大村はまさんはこんなことを ㉔(最終)-『教えるということ』大村はま 共文社 1973年 (3) /「図説 ふるさとの歴史シリーズ 浜松浜名湖周辺」上巻 郷土出版社 1992年 ① 古墳時代まで 【再掲載 2011.6】 [読書記録 教育]
「教師は仏様の指のような存在に!」
今回は、12月21日に続いて、大村はまさんの
「教えるということ」の3回目、
「大村はまさんはこんなことを」の紹介 24回目 です。
出版社の案内には、
「教えない先生が多すぎる。『教える』とはどういうことか。教師・父母必読、問題の書。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「『研究することは先生の資格』
学ぶ苦しみを子どもと共に味わう教師でありたい」
・「教えない教師は『読んできましたか』という検査官であり黙って書かせる批評家だ」
- 大先輩の山本部長から言われた言葉「教師は批評家にならないように」の言葉を思い
出しました。
・「ほんものの教師
① 尊敬される先生 ◎ 厳しい自己規制が大切
② 子どもに乗り越えられる教師の喜び ◎ 教師は渡し守役
③ 教師の禁句は『静かにしなさい』 」
・「職業意識に徹して、 一人で判断するようにしつける。常に研修によって技術を磨く。」
教えるとはどんなことか、ほんものの教師とは何かということを
短い言葉で厳しく教えてくれた大村はまさんの本、おすすめです。
もう一つ、再掲載となりますが、
「図説ふるさとの歴史シリーズ 浜松浜名湖周辺」上巻①を載せます。
今回の再掲載にあたり、もう一度要約を読み直しましたが、
図で説明されたいる、浜松浜名湖周辺の歴史を知るのに役立つ本だと改めて思いました。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆大村はまさんはこんなことを ㉔(最終)-『教えるということ』大村はま 共文社 1973年 (3)
◇教えるということ
信州-東女出身
教師の資格
-「研究することは先生の資格」
= 学ぶ苦しみを子どもと共に味わう
20代のアイデアを大切に
教えない教師
-「読んできましたか」という検査官
読むことを教える
黙って書かせる批評家
無責任な教師
「一生懸命に指導したんですけどね」
「あなたのお子さん,勉強が足りませんね」 甘い世界
↓
◎ 教師の仕事は子どもに力を付けること
ほんものの教師
尊敬される先生 = 厳しい自己規制
子どもに乗り越えられる教師の喜び = 教師は渡し守
教師の禁句「静かにしなさい」
◎ 覚悟を新たに
◇教師の仕事
教師志望の動機
理想は担任の先生
「子ども好き」だけでは× - 先生バカ
素人教師と玄人教師
「いい人」なんて当たり前 真の愛情とは何か
禁句「分かりましたか」
専門職としての実力
職業人としての技術
素人でも言える指示する言い方
専門職としての技術
- 書かせる工夫
いいわけコンクール
- タネ探しの苦労
職業意識に徹する
職業人の目で見る
一人で判断するようにしつける
研修によって技術を磨く
教師の仕事の成果
「仏様の指」 - 教師の本懐 = 子どもの重荷にならない
◎ 教師は仏様の指のような存在に!
◇言葉について
言葉を考える
流行語は悪い言葉か
子どもたちの感覚は鋭い
「カッコイイ」使用禁止同盟
- 言葉を豊かに
☆「図説 ふるさとの歴史シリーズ 浜松浜名湖周辺」上巻 郷土出版社 1992年 ① 古墳時代まで 【再掲載 2011.6】
<縄文時代>
◇縄文海進
□1万2千年前
海面が上昇 → 海進 → 三方原台地が海食崖に
5千年前
現在より2~3m上昇
海進海退を繰り返した
関東は65km内陸部まで
□動物相の変化
大型動物 ナウマンゾウ,オオヅノシカ,トラ
↓
中型・小型 シカ,イノシシ,ウサギ ← 狩猟の対象
□海進により遠浅の海ひろがり
干潟 - 牡蠣や蛤
豊富な種類 - 干潟の水鳥
|
◎ 海進により海から豊富な食糧 + 土器使用
↓
◎ 海岸部に生活の場
弁天島湖底遺跡(渚園付近)
◇貝塚とムラ
□江戸期(1678)
「青山御領分絵図」に蜆塚初見
□明治22(1889)年、若林勝邦により「蜆塚遺跡」
2~30人のムラ
貝塚 = 数百年間のごみ
縄文カレンダー マツリの遺跡
<弥生時代>
◇米づくりの始まり
□紀元前3世紀
三ヶ日町・殿畑遺跡-遠賀川式土器(稲作のムラ)
□紀元前1世紀
舞阪町・大山遺跡 浜松市・梶子遺跡
瓜郷式土器 ~ 濃尾平野から移住してきた人々?
◇戦うムラ
□伊場遺跡 2世紀~
三重の濠
防御的集落=「戦うムラ」
◎ 日本の歴史の中で,村の周りに濠,柵,土塁などの防御施設を巡らすのは弥生時代
と戦国時代の二つだけ。
↓
※利害 水利権,耕作権,所有権,領有権,通行権
梶子遺跡 も 濠
向山遺跡
紀元前2~3世紀 都田・丘陵上
監視所や烽火所
水城
平野部濠
山城
高所のムラ
◎ 竪穴住居,掘立柱建物,高床式倉庫,鋤や鍬などの材料を水漬けで保管する穴,
ゴミ捨て用穴,濠には橋
墓はムラ外れ,郷の外側・丘陵上
◇炊く・盛る・蓄える
□伊場遺跡
2世紀の弥生土器が多数出土
甕型25%,壺型40%,高坏型32%,鉢型3%
甕型 外面内面に煤やお焦げ~米
壺 - 貯蔵
高坏 - 食物を盛る
◇鳥・船・鹿
□弥生時代
鳥は特別な動物
長い竿をつけた木製の鳥
-ムラの入口門の上に(鳥居に鳥が居た)
鳥 - 穀霊が扮装したもの
船 - 海の彼方から穀霊を運んでくる
※ ミニチュア木製船(浜松市・梶子遺跡)
※ 土器に外航用船の絵(浜松市三和町・村前遺跡)
鹿 悪ヶ谷銅鐸にも
鹿を犠牲獣とする種籾賦活儀礼
↓
※ 鳥,船,鹿は豊作を祈念したり感謝したりするもの
◇銅鐸のマツリ
□弥生時代の楽器
土笛,弦楽器の琴,体鳴楽器の銅鐸
西遠-「見る銅鐸」祭具の中心へ
正式発掘
前原銅鐸(浜松)
滝峯才四郎銅鐸(細江町)-「銅鐸の谷」
横たえて埋められた
青銅の本来のいろは金色
◇階級社会への道
□浜松市・松東遺跡
3~4mの濠 4000㎡
東西20m南北30m区画
□浜松市・山の神遺跡
方形周溝墓 - 差別化志向
□浜松市三和町・村前遺跡 弥生末3世紀
特殊文様土器
直線と弧線を組み合わせ→古墳時代・直孤紋
直孤紋 = 支配階級専用の文様
|
◎紋様の世界にも独占が始まる
◇邪馬台国と狗奴国
□狗奴国
① 伊勢湾沿岸説
② 原野谷川流域説
2~3世紀
伊勢湾周辺に一つの文化圏(東限が西遠)
袋井市周辺
久努(くの)
8世紀 久努豪族 ~ 狗奴国有力候補地 - 菊川式土器が分布
2~3世紀銅鐸
西遠江21点 うち8点は近畿式
↑↓
東遠江には敵対する勢力
◎ 西遠江 VS 東遠江
<古墳時代>
◇古墳が造られた時代
□浜北市内野・赤門上古墳
1954内野地区分布調査
山下・通称赤門寺の竜泉院にちなむ
1961発掘 木棺
三角縁神獣鏡,大刀,管玉,銅鏃,鉄鏃,鎌,ヤリガンナ,刀子
全長56m
◇ムラのすがた
□集落 浜松市西鴨江町・中平遺跡(4世紀)竪穴165,掘立4
入野町・大平遺跡
→ 伊勢・尾張の影響
◇井伊谷の古墳群
神宮寺川 井伊谷の盆地
北岡大塚古墳,馬場平古墳,馬場平3号墳,陣座ヶ谷古墳
◇大型円墳と中期古墳
□古墳造営規制
大型は円墳に → 千人塚古墳 三方原学園内 1965発掘
大漁の武器類,農工具類
瓢箪塚古墳,2号墳 1世紀に渡る首長墓
谷津古墳 入野古墳
◇内野積石塚と渡来人
※以下略 → 2011.6の記事へ</ins>