「家庭崩壊・学級崩壊・学校崩壊」松井和 エイデル研究所 1999年 ⑤ /「米津浜の人魚」 浜松市南区米津町 出典不明(浜松市新津(しんづ)地区の伝説)【再掲載 2014.4】 [読書記録 教育]
今回は、9月19日に続いて松井和さんの
「家庭崩壊・学級崩壊・学校崩壊」5回目の紹介です。
出版社の案内には、
「親たちは、『子育て』を幸福の基盤に、人間らしさを身につけて来ました。
その機会を組織的に奪うと、社会からモラルや秩序、忍耐力が消えてい
きます。親の役割りを、教育機関や福祉がしようとする時、家庭崩壊が
始まります。三人に一人が未婚の母から産まれる欧米社会に、私たちは
何を学ぶのか。『自然』という言葉の意味するものは何なのか。奇跡的
にまだ家庭が崩壊していない日本で、教育界・保育界、そして親たちの
意識改革が同時に行われれば、ひょっとして間に合うかもしれません。
先進国に共通する家庭崩壊・学校崩壊の流れを、非論理的なアニミズム
文化に根強く依存している日本人がくい止めることが出来れば、後に続
く発展途上国の親子の幸せに無限に貢献することになりはしないか。今、
地球環境の破壊が叫ばれるなか、日本人の役割は、家庭崩壊・学校崩壊
に対応する方策を見つけ出すことにあるのかもしれません。『誰の責任
か』を模索するのではなく、『誰が責任を感じる社会か』を決めてしま
うことが鍵です。これは、言葉に縛られはじめた人間達への、地球から
のメッセージです。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は‥
・「受験戦争は子育てに結果を求めようとする親たちの意志で自然発生的
に生まれたもの」
・「親たちが責任逃れのために言う理屈の殆どがマスコミの受け売りです。
自分で考えたことではありません。」
・「日本独特の受験戦争や偏差値や塾,予備校は,日本の社会が欧米ほど
には崩れなかった要因。」
もう一つ、再掲載になりますが、浜松市南区米津(よねづ)町に伝わる
「米津浜の人魚」を載せます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「家庭崩壊・学級崩壊・学校崩壊」松井和 エイデル研究所 1999年 ⑤
◇画一教育か個性を伸ばす教育か(1)
□文部大臣
「個性を伸ばすために高校の入試を面接にする」
|
目標や形がどうかが重要
子育てにおける責任が曖昧になる
□受験戦争
子育てに結果を求めようとする親たちの意志で自然発生的に生まれた
もの
∥
頭で考えた論理で「個性を伸ばすため」というようなほとんど学問的
にさえ意味不明な空論を言って国が強引に排除しようとすることは大き
なリスク
∥
◎ 国の根幹を揺るがす大きな問題
|
◎ 一家が心を一つにする「目標」が必要
「幸せ家族計画」だっていい
|
<受験はいい目標>
子供に困難に立ち向かわせることを教え,世の中にはなかなか思
うようにならないということを時間をかけて理解させる。その努力
を家族が見守る。受験を乗り越えられないような親子の絆なら,既
に絆自体が問題
受験は山登り
◎自分の子育ての失敗を日本の学校教育システムの責任にする親がある
↓
しかし,誰に責任があるかはたいした問題ではありません。誰が責
任を感じる社会かと言うことが重要。
意識が社会を動かす。
|
◎ 親たちが責任逃れのために言う理屈の殆どがマスコミの受け売りで
す。自分で考えたことではありません。
受験戦争は親子関係を守るため,大自然が与えた試練だと,なぜ気
が付かないのでしょうか。
∥
日本独特の受験戦争や偏差値や塾,予備校は,日本の社会が欧米ほ
どには崩れなかった要因。
↑
これをなくしてしまったら,それこそ親は好き勝手に人生を送るよ
うになり,子供たちは「自由」という言葉の曖昧さの中で,親に見捨
てられ,たむろし,自由にのびのびと「好き勝手な行動」に走るだろ
う。
☆「米津浜の人魚」 浜松市南区米津町 出典不明(浜松市新津(しんづ)地区の伝説)【再掲載 2014.4】
延享元年(1744年)というから、今から凡そ230年も前のことで
ある。
浜松市の南の海岸、米津町の米津浜は、その頃は鰯や太刀魚など、いろ
いろな魚のよく取れる浜で、村の大半は漁師であった。
春のある日である。
村の漁師の彦八は、いつものように沖へ出て、網をかけていた。
所がどうした事か、その日に限って漁がなかった。
「ちえっ 馬鹿な日だな」
彦八は舌打ちしながらも、傾むく日を眺めて、
「もう一度だけだ。これでやめだ」
と、最後の網をかけた。
するとその網は、急に重い手答えになった。
「や、いるぞ」
彦八はにこにこしながら網を上げると、大きな魚が2匹入っている。
よく見るとそれは、上は人間の顔をしているが、下半身は魚、しかも1
匹は男、1匹は女の姿をしていた。
「おお、これが噂に聞いた、人魚というものか」
彦八はふと、これを見世物にするよう、香具師に売って、金儲けをしよ
うかなと考えたが、併し二匹の人魚が、哀しそうに涙ぐんで居るのを見る
と、思わずも可哀そうになって、
「もう二度と、人につかまるなよ」
と、海へ放ってやった。
人魚は嬉しそうに、にこにこしながら、海の中に消えてしまったと。
「家庭崩壊・学級崩壊・学校崩壊」5回目の紹介です。
出版社の案内には、
「親たちは、『子育て』を幸福の基盤に、人間らしさを身につけて来ました。
その機会を組織的に奪うと、社会からモラルや秩序、忍耐力が消えてい
きます。親の役割りを、教育機関や福祉がしようとする時、家庭崩壊が
始まります。三人に一人が未婚の母から産まれる欧米社会に、私たちは
何を学ぶのか。『自然』という言葉の意味するものは何なのか。奇跡的
にまだ家庭が崩壊していない日本で、教育界・保育界、そして親たちの
意識改革が同時に行われれば、ひょっとして間に合うかもしれません。
先進国に共通する家庭崩壊・学校崩壊の流れを、非論理的なアニミズム
文化に根強く依存している日本人がくい止めることが出来れば、後に続
く発展途上国の親子の幸せに無限に貢献することになりはしないか。今、
地球環境の破壊が叫ばれるなか、日本人の役割は、家庭崩壊・学校崩壊
に対応する方策を見つけ出すことにあるのかもしれません。『誰の責任
か』を模索するのではなく、『誰が責任を感じる社会か』を決めてしま
うことが鍵です。これは、言葉に縛られはじめた人間達への、地球から
のメッセージです。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は‥
・「受験戦争は子育てに結果を求めようとする親たちの意志で自然発生的
に生まれたもの」
・「親たちが責任逃れのために言う理屈の殆どがマスコミの受け売りです。
自分で考えたことではありません。」
・「日本独特の受験戦争や偏差値や塾,予備校は,日本の社会が欧米ほど
には崩れなかった要因。」
もう一つ、再掲載になりますが、浜松市南区米津(よねづ)町に伝わる
「米津浜の人魚」を載せます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「家庭崩壊・学級崩壊・学校崩壊」松井和 エイデル研究所 1999年 ⑤
◇画一教育か個性を伸ばす教育か(1)
□文部大臣
「個性を伸ばすために高校の入試を面接にする」
|
目標や形がどうかが重要
子育てにおける責任が曖昧になる
□受験戦争
子育てに結果を求めようとする親たちの意志で自然発生的に生まれた
もの
∥
頭で考えた論理で「個性を伸ばすため」というようなほとんど学問的
にさえ意味不明な空論を言って国が強引に排除しようとすることは大き
なリスク
∥
◎ 国の根幹を揺るがす大きな問題
|
◎ 一家が心を一つにする「目標」が必要
「幸せ家族計画」だっていい
|
<受験はいい目標>
子供に困難に立ち向かわせることを教え,世の中にはなかなか思
うようにならないということを時間をかけて理解させる。その努力
を家族が見守る。受験を乗り越えられないような親子の絆なら,既
に絆自体が問題
受験は山登り
◎自分の子育ての失敗を日本の学校教育システムの責任にする親がある
↓
しかし,誰に責任があるかはたいした問題ではありません。誰が責
任を感じる社会かと言うことが重要。
意識が社会を動かす。
|
◎ 親たちが責任逃れのために言う理屈の殆どがマスコミの受け売りで
す。自分で考えたことではありません。
受験戦争は親子関係を守るため,大自然が与えた試練だと,なぜ気
が付かないのでしょうか。
∥
日本独特の受験戦争や偏差値や塾,予備校は,日本の社会が欧米ほ
どには崩れなかった要因。
↑
これをなくしてしまったら,それこそ親は好き勝手に人生を送るよ
うになり,子供たちは「自由」という言葉の曖昧さの中で,親に見捨
てられ,たむろし,自由にのびのびと「好き勝手な行動」に走るだろ
う。
☆「米津浜の人魚」 浜松市南区米津町 出典不明(浜松市新津(しんづ)地区の伝説)【再掲載 2014.4】
延享元年(1744年)というから、今から凡そ230年も前のことで
ある。
浜松市の南の海岸、米津町の米津浜は、その頃は鰯や太刀魚など、いろ
いろな魚のよく取れる浜で、村の大半は漁師であった。
春のある日である。
村の漁師の彦八は、いつものように沖へ出て、網をかけていた。
所がどうした事か、その日に限って漁がなかった。
「ちえっ 馬鹿な日だな」
彦八は舌打ちしながらも、傾むく日を眺めて、
「もう一度だけだ。これでやめだ」
と、最後の網をかけた。
するとその網は、急に重い手答えになった。
「や、いるぞ」
彦八はにこにこしながら網を上げると、大きな魚が2匹入っている。
よく見るとそれは、上は人間の顔をしているが、下半身は魚、しかも1
匹は男、1匹は女の姿をしていた。
「おお、これが噂に聞いた、人魚というものか」
彦八はふと、これを見世物にするよう、香具師に売って、金儲けをしよ
うかなと考えたが、併し二匹の人魚が、哀しそうに涙ぐんで居るのを見る
と、思わずも可哀そうになって、
「もう二度と、人につかまるなよ」
と、海へ放ってやった。
人魚は嬉しそうに、にこにこしながら、海の中に消えてしまったと。