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教育ノートから「教師」34-「プロ教師の生き方」河上亮一 洋泉社 1996年 ② [読書記録 教育]

「現場の教師はこれまで自分たちが偏差値教育に流されてきたことを深く反省し,自らに
 くさびを打ち込む必要がある」





今回は 6月5日に続き、「教育ノートから 教師」34回目、
河上亮一さんの「プロ教師の生き方」2回目の紹介です。



出版社の案内には、

「ほめる教育より叱る教育を。自由より強制を。『中学教師』と呼ばれる著者が、自分自
 身の学校での取り組みをまとめながら、最近の学校をとりまく状況、いじめなど現在直
 面している困難についての考えを述べる。」


とあります。





今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「学校を自分の都合がいいように変えようとしたり,少しでもいい高校に入ることだけ
 を考えて学校を利用すればよいという考えが広がった」


・「教師はそれを武器として脅かしてはならない」


・「クラスリーダーとして苦しい役割を背負おうという生徒はほとんどいない」


・「行政からの教育改革と教師
 極端に平等化された学校教育に能力主義を導入することで学力第一の方向を変えてい
  こうとするもの。」






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☆教育ノートから「教師」34-「プロ教師の生き方」河上亮一 洋泉社 1996年 ②

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◇偏差値教育にどう取り組むか

□しかし,偏差値はなくなっていない

 偏差値教育は既に生徒たちの側から突き崩されている



 現場の教師はこれまで自分たちが偏差値教育に流されてきたことを深く反省し,自らに
くさびを打ち込む必要がある
  




□義務教育とは何なのか

 学校には公(社会)にとっての意味と私(個人)にとっての意味と二つある



◎ 学校を自分の都合がいいように変えようとしたり,少しでもいい高校に入ることだけ
 を考えて学校を利用すればよいという考えが広がった



 教師も自覚も


 義務教育二つの柱
①授業

②特別活動 生活・行事・手段行動・儀礼等
 







◇授業とテストの意味
   
□授業

 子供が将来一人前の国民として生きていくための基礎的学力を身につけさせること

   ∥

 学校は勉強するところだということを生徒の前にはっきりさせる





□テスト自己評価のための資料

 自分がどの教科が得意か勉強そのものが好きかはっきりさせるための資料

 はっきりさせるための資料



 教師はそれを武器として脅かしてはならない
   




□業者テストと偏差値の追放

 1993.4 中学校業者テスト禁止 ← 安全性を買うことが不可能に


 学力競争に歯止め





□特別活動の強化

 クラスリーダーとして苦しい役割を背負おうという生徒はほとんどいない



行事削減


 しかし,人間を学力だけで評価しないという雰囲気作りには特活強化が必要



親の協力要請すべき


◎ 生活面での自由・人権最優先の考え方に対し,生徒の実状をぶつけてもう一度教育に
 ついて考えて貰わなければいけない。
   



□行政からの教育改革と教師

 極端に平等化された学校教育に能力主義を導入することで学力第一の方向を変えていこ
うとするもの。



しかし,義務教育段階での「詰め込み教育」をそう簡単に否定していいのか。




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