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小浜逸郎さんはこんなことを②-「この国はなぜ寂しいのか-『ものさし』を失った日本人」 PHP 1998年 (2) /『駄菓子屋・読み物と子どもの近代』加藤理 青弓社 2000年 ②【再掲載 2014.11】 [読書記録 教育]

今回は、10月13日に続いて、
「小浜逸郎さんはこんなことを」2回目、
「この国はなぜ寂しいのか-『ものさし』を失った日本人」2回目の紹介です。



頭の中でもやもやとくすぶっているものを「言葉」にしてくれる小浜さん、大好きです。



出版社の案内には、


「『失楽園』現象から『酒鬼薔薇事件』『金属バット事件』『個性尊重論』の問題に至るま
 で子供や思春期の少年たちにかかわる社会現象をテーマに、不安と虚無感におびえる世
 相を読み解く。精神不況の時代を読む。」


とあります。




今回紹介分(『酒鬼薔薇事件』)より強く印象に残った言葉は…

・「善悪の判断がつくからこそ悪が魅力的」


・「大人でありながら子供と見なされる
 = 宙に浮いたようなアイデンティティは余計なことに向かわせる」


・「安易に『教育問題』にするな」


・「マスコミがなければこの犯罪はない」 
- こう思うことが幾たびもあります。


・「学校的規範の崩れが背景にある」





もう一つ、再掲載となりますが、加藤理さんの
「駄菓子屋・読み物と子どもの近代」②を載せます。
「教科書が唯一の読み物」であり
「田舎の子どもも<教科書を通して物を読む楽しみ>」を味わった19世紀末。
子どもの向学心が高かったことが想像できます。
読み物が豊富にあり、他の楽しみも山のようにある現在、
どのように子どもたちを学びに向かわせることができるかが課題になっています。




<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。





☆小浜逸郎さんはこんなことを②-「この国はなぜ寂しいのか-『ものさし』を失った日本人」 PHP 1998年 (2)

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◇神戸児童殺害事件で見えた「子供は善」信仰の愚かさ

□「教育問題」にしたがる思考停止の人々

 決まり切ったもの

  「現実と仮想現実の区別が付かなくなった犯罪」

  「社会や教育体制のゆがみ」

  「偏差値教育,受験競争の重圧が原因」



  ◎ 善悪の判断がつくからこそ悪が魅力的



□少年はなぜ「悪」に走るのか
     
 悪 … 共同体の共通理解に反すること 

   = 個人的・実存的な性格
 
 ◎ 「悪人」であるためには,共同体の共通利益を積極的に侵犯しなくてはならない


□思春期における共同性と自我の対立

 大人でありながら子供と見なされる

 = 宙に浮いたようなアイデンティティは余計なことに向かわせる



□安易に「教育問題」にするな

 少年の人格障害

 この事件の注目すべき点 
   ① 残虐性
   ② 劇場性
③ メディアが大々的に報じることの意味
④ 容疑者が中学生



□残虐性はどこから来るのか

 戦後の日本ほど「個人の生命」が大切にされてきた時代や社会も珍しい



◎ 人間の奥深さ,不気味さ,おぞましさを忘れる健忘症


 「ホラー」はなぜ生き延びる 
残虐性の個人化・拡散化



□残虐性を支えるマスコミ

  共同体がかつて自らの延命と再秩序化のために儀式として公認していた「聖なる残虐
 さ」は「法と理性」という社会原理に置き換えられた


    
  ◎ マスコミがなければこの犯罪はない



□近代の学校理念を見直そう

 昔 - 今は苦しいけれど努力と我慢を重ねれば将来もっといいことがある



 70年代後半
   ◎ 都市型個人主義の浸透により役割・権威が失われた
           
     → 学校的規範の崩れが背景にある

   ◎ 学校組織というカテゴリーによって統御しきれなくなった年少者たちが示す突
    出した「個人性」の異様な形の一つ
 







☆『駄菓子屋・読み物と子どもの近代』加藤理 青弓社 2000年 ②【再掲載 2014.11】

<出版社の案内>
近代的な子ども観の発見は子どもの権利を意識する一方で、子どもを“子どもの領分”に
押し込めながら隔離し、いまや“子ども不在”の社会が形成されるまでになった。しかし、
子どもは本当に与えられるだけの存在なのだろうか。社会が急速な変貌を遂げた20世紀
初頭の駄菓子屋と読み物にかかわる子どもの姿をさまざまな文献を渉猟することで探り
出し、子どもがみずから積極的に参加し選択する存在であったことをあきらかにする。
そして、子どもは保護され育成される存在であるという固定観念から離れ、近代的な子
ども観が与えた光と影を丹念に読み解くことで来るべき21世紀の大人と子どもの新たな
関係性を探り、そのための子ども観を提示する。
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◇「児童の世紀」と読書の喜び ①
  
□精神の自由の獲得

 野口シカの手紙の感動 
 
   50歳過ぎてから文字 → 識字能力の大切さ


 江戸時代の識字率 
   武士      100%

   大都市町人  70~80%

  小都市地方町人 50~60%

大都市職人   50~65%

小都市職人   40~50%

農民 庄屋   100%

  村役人  50~60%

小作人  30~40%

辺地小作人 20%

   ◎ 明治期 明治14年北安曇郡 64.2%(1881)
  

 
□読む楽しみを知る - 子どもと教科書 

 明治期 - ◎ 教科書が唯一の読み物

 
 江戸時代の教科書 
   ◎四書五経  「論語」「大学」「中庸」「孟子」「春秋」「礼記」

   往来物 「庭訓往来」「商売往来」

   処世  「今川状」

   基本法典 「貞永式目」

   道徳訓戒 「童子教」「実語教」=堅苦しい内容,実用的内容

   
  
 1872(明治5)年 当面の教科書
読本読み方 福沢「学問のすすめ」「小学読本」「小学入学」

  地理    福沢「世界国尽」「地理初歩」

  修身    渡辺温「伊蘇普物語」中村正直「西国立志編」



 1886(明治19)年 
   教科用図書検定条令 → 読み物としての魅力

  19世紀末
    → 田舎の子どもも<教科書を通して物を読む楽しみ>
  

 

□出版の近代化と近代読書の誕生

 1882(明治15)年1月 
  栄泉社 
  → 「今古実録」= 堅苦しい内容,実用的内容

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