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「教師の現在 教師の未来」油布佐和子 教育出版 1999年 ⑪ [読書記録 教育]

今回は 10月7日に続いて 油布佐和子さん監修の
「教師の現在 教師の未来」紹介 11回目です


出版社の案内には

「変化しつつある社会の中で、教育の現状と意義を考察する。5では制度的な制約の
 なかで多様な役割を求められる現代の教師の現実を検証し、未来の教師像はいかに
 あるべきかを様々な視点から模索する。」

と あります



今回紹介するのは 前回に続いて 藤田英典(東京大学=当時 ハマコウ註)さんの
「問われる教育の公共性と教師の役割-教育改革の行方-(3)」です 


河上亮一さんの
『教育改革国民会議で何が論じられたか』(草思社、2000年)
の中の藤田さんの言葉に 納得した思いがあります
※当ブログ過去記事
  http://ya42853.blog.so-net.ne.jp/2013-01-13



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☆「教師の現在 教師の未来」油布佐和子 教育出版 1999年 ⑪

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◇問われる教育の公共性と教師の役割-教育改革の行方-(3) 藤田英典(東京大学)

○公教育の公開性・共生性の揺らぎ

3R’s 自社会についての基本的知識と構え 道徳性・社会性


政治的判断能力など国民・市民としての基礎的教養と生活者能力形成

          ∥
  
        教育の共通性は義務教育段階の教育の基本的要件

      |

    共通教育の場はだれにも開かれたパブリックなものでなければならない。
(差別的・排他的なものであってはならない)


 地域制公立学校 
   公開性・非差別性・非排他性を制度的に保証しようとしたもの



  子供の自律性(尊敬・自己表現)と共生性を備える




 荒れる学校
   差別性・排他性を志向し共生共同の場を開いた空間にしていくもの

   子供を排除する志向性





○教育の平等性・基礎性の揺らぎ

 公教育の平等性
  ① 教育は人権の平等を実現するための不可欠な手段

    人権の平等を基礎とした規範的・権利論的理由


  ② 制度論的理由・実質的であり相対的



義務教育は総ての人に開かれているべき


  ③ システム論的・教育学的理由



 義務教育
  = 市民的教養・生活者能力・基礎学力の構成



  <生きる力><考える力><自己教育力>のスローガンも妥当
   中核は3R’sを中心にした基礎学力(広義のリテラシー)と社会生活に対
  する前向きの構えとプライド





○教育改革の課題と教師の役割

 今必要な改革は何か
  ① 制度改革はしない

② 条件整備をする 
       学級定数の縮小と学校裁量権の拡大

   ③ 開かれた学校のための条件整備・多様な人材・学校施設の開放





○今教師に期待されていること

① 教育のプロだという自覚を持つこと

  プロとしての最善を尽くすこと


 ② 開かれた弾力的な学級づくりを進めること,力量の向上に努めること

   子供をよく見ること,子供の状況をよく知ること

   偏見や硬直性を排除し,許容性と応答性と安定性のある学級づくりを進める


 ③ 学校と教師の仕事を開かれたものにしていく


 ④ 教師の相互信頼と協同性を高めていくこと

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コメント 4

ojioji

いつも大切な教えを紹介いただきありがとうございます。
もうこの仕事から足を洗った(個別でみている子はいますが)のに、ついつい考えてしまいます。

教師がプロとして最善(ぼくとしては今より良ければ次善で可ですが)を尽くせるよう、家庭や世間が教師を信頼し、任せることは任せて、感謝する風土をなんとか取り戻せないかと。

子どもに自己重要感を持てるようにするのと同様、教師も人の子、やり甲斐があれば何時間労働とかそっちのけで頑張れるし、その逆のときは消耗するばかりでしょう。
今は本当にお大変かと。

教師の協同・協働性も、もっともっと進められますよね。スーパーティーチャーとかいって逆差別するだけでなく、1+1>2にできるよう。
こちらは昔より今のほうが進めやすい時代かと。

社会・世間が先に悔い改めるべきか、教師が先にもっと変わるべきか、鶏でも卵でもなくて、
どちらもが、子どもと未来の世の中のために、歩み寄るしかないと思います。ぼくのようにばっさり切り捨ててもいけないが、どちらかの立場で甘えても駄目。

田舎に戻って、京都の都会よりは遥かに、先生への古き良き接し方が残っている(家庭教師のぼくにすら、無条件に、先生様^^;みたいな感じだったり、学校の先生を子どもが贔屓とか文句言いかけても親が、あんたがまちがっていると即座に言って聞かせたり・・・)のを見て、都市の非人間的な面や自己中の極み、権利・権利で日が暮れる面を改めて感じております。

その田舎というか地方で気になるのは、スマホやそれを使ったラインやゲームや動画サイトや、大人の享楽的・退廃的文化が歯止め無く広まっていること。
そりゃあ面白いし子どもは仕事もないから、与えたら猿のように嵌まりますよね。大人ですら交差点をスマホ見て歩いているわけだし。
だから、絶対に親が与えたら駄目なのです。
何が子どもの安全のためにスマホが要るじゃ!持ってるほうが余程危険に晒されてるのに。
連絡網のためにスマホが要るじゃ!雨が降ったら・台風が来そうなら練習に集合するかしないかくらい家庭で判断しろよ!休ませる家と雨が降ろうが槍が降ろうが来させる家とあったほうが尋常です、それが家庭の文化です。

と、ぼくは結局いつも都市文明批判に行ってしまいます(^_^;)
夜明け前からひとり昂奮してすみませんでしたm(__)m
by ojioji (2014-10-10 04:48) 

ハマコウ

ojioji さん ありがとうございます

「教師も人の子、やり甲斐があれば何時間労働とかそっちのけで頑張れる」
「どちらもが、子どもと未来の世の中のために、歩み寄るしかない」
「絶対に親が与えたら駄目」
同感です

わたしは 以前勤務していた
「先生への古き良き接し方が残っている」学校へ 再び赴任することができました

およそ20年ぶりだったのですが 依然と変わらない雰囲気にホッとし
頑張らなければという思いを強くしました
「頼られている 信頼されている」思いがすると やはりやる気が湧いてきます

お互いを信頼し合う ゆるしあう関係 再びつくっていきたいものですね
 


by ハマコウ (2014-10-10 21:00) 

ojioji

20年ぶりの再赴任校、何よりです。
山本五十六の、やっている姿を感謝で見守って、信頼せねば、人はみのらず(でしたっけ)、を思います。
頑張った人は実ってほしい、報われてほしい、そんな世の中を切に願います。
>お互いを信頼し合う ゆるしあう関係 再びつくっていきたい
同感です。ぼくの弱点は、ゆるしあうことが難しいことです。
by ojioji (2014-10-10 23:46) 

ハマコウ

ojioji さん ありがとうございます

いろいろ言われても仕方がなかった新人時代
保護者の方々は黙って見守り励ましてくれました
申し訳なかった その思いは今ももっています

特別支援教育に関わったことで それまで教えてきた子どもたちにも
もっと丁寧な指導ができたなあと 思います
by ハマコウ (2014-10-11 08:32) 

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