「時代を拓いた教師たちⅡ」田中耕治 日本標準 2009年 ② / 「生きることのレッスン」竹内敏晴 トランスビュー【再掲載 2019.2】 [読書記録 教育]
今回は、7月14日に続いて、田中耕治さんの、
「時代を拓いた教師たちⅡ」の紹介 2回目です。
戦後教育実践の流れがよく分かります。
出版社の案内には、
「発言したくてたまらない。子どもたちが心待ちにする授業とは―教育実践の豊かな蓄積
が、混迷する現代を切り拓く。」
とあります。
今回紹介分(『実践記録』の性格と方法を巡って)より強く印象に残った言葉は…
・「教えたいことは教えな」
・「間違い観ひとつで子どもは変わる」
・「あらゆるものに『なってみる』」
・「竹内敏春のレッスン」
もう一つ、再掲載となりますが、竹内敏晴さんの
「生きることのレッスン」を載せます。
大まかすぎる要約ですが、内容の雰囲気はつかめるのではないかと願います。
☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「時代を拓いた教師たちⅡ」田中耕治 日本標準 2009年 ②
◇学びの姿を変える 「先生の先生は子どもたちなのである」(1)
1.今泉博と協同の学び -自由な発言を保障することで授業は変わる-
□発言があふれる教室 山の記号を巡る議論
自由な発言とそれに対しての応答 「協同の学び」
教えたいことは教えない 今泉博 1949 函館生 北海道教育大学教授
「子どもたちは教師が教えなくても,一定の事実さえ提供されれば,本質的なことを発
見していけるのだ」との確信
↓
◎「教えたいことは教えない」授業の原則
子どもたちの学力を活かすために教材研究
◎ 間違い観ひとつで子どもは変わる
間違いの中にも事実や真理のかけらが含まれている
子どもなりの考え方を表した「違った考え」
※ 意見がぶつかり合い,議論が成立するとき,授業の中に学習のプロセスが生まれる
× 授業は教師から出された問いに対して正しい答えを発表することではない
○ 授業とは,教師から出された問いに対して,子どもたち自身が多様な考え方を出し
合い,時には欠点を批判し合い,互いに補い,吟味する過程で考えを保証し,よりよ
い解釈や理解の仕方を生み出す場
「文化としての教育」
2.鳥山敏子とイメージの世界 -生き生きとしたからだを取り戻す-
□「スイミー」の世界に入り込む イメージの世界での身体活動を伴った学習
鳥山の実践
① 子どもの感覚が出発点
② 場所と時間の自由さ
③ なってみる授業
◎ あらゆるものに「なってみる」
それらしく見える動作を振り付けるのではなく,イメージの世界をいわば生きるも
のである
→ 音読の変化
◎「からだ」の深みへの出発
鳥山 1941年広島県生→香川→東京「ひと塾」竹内敏春のレッスン
◎「生き生きとしたからだ」を取り戻す
「『教えなければならないから教える』」
※ 52歳で教師を辞し,『賢治の学校』創設 →東京「賢治の学校」1997
☆「生きることのレッスン」竹内敏晴 トランスビュー【再掲載 2019.2】
◇ことばとからだに出会うまで
□この人は「ことばがない」のだ
聴覚障害と失語症
□世界の二重性
二度目の失語体験
魯迅の姿勢
□体験をどうことばにするか
ガラスの壁が吹っ飛ぶ
◇「八月の視祭」を巡って
□目標は持たない
パフォーマンスのコラージュ
クラウンの法則
□「負けたこと」に負けない
◇いのちを築くレッスン
□からだに目覚める仕組み
からだによるドクサの吟味
□野口体操との出会いと別れ
からだのつぶやきに耳を澄ます
□面従腹背の教育の源
崩壊に向かう青年たちのからだ
□「あなたたちは『前人間』だなあ」
前半分しかないからだ
~ からだの後ろ半分は全く忘れられている
「時代を拓いた教師たちⅡ」の紹介 2回目です。
戦後教育実践の流れがよく分かります。
出版社の案内には、
「発言したくてたまらない。子どもたちが心待ちにする授業とは―教育実践の豊かな蓄積
が、混迷する現代を切り拓く。」
とあります。
今回紹介分(『実践記録』の性格と方法を巡って)より強く印象に残った言葉は…
・「教えたいことは教えな」
・「間違い観ひとつで子どもは変わる」
・「あらゆるものに『なってみる』」
・「竹内敏春のレッスン」
もう一つ、再掲載となりますが、竹内敏晴さんの
「生きることのレッスン」を載せます。
大まかすぎる要約ですが、内容の雰囲気はつかめるのではないかと願います。
☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「時代を拓いた教師たちⅡ」田中耕治 日本標準 2009年 ②
◇学びの姿を変える 「先生の先生は子どもたちなのである」(1)
1.今泉博と協同の学び -自由な発言を保障することで授業は変わる-
□発言があふれる教室 山の記号を巡る議論
自由な発言とそれに対しての応答 「協同の学び」
教えたいことは教えない 今泉博 1949 函館生 北海道教育大学教授
「子どもたちは教師が教えなくても,一定の事実さえ提供されれば,本質的なことを発
見していけるのだ」との確信
↓
◎「教えたいことは教えない」授業の原則
子どもたちの学力を活かすために教材研究
◎ 間違い観ひとつで子どもは変わる
間違いの中にも事実や真理のかけらが含まれている
子どもなりの考え方を表した「違った考え」
※ 意見がぶつかり合い,議論が成立するとき,授業の中に学習のプロセスが生まれる
× 授業は教師から出された問いに対して正しい答えを発表することではない
○ 授業とは,教師から出された問いに対して,子どもたち自身が多様な考え方を出し
合い,時には欠点を批判し合い,互いに補い,吟味する過程で考えを保証し,よりよ
い解釈や理解の仕方を生み出す場
「文化としての教育」
2.鳥山敏子とイメージの世界 -生き生きとしたからだを取り戻す-
□「スイミー」の世界に入り込む イメージの世界での身体活動を伴った学習
鳥山の実践
① 子どもの感覚が出発点
② 場所と時間の自由さ
③ なってみる授業
◎ あらゆるものに「なってみる」
それらしく見える動作を振り付けるのではなく,イメージの世界をいわば生きるも
のである
→ 音読の変化
◎「からだ」の深みへの出発
鳥山 1941年広島県生→香川→東京「ひと塾」竹内敏春のレッスン
◎「生き生きとしたからだ」を取り戻す
「『教えなければならないから教える』」
※ 52歳で教師を辞し,『賢治の学校』創設 →東京「賢治の学校」1997
☆「生きることのレッスン」竹内敏晴 トランスビュー【再掲載 2019.2】
◇ことばとからだに出会うまで
□この人は「ことばがない」のだ
聴覚障害と失語症
□世界の二重性
二度目の失語体験
魯迅の姿勢
□体験をどうことばにするか
ガラスの壁が吹っ飛ぶ
◇「八月の視祭」を巡って
□目標は持たない
パフォーマンスのコラージュ
クラウンの法則
□「負けたこと」に負けない
◇いのちを築くレッスン
□からだに目覚める仕組み
からだによるドクサの吟味
□野口体操との出会いと別れ
からだのつぶやきに耳を澄ます
□面従腹背の教育の源
崩壊に向かう青年たちのからだ
□「あなたたちは『前人間』だなあ」
前半分しかないからだ
~ からだの後ろ半分は全く忘れられている
私の職場には 現在
女子学生(高校生・大学生・専門学校生)が
多く居ります
何故か?男子学生は一人も居ませんが・・・
ここ最近 勤務シフト作成に際し
悩みの種は ○○さんと一緒に
働きたくないと云う者が
何と 多いこと
可能な限り 対応しておりますが・・・
>時には欠点を批判し合い,互いに補い,吟味する過程で考えを
保証し,よりよい解釈や理解の仕方を生み出す場
大いに共感でき かつては
自分も そうしており
現に うまくいっておりましたが・・・
最近の学生は
どうもこうしたプロセスが
苦手というか 嫌う傾向にあり
このところ 殆ど実践しておりません
ご助言頂ければ 幸いです
場違いなコメント
お許し下さい
by pigumon (2020-07-24 13:01)
pigumonさん ありがとうございます。
この頃、その子の力よりほんの少し高い課題を与えると、子供たちからは、「無理。」「できない。」という言葉をよく聞くようになりました。「やってみようよ。」「君ならできると思うよ。」と明るく励ますように声をかけると以前はのってくる子が多かったのですが、自分でかたくなに決めつけてしまっていることが増えているように感じます。
そんな時、無理にやらせて、仮にできたとしても恨みが残ってしまうので、「また、今度ね。」と声だけ掛けて、無理には取り組ませないようにしています。案外、その後、取り組むことも多いもので、頑張っているね、うれしいよと声を掛けています。
人間関係は確かに難しいですね。言いたいことを言い合ってという場面が少なくなりました。嫌なことはないのと聞いても、「ありません。」と言って黙ってしまいます。なんとなく言いたそうにはしているのに、ぶつかり合うことを避けているように感じます。「Bさんは Aさんのこんなことが好きだと言っていたよ」「Bさんがこんな気遣いをしてるところを見たよ」とか、実際に見た子供たちのよさをそれとなく伝えていくことで、いろいろな見方があることを知らせていくくらいでしょうか。 学校ならでば、諸富 祥彦さんの「クラス会議」(検索すれば大まかなことはわかると思います)が共同体感覚をつけるのに有効なのですが、実社会でもいかせるかもしれません。
うまく答えられなくて申し訳ありません。
by ハマコウ (2020-07-24 14:02)
ハマコウさん
ありがとうございます
以前は
言いたいことは 言い合え!
と 勤務中にもかかわらず
場をわざわざ設けて
侃々諤々
やらせておりましたが・・・
最近もっぱら
干渉することが 無くなってしまいました
私の情熱が失せてしまったのかも(笑)
反省しきりです
日本初! アドラー心理学
とても 興味深いです
「クラス会議で・・・」
是非 読ませて頂きます
by pigumon (2020-07-25 00:55)
pigumonさん ありがとうございます。
小学生の頃、地域の異年齢集団で遊ぶことが極端に少なくなりました。子供会活動も以前のようには盛んではなくなりました。駄菓子屋文化もなくなりつつあり、関係作りが得意ではない子が増えているように思います。小さな集団では親密になるものの、幅広くそれなりに付き合うことを敬遠するような傾向が見られます。
異年齢集団の中で、子供同士でぶつかり合い、学び合うことが、弊害もあるものの、大切だったと改めて思っています。
個が大切にされるようになり、付き合いたくなければ付き合わなくてもいいという時代の流れは、よいことでもありますが、わたしのような地方に住む世代には驚くことがたびたびあります。
深入りされることを厭う子供が増えつつある現代、大人の対応も変化が必要になっているように思います。
もちろん、子供たちから嫌がられようと、必要、大事だと考えることは言う必要はありますが。
by ハマコウ (2020-07-25 04:27)