麗橋郵便局 T13.5.13~
大阪府立天王寺師範本科第2部 T15.2~
→ 修齋尋常小学校訓導 S元年9月
天王寺師範専攻科 S3.3~4.3
→ 田尻尋常小学校訓導
東京高等師範の試験には落ちた
神保教子
大9(1920)周防大島生
久賀のお寺の一人娘
昭和8年9月
「口承文学」口承文学の会
宮本常一,織戸健造,高田十郎、南要,山口康雄,
前原貞次郎、鈴木東一
小学校教員時代
昭和2年9月から
2人の先生
国文学の金子実英(後に金子又兵衛)
- 関西大学・谷沢永一の師
地理の山極三郎
森信三
明治29年愛知県知多生 哲学を学ぶ
森71歳で出版した「日本文化論」校閲を行ったのは宮本常一
「人生二度なし」で知られる
昭和2年 有真香小学校
◇生涯の師・柳田国男
クロポトキン
「相互扶助論」
→ 宮本は日常の体験や生活感覚から自分の問題に
昭和10年7月31日~8月6日 還暦記念講演会
宮本常一,折口信夫,金田一京助,伊波普猷,岡正雄,
最上孝敬,大間知篤増、瀬川清子,関敬吾,大藤時彦
☆「教師 大村はま96歳の仕事」大村はま 小学館 2003年 ⑤(最終)【再掲載 2016.1】
[出版社の案内]
「戦後国語教育の最大の失敗は、“教えない”先生が増えたことです」
と言い切る、〈国語の神様〉大村はま。「子どもの個性尊重」の名に隠
れて“プロとして教える”ことがおろそかになってしまったのではな
いか?
百人の子どもに百種の教材を用意する。そして人と比べられることの
ない「優劣のかなた」で真の力を身につけさせることを目ざして、ひ
たすら実践を磨いた人の言葉は鮮烈である。国語教師を52年勤め、
96歳の今も新しい教材を作っている大村はまが、この1年間、渾身で
世に訴えた発言(講演、インタビュー)を集成。
◇講演 「教材をつくる授業をつくる」 2002年12月6日 第5回朝日NIE講座
□能力別グループ学習で新聞を作る
優秀なグループをいじめて弱いグループに手助け
- 能力別グループの指導のために新聞に近付いた
□何のためにグループにするのか
戦後の失敗
= 1 先生たちが教えることを遠慮するようになった
2 グループ指導が行われた
指導をせずに
3 話し合い指導
やりっぱなし
討議を教えていない
□目的に合わせたグループ編成
4人 ABCDと席を決める
Aには必ず司会者
座席表を配った
4人の内1人がその日の当番
◎グループ指導は子どもを理解し教材を理解したところにある
自由に組むのではなくいろんな意味の配慮をしながら先生が
指導すべき大切なもの
= 教師の腕のふるいどころ
□話し合いこそ戦後民主主義の基盤
□話し言葉を勉強する
西尾実
「話し言葉の会」
□話し合いは生きた言葉で指導する
◎ お芝居でなくその人になりこの人になり、言い方まで気を付け
ながら鍛える
□教えることは手を引くこと
□よく読むなんて読み方はない
◎「本が呼びかけてくる」
□手引きによって子どもの心を耕す
勉強っぽくなく
□何をどう書いたかという先生への手紙
P185 作文に添えて
□楽しく本を探させる手引き
教師が子どもを教材を知っていたか
□書きたいものと心にもたせる手引き
□私の生まれた日
私は自分の学校の図書館の本は一冊残らず読んでありました
- 全員の誕生日を調べて何もない日はないか?
□表現比べ
新聞と比べて
- 花火大会
□私の構想する日本語教室