「家族学ことはじめ」小此木啓吾 講談社 1999年 ③ [読書記録 一般]
「親ナルシズム
学校の運動会に親が行っても,全体の友達とどんなふうに仲良くしているか,先生と
どんなにうまくやっているかという集団の中の子供として子供を考えていない。みんな
自分の子供の一挙手一投足をまるでスターのように喜んでビデオ撮り。」
今回は、5月5日に続いて、小此木啓吾さんの
「家族学ことはじめ」3回目の紹介です。
読んでいる内に、そう、そうその通りと、頷いてしまう自分に気が付きました。
出版社の案内には、
「人生の大半を一緒に過ごし、日常の悩みや喜び、将来の不安や希望をともにする家族。
その形態は、時代とともに変化しているため従来の家族意識には歪みが出ています。長
年精神科医として活躍してきた著者のこれまでの新聞、講演などからわかりやすいエッ
センスを抜き出し、家族という小さな共同体の中でのそれぞれの役割の重要性を具体的
に教えてくれます。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「早熟で子供っぽさを失った,いつも両親の顔色を敏感に察知する子供がどんど
ん増えている」
・「『自称アダルトチルドレン』
= 『自分がこんなになったのは,親が自分に心の傷を与えたためだ』」
・「ところが小学校にはいると,勉強ができなければできる子を先生がほめるだろうし,
喧嘩して弱ければ自分が負けるだろうし,集団形成の中では誰かが王子様になった分、
誰かが家来になる。この現実に耐えられない子供がたくさんいて,学校に行くのは嫌
だと言い始めます。これが少子化現象の一つの影響です。」
・「今、家族は一種の感情集団である。」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「家族学ことはじめ」小此木啓吾 講談社 1999年 ③
◇子供と集団生活「自立を促す子育てとは」
□早熟な子供たちの背後にあるもの
「世代境界」が失われてしまった
↓
パパやママの期待通りに演技する子供が増えてきている
毎日が「七五三」
<自分が父母の世話をしている意識>
↓
早熟で子供っぽさを失った,いつも両親の顔色を敏感に察知する子供がどんど
ん増えている
∥
「赤ん坊業」「子供業」に専念し,自分たちの子供の世界ができなかった子供たち
<過保護><溺愛>
□「アダルトチルドレン」という隠れ蓑
「自称アダルトチルドレン」
= 「自分がこんなになったのは,親が自分に心の傷を与えたためだ」
① 親らしい親が減少し,大人になれないピーターパンのような親が増え、きちんとした
教育・躾をし自信を持って子供を育てることができない
→ 感情的いじめ攻撃
∥
一貫した価値観・理念が親自身分からない
|
教育・躾も場当たり的で一貫性がなく,子供から見ると、はけ口・いじめとしか受け取
れない
② いくつになっても親離れができなくて社会的な自我を確立できない若者が増えている
□少子化がもたらしたものとは
○男四兄弟
第一段階 おやつ独り占め
第二段階 子分を作る ~ おまえたちにも
第三段階 四等分しよう-立派な = 社会性が身に付いた
これまでの学校教育には上のような社会性が身に付いた子供が来る場所だった
↓
今の子供は,おやつが目の前にあったら「自分だけのもの」
みんな「王子様」「お姫様」
↓
「ところが小学校にはいると,勉強ができなければできる子を先生がほめるだろうし,喧
嘩して弱ければ自分が負けるだろうし,集団形成の中では誰かが王子様になった分、誰
かが家来になる。この現実に耐えられない子供がたくさんいて,学校に行くのは嫌だと
言い始めます。これが少子化現象の一つの影響です。」
☆精神分析
一者関係 自分一人だけの世界
二者関係 一対一
最近は三者関係のうまくいかない子供が増えている
∥
現代の子供の一つの困難な問題は,集団の訓練を受ける機会に欠けたまま、幼稚園や小
学校に入ってくることにある。
◎今、家族は一種の感情集団である。
□いきなり大集団は難しい
→ やはり3~4人といった小集団から
小集団による保育,教育
(先生と子供の比率を変えて少数の子供と先生が集団を作ることができる)
∥
家庭でできなくなった新しい集団訓練,集団への適応能力
□家族エゴイズムにスポイルされる子供たち
○親ナルシズム
学校の運動会に親が行っても,全体の友達とどんなふうに仲良くしているか,先生とど
んなにうまくやっているかという集団の中の子供として子供を考えていない。
みんな自分の子供の一挙手一投足をまるでスターのように喜んでビデオ撮り。
↑↓
子供(親以外の人は恐ろしい)
一人前の人格として親は認識しているか
|
○家族エゴイズム
カーソナリティ(他者の車を敵対視)
昔のように近所隣とのつきあいがない
|
近隣社会コミニュティの崩壊
誰もが家族という者の中にしか頼るものがないと思うようになった
□子供にとってイリュージョン(思いこみ)は非常に大切
|
俺は強い。俺は先生に好かれている。俺は友達とうまくやっている。
= 錯覚が大切
教師を教師として尊敬している親がいない
□子供の自立を促すために
○自律的な自我の機能(幼稚園で)
① 自分の欲望や感情に巻き込まれないで,ちゃんとその心の動きを発揮できる。
② 現実にいろいろな困難やトラブルが起こっても,それに負けないで自分の平常の心
の機能を維持し,発揮できるようになる。不慣れなことにも発揮。
③ 親からの自立
↓
家庭外のよい信頼関係
∥
∥
◎ 教育の基本は,親がいなくなっても一人で暮らし,やっていけるような人を
つくること
※ しかし,親の側に分離不安が大きい。
学校の運動会に親が行っても,全体の友達とどんなふうに仲良くしているか,先生と
どんなにうまくやっているかという集団の中の子供として子供を考えていない。みんな
自分の子供の一挙手一投足をまるでスターのように喜んでビデオ撮り。」
今回は、5月5日に続いて、小此木啓吾さんの
「家族学ことはじめ」3回目の紹介です。
読んでいる内に、そう、そうその通りと、頷いてしまう自分に気が付きました。
出版社の案内には、
「人生の大半を一緒に過ごし、日常の悩みや喜び、将来の不安や希望をともにする家族。
その形態は、時代とともに変化しているため従来の家族意識には歪みが出ています。長
年精神科医として活躍してきた著者のこれまでの新聞、講演などからわかりやすいエッ
センスを抜き出し、家族という小さな共同体の中でのそれぞれの役割の重要性を具体的
に教えてくれます。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「早熟で子供っぽさを失った,いつも両親の顔色を敏感に察知する子供がどんど
ん増えている」
・「『自称アダルトチルドレン』
= 『自分がこんなになったのは,親が自分に心の傷を与えたためだ』」
・「ところが小学校にはいると,勉強ができなければできる子を先生がほめるだろうし,
喧嘩して弱ければ自分が負けるだろうし,集団形成の中では誰かが王子様になった分、
誰かが家来になる。この現実に耐えられない子供がたくさんいて,学校に行くのは嫌
だと言い始めます。これが少子化現象の一つの影響です。」
・「今、家族は一種の感情集団である。」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「家族学ことはじめ」小此木啓吾 講談社 1999年 ③
◇子供と集団生活「自立を促す子育てとは」
□早熟な子供たちの背後にあるもの
「世代境界」が失われてしまった
↓
パパやママの期待通りに演技する子供が増えてきている
毎日が「七五三」
<自分が父母の世話をしている意識>
↓
早熟で子供っぽさを失った,いつも両親の顔色を敏感に察知する子供がどんど
ん増えている
∥
「赤ん坊業」「子供業」に専念し,自分たちの子供の世界ができなかった子供たち
<過保護><溺愛>
□「アダルトチルドレン」という隠れ蓑
「自称アダルトチルドレン」
= 「自分がこんなになったのは,親が自分に心の傷を与えたためだ」
① 親らしい親が減少し,大人になれないピーターパンのような親が増え、きちんとした
教育・躾をし自信を持って子供を育てることができない
→ 感情的いじめ攻撃
∥
一貫した価値観・理念が親自身分からない
|
教育・躾も場当たり的で一貫性がなく,子供から見ると、はけ口・いじめとしか受け取
れない
② いくつになっても親離れができなくて社会的な自我を確立できない若者が増えている
□少子化がもたらしたものとは
○男四兄弟
第一段階 おやつ独り占め
第二段階 子分を作る ~ おまえたちにも
第三段階 四等分しよう-立派な = 社会性が身に付いた
これまでの学校教育には上のような社会性が身に付いた子供が来る場所だった
↓
今の子供は,おやつが目の前にあったら「自分だけのもの」
みんな「王子様」「お姫様」
↓
「ところが小学校にはいると,勉強ができなければできる子を先生がほめるだろうし,喧
嘩して弱ければ自分が負けるだろうし,集団形成の中では誰かが王子様になった分、誰
かが家来になる。この現実に耐えられない子供がたくさんいて,学校に行くのは嫌だと
言い始めます。これが少子化現象の一つの影響です。」
☆精神分析
一者関係 自分一人だけの世界
二者関係 一対一
最近は三者関係のうまくいかない子供が増えている
∥
現代の子供の一つの困難な問題は,集団の訓練を受ける機会に欠けたまま、幼稚園や小
学校に入ってくることにある。
◎今、家族は一種の感情集団である。
□いきなり大集団は難しい
→ やはり3~4人といった小集団から
小集団による保育,教育
(先生と子供の比率を変えて少数の子供と先生が集団を作ることができる)
∥
家庭でできなくなった新しい集団訓練,集団への適応能力
□家族エゴイズムにスポイルされる子供たち
○親ナルシズム
学校の運動会に親が行っても,全体の友達とどんなふうに仲良くしているか,先生とど
んなにうまくやっているかという集団の中の子供として子供を考えていない。
みんな自分の子供の一挙手一投足をまるでスターのように喜んでビデオ撮り。
↑↓
子供(親以外の人は恐ろしい)
一人前の人格として親は認識しているか
|
○家族エゴイズム
カーソナリティ(他者の車を敵対視)
昔のように近所隣とのつきあいがない
|
近隣社会コミニュティの崩壊
誰もが家族という者の中にしか頼るものがないと思うようになった
□子供にとってイリュージョン(思いこみ)は非常に大切
|
俺は強い。俺は先生に好かれている。俺は友達とうまくやっている。
= 錯覚が大切
教師を教師として尊敬している親がいない
□子供の自立を促すために
○自律的な自我の機能(幼稚園で)
① 自分の欲望や感情に巻き込まれないで,ちゃんとその心の動きを発揮できる。
② 現実にいろいろな困難やトラブルが起こっても,それに負けないで自分の平常の心
の機能を維持し,発揮できるようになる。不慣れなことにも発揮。
③ 親からの自立
↓
家庭外のよい信頼関係
∥
∥
◎ 教育の基本は,親がいなくなっても一人で暮らし,やっていけるような人を
つくること
※ しかし,親の側に分離不安が大きい。
コメント 0