SSブログ

「鎮守の森は泣いている」山折哲雄 PHP 2001年 ② /「学校の社会力」門脇厚司 朝日新聞社 2002年 ③【再掲載 2015.8】 [読書記録 一般]

今回は、2月24日に続いて、山折哲雄さんの、
「鎮守の森は泣いている」の紹介 2回目です。


出版社の案内には、

「いま日本人は自らの『心』の在り処を見失いつつある。何に感動し何
 を悲しみ、日々をどう生き、死に際して何を考えたのか。この国に連
 綿と繋がる感性を取り戻す事が強く求められている。
 本書では『日本人の信仰のかたち』を見つめてきた著者が、人々の感
 性を掘り起こしていく。
 西行、芭蕉という『日本をさまよう』求道者がいた。彼らは蔑まれ孤
 独の中に生きる『こじき』に憧れ、そうなる事で悟りを開こうとした
 のだ。つまり私を無の状態にしたとき、ものがよく見えてくると信じ、
 そういう心の在り方、生き方にどこまでもこだわった、と著者は言う。
 また日本には『人間は一度死を通過する事で神になることができる』
 という独自の死の感覚があり、そこから死の世界の近くにいる『老人』
 が神にも等しい存在として崇められてきたのである、と述べていく。
 日本人の行動規範をユニークかつ大胆な視点から論じていく、眼から
 ウロコが落ちる日本人論。」

とあります。


今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「国家基軸としての皇室 
- 皇室を媒介とした伝統神道のキリスト教化」


・「人は死んでタマになりカミになる(=氏神信仰) 
祖先(祖霊)崇拝」
- 静岡県特に中西部の屋敷地北西に祀られる「地の神様」と
 つながるのでしょうか。


・「悲しみの中で生きることが目的の最高の生き方」


・「子守歌 『親のない子は夕日を拝む。親は夕日の真ん中に』    
- 『親』を憎むな、『ただお前の運命を嘆け』」



もう一つ、再掲載になりますが、門脇厚司さんの
「学校の社会力」③を載せます。




☆「鎮守の森は泣いている」山折哲雄 PHP 2001年 ②

1.gif

◇それでも鎮守の森は泣いている
  議論の前提に問題あり

  新田氏が拠る葦津珍彦氏の思想
  民俗学への敵意
 
  柳田、折口民俗学への葦津氏の怨念 
葦津 
      「皇室中心の神道」
        - 極端な少数派へ
    柳田、折口  
      「地方分散的な古神道」
 
  みえてこない私の誤り
 
  伊藤が描いた国家基軸としての皇室 
  伊藤 
     - 皇室を媒介とした伝統神道のキリスト教化

  硬直した微視的思考
 
  代わるべき解釈や定説はあるのか


◇カミの再生
  ねつ造された石
  平成12年暮れ 
      「旧石器発見」捏造問題

  霊石の鎮座する山  
    三輪山磐座

  タダモノ主義の考古学
    モノの発掘騒動

  神道考古学の誤謬
    大場磐雄 提唱 
         祭祀の全容が祭祀遺跡に
  カミとタマへの行方  
    タマやカミが集まる石
   
  人は死んでタマになりカミになる(=氏神信仰) 
祖先(祖霊)崇拝
~ 四季折々の祭り、共同体の生活を豊かに


◇もう一つの「日本教」
  日本の知識人が最後にたどり着く「日本の心」
    山本七平「日本教」 
      日本教 - 西行、芭蕉、良寛
 
  娘を蹴落として出家した西行の悲しみ
  西行  
      出家前は北面の武士  
      佐藤義満(頼朝の親戚筋)
      立身出世間違いない
       ~ 23歳で出家 → 勝持寺
    出家に諸説
白河上皇の思い者の待賢門院璋氏に惚れた
       - やがて鳥羽上皇の皇后 
           崇徳天皇の母 後白河天皇の母
保元平治の乱のキーパーソン
    この世とあの世の往来者媒介者
  和歌の道と手放さず 
     ~ 不良老年への憧れ
    諸国行脚 
     ~ 寄附金募集
   
  悲しみの中で生きることが目的の最高の生き方
    「霊肉分離」の神道的感覚
      ~ 神道反応
    「心身一対」の仏教的感覚
  西行
        ~ 深い悲しみの勧請
 
  捨て子に自らの体験を重ねた芭蕉
    芭蕉 カニ  西行を尊敬
 
  終生続いた「こじき」へのあこがれ
    こっじきとこじき
    「こっじき」から「こじき」への旅 
      - 真の道
 
  「奥の細道」の旅は坂田の落日を目指した旅
    暑き日を 海に入れたり 最上川
 
  「親を憎むでない」と教えられる教育
     子守歌 
       親のない子は夕日を拝む。親は夕日の真ん中に。    
- ◎ 「親」を憎むな 「ただお前の運命を嘆け」
 
  冬ごもりして「正法眼蔵」を読む
    良寛  新潟県 出雲崎
 
  葛藤の中で子どもと遊び続けた良寛 
  乞食  
    子どもと手まり
     - ああ一日楽しかった、だが乞食はできなかった
 
  宗教家の本質は人さらい
   学校とか宗教とかいうものは、家庭から子どもを奪い去っ
    てくる場所

  良寛
   - 非情さ
親の手から子どもを奪い取り緊張感の中で遊んだ
非情さと悲しみの感情が背中合わせ

  「自分の悲しさ」からこぼれた涙
     おいの馬之助に一粒の涙







☆「学校の社会力」門脇厚司 朝日新聞社 2002年 ③【再掲載 2015.8】

[出版社の案内]
いまや脳科学的にも実証されつつある子どもの学力低下。深刻な事態を、
親のしつけが悪いから、学校が『ゆとり教育』に走っているからといっ
た、素人分かりしやすいコトバで片付けてはならない。必要なのは、最
も大事な社会力を子どもたちの中に根付かせるための環境を整えること
にある。前著『子どもの社会力』で、人が人とつながり、社会をつくる
力=社会力を提案し、ひろく注目を集めた著者が、教育の本質に迫る。
迷走する文部科学省、混乱する教育現場、困惑する親たち、そして、子
どもたちをとりまくすべての大人たちへ、いま子どものために、何をす
べきか、緊急提言。

1.jpg


<学校教育と社会力>
◇学力と社会力
□様々な学力観 
  明治期
    学力 = 学校ニ於テ受得シタル知識
  現在も「学校ニ於イテ受得シタル知識」  
・学力テストで高い点数を取るための力
  ・ランクの高い上級学校に入るための力
・高い学歴をつけるための力


□「社会をつくる」力としての学力
  1950年代 広岡亮蔵(名古屋大)
   ◎「社会をつくる力が学力である」
学力三層構造論
「旧時の学力」使用されるための学力
「新しい学力観」切り開いていくための学力
    ・事態の中に入り込んで事態を変革する学力
・よき社会建設のための学力
・環境を切り開いていく能動的な力
  → 「新しいよい社会を建設していくための生きた機能的な力の
     総体」


□広がる学力低下批判の社会的効果
「旧時の学力」に植え替えられた
  学力低下論
    = 自国中心的
    = わが子中心的
    = わがクラス中心的  
  ◎ 人間のもつ自己成長力の迫力を全く知らないか人間がうちに秘
   めている潜在的な力や自己学習能力のすごさを著しく侮った人間
   観に基づくもの
デューイ
   「学校教育の目標は,成長をいつまでも可能ならしめるように子
    どもの諸力を構成することによって教育的成長の継続を確保す
    ることである。子どもが生活そのものから学ぼうとする性向,
    生活環境を整え子どものこうした性向を育み育てることこそ学
    校教育の第一の目標である。」
  → ◎ 子どもの教育は学校や教師に任せておけばうまくいくもの
     ではない。


□学習意欲の低下と社会力の衰弱



◇生きる力と社会科
□再登場した「新しい学力観」
 臨教審 
   「ゆとり教育」 
     - 自由化,個性化,多様
  

□総合学習のねらいと中身
 3割削減しても教師の負担は大

□総合的な学習の時間の可能性
  ①地域の人との出会い   
  ②グループ 他の人との出会い
③自分で考え自分で調べる
  ④自分自身を知る



◇学校を地域に開く
□奨励された学校と地域との連携
 イギリスで始まる市民性教育
 社会力
   = シチズンシップ 
  イギリスの市民性教育 
    2002.9より導入
  アメリカのサービス学習
    イギリスのCSV
  ブリトン女史
    ①生徒の学習態度の改善
②生徒の出席率の向上
③生徒の退学者の減少
④書く技術と話す技術の向上
    ⑤効果的なチームワーク技術の習得
  

□子どもを市民と見なすことの教育性
  

□地域づくりが育む社会力
nice!(129)  コメント(0) 

「死者の民主主義」畑中章宏 トランスビュー 2019年 ②(後) /「ふえる一方の不登校をどうとらるか(中)『心をほどく人間関係の大切さについて』 伊藤友宣(神戸心療親子研究室・主宰) 『月刊少年育成』2001年 ⑧【再掲載 2015.5】 [読書記録 一般]

今回は2月23日に続いて、畑中章宏さんの、
「死者の民主主義」の紹介 2回目です。


出版社の案内には、

「人ならざるものたちの声を聴け
 20世紀初めのほぼ同じ時期に、イギリス人作家チェスタトンと、当
 時はまだ官僚だった民俗学者の柳田国男は、ほぼ同じことを主張し
 た。
 それが「『死者の民主主義』である。
 その意味するところは、世の中のあり方を決める選挙への投票権を生
 きている者だけが独占するべきではない、すなわち『死者にも選挙権
 を与えよ』ということである。
 精霊や妖怪、小さな神々といったものは、単なる迷信にすぎないのだ
 ろうか。
 それらを素朴に信じてきた人びとこそが、社会の担い手だったのでは
 なかったか。
 いま私たちは、近代化のなかで見過ごされてきたものに目を向け、伝
 統にもとづく古くて新しい民主主義を考えなければならない。
 死者、妖怪、幽霊、動物、神、そしてAI……
 人は『見えない世界』とどのようにつながってきたのか。
 古今の現象を民俗学の視点で読み解く論考集。」

とあります。


今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「南方熊楠の神社合祀反対運動も強調すべき民俗学の戦いだった」
「南方熊楠のマンダラ的世界観
   = 社会とは重層的で複雑で多様性に満ちたものだ」


・「民主主義の信条は、『結婚』『子どもの養育』『国家の法律』といっ
た最も重要な物事を平凡人自身に任せることだという。」


・「仏法は村の正気の大衆によってつくられるのに対し、書物は村のた
った一人の狂人が書くものだから伝説の方が歴史書よりも尊敬され
  なければならない」


・「妖怪は零落した神-柳田國男」



もう一つ、再掲載になりますが、伊藤友宣さんの
「ふえる一方の不登校をどうとらるか(中)『心をほどく人間関係の大
 切さについて』」⑧
を載せます。



☆「死者の民主主義」畑中章宏 トランスビュー 2019年 ②(後)

1.jpg

◇南方熊楠の闘い
◎ 日本の民俗学が近代化の中で蔑ろにされようとしているものた
   ちに目を向けさせるための戦いでもあったということだ
   
  南方熊楠の神社合祀反対運動も強調すべき民俗学の戦いだった
 1906(明治39)第一次西園寺内閣
  集落ごとにある神社を合祀し一町村一神社を標準とせよと
     いう神社合祀を全国に促した
   
  ◎ 神社は住民の融和慰安や信仰のよりどころ 
     - 史跡と古伝を滅ぼさせる
    緑豊かな森林 
     - 併合された神社跡の林が伐採され生物が全滅   
→ 南方は危惧した
    南方熊楠のマンダラ的世界観
        社会とは重層的で複雑で多様性に満ちたものだ 
      奏功 1920(大正9)年  
        貴族院で「神社合祀無益」決議 


□「平凡人は人生を内側から見ている」
チェスタトン
民主主義の信条は、「結婚」「子どもの養育」「国家の法律」
    といった最も重要な物事を平凡人自身に任せることだという。

 「伝説の方が歴史書よりも尊敬されなければならない」
~ 仏法は村の正気の大衆によってつくられるのに対し、書物は
    村のたった一人の狂人が書くものだから

   非凡人の明晰明快な論証より平凡人の空想や偏見の方が、より好
  ましく「平凡人は人生を内側から見ているからだ」というチェスタ
  トンの辛らつな言葉から、現在の知識人が政治に果たしている役割
  のおぼつかなさをわたしは想起するのだった



◇「わたしは死んだのですか?」
□大震災を巡る「幽霊」と「妖怪」
わたしたちは数多くの「死霊」と出会ってきた
   さまざまな霊魂譚 
あの世からの伝言
松谷みよ子『あの世からのことづて 私の遠野物語』1984
東日本大震災では数が圧倒的に多かった
   新たな「妖怪」伝承は生まれるのか 
『災害と妖怪』2012



◇妖怪と公共
□柳田國男の妖怪体験
兵庫県 辻川  
    河童「ガタロ(川太郎)」 一つ目小僧
  妖怪の国際比較 
さまよう妖怪 
柳田 「妖怪は零落した神」
妖怪の発展と発見
共同体が伝承してきた妖怪 
    - 夢枕に立つ幽霊
   桜井徳太郎『モウリョウ信仰の基盤-とくに非業の死霊と供養儀
         礼について』1983
  
 ◎ いま妖怪に求められているのは、何事も明確にしたり、おもしろ
  がりたる「知的」な精神状況なのではあるまいか



◇死者に「○○」した大勢の若者たち
□渋谷のハロウィンをめぐる考察 
ハロウィンの起源と日本での流行
ハロウィンはもともとアイルランド(ケルト)の伝統社会で祖先
   や死者の霊を供養する節句
    「万霊節=サウィン」
「トリック・オア・トリート」
      ~ 明日からの一年を大切に暮らせるか?


 途中まで





☆ふえる一方の不登校をどうとらるか(中)「心をほどく人間関係の大切さについて」 伊藤友宣(神戸心療親子研究室・主宰) 『月刊少年育成』2001年 ⑧【再掲載 2015.5】

1.jpg


◇親の努力は徒労に終わり

 さて、もともと何のこだわりで2年生から不登校がはじまったかとい
うことですが、その当時からのことを、私はあらかじめ母親からはこう
聞かされていました。


「なんでか分からないのですが、朝になるとうっとうしくて、ぽつん、
 ぽつんと何日かに一日休むようになって。二日も続けて休むと次の日
 は、行ってくれるか行ってくれるかと気になってたのに、とうとうあ
 る日から休み続けたんです。どうでもこうでも行かないようになって。」


「問うても問うても、何も言ってくれんかった。」


「父親が荒れ立ってしまって、どうでも行けと力づくで引っぱり出そう
 として、あの子は泣いてわめいて、目付きまですごい様子で必死にさ
 からって動こうとせず、ちょっとでも尋ねるとものすごい怒るので…。
 親もなにがなんだか訳が分かリませんでした。」        


「あれこれの不登校の本に書いているように、そのへんを壊しまわるよ
 うになったかと思うと、私を叩いてきたり蹴りまわったりの時期もあ
 りました。」


「4年の頃から、近所の子が放課後や休みの日には遊びに来てくれるよ
 うになって、いつからか友達の来てくれるのを心待ちしていて。担任
 の先生も来てくれると、会いはするんですが、親や先生から、学校の
 話をすると、いやがって顔色が変るので、どうしようもなく、この四
 年間が過ぎたのです」

と。



◇散漫な表現の文章化を手伝ってやる

 それが、私には私と会ってまだろくに話も交わしてない内に、

「たいしたことやなかったんや。なあ」

と親に同意を求めながら、ぼろぼろとこぼれるように話しだしたという
わけです。   

      
「奴らがなあ、なんやかやと」


 話はいい加減なことばの羅列でしかありませんから、こちらが推測を
働かせて意味の分かる文章化を試みていきます。


「クラスの中の何人かの者が、か?」


「女ら、や」


「女の子が数人が?やな?」


「そう。うるさいんや」


 つまり、のんびり、おっとりしたような大介少年は口さがない女の子
たちグループの冗談やからかいの対象にされ、そのわずらわしさにうん
ざりして、もともと男の子の仲間で競いあったり夢中に遊びほうけたり
するほうではなかったもので、何もかもがおろそかになり、気力散漫の
常態がうとましくて、目覚めの朝から元気が湧かない。

 なにかにつけ、とどこおりがちな起居振る舞いを、親はせかしたり嘆
いたりで、まわりが自分を非難したり失望したりすることに慣れっこに
なる。


 心の不調は生理的な生活リズムにいよいよ直結してしまい、又今日も
あの女どもにいい加減遊ばれるのかと思うだけで気が滅入り、どうにも
動きがのろくて、これでは大幅に遅刻するしかなく、先生から嫌味のた
らたらかと思えば、ついに頭がズキンズキンと、熱もあるらしいと訴え
て、休んでしまうといったところであったらしいのですね。


 子の表現したげな顔つきの、その表情の変化を見守りながら、私は事
態のつながりを推測で展開してやると、「うん」とか「そう」とか、
「うん、だいたいそうやな」「ああ」「うん」と合いの手を大介は入れ
ながら、もともと四年前の不登校になりかかった頃の自分の心の姿が読
めて来たようで、日の光や頷き具合に、見る見る心の開いていく様子が
明らかだったのです。



「でな。新井ちゅう一番うるさい女。そいつが俺になにをしたと思う?
 背中に紙を貼りよんねんや。なんたらいやなこと書いてな。相手にな
 れんわ」


といつしか、気恥ずかしげな表現ながら自分で話し出しているのでした。   

nice!(121)  コメント(0)