「斉藤喜博さんはこんなことを」⑮-「斎藤喜博教師の実践小辞典」笠原肇 一茎書房 1996年(9)(最終) [読書記録 教育]
「 底抜けの明るさと逞しさとユーモアを持ち,無限の中に優しさを持った人間になると
よい。実践者らしい面魂を持った教師にみんながなるとよい。
そして、はかない仕事によって自分の上にも子どもの上にも仲間の教師の上にも,は
かなくない栄光に満ちたものを築き上げ創り上げていくとよい。
わたしたちは教育実践者。理屈を言う必要はない。子どもの前に立って子どもの背筋
を真っ直ぐ伸ばしてみせられるかである。
観念的に教えるのでなく,具体的に感じ取らせる。」
今回は、12月12日に続いて、
「斎藤喜博さんはこんなことを」15回目の紹介 最終です。
笠原肇さんによる「斎藤喜博教師の実践小辞典」の要約から9回目です。
出版社の案内には、
「斎藤喜博の教育実践法を復活させ、子どもたちの可能性を開くような授業をし、現代の
子どもたちをいじめや不登校から救いたい。そのために役立つ教師へのエールや教えを
100項目収録した本。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「目に見えない可能性を一つの形にして表に出す作業が学校教育」
・「『さん』と呼び合う」
・「なんて美しいのだろう - 身体障害が何のハンディにもならないという見方」
・「教育は本来市民活動 - 労働活動などとは質が違う」
・「わたしたちは教育実践者である。理屈を言う必要はない。子どもの前に立って,子ど
もの背筋をすっと伸ばして見せられるか」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「斉藤喜博さんはこんなことを」⑮-「斎藤喜博教師の実践小辞典」笠原肇 一茎書房 1996年(9)(最終)
◇可能性
目に見えない可能性を一つの形にして表に出す作業が学校教育
= 本人にも他人にも分からない形のない眠れる能力
◇先生・さん
「さん」と呼び合う
精神の上に置いても行動の上に置いても平等の世界
|
皆が一緒に仕事をする仲間として,いたわり合い,助け合い,気軽に話しかけたり,
ユーモアをとばしたりできる世界
|
先生と呼び合うことによって自由な精神が奪われて創造的な仕事が生み出されなくな
ること
◇模擬授業
職場で教員を生徒に見立てて授業を行う
↑
自分も参加しているから授業もよく見える
◇身体障害児
「なんて美しいのだろう」
不自由な身体であればあるほど美しい姿にあるのだ
|
身体障害が何のハンディにもならないという見方
◇巨木に学べ
土屋文明に師事
齋藤秀雄と小澤征爾
◇明日を信じて
教育は本来市民活動
労働活動などとは質が違う
教師
底抜けの明るさと逞しさとユーモアを持ち,無限の中に優しさを持った人間になると
よい。実践者らしい面魂を持った教師にみんながなるとよい。
そして、はかない仕事によって自分の上にも子どもの上にも仲間の教師の上にも,は
かなくない栄光に満ちたものを築き上げ創り上げていくとよい。
わたしたちは教育実践者。理屈を言う必要はない。子どもの前に立って子どもの背筋
を真っ直ぐ伸ばしてみせられるかである。
観念的に教えるのでなく,具体的に感じ取らせる。
◎「憎まれつつ そしられつつ たたかふ 日本の教師に 栄光の早く来たれな」
(「職場」1958)
◇合唱
「もう一度やってみましょう。もう一回ね。」と言える教師
◇歩く
◇スローガン
組合「職場の民主化」
◇帰宅
喜博 16㎞を自転車で通勤 - 地をはうような実践をしてこそ
◇明日を信じて
「わたしたちは教育実践者である。理屈を言う必要はない。子どもの前に立って,子ども
の背筋をすっと伸ばして見せられるか」
◇笠原肇
本名・小笠原洽嘉(ひろよし) 1935生 東洋大・文・中国
◇東谷一彦
1955生 國學院 札幌西高
よい。実践者らしい面魂を持った教師にみんながなるとよい。
そして、はかない仕事によって自分の上にも子どもの上にも仲間の教師の上にも,は
かなくない栄光に満ちたものを築き上げ創り上げていくとよい。
わたしたちは教育実践者。理屈を言う必要はない。子どもの前に立って子どもの背筋
を真っ直ぐ伸ばしてみせられるかである。
観念的に教えるのでなく,具体的に感じ取らせる。」
今回は、12月12日に続いて、
「斎藤喜博さんはこんなことを」15回目の紹介 最終です。
笠原肇さんによる「斎藤喜博教師の実践小辞典」の要約から9回目です。
出版社の案内には、
「斎藤喜博の教育実践法を復活させ、子どもたちの可能性を開くような授業をし、現代の
子どもたちをいじめや不登校から救いたい。そのために役立つ教師へのエールや教えを
100項目収録した本。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「目に見えない可能性を一つの形にして表に出す作業が学校教育」
・「『さん』と呼び合う」
・「なんて美しいのだろう - 身体障害が何のハンディにもならないという見方」
・「教育は本来市民活動 - 労働活動などとは質が違う」
・「わたしたちは教育実践者である。理屈を言う必要はない。子どもの前に立って,子ど
もの背筋をすっと伸ばして見せられるか」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「斉藤喜博さんはこんなことを」⑮-「斎藤喜博教師の実践小辞典」笠原肇 一茎書房 1996年(9)(最終)
◇可能性
目に見えない可能性を一つの形にして表に出す作業が学校教育
= 本人にも他人にも分からない形のない眠れる能力
◇先生・さん
「さん」と呼び合う
精神の上に置いても行動の上に置いても平等の世界
|
皆が一緒に仕事をする仲間として,いたわり合い,助け合い,気軽に話しかけたり,
ユーモアをとばしたりできる世界
|
先生と呼び合うことによって自由な精神が奪われて創造的な仕事が生み出されなくな
ること
◇模擬授業
職場で教員を生徒に見立てて授業を行う
↑
自分も参加しているから授業もよく見える
◇身体障害児
「なんて美しいのだろう」
不自由な身体であればあるほど美しい姿にあるのだ
|
身体障害が何のハンディにもならないという見方
◇巨木に学べ
土屋文明に師事
齋藤秀雄と小澤征爾
◇明日を信じて
教育は本来市民活動
労働活動などとは質が違う
教師
底抜けの明るさと逞しさとユーモアを持ち,無限の中に優しさを持った人間になると
よい。実践者らしい面魂を持った教師にみんながなるとよい。
そして、はかない仕事によって自分の上にも子どもの上にも仲間の教師の上にも,は
かなくない栄光に満ちたものを築き上げ創り上げていくとよい。
わたしたちは教育実践者。理屈を言う必要はない。子どもの前に立って子どもの背筋
を真っ直ぐ伸ばしてみせられるかである。
観念的に教えるのでなく,具体的に感じ取らせる。
◎「憎まれつつ そしられつつ たたかふ 日本の教師に 栄光の早く来たれな」
(「職場」1958)
◇合唱
「もう一度やってみましょう。もう一回ね。」と言える教師
◇歩く
◇スローガン
組合「職場の民主化」
◇帰宅
喜博 16㎞を自転車で通勤 - 地をはうような実践をしてこそ
◇明日を信じて
「わたしたちは教育実践者である。理屈を言う必要はない。子どもの前に立って,子ども
の背筋をすっと伸ばして見せられるか」
◇笠原肇
本名・小笠原洽嘉(ひろよし) 1935生 東洋大・文・中国
◇東谷一彦
1955生 國學院 札幌西高
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