「学びの復権―模倣と習熟」辻本雅史 角川書店 1999年 ③ /「私の日本地図1 天竜川に沿って」宮本常一 未来社 2016年【再掲載 2018.11】 [読書記録 教育]
今回は、2月18日に続いて、辻本雅史さんの
「学びの復権-模倣と習熟」の紹介 3回目です。
出版社の案内には、
「近代教育が普及する以前、日本人はどのように学んでいたのか。江戸時代の寺子
屋、藩校、内弟子制度などにおける学びの実態と学習方法を具体的に解き明かし、
荒廃する現代教育社会の中で学ぶことの意味を問い直す。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「貝原益軒の教育は『模倣と習熟』、『予(あらかじめ)する』教育」
・「『礼』の教育としつけ - 身体規律化」
・「職人の教育法は『見習う-見る」』=言葉では教えられないもの」
・「『個性尊重教育』のまやかし」
「『学校社会』から『学習社会』へ」
もう一つ、再掲載となりますが、宮本常一さんの
「私の日本地図1 天竜川に沿って」を載せます。
懐かしく感じる写真が多数載せられています。
遠州山間地のかつての様子を知ることができました。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「学びの復権―模倣と習熟」辻本雅史 角川書店 1999年 ③
◇貝原益軒(1630-1714)の思想
1 貝原益軒とは
福岡藩士右筆役の五男
自己学習の体験
福岡藩儒学として
2 気の思想
朱子学 - 東アジアの眼
気のコスモロジー、気の生成論
心とは何か 「理」の哲学
3 益軒の思想
「天地に事える」自己抑制の道徳論
「術」の学
「物理」の学
学習書を表した益軒
「総論」の思想
「養生訓」「和俗童子訓」
◇貝原益軒の教育論
1 近世庶民の学習意欲
「和俗童子訓」出版の背景 1710年(81歳)
教育史上の評価
2 模倣と習熟
「予(あらかじめ)する」教育
何を教えるか
「あらかじめ教える」
立志の重視
3 教師の役割
益軒の教師論
「見ならふ所の手本」
4 身体での学習
- 礼としつけ -
「礼」の教育としつけ-身体規律化
作法としての礼
身体から心へ
◇徒弟制と内弟子
1 職人の教育法
職人の徒弟制
宮大工・西岡常一の場合
見習う-見る 言葉では教えられないもの
2「教えない」教育
能動的な学習
「我執を去る」 = 素直さ
「志」の重視
◇現代の学校と学習文化
1 自己学習の文化
学校化社会を学習文化から透視する
学校教育の肥大化
通信教育
「宿題」という習慣
自己学習の学習文化
受験勉強の学習原理
受験参考書 = 自己学習用
「立志」の欠落
なぜ学びの意味を実感できない
2 公文式学習
丁度の学習
自学自習形式-計算力・処理能力の重視
意欲(やる気)の重視
海外への展開
3 教科書信仰
「教科書を教える」授業
4 教師と子どもとの関係
「友達関係」の教師と子ども
信頼感の欠如
子どもが先生を選ぶ制度を
5 学校の規律主義
学校生活の「礼」のマニュアル
道徳教育としての「校則」
礼法文化
経済成長の文化的基盤
- 礼法文化の再生産
「個性尊重教育」のまやかし
学校社会から学習社会
☆「私の日本地図1 天竜川に沿って」宮本常一 未来社 2016年【再掲載 2018.11】
<出版社の案内>
原書は昭和42(1967)年刊。長野県の諏訪湖に水源を発し伊那谷を南下、多くの
支流を合わせ静岡県浜松市の東で太平洋にそそぐ天竜川。昭和17年から39年の
あいだにいく度かさまざまな機会に訪れた沿岸周辺の見聞を、遠州平野・二俣か
ら秋葉道=信州街道を経て諏訪湖まで、川筋をさかのぼってあるく旅の目で記す。
一本の川の下流・中流 ・上流の景観、事物にきざまれたそれぞれの特色ある暮
らしと文化形成の歴史をよみとる。写真264枚。宮本常一『旅に学ぶ』、田村善
次郎『歩くニュース』掲載の付録『日本の旅1』を収める
◇はじめに
□天竜川
① 上流文化地帯 と ② 下流の先進地帯
③ その間に他の河川に見られないような閉ざされた世界
□天竜川左岸
遠山地方の遠山祭り
水窪・西浦の田楽
竜戸・草木の神楽
□天竜川右岸
新野の盆踊り・雪祭り
坂部・大谷の冬祭り
設楽郡の花祭り
∥
◎ 日本中世の神事芸能が古い姿のまま行われている
□新しい文化 - ダムが造られたため
泰早(やすおか)ダム・平岡ダム・佐久間ダム・秋葉ダム
□日本屈指の林業地
◎山岳信仰の霊場
秋葉山・山住神社
|
一本の川の沿岸の生活を見た
1 遠州平野
東海道 大正15(1926)年12月 最初に通った(東海道線)
平野の民家の特徴
点在 後ろに林を背負い前には生け垣
◎ 皆南向き
松並木
浜名湖
鰻養殖 東岸に多い
えさは鰯
弁天島
州ができ宝永5(1708)年弁天様の祠
白い砂の上に松 → 別荘地・海水浴場
周辺にのりの養殖
畑の境の木
境にマサキやムクゲ → 共同開墾
飛砂防止のワラ
小さい田
小さな田 - 牛馬スキに不適
七島藺(しちとうい=畳表の材料)
ビニルハウスと温室
茶畑 掛川より東
多くの武士による帰農の努力のあと
街道の町 アスファルト
掛川の町
平野の民家
切妻の家が多い
天竜川治水
金原明善
2 天竜川を遡る
二俣
杣仕事
天竜杉
秋葉街道
雲谷の道
森町からの道
秋葉ダム
中部(なかべ)
佐久間ダム
100人近い犠牲者
3 水窪の谷
水窪へ
昭和34(1959)年7月
~ P62まで
◇解説 なぜ驚くんだろう 魅かれる自分って何だろう 香月洋一郎
宮本常一
「目の詰んだ民俗誌を書け。
つまみ食いの調査をまとめて終わるようなことはするな」
『山に棲む民俗誌 序章』 未来社 1995
土佐山中の焼き畑の村の記録
← 大原富枝氏(作家)より手紙
「テーマ」と「モチーフ」
「学びの復権-模倣と習熟」の紹介 3回目です。
出版社の案内には、
「近代教育が普及する以前、日本人はどのように学んでいたのか。江戸時代の寺子
屋、藩校、内弟子制度などにおける学びの実態と学習方法を具体的に解き明かし、
荒廃する現代教育社会の中で学ぶことの意味を問い直す。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「貝原益軒の教育は『模倣と習熟』、『予(あらかじめ)する』教育」
・「『礼』の教育としつけ - 身体規律化」
・「職人の教育法は『見習う-見る」』=言葉では教えられないもの」
・「『個性尊重教育』のまやかし」
「『学校社会』から『学習社会』へ」
もう一つ、再掲載となりますが、宮本常一さんの
「私の日本地図1 天竜川に沿って」を載せます。
懐かしく感じる写真が多数載せられています。
遠州山間地のかつての様子を知ることができました。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「学びの復権―模倣と習熟」辻本雅史 角川書店 1999年 ③
◇貝原益軒(1630-1714)の思想
1 貝原益軒とは
福岡藩士右筆役の五男
自己学習の体験
福岡藩儒学として
2 気の思想
朱子学 - 東アジアの眼
気のコスモロジー、気の生成論
心とは何か 「理」の哲学
3 益軒の思想
「天地に事える」自己抑制の道徳論
「術」の学
「物理」の学
学習書を表した益軒
「総論」の思想
「養生訓」「和俗童子訓」
◇貝原益軒の教育論
1 近世庶民の学習意欲
「和俗童子訓」出版の背景 1710年(81歳)
教育史上の評価
2 模倣と習熟
「予(あらかじめ)する」教育
何を教えるか
「あらかじめ教える」
立志の重視
3 教師の役割
益軒の教師論
「見ならふ所の手本」
4 身体での学習
- 礼としつけ -
「礼」の教育としつけ-身体規律化
作法としての礼
身体から心へ
◇徒弟制と内弟子
1 職人の教育法
職人の徒弟制
宮大工・西岡常一の場合
見習う-見る 言葉では教えられないもの
2「教えない」教育
能動的な学習
「我執を去る」 = 素直さ
「志」の重視
◇現代の学校と学習文化
1 自己学習の文化
学校化社会を学習文化から透視する
学校教育の肥大化
通信教育
「宿題」という習慣
自己学習の学習文化
受験勉強の学習原理
受験参考書 = 自己学習用
「立志」の欠落
なぜ学びの意味を実感できない
2 公文式学習
丁度の学習
自学自習形式-計算力・処理能力の重視
意欲(やる気)の重視
海外への展開
3 教科書信仰
「教科書を教える」授業
4 教師と子どもとの関係
「友達関係」の教師と子ども
信頼感の欠如
子どもが先生を選ぶ制度を
5 学校の規律主義
学校生活の「礼」のマニュアル
道徳教育としての「校則」
礼法文化
経済成長の文化的基盤
- 礼法文化の再生産
「個性尊重教育」のまやかし
学校社会から学習社会
☆「私の日本地図1 天竜川に沿って」宮本常一 未来社 2016年【再掲載 2018.11】
<出版社の案内>
原書は昭和42(1967)年刊。長野県の諏訪湖に水源を発し伊那谷を南下、多くの
支流を合わせ静岡県浜松市の東で太平洋にそそぐ天竜川。昭和17年から39年の
あいだにいく度かさまざまな機会に訪れた沿岸周辺の見聞を、遠州平野・二俣か
ら秋葉道=信州街道を経て諏訪湖まで、川筋をさかのぼってあるく旅の目で記す。
一本の川の下流・中流 ・上流の景観、事物にきざまれたそれぞれの特色ある暮
らしと文化形成の歴史をよみとる。写真264枚。宮本常一『旅に学ぶ』、田村善
次郎『歩くニュース』掲載の付録『日本の旅1』を収める
◇はじめに
□天竜川
① 上流文化地帯 と ② 下流の先進地帯
③ その間に他の河川に見られないような閉ざされた世界
□天竜川左岸
遠山地方の遠山祭り
水窪・西浦の田楽
竜戸・草木の神楽
□天竜川右岸
新野の盆踊り・雪祭り
坂部・大谷の冬祭り
設楽郡の花祭り
∥
◎ 日本中世の神事芸能が古い姿のまま行われている
□新しい文化 - ダムが造られたため
泰早(やすおか)ダム・平岡ダム・佐久間ダム・秋葉ダム
□日本屈指の林業地
◎山岳信仰の霊場
秋葉山・山住神社
|
一本の川の沿岸の生活を見た
1 遠州平野
東海道 大正15(1926)年12月 最初に通った(東海道線)
平野の民家の特徴
点在 後ろに林を背負い前には生け垣
◎ 皆南向き
松並木
浜名湖
鰻養殖 東岸に多い
えさは鰯
弁天島
州ができ宝永5(1708)年弁天様の祠
白い砂の上に松 → 別荘地・海水浴場
周辺にのりの養殖
畑の境の木
境にマサキやムクゲ → 共同開墾
飛砂防止のワラ
小さい田
小さな田 - 牛馬スキに不適
七島藺(しちとうい=畳表の材料)
ビニルハウスと温室
茶畑 掛川より東
多くの武士による帰農の努力のあと
街道の町 アスファルト
掛川の町
平野の民家
切妻の家が多い
天竜川治水
金原明善
2 天竜川を遡る
二俣
杣仕事
天竜杉
秋葉街道
雲谷の道
森町からの道
秋葉ダム
中部(なかべ)
佐久間ダム
100人近い犠牲者
3 水窪の谷
水窪へ
昭和34(1959)年7月
~ P62まで
◇解説 なぜ驚くんだろう 魅かれる自分って何だろう 香月洋一郎
宮本常一
「目の詰んだ民俗誌を書け。
つまみ食いの調査をまとめて終わるようなことはするな」
『山に棲む民俗誌 序章』 未来社 1995
土佐山中の焼き畑の村の記録
← 大原富枝氏(作家)より手紙
「テーマ」と「モチーフ」