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教育ノートから「教師」46-「学校に金八先生はいらない」諏訪哲二 洋泉社 1998年 ④ [読書記録 教育]

「新しい学力観
小学校の段階から『勉強する子』と『勉強しない子』を分ける」




今回は 7月20日に続いて、教育ノートから「教師」46回目、
諏訪哲二さんの「学校に金八先生はいらない」4回目の紹介です。




出版社の案内には、


「『教育熱心』『生徒思い』…金八先生の撒き散らした『理想の教師像』の行き着くとこ
 ろは、子どもへの抑圧と教育の自殺行為に通じている。教育現場での諸問題やプロの教
 師の心得、親や地域との関わり合いについて述べる。」


とあります。




今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「児童中心主義 → だらしなくなる」


・「子供たちの実態が教育の理念を追い越した」


・「自分の身もならぬ段階から『消費主体』」


・「やる気のない生徒 - 教育と言うより社会福祉レベル」





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☆教育ノートから「教師」46-「学校に金八先生はいらない」諏訪哲二 洋泉社 1998年 ④

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◇アメリカの黒人プロ教師に何を学ぶか

 スラム化した公立高校 
  「ワイルド・チェンジ」



 かえってきたプロ教師 
   アメリカ教育界  児童中心主義 → だらしなくなる

   ① 鉄則なくして教育はできない

   ② 生徒は動物並に扱え

   ③ ボスは俺一人だ



「私がボスだ」
極限にまで悪化した状況を改善するためには極限の方法しかない

  リーン・オーン・ミー





◇「自立した生徒」幻想の無惨な現実

「自分がいいと判断すれば悪くない」



 子供たちの実態が教育の理念を追い越した
子供たちには外部がない 
   簡単に自立できる



 外部なき自立の帰路
教師の生徒に対する指導性が確保されねばならない



低レベルで満足
 




◇わがままはなぜ普通となり得たか

 教師が持つ不動の価値 
   教師の望む人間像 = 産業社会を創り上げてきた人間像

   勤勉 努力 協力 奉仕 従順



 子供たちはどう変わってきたか
価値観が「資本主義化」「近代化」

自分の身もならぬ段階から「消費主体」



 自分は正しい 
   「わがままな子」「自分勝手な子」が多数派に
 





◇残念ながらやってもできない生徒は存在する

「やればできる」というフィクション



「七・五・三」という厳しい現実



「やればできる」が脅迫的になる理由
やる気のない生徒 - 教育と言うより社会福祉レベル
 





◇教師が許されるのは建て前を教えることだけである

 生徒の目からはジャスト・ワン・ゼン


 「永遠の片思い」


 公教育における教師 - 生徒関係の基本






◇理想的な教育は親・子供の要求に応じる教育に席を譲った

 「本当の教育」と「やむを得ない教育」


 個々人の欲望の集散地となり果てた学校


 アメとムチ


 学校は生活の場でもある
 





◇新しい学力観

 小学校の段階から「勉強する子」と「勉強しない子」を分ける

     ↓

「勉強できる子がよりできるようになり勉強の好きでない者がよりやらなくなる」



社会構成における「知的階層」の固定化

  ↑

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