教育ノートから「教師」43-「学校に金八先生はいらない」諏訪哲二 洋泉社 1998年 ① [読書記録 教育]
「成績の悪い生徒が,その人間的な未熟さを何の修飾もせず露出してきた。」
「自己と他者とを比較しなくなり,自己を客観視せず,自分中心で生きるのが正義だと思
うようになった。」
「幼児の持つ『全能感』が叩かれず温存され大きくなった。」
その子どもがもはや大人となって様々な課題を…
今回は 教育ノートから「教師」43回目、
諏訪哲二さんの「学校に金八先生はいらない」1回目の紹介です。
出版社の案内には、
「『教育熱心』『生徒思い』…金八先生の撒き散らした『理想の教師像』の行き着くとこ
ろは、子どもへの抑圧と教育の自殺行為に通じている。教育現場での諸問題やプロの教
師の心得、親や地域との関わり合いについて述べる。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「生徒が学校の枠組みに入らなくなり,生徒として生活するのでなく,一個の自由な主
体としての自己主張を始めた。謙虚さ,控えめなところがなくなり気にくわないことに
はアクション」
・「『自分とはいかなる存在か』などと考えなくなった。」
・「不良はいなくなり,どの生徒が何をやっても不思議でなくなった。」
「彼らにとっては,『やったこと』より『つもりがなかった』方が大切」
- 結果責任よりも、動機がなかったから責任はないという感覚。
・「ジャーナリズムも教師に期待し要求できるレベルを一貫した視点で明確にすべきであ
る。」
- 自分はいつも批判する側にいて、その立場は一貫していない…。常に風を読んで言葉
を流し続けているようにも思ってしまいます。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆教育ノートから「教師」43-「学校に金八先生はいらない」諏訪哲二 洋泉社 1998年 ①
◇学校たたきでは何も解決できない
□未知の時代に入りつつある
今、私たちは今までに経験したことのない「新しい狂気」や感性の時代に直面
|
村上龍「文藝春秋」97年7月号「寂しい国の殺人」
「元々人間は壊れている。それを有史以来様々なもので覆い隠し縛ってきた。~代表
:家族 法 理念 芸術宗教」
↑
それらが機能していない
□教育が機能しなくなった
生徒が学校の枠組みに入らなくなり,生徒として生活するのでなく,一個の自由な主
体としての自己主張を始めた。
|
謙虚さ,控えめなところがなくなり気にくわないことにはアクション
|
守らなくて大丈夫そうなものは守らない
∥
「近代的自我」
成績の悪い生徒が,その人間的な未熟さを何の修飾もせず露出してきた。
↑
自己と他者とを比較しなくなり,自己を客観視せず,自分中心で生きるのが正義だと
思うようになった。
= 幼児の持つ「全能感」が叩かれず温存され大きくなった。
↓
惑いの時間の喪失
「自分とはいかなる存在か」などと考えなくなった。
□個人が浮遊する時代
・ 不良はいなくなり,どの生徒が何をやっても不思議でなくなった。
・ 正常と異常,善と悪との区別がなくなり,「自分がしたいこと」はしていい時代に
なった。
・ 彼らにとっては,「やったこと」より「つもりがなかった」方が大切
産業社会下
「個」と「世界」との敵対を知り,自己を変容させながら,「世界」を変革しようと
した。
↓↑
消費社会下
「個」は自己を固定しておいて,「世界」を破滅させようとしている。
□「自我」が妄想する世界
個人的な価値観の創出も始まっていない
□「個人」から「個人」に向かう無間地獄
「個人」が絶対なのだから,自己の欲望はすべて「正しい」のであり,その充足に当
たって他に迷惑がかかっても気にしない。
|
現在の混乱の原因
「個人」の中に国家的な共同性や仲間との共同性が欠落したことが…。
□根元的な悪には対応できない学校
「いい子アイデンティティ」(東洋「日本人のしつけと教育」)
・ 欧米と異なり「いい子いい子」といって育てる。
・ 教師も生徒は皆いい子だと考えて接している。
いじめの指導は難しい
双方の見方が違うのだから,教師に「こうだ」と裁定する権限がなければ指導はで
きない。
∥
犯罪的ないじめで露呈されたのは教師の「事なかれ主義」でない
学校が根元的な悪にどう対処するかという発想もノウハウも持っていない。
ドライ・クールに生徒を見られない
|
「正直であれとは教えるが,その子が正直かどうかはチェックしない」
□教師は内面にタッチできない
河合隼雄
「心の病を治すコツは助けようとしないことです。」
↓
ジャーナリズムも教師に期待し要求できるレベルを一貫した視点で明確にすべきであ
る。
|
「近代のフィクション」と「日本的心情」では何も解決できない。
「自己と他者とを比較しなくなり,自己を客観視せず,自分中心で生きるのが正義だと思
うようになった。」
「幼児の持つ『全能感』が叩かれず温存され大きくなった。」
その子どもがもはや大人となって様々な課題を…
今回は 教育ノートから「教師」43回目、
諏訪哲二さんの「学校に金八先生はいらない」1回目の紹介です。
出版社の案内には、
「『教育熱心』『生徒思い』…金八先生の撒き散らした『理想の教師像』の行き着くとこ
ろは、子どもへの抑圧と教育の自殺行為に通じている。教育現場での諸問題やプロの教
師の心得、親や地域との関わり合いについて述べる。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「生徒が学校の枠組みに入らなくなり,生徒として生活するのでなく,一個の自由な主
体としての自己主張を始めた。謙虚さ,控えめなところがなくなり気にくわないことに
はアクション」
・「『自分とはいかなる存在か』などと考えなくなった。」
・「不良はいなくなり,どの生徒が何をやっても不思議でなくなった。」
「彼らにとっては,『やったこと』より『つもりがなかった』方が大切」
- 結果責任よりも、動機がなかったから責任はないという感覚。
・「ジャーナリズムも教師に期待し要求できるレベルを一貫した視点で明確にすべきであ
る。」
- 自分はいつも批判する側にいて、その立場は一貫していない…。常に風を読んで言葉
を流し続けているようにも思ってしまいます。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆教育ノートから「教師」43-「学校に金八先生はいらない」諏訪哲二 洋泉社 1998年 ①
◇学校たたきでは何も解決できない
□未知の時代に入りつつある
今、私たちは今までに経験したことのない「新しい狂気」や感性の時代に直面
|
村上龍「文藝春秋」97年7月号「寂しい国の殺人」
「元々人間は壊れている。それを有史以来様々なもので覆い隠し縛ってきた。~代表
:家族 法 理念 芸術宗教」
↑
それらが機能していない
□教育が機能しなくなった
生徒が学校の枠組みに入らなくなり,生徒として生活するのでなく,一個の自由な主
体としての自己主張を始めた。
|
謙虚さ,控えめなところがなくなり気にくわないことにはアクション
|
守らなくて大丈夫そうなものは守らない
∥
「近代的自我」
成績の悪い生徒が,その人間的な未熟さを何の修飾もせず露出してきた。
↑
自己と他者とを比較しなくなり,自己を客観視せず,自分中心で生きるのが正義だと
思うようになった。
= 幼児の持つ「全能感」が叩かれず温存され大きくなった。
↓
惑いの時間の喪失
「自分とはいかなる存在か」などと考えなくなった。
□個人が浮遊する時代
・ 不良はいなくなり,どの生徒が何をやっても不思議でなくなった。
・ 正常と異常,善と悪との区別がなくなり,「自分がしたいこと」はしていい時代に
なった。
・ 彼らにとっては,「やったこと」より「つもりがなかった」方が大切
産業社会下
「個」と「世界」との敵対を知り,自己を変容させながら,「世界」を変革しようと
した。
↓↑
消費社会下
「個」は自己を固定しておいて,「世界」を破滅させようとしている。
□「自我」が妄想する世界
個人的な価値観の創出も始まっていない
□「個人」から「個人」に向かう無間地獄
「個人」が絶対なのだから,自己の欲望はすべて「正しい」のであり,その充足に当
たって他に迷惑がかかっても気にしない。
|
現在の混乱の原因
「個人」の中に国家的な共同性や仲間との共同性が欠落したことが…。
□根元的な悪には対応できない学校
「いい子アイデンティティ」(東洋「日本人のしつけと教育」)
・ 欧米と異なり「いい子いい子」といって育てる。
・ 教師も生徒は皆いい子だと考えて接している。
いじめの指導は難しい
双方の見方が違うのだから,教師に「こうだ」と裁定する権限がなければ指導はで
きない。
∥
犯罪的ないじめで露呈されたのは教師の「事なかれ主義」でない
学校が根元的な悪にどう対処するかという発想もノウハウも持っていない。
ドライ・クールに生徒を見られない
|
「正直であれとは教えるが,その子が正直かどうかはチェックしない」
□教師は内面にタッチできない
河合隼雄
「心の病を治すコツは助けようとしないことです。」
↓
ジャーナリズムも教師に期待し要求できるレベルを一貫した視点で明確にすべきであ
る。
|
「近代のフィクション」と「日本的心情」では何も解決できない。