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[再掲] 「弱き者の生き方」大塚初重・五木寛之 毎日新聞社 2007年 [読書記録 一般]

今回は 大塚初重さんと五木寛之さんの対談「弱き者の生き方」を載せます
昨年6月18日の再掲となります

6月18日
浜松大空襲があった日です

今から67年前の6月18日
浜松大空襲が米国による中小都市爆撃の1番目となりました
約100機のB29から焼夷弾が
実に65, 000発も投下されました
レーダー使用による夜間攻撃で多くが焼失し約1800名もの命が失われました
(当時の浜松の人口は166,346人)

浜松が攻撃された理由として

 ①軍施設が数多くあった。
 ②軍需工場が数多くあった
 ③東海道の要であり、国鉄浜松工機部があった
 ④東京・名古屋への空襲の際の侵入ルートに当たっていた
  空襲後、基地に帰る部隊は残った爆弾を浜松に捨てて帰る
 ように命じられていた

があげられています


当時でも、非戦闘員への攻撃は禁止されていたはず
ヒロシマ、ナガサキ、東京大空襲 各地への空襲
強い憤りを感じます



考古学者として著名な大塚初重さんと作家の五木寛之さんによる本書
浜松の空襲について カーチス・ルメイ爆撃司令官は 
「浜松は空襲を終了させるためのごみ箱だったのだ」
と語っています
ごみを捨てるために落とされた爆弾で?

考古学の重鎮 大塚初重さんは辛い御自身の体験を隠さず話されます
大塚さんの勇気 - 戦争がなくなることを祈ってのことだと思います


戦争のこわさ 不条理を改めて教えてくれる本です






☆[再掲]「弱き者の生き方」大塚初重・五木寛之 毎日新聞社 2007年

1.jpg

◇弱者,汝の名は人間なり

 ジェネサイドそのものの東京大空襲 
絨毯爆撃…風下から周囲を焼き、真ん中に向けて焼き尽くす
歴史的民間人全滅作戦 1937.4 スペイン・ゲルニカ

作戦指揮 カーチス・E・ルメイ
   米陸軍航空隊第21爆撃機集団司令官
   C・E・ルメイの回想  
  浜松は名古屋の南東,天竜川と浜名湖の間にあり海岸確認
  が容易だった

「来る月も来る月もB29にとって浜松はなじみの場所だった。
 日本に侵入したものの、トラブルに遭遇(故障等)した場合,
 パイロットたちは浜松に積荷(爆弾)を捨てるように指示され
 ていた。そして,浜松は数え切れないほどの爆弾を投下され
 た。なぜなら,当時のB29には数え切れないほどの問題が
 発生したから…」  

「わたしは,浜松が何トンの爆弾を投下されたのか正確には知
 らない。誰だってそうだろう。そこは,本当に徹底的にやら
 れた。我々は,搭乗員が浜松に爆撃しても,出撃に対する功
 績を認めることはできなかった。浜松は爆撃を終了するため
 のごみ箱だったのだ…」


 生き地獄 - 戦友を蹴落として生き延びる
 戦争で一番の被害者になるのは一般市民

 悪を抱えて生きること 
  → 「戦争が終わったときから戦争が始まった」

語り得なかった引き上げの真実
  → 「女性を人身御供にして38度線越え」

◇善人なおもて往生をとぐ,いわんや悪人をや
極限状態では,人はただ小さき者に過ぎない。
 命を守るのに必死
二度の撃沈と敗戦
日本の植民地支配の爪痕 S21.1復員 
     → 考古学=民衆の学問
 語られない引き揚げ者の悲劇
  -残留孤児と不法妊娠(殿下の陣中見舞い) 
S22~登呂遺跡の発掘   語られない歴史もある  
右へ左へ揺さぶられ続けるのが人生
大塚初重 明治大学夜間(昼間は商工省勤め)
       -後藤守一「三種の神器考古学」
   神話ではない考古学を!

◇心の貧しさとほんとうの豊かさ
肉親の死を身近に感じる大切さ 
  「恐いながらも通りゃんせ」=通過する事の大切さ
ギリギリのマイナス思考から本物のプラス思考が生まれる
学内闘争でつるし上げられる
我が青春の登呂遺跡発掘
病気になりすまして…S22登呂へ
後藤守一(しゅいち) 「いい腰しとる」 
   西の梅原,東の後藤
人は泣きながら生まれ,時に優しさに出逢う
S27大学院マスターコース 後藤守一仲人で結婚
母が亡くなったとき s31.12
杉原教授 
  「5万でも10万でも言ってくれ。家まで持って行ってや
   るから」
五木「人はすべてこの世という地獄に生まれてくるのではな
    いか。その地獄の中で時として思いがけない喜びや友
    情,見知らぬ人の善意や愛に出逢う。そんな時,人間
    に生まれてきて善かったと,一瞬でも心から感謝する。
    その一瞬を極楽というのではないかと思いますけど…」
経済的貧困と貧しさとの違い
 カネでは買えない「誇り」を抱いて 
苦労したから相手の心にも優しくなれる
後藤 - 大塚
「君ね,石の棺桶,石棺を専門にやっている人はいない。
   おまえ一人ぐらい日本で棺桶の専門家がいてもいいんじ
   ゃないか。」

 銀座にはこんなに着飾った紳士,淑女が歩いているけ
   ど,石棺だったら誰にも負けない。それがわたしの誇り
   であり生きがいでした。

◇人は受け難し,いますでに受く
 人生の峠道でたたずむ 
五木…福永光司(道教研究),林達夫(批評家),
     網干善紀(考古学・関大)
人間性と謙虚さ 前田青邨先生の教え
論争 昭和40年初 末永雅雄 ←→ 小林行雄(京都大学)
齋藤忠「おっ丁度ランチタイムだからこの辺で…あとは個人的に」
その場を納めた

末永さんからお目掛け(大塚)
創造力の欠如と「心の教育」
  考古学とは人間学だ
    発掘すれば分かる。学生のすべてが分かる。
    子供の時の教育が大事(五木) 
 人間として生まれた奇跡と幸運    
物語性 ~ 大事なもの=創造力の発達
昔話,講談,浪曲,落語などにより物語的想像力が与えら
  れた

今の子どもたちの中には切れ切れのショット,コラージュ
なぜ人を殺してはいけないのか
  昔だったら「そりゃあ,仏さんが命を大切にしなさいと
  言ったからだよ」で済んだものだが…
明治  「和魂洋才」 しかし,根のない花は造花
奈良時代「和魂漢才」

今は「無魂洋才」 発掘の際,直会

◇人間は一茎の葦である
 辛いことも直視する勇気を持ちたい 
 本当に明るく生きるためには,暗さを直視する勇気を持た
 なければいけない。ほんとうのよろこびというものを知る人
 間は,深く悲しむことを知っている人間なのではないかと思
 うんです。(五木)
辛いところから逃げないでぶつかっていったらいい

あきらめる 「明らかに究めること」
自分の置かれた現状を明らかに究める勇気を持ち直視する
 ことが必要 「究極のマイナス思考から出発せよ」
弱き者たちへ - 人は皆,それぞれの生を生きる

◇あとがきにかえて
人は苦境に陥ったときこそ真価が問われる
NHKラジオでの話
考古学は庶民の学問

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コメント 6

大林 森

戦争どころか、本当の貧困も経験したことの無い身としては中々実感が・・・。(>_<)ただ、経済的に環境的に何度か追い詰められたりにっちもさっちもいかない事は何度かありました。結局そういう時は状況と今の自分を切り分けて考えて何とかやってきました。その時ありがたかったのは健康だった事ですね。働きまくりました。(⊃д⊂)
by 大林 森 (2012-06-18 06:34) 

いっぷく

大塚初重さんは考古学を心から大切にされている方ですね。
俳優の刈谷俊介さんが、本職の学者から支持されていない説を
主張したときも、「俳優という別畑から考古学にアプローチされる
精神は大切」と仰って、邪険にせず、新聞で対談などもされていました。
by いっぷく (2012-06-18 14:50) 

ハマコウ

大林 森 さん  いつもありがとうございます

本当に健康でいられることはありがたいことですね
さらにはこうして生きていていろいろな人とふれあうことができるのもありがたいことです
by ハマコウ (2012-06-18 21:00) 

ハマコウ

いっぷく さん  いつもありがとうございます

前いた職場に大塚初重さんの孫弟子という人がいましたが
大塚さんのことを大変尊敬していました

専門の中にとらわれない 市井の研究者の発言に耳を傾けられたとのこと 立派だと思います

by ハマコウ (2012-06-18 21:06) 

とんちゃん

非戦闘員への攻撃は禁止されていました。
原爆投下や焼夷弾による空襲は犯罪行為と思います。
先日、長崎の原爆資料館に行って、改めてそのことに気がつきました。
by とんちゃん (2012-06-23 07:11) 

ハマコウ

とんちゃんさん いつもありがとうございます

禁止されていたことを 何回も続けて…

戦争は決してしてはいけないと皆が思うようになるためにも
本書のようなことを伝えていかなければと思います
by ハマコウ (2012-06-23 08:15) 

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