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「大人になれないこの国の子供たち」町沢静夫  PHP 1999年 ① /「鳥島漂着物語」小林郁 成山堂書店 2003年【再掲載 2017.4】 [読書記録 教育]

今回は、町沢静夫さんの
「大人になれないこの国の子供たち」の紹介 1回目です。




出版社の案内には


「本書は、精神科医の視点から、今の子どもたちがいかに成熟を拒否し、
 大人になる責任から逃れようとしているかを論じたものである。そも
 そも大人になるとはどのようなことか。著者は4つのポイントをあげ
 ている。まず、自己の内面や感情のコントロールができること。第二
 に、独立心の獲得。第三に、人生の目標や計画を主体的に形成できる
 こと。第四に、他人への思いやりや共感があることである。このよう
 な点から見れば、現代の子ども(青年)たちがいかに幼稚であるかが
 わかるだろう。そして数々の症例をもとに解説している。不登校の原
 因、普通の子どもによる凶悪犯罪、行きすぎた潔癖主義、ボーダーラ
 インと閉じこもり、拒食症と強迫神経症等々。 著者の考えでは、こ
 れらの根本問題は『母子密着』をどう解決するかであると指摘する。
 母性社会ニッポンのゆがんだ構造がみえてくるだろう。豊かな国の寂
 しい子どもたちの心の危機がリアルに伝わってくる好著である。」


とあります。



今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「昔もいじめっ子はいた。それこそ普通の社会と思っていた。だから
  我慢して自分なりの暮らし方をマスターして、いじめられないよう
  な生き方を自分で発見していった」


・「今の子ども、大人になることをどう避けようか,どうやって見ない
振りをしようかということで精一杯だ」


・「核家族は母子密着により壊れつつあるのではないか。父と母が
それぞれの役割を分担しているか見直すことが必要ではないか」


・「子ども同士,同性同士の遊びは重要である。遊びは学びである。
  無意味な学歴社会はいらない」




もう一つ、再掲載となりますが、小林郁さんの
「鳥島漂着物語」を載せます。
江戸時代多くの船が漂流したと聞きますが、
近くの新居(現静岡県湖西市内)にもあったことを
本書で初めて知りました。





<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト







ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
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☆「大人になれないこの国の子供たち」町沢静夫  PHP 1999年 ①

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◇大人になりたくない子供たち

□明るさの裏側に潜む無気力感

   年々成長するに連れ,やれ勉強,やれ昇進,やれ教育と責任が重
  くなることに嫌気がさしてくる

日本の将来に悲観的な考えを持ちながら日本の将来を冷ややかな
  目で見ている


□早く大人になりたかった少年時代

昔もいたいじめっ子
   ← それこそ普通の社会と思っていた
だから,我慢して自分なりの暮らし方をマスターしていった

◎ いじめられないような生き方を自分で発見していった

   不条理がありながら私たちは嬉々として遊んでいた
→ 人の役に立つ自分を待ち望んでいた

◎ 苦しくもあり楽しくもあった


□子どもを鍛える先生の不在

   私たちは早く社会に出たかった  
     「生きようと必死に歯を食いしばる」
↑↓
今の子ども 
    ◎ 大人になることをどう避けようか,どうやって見ない振り
     をしようかということで精一杯
▲ 希望が持てない 
      ▲ 野心が持てない 
      ▲ 冒険ができない

 生きていてもつまらないという虚無感
◎「生きるのもつまらない。そっと静かに消えてしまいたい。」

※ 今の子供たちの不幸と虚無感をどう乗り越えていくか。
それは大人の問題であり,青少年の課題である。


□心の成熟のための四つのポイント

  大人になる(成熟する)ポイント
① 自己の内面や感情のコントロールができる
状況に応じて自分の欲望を抑えられるか

    ② 独立心の獲得
強い相互依存から弱い相互依存へ
         → 自立心,独立心

    ③ 人生の目標や計画を主体的に形成できること

    ④ 他人への理解や共感があり,他人を配慮する優しさを持っ
     ている
- 対人関係の能力


□母子密着をいかに解決するか

   母から子への愛情は,子が独立して自己主張できるために注がれ
  るべき

◎ 核家族は母子密着により壊れつつある
→ 父と母がそれぞれの役割を分担しているか

   ◎ 子ども同士,同性同士の遊びの重要性
        遊びは学びである 無意味な学歴社会は入らない


   ◎ 本当に健全な子供たちや青年たちが現れ生き生きとしてくれ
    ることで,私たちの社会,私たちの日本は活力を取り戻してい
    くのだと信じて見つめていたい。






☆「鳥島漂着物語」小林郁 成山堂書店 2003年【再掲載 2017.4】

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◇二形船鹿丸の遭難

□享保3(1718)年敷知郡新居湊出帆
鹿丸 = 「千石船」 
       船頭左太夫ほか全9名

◎ 生き残りは甚八、仁三郎、平三郎のみ(3名)

  1720年は1月9日より漂流
    ~ 1720年3月4日 50日間

  それ以前
    1674  幕府による調査 冨田寿丸
   1681  土佐の船二艘 二組7人 破船から船を造り三宅島へ
 1684.10 土佐船 伝馬船で出帆
1696.10 日向丸 2か月半 → 伝馬船で


□島の風土について
アホウドリと魚 
    アホウドリ一羽から椀三杯の油
     ~ 灯火

  6~9月は北へ (その間は魚を捕る)


□無人船の漂着と稲作 
  無人船
   - 多くの米俵


□死にゆくものたち  
  自殺者も


□船頭左太夫の死
  → 3人の無人島生活 
      甚八、仁三郎、平三郎

  神仏への信仰 
    伊勢神宮・秋葉神社・禅宗


□庄兵衛の談話
  伊豆の権次郎 - 即身仏


□八右衛門の異様な物語
  平三郎の本当の姿は


□20年が過ぎる



◇宮本善八郎の小笠原漂流と鳥島漂流民の救出

□八戸から江戸へ 
   1739.1.13州崎沖の遭難


□奇樹と鳥と亀の島々 
  船頭富蔵
    伝馬船を残して本船没
    母島と父島か

  1735.5.6 3人と出会う


□遠州人側の証言


□鳥島脱出
  二組20人 

  一か月出帆の日を待つ


平三郎が伝馬船を修繕

→ 島を去るにあたりいくつかの道具を残す


□八丈島に上陸
  5月1日 八丈の三根村へ 神湊
  → 温情あふれる取り調べ
 
  「浦手形」海難証明書


□小笠原貞任事件の余波
 「無人島については内緒に」
   = 探検を命じられるのを恐れた

   ↓

偽証をするよう役人から
   証言には役人による作為



□八丈島から江戸へ

 御用船で本土へ


 5月17日便乗 御赦免28名とともに


 5月22日隅田川河口へ



□将軍吉宗に謁見
      
 吉宗は3人を哀れみ一生安泰にと生涯扶持(一人3人扶持)を命じる



□事件の反響

 松平豊後守資訓の長屋へ

 「時の人」-芝居にまでなる



□郷里への第一報 

 第一報5月16日 八丈島滞在中



□「メッポウ島」について

 飛騨・三島勘左衛門(1749-1832)
  「伊豆七島風土便覧」父親看病のため新島へ


 メッポウ島 = メッポウ遠い島



□懐かしき新居の風 

 厚遇 - かご 

 6月17日江戸出発 → 6月24日 無事帰郷



□遠州人たちの晩年

「新居町方流録」6月24日から死に至るまで毎日扶持米支給


 平三郎 就職を願い出たが聞き届けられず



織田作之助『漂流』

 1740.11 甚八病死

 1741.8  仁三郎 死亡

 1750  平三郎 死亡 → 末裔 佐原孝征氏 
   


□宮本善八郎船乗組員の消息

 自由な身に

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