「算数大好きっ子に育てる」志水廣・豊田市立高嶺小学校 明治図書 2005年 ② /「みずからの稼業が、夜なきうどん屋の主人であったとしたならば」松下幸之助 『松下幸之助発言集』(全45巻)第23巻 (『松下幸之助に学ぶ人生論』飯田史彦 PHP研究所 2008年 より)【再掲載 2013.3】 [読書記録 教育]
今回は、7月23日に続いて、志水廣さんの
「算数大好きっ子に育てる」2回目の紹介です。
出版社の案内には、
「子どもたちの計算力を高めるために、すぐできる実践が満載!
子どもの計算力を高め、わかる、楽しい算数の授業を目指した高嶺小
学校。同校の『意味付け復唱法』『じふく学習』『トライアングル学習』
などの実践を詳しく紹介。またすぐに使える『高嶺っ子計算』の基本
コース、発展コースを学年別のプリントとして豊富に掲載。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は‥
・「復習法とは子どもの発言に対して即座に評価し,復唱して受容し,
学級のみんなに広め・深める方法」
・「教師は復唱できない。教師は選んでしまう,言い換えをしてしまう。
子どもの発言を丸ごと受け止めることが大切。」
・「復唱法3つのかたち。教師がする復唱、子どもにさせる復唱、その
混合型。」
・「コミュニケーションの基本は相手の言っていることをきちんと復唱
できること。それから自分なりに付け足す。」
もう一つ、再掲載となりますが、松下幸之助さんの
「みずからの稼業が、夜なきうどん屋の主人であったとしたならば」を載せます。
熱が伝わってくるような言葉です。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「算数大好きっ子に育てる」志水廣・豊田市立高嶺小学校 明治図書 2005年 ②
◇授業が分かる「意味づけ復習法」
1 瞬間「技」を磨く
復習法
… 子どもの発言に対して即座に評価し,復唱して受容し,学級の
みんなに広め・深める方法
○つけ法
… 子どもがノート等に書いたものに対して,復唱法が即座にレス
ポンスして指導する
2 復唱法の前提
キャッチ&レスポンス
①「なるほどなあ」と子どもの思いを全て受け容れる段階
② 子どもの発言をそのまま復唱する段階
③「そこがいいね」と認める段階
④ 子どもの考えた真意を明らかにする段階
⑤ 子どもの発言に対する教師の振り返りの段階
3 なぜ復唱法を提案するのか
(1) 教師は復唱できない
選んでしまう,言い換えをしてしまう
◎ 子どもの発言を丸ごと受け止めることが大切
(2) 復唱してはいけないと思っている
子どもに復唱させると聞く力が育つ
4 復唱法の具体的な指導
(1) 教師がする方法
① 子どもの発言を丸ごと復唱する(丸ごと復唱法)
② 子どもの説明が長いときは,区切りながら復唱する
(短区切り復唱法)
③ キーワードを正確にに復唱する
子どもの発言と板書で
(2) 子どもにさせる復唱
① A子さんは今何を言いましたか。言ってごらん
①の変形
A子さんはとてもいいことを言いましたよ。みんな聞いていま
したか。言ってごらん。
② A子さんの言うことが分かりますか。あなたの言葉で言ってみま
しょう。
③ A子さんはいいことを言ったね。どこがいいか分かりますか。
言ってみましょう。
(3) 両方の混合型
コミュニケーションの基本は相手の言っていることをきちんと復
唱できること
↓
◎ それから自分なりに付け足す
基盤の心構え = カウンセリング・マインド
それを忘れると単なる注意・警告の道具と化してしまう
× おしおき学習法
5 復唱法の効果
① 安心して話すことができる
② 聞く力が身に付く
③ 話す力が身に付く
④ 他の子どもが本当に理解できたかどうか確認することができる。
⑤ 発言の意味の明確化や概念の共有化を図ることができる
⑥ 子ども自身が間違いやすいずれに気付く。
6 授業の観点で見る復唱法のよさ
短期記憶
① 20秒までまでの情報しか人間は記憶できない
② 7つのチャンクまでしか記憶できない
← 外化が必要<確実,焦点化,補完,共有>
☆「みずからの稼業が、夜なきうどん屋の主人であったとしたならば」松下幸之助 『松下幸之助発言集』(全45巻)第23巻 (『松下幸之助に学ぶ人生論』飯田史彦 PHP研究所 2008年 より)【再掲載 2013.3】
それは何かと申しますと、皆さんは、いわゆる「社員稼業」という一つ
の独立経営体の主人公であり、経営者である、という考え方であります。
社会全体から見れば、自分の仕事は松下電器の社員という職業である。
しかし、その実体は、自分は社員という稼業の経営者である、と、こう
いうような考えに徹することはできないかどうか。
私はこう考えられるかどうかによって、これはたいへんな違いがそこか
ら生じてくると思うのであります。
今日、独立した経営者は数多くありまして、その経営ぶりはさまざまで
あります。
それぞれの人の持ち昧において、自主独立のかたちで経営が行われてお
ります。
うどん屋さんの主人公もそうであります。
そば屋さんの主人公もそうであります。
夜なきうどんの主人公も独立しております。
その人たちは、いわばその仕事を自分一人でやっておられるのでありま
す。
自分一人で、独立経営体として、そこに精魂を打ちこみ、おのが事業と
してものを見、ものを判別し、そうして是非を判断されているのでありま
す。
しかし、大会社のいわゆるサラリーマン、社員という人たちは、そこま
では徹しておらない。
会社の社員という立場において、要するに与えられた仕事を遂行してい
る、というような心がまえに終わっているのではないかという感じがする
のであります。
それをもう一歩進めて、自分は、松下電器という一つの会社の中で、社
員稼業をしている独立経営体である。
皆さん一人ひとりが、自己の独立経営として、自分は松下電器の社員稼
業をやっているんだと、こういうような心意気になって、ものを見、もの
を判断することが、はたしてできないものかどうか、また、そうすること
は間違ったことなのかどうか、ということを考えていただきたいのであり
ます。
もし、社員稼業に徹するならば、たとえば命じられただけの範囲で仕事
をすませるということは私はできないと思います。
みずからの稼業が夜なきうどん屋の主人であったとしたならば、みずか
らすすんでうどんを売るというような心がけで仕事をしなければならない
でしょうし、川べりに屋台店を出して、これをお客さんに呼びかける必要
がありましょう。
また、きょうのおつゆの味わいはどうであるかと、みずから食べてみて、
少し辛いとか、辛くないとか、自分で味わい、考えるということもやりま
しょう。
幸いにして、最初のお客さんが来たときに、そのお客さんにうどんを渡
し、まず第一に発する言葉は、「きょうの味はいかがですか」ということ
だと思うのです。
自分はこれでいいと思ったけれども、通りがかりのお客に食べてもらう。
そして、その人々をつかまえては、「きょうの昧はどうですか」ときく。
自分はいいと思うけど、お客さんは、どういうふうに感じているだろう
かと、こういうことは当然きくべきことだと思います。
それをきかない夜なきうどんの主人公であれば、それは非常に自分の商
売を無視している、蔑視していると思うのです。
ところが自分の商売に非常に熱心ならば、炊きたての汁の味、うどんの
温みというものが、どういうふうにできているか、自分はいいと思うが、
お客さんはどういうふうにこれを判定してくれるかを、ききたくなるだろ
うと思うのであります。
熱心であれば当然そうなるだろうと思います。
そして、お客さんから「きょうの味はうまいよ」と言ってもらえること
によって、非常に安心だ、それじゃこのとおりやったらいいということに
なるでありましょう。
そういうような努力の姿に、私は独立自営の花が咲くと思うのでありま
す。
すべての独立経営というものは、私は、そんなものだろうと思うのであ
ります。
そういうことをしない経営者というものは、適格性を欠いていると申せ
ましょう。
適格性がない人はおのずと落伍します。
真の独立経営者には、うどんの昧をそういうふうにきくというくらいの
熱意が、当然起こってくると思うのであります。
皆さんが松下電器の社員ということについて、
「これは自分の稼業なのだ」
「私は松下電器の社員稼業の主人公なのだ。これは私の家の事業であり、
またこれは、いわば自分個人の事業なのだ。そういう意昧での松下電器
の社員だ」
そういうふうな考えに徹せられたならば、皆さんの頭から何か生まれる
かというと、想像もできない偉大な力が生まれてくると思うのであります。
このように、そういう小企業体が集合して、この松下電器という社会を
構成していくということになれば、私はこの松下電器という社会が、非常
にすぐれたものとなり、ほかの社会にそのよさを移すことになろうかと思
うのです。
ひいてはそれは日本全体の、大きな社会の発展に結びつくと思うのであ
ります。
そういうような心境になったならば、仕事に伴う苦痛というものはなく
なるでしょうし、働く喜び、自分の稼業の繁栄していく姿の喜びに、時の
たつのも知らない、ということになるだろうと思うのであります。
そして、心のすみずみに喜びが行き渡るから疲れを知らないという状態
になるだろうと思うのであります。
『松下幸之助発言集』(全45巻)第23巻
昭和38年(1963)1月10日
松下電器 昭和38年度経営方針発表会(68歳時)
「算数大好きっ子に育てる」2回目の紹介です。
出版社の案内には、
「子どもたちの計算力を高めるために、すぐできる実践が満載!
子どもの計算力を高め、わかる、楽しい算数の授業を目指した高嶺小
学校。同校の『意味付け復唱法』『じふく学習』『トライアングル学習』
などの実践を詳しく紹介。またすぐに使える『高嶺っ子計算』の基本
コース、発展コースを学年別のプリントとして豊富に掲載。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は‥
・「復習法とは子どもの発言に対して即座に評価し,復唱して受容し,
学級のみんなに広め・深める方法」
・「教師は復唱できない。教師は選んでしまう,言い換えをしてしまう。
子どもの発言を丸ごと受け止めることが大切。」
・「復唱法3つのかたち。教師がする復唱、子どもにさせる復唱、その
混合型。」
・「コミュニケーションの基本は相手の言っていることをきちんと復唱
できること。それから自分なりに付け足す。」
もう一つ、再掲載となりますが、松下幸之助さんの
「みずからの稼業が、夜なきうどん屋の主人であったとしたならば」を載せます。
熱が伝わってくるような言葉です。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「算数大好きっ子に育てる」志水廣・豊田市立高嶺小学校 明治図書 2005年 ②
◇授業が分かる「意味づけ復習法」
1 瞬間「技」を磨く
復習法
… 子どもの発言に対して即座に評価し,復唱して受容し,学級の
みんなに広め・深める方法
○つけ法
… 子どもがノート等に書いたものに対して,復唱法が即座にレス
ポンスして指導する
2 復唱法の前提
キャッチ&レスポンス
①「なるほどなあ」と子どもの思いを全て受け容れる段階
② 子どもの発言をそのまま復唱する段階
③「そこがいいね」と認める段階
④ 子どもの考えた真意を明らかにする段階
⑤ 子どもの発言に対する教師の振り返りの段階
3 なぜ復唱法を提案するのか
(1) 教師は復唱できない
選んでしまう,言い換えをしてしまう
◎ 子どもの発言を丸ごと受け止めることが大切
(2) 復唱してはいけないと思っている
子どもに復唱させると聞く力が育つ
4 復唱法の具体的な指導
(1) 教師がする方法
① 子どもの発言を丸ごと復唱する(丸ごと復唱法)
② 子どもの説明が長いときは,区切りながら復唱する
(短区切り復唱法)
③ キーワードを正確にに復唱する
子どもの発言と板書で
(2) 子どもにさせる復唱
① A子さんは今何を言いましたか。言ってごらん
①の変形
A子さんはとてもいいことを言いましたよ。みんな聞いていま
したか。言ってごらん。
② A子さんの言うことが分かりますか。あなたの言葉で言ってみま
しょう。
③ A子さんはいいことを言ったね。どこがいいか分かりますか。
言ってみましょう。
(3) 両方の混合型
コミュニケーションの基本は相手の言っていることをきちんと復
唱できること
↓
◎ それから自分なりに付け足す
基盤の心構え = カウンセリング・マインド
それを忘れると単なる注意・警告の道具と化してしまう
× おしおき学習法
5 復唱法の効果
① 安心して話すことができる
② 聞く力が身に付く
③ 話す力が身に付く
④ 他の子どもが本当に理解できたかどうか確認することができる。
⑤ 発言の意味の明確化や概念の共有化を図ることができる
⑥ 子ども自身が間違いやすいずれに気付く。
6 授業の観点で見る復唱法のよさ
短期記憶
① 20秒までまでの情報しか人間は記憶できない
② 7つのチャンクまでしか記憶できない
← 外化が必要<確実,焦点化,補完,共有>
☆「みずからの稼業が、夜なきうどん屋の主人であったとしたならば」松下幸之助 『松下幸之助発言集』(全45巻)第23巻 (『松下幸之助に学ぶ人生論』飯田史彦 PHP研究所 2008年 より)【再掲載 2013.3】
それは何かと申しますと、皆さんは、いわゆる「社員稼業」という一つ
の独立経営体の主人公であり、経営者である、という考え方であります。
社会全体から見れば、自分の仕事は松下電器の社員という職業である。
しかし、その実体は、自分は社員という稼業の経営者である、と、こう
いうような考えに徹することはできないかどうか。
私はこう考えられるかどうかによって、これはたいへんな違いがそこか
ら生じてくると思うのであります。
今日、独立した経営者は数多くありまして、その経営ぶりはさまざまで
あります。
それぞれの人の持ち昧において、自主独立のかたちで経営が行われてお
ります。
うどん屋さんの主人公もそうであります。
そば屋さんの主人公もそうであります。
夜なきうどんの主人公も独立しております。
その人たちは、いわばその仕事を自分一人でやっておられるのでありま
す。
自分一人で、独立経営体として、そこに精魂を打ちこみ、おのが事業と
してものを見、ものを判別し、そうして是非を判断されているのでありま
す。
しかし、大会社のいわゆるサラリーマン、社員という人たちは、そこま
では徹しておらない。
会社の社員という立場において、要するに与えられた仕事を遂行してい
る、というような心がまえに終わっているのではないかという感じがする
のであります。
それをもう一歩進めて、自分は、松下電器という一つの会社の中で、社
員稼業をしている独立経営体である。
皆さん一人ひとりが、自己の独立経営として、自分は松下電器の社員稼
業をやっているんだと、こういうような心意気になって、ものを見、もの
を判断することが、はたしてできないものかどうか、また、そうすること
は間違ったことなのかどうか、ということを考えていただきたいのであり
ます。
もし、社員稼業に徹するならば、たとえば命じられただけの範囲で仕事
をすませるということは私はできないと思います。
みずからの稼業が夜なきうどん屋の主人であったとしたならば、みずか
らすすんでうどんを売るというような心がけで仕事をしなければならない
でしょうし、川べりに屋台店を出して、これをお客さんに呼びかける必要
がありましょう。
また、きょうのおつゆの味わいはどうであるかと、みずから食べてみて、
少し辛いとか、辛くないとか、自分で味わい、考えるということもやりま
しょう。
幸いにして、最初のお客さんが来たときに、そのお客さんにうどんを渡
し、まず第一に発する言葉は、「きょうの味はいかがですか」ということ
だと思うのです。
自分はこれでいいと思ったけれども、通りがかりのお客に食べてもらう。
そして、その人々をつかまえては、「きょうの昧はどうですか」ときく。
自分はいいと思うけど、お客さんは、どういうふうに感じているだろう
かと、こういうことは当然きくべきことだと思います。
それをきかない夜なきうどんの主人公であれば、それは非常に自分の商
売を無視している、蔑視していると思うのです。
ところが自分の商売に非常に熱心ならば、炊きたての汁の味、うどんの
温みというものが、どういうふうにできているか、自分はいいと思うが、
お客さんはどういうふうにこれを判定してくれるかを、ききたくなるだろ
うと思うのであります。
熱心であれば当然そうなるだろうと思います。
そして、お客さんから「きょうの味はうまいよ」と言ってもらえること
によって、非常に安心だ、それじゃこのとおりやったらいいということに
なるでありましょう。
そういうような努力の姿に、私は独立自営の花が咲くと思うのでありま
す。
すべての独立経営というものは、私は、そんなものだろうと思うのであ
ります。
そういうことをしない経営者というものは、適格性を欠いていると申せ
ましょう。
適格性がない人はおのずと落伍します。
真の独立経営者には、うどんの昧をそういうふうにきくというくらいの
熱意が、当然起こってくると思うのであります。
皆さんが松下電器の社員ということについて、
「これは自分の稼業なのだ」
「私は松下電器の社員稼業の主人公なのだ。これは私の家の事業であり、
またこれは、いわば自分個人の事業なのだ。そういう意昧での松下電器
の社員だ」
そういうふうな考えに徹せられたならば、皆さんの頭から何か生まれる
かというと、想像もできない偉大な力が生まれてくると思うのであります。
このように、そういう小企業体が集合して、この松下電器という社会を
構成していくということになれば、私はこの松下電器という社会が、非常
にすぐれたものとなり、ほかの社会にそのよさを移すことになろうかと思
うのです。
ひいてはそれは日本全体の、大きな社会の発展に結びつくと思うのであ
ります。
そういうような心境になったならば、仕事に伴う苦痛というものはなく
なるでしょうし、働く喜び、自分の稼業の繁栄していく姿の喜びに、時の
たつのも知らない、ということになるだろうと思うのであります。
そして、心のすみずみに喜びが行き渡るから疲れを知らないという状態
になるだろうと思うのであります。
『松下幸之助発言集』(全45巻)第23巻
昭和38年(1963)1月10日
松下電器 昭和38年度経営方針発表会(68歳時)