「村の若者たち」宮本常一 家の光協会 2004年 ①(前) / 「職員室の経営学」 飯田稔 ぎょうせい 1998年 ②【再掲載 2015.3】 [読書記録 民俗]
今回は宮本常一さんの、
「村の若者たち」の紹介 1回目です。
出版社の案内には、
「農村から都会へと、大量に人口が流出した昭和30年代の高度経済成
長期、村に残った若者たちの苦悩とその未来を描いた本書は、現在も
全く色褪せず、我々の人生に光を灯してくれる。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「村の宿命
田畑に限りがあることから誰かが富むと誰かが没落する
家の外で自分を戒め控えめにすることから鬱屈した気持ちが家の中
へ」
・「日本の村は小さい地域社会といえるが、不況の時は社会保障の役割を
果たしてもいた」
・「兵隊、最初は農家の次男三男だった」
・「能登の次男三男が都会に出て風呂屋の経営者となることが多かった」
もう一つ、再掲載になりますが、飯田稔さんの
「職員室の経営学」②を載せます。
☆「村の若者たち」宮本常一 家の光協会 2004年 ①(前)

◇村に残る若者の苦悶
村に残る若者の悲しみ
働いても褒められぬ生活
孤独
村の宿命
限りがある田畑
~ 誰かが富むと誰かが没落する
家の外で自分を戒め控えめに
→ 鬱屈した気持ちが家の中へ
農に従う若者
くたびれる生活
支出に現金
伸びようと努力しても
勉学の機会が与えられない
さびれゆく村
青年団の指名が少なくなってきた
◇せまい世界の余り者
せまい世界
自給自足の村
= 他の村の世話にならない
山田野理夫『南部牛追唄』
義務と責任ばかり多い
- 堕胎間引き
「生きていくことの難しさ」
日本の村
= 小さい地域社会
~ 不況の時は社会保障の役割
妻子の意味
村内人口制限
大坂
「大和婿」
- 律儀でよく働く
次男三男は養子に行くより他にはけ場がなかった
余り者
オジ・オジボーズ 名子、被官
分家
次男三男の3割程度
- 後はオジロクで終わる
オバ暮らし
白川村(女の子 外に出さない)
→ 大家族 ~ 労働者
◎ 村の中で一番手を焼いたのが余った人間の処分
◇次男三男の新しい世界
富める者と貧しき者
次男三男を村の外で生活のたつようにすること
女子
- 東北 ~ 身売り 子どもを売る村
兵隊
最初は農家の次男三男
都会への道
愛知県佐久島
- 子どもをやる風習
ハシケ業
村に残る次男三男
能登
- 風呂屋
☆「職員室の経営学」 飯田稔 ぎょうせい 1998年 ②【再掲載 2015.3】
[出版社の案内]
今から10余年前、多くの人は“学校の活性化”を口にした。そして今、
大きな教育改革の時を迎えた。しかし、教育内容、方法などだけでな
く、最も変わらなければならないのは、教師その人ではないか。
学制130年、いつか強固にできてしまった教師の体質。職員室を中心に
つくられた、教師の人間関係や行動様式。これがまた、“学校の常識は
世間の非常識”と批判の対象になっている。本書は、教職の抱える問題
点、教師に気づいてほしいことなど、率直に書いた連載に、当面する教
育問題を書き加えるとともに、各章とも手直しして一冊にまとめたもの
である。

◇一言多い人足りない人
思いこみに思い上がりが重なると
二言三言気を付けて笑顔で諭す
やはり大事な表現力
言いたいことを一言多いと相手に感じさせずに巧みに言い切る
表現力
一言足りない人も
言いにくくても注意しなければならないことがある
→ ◎ 言う人の判断力と聞く人の素直さ
◇どうしてこんな事言うの
自ら解決しないで
~ 責任はだれがとる
「教頭が」「教頭が」と…
→ 大切なのは「わたしの不行き届き」
◇ちょっといい風景・ちょっといい話
いい風景
子どもが教師を取り囲む風景
~ 心理的支持基盤
学校の御都合主義ばかりが…
学校の自己責任・自助努力
ちょっといい話
学校の苦労などジャーナリズムは知らない
居丈高にならないで
教職の世界に被害者意識
どれほど努めようと叩かれるのは自分たち
→ 防衛本能が先に立つ
新しい教育実践を生み出す気持ちも鈍りがち
でも教育改革の今、教師の気勢があがらないでどうする
スクールリーダー
◎ 風に向かって毅然として立ち校内を励ます人でありたい
三つのいい話
◎「自信は謙虚さを生み,自信のなさは虚勢を張らせる」
「村の若者たち」の紹介 1回目です。
出版社の案内には、
「農村から都会へと、大量に人口が流出した昭和30年代の高度経済成
長期、村に残った若者たちの苦悩とその未来を描いた本書は、現在も
全く色褪せず、我々の人生に光を灯してくれる。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「村の宿命
田畑に限りがあることから誰かが富むと誰かが没落する
家の外で自分を戒め控えめにすることから鬱屈した気持ちが家の中
へ」
・「日本の村は小さい地域社会といえるが、不況の時は社会保障の役割を
果たしてもいた」
・「兵隊、最初は農家の次男三男だった」
・「能登の次男三男が都会に出て風呂屋の経営者となることが多かった」
もう一つ、再掲載になりますが、飯田稔さんの
「職員室の経営学」②を載せます。
☆「村の若者たち」宮本常一 家の光協会 2004年 ①(前)

◇村に残る若者の苦悶
村に残る若者の悲しみ
働いても褒められぬ生活
孤独
村の宿命
限りがある田畑
~ 誰かが富むと誰かが没落する
家の外で自分を戒め控えめに
→ 鬱屈した気持ちが家の中へ
農に従う若者
くたびれる生活
支出に現金
伸びようと努力しても
勉学の機会が与えられない
さびれゆく村
青年団の指名が少なくなってきた
◇せまい世界の余り者
せまい世界
自給自足の村
= 他の村の世話にならない
山田野理夫『南部牛追唄』
義務と責任ばかり多い
- 堕胎間引き
「生きていくことの難しさ」
日本の村
= 小さい地域社会
~ 不況の時は社会保障の役割
妻子の意味
村内人口制限
大坂
「大和婿」
- 律儀でよく働く
次男三男は養子に行くより他にはけ場がなかった
余り者
オジ・オジボーズ 名子、被官
分家
次男三男の3割程度
- 後はオジロクで終わる
オバ暮らし
白川村(女の子 外に出さない)
→ 大家族 ~ 労働者
◎ 村の中で一番手を焼いたのが余った人間の処分
◇次男三男の新しい世界
富める者と貧しき者
次男三男を村の外で生活のたつようにすること
女子
- 東北 ~ 身売り 子どもを売る村
兵隊
最初は農家の次男三男
都会への道
愛知県佐久島
- 子どもをやる風習
ハシケ業
村に残る次男三男
能登
- 風呂屋
☆「職員室の経営学」 飯田稔 ぎょうせい 1998年 ②【再掲載 2015.3】
[出版社の案内]
今から10余年前、多くの人は“学校の活性化”を口にした。そして今、
大きな教育改革の時を迎えた。しかし、教育内容、方法などだけでな
く、最も変わらなければならないのは、教師その人ではないか。
学制130年、いつか強固にできてしまった教師の体質。職員室を中心に
つくられた、教師の人間関係や行動様式。これがまた、“学校の常識は
世間の非常識”と批判の対象になっている。本書は、教職の抱える問題
点、教師に気づいてほしいことなど、率直に書いた連載に、当面する教
育問題を書き加えるとともに、各章とも手直しして一冊にまとめたもの
である。

◇一言多い人足りない人
思いこみに思い上がりが重なると
二言三言気を付けて笑顔で諭す
やはり大事な表現力
言いたいことを一言多いと相手に感じさせずに巧みに言い切る
表現力
一言足りない人も
言いにくくても注意しなければならないことがある
→ ◎ 言う人の判断力と聞く人の素直さ
◇どうしてこんな事言うの
自ら解決しないで
~ 責任はだれがとる
「教頭が」「教頭が」と…
→ 大切なのは「わたしの不行き届き」
◇ちょっといい風景・ちょっといい話
いい風景
子どもが教師を取り囲む風景
~ 心理的支持基盤
学校の御都合主義ばかりが…
学校の自己責任・自助努力
ちょっといい話
学校の苦労などジャーナリズムは知らない
居丈高にならないで
教職の世界に被害者意識
どれほど努めようと叩かれるのは自分たち
→ 防衛本能が先に立つ
新しい教育実践を生み出す気持ちも鈍りがち
でも教育改革の今、教師の気勢があがらないでどうする
スクールリーダー
◎ 風に向かって毅然として立ち校内を励ます人でありたい
三つのいい話
◎「自信は謙虚さを生み,自信のなさは虚勢を張らせる」
コメント 0