「橋本治の古事記」橋本治 講談社 2001年 ④ /「ほんとうの人間になるということ」竹下哲 光雲社 1989年 ④【再掲載 2014.8】 [読書記録 一般]
今回は、12月28日に続いて橋本治さんの
「橋本治の古事記」の紹介 4回目です。
出版社の紹介には
「読みつがれてきた魅力。あなたのそばに古典を。第一線で活躍する作
家が手がけた古典現代語訳の決定版シリーズ!日本最古の本『古事記』
が新しくよみがえる。イザナギ、イザナミの国生み、天の岩屋戸、八
俣の大蛇因幡の白うさぎ……など、だれもが知っているようで知らな
い日本神話が、いきいきとした現代語で語られる。」
とあります。
今回は素戔嗚尊と天照大御神の短い要約です。
もう一つ、再掲載になりますが、竹下哲さんの
「ほんとうの人間になるということ」④を載せます。
☆「橋本治の古事記」橋本治 講談社 2001年 ④
6.アマテラス大御神とスサノオの命
□タケハヤスサノオの命
泣き続けわめき続けた
→ 被害 山ははげ,海が干上がる(水を取った)
「母の住む根の堅州国へ行きたい」 黄泉の国
↓
イザナキの大御神は御隠居
スサノオの命を地上の国から追放する断
↓
スサノオの命
高天原にのぼっていく
「姉のアマテラスに別れを告げ,母の住む根の国に行こう」と
アマテラス
弟が高天原を奪うと考え準備
- 天の安の河のほとりでスサノオの命を待つ
ウケイ(占い)
「子を産む」
アマテラス
スサノオの剣から 3柱の女神
→ のちの宗像神社
スサノオ
アマテラスの勾玉から 5柱の男神
→ 大和朝廷につながる神々
4代後 第一代神武天皇
↓
スサノオは勝ったと喜ぶ
しかし,どうしたら勝ちか何も決めずにあった
|
◎「誰の身に付けていた物から生まれたか」によって誰
の子かを判断する
☆「ほんとうの人間になるということ」竹下哲 光雲社 1989年 ④【再掲載 2014.8】
<永遠のいのち>
◇永遠のいのち
倶会一処
ともに一つの処で会いましょう
浄土
~ 無量光明土
いのちを共に
動植物もいのちの根っこは一緒
永遠のいのち
私の底流には永遠のいのちが息づいている
◇自力からの解放
自力の心
自力
= 自分の力を誇示する心
自分の目に狂いはないと自分を絶対化する心
= 自是他非
自分の行為を正当化する姿勢
|
◎「自力」の心は他人を傷つけ自分も傷付き、ひいてはこの世を地
獄の炎で焼き尽くす。
「法語カレンダー」に
愛と憎しみという相反するものを、なぜ人は持たねばならぬの
か。その上、自分の憎しみを正当化し他人の愛を非難する。強く
偉くなることばかりを教える世の中にあって自分の矛盾を見据え
愚かしさを恥じらえることを教えるものこそ浄土真宗である。
自分の心
~ 「自分の憎しみを正当化し他人の愛を非難」するもの
↑
自力の心を徹底的に砕いてくださるのがお念仏の働き
◇人生の方向を定めて
人生の方向
是真会病院の高原憲先生
「人間は量と長さばかり問題にしている。金・寿命・うまい
もの、すべて量と長さばかり。大事なことは方向が決まる
こと。」
仏の願い
必死滅度(不安動揺のない寂静の世界に必ず至らしめよう。)が
人生の方向を決める
~ 人生の方向が定まった人の大いなる安らかさがある
私を理解してくれる人
「阿弥陀仏」(真実のいのち)
◇いのちの医者
はじめに
… 道心中ニ衣食アリ
~ ひたすらに真実の道を求めていけば衣食は恵まれてくる
本来平等無量の世界に生きている
~ 念仏
医者は慰者である
病は天が治す
自然治癒力
時間が治す
水医者
~ 水を飲む 玄米菜食
のどが渇いたら水を飲めばよい
|
自然に帰ることが大切(高原憲先生『水の味』)
花びらは散っても
金子大栄師
「花びらは散っても花は散らない」
この肉体はやがて亡んでしまうでしょう。しかし、こ
の私を支えているのは永遠です。無量寿です。肉体が生
きているときだけの人生ではない。
|
患者に
「どっちに転んでもいいじゃないですか。よくなったらそれで
よし、いのちに縁がなく名残は惜しいけれど、永遠のいのち
の世界、お浄土に往生するのも、また、めでたいじゃないで
すか」
|
人生の長さではなく人生の質
「真実にいきることはどういうことか」
=「人生の最大の勝利者」(高原先生の言葉)
藤井実応師
「お葬式は人生の凱旋式」
= お浄土への凱旋
◇大肯定の生活
人生のすべてを頂いて
私に必要だから
いつかは死ぬるからこそ私たちはこの苦しみの多い娑婆を生き
ていける
運命に親しむ
「人生のすべてを頂いて生きる」大肯定の生活
すべてがよかった
塩尻公明先生(神戸大)『自と他の問題』
「すべてがよかった すべてを受け取る」イデオロギー
行き行きて
曾良
「行き行きてたふれ伏すとも萩の原」
- どこでどうなろうとそこはいつも「萩の原」
= どこも美しいお浄土
◇竹下哲(たけした さとる)
大正12年(1923)年 長崎市生
広島高師卒
長崎県教育長 長崎図書館長 県教育センター長
県立長崎西高校長等歴任
「橋本治の古事記」の紹介 4回目です。
出版社の紹介には
「読みつがれてきた魅力。あなたのそばに古典を。第一線で活躍する作
家が手がけた古典現代語訳の決定版シリーズ!日本最古の本『古事記』
が新しくよみがえる。イザナギ、イザナミの国生み、天の岩屋戸、八
俣の大蛇因幡の白うさぎ……など、だれもが知っているようで知らな
い日本神話が、いきいきとした現代語で語られる。」
とあります。
今回は素戔嗚尊と天照大御神の短い要約です。
もう一つ、再掲載になりますが、竹下哲さんの
「ほんとうの人間になるということ」④を載せます。
☆「橋本治の古事記」橋本治 講談社 2001年 ④
6.アマテラス大御神とスサノオの命
□タケハヤスサノオの命
泣き続けわめき続けた
→ 被害 山ははげ,海が干上がる(水を取った)
「母の住む根の堅州国へ行きたい」 黄泉の国
↓
イザナキの大御神は御隠居
スサノオの命を地上の国から追放する断
↓
スサノオの命
高天原にのぼっていく
「姉のアマテラスに別れを告げ,母の住む根の国に行こう」と
アマテラス
弟が高天原を奪うと考え準備
- 天の安の河のほとりでスサノオの命を待つ
ウケイ(占い)
「子を産む」
アマテラス
スサノオの剣から 3柱の女神
→ のちの宗像神社
スサノオ
アマテラスの勾玉から 5柱の男神
→ 大和朝廷につながる神々
4代後 第一代神武天皇
↓
スサノオは勝ったと喜ぶ
しかし,どうしたら勝ちか何も決めずにあった
|
◎「誰の身に付けていた物から生まれたか」によって誰
の子かを判断する
☆「ほんとうの人間になるということ」竹下哲 光雲社 1989年 ④【再掲載 2014.8】
<永遠のいのち>
◇永遠のいのち
倶会一処
ともに一つの処で会いましょう
浄土
~ 無量光明土
いのちを共に
動植物もいのちの根っこは一緒
永遠のいのち
私の底流には永遠のいのちが息づいている
◇自力からの解放
自力の心
自力
= 自分の力を誇示する心
自分の目に狂いはないと自分を絶対化する心
= 自是他非
自分の行為を正当化する姿勢
|
◎「自力」の心は他人を傷つけ自分も傷付き、ひいてはこの世を地
獄の炎で焼き尽くす。
「法語カレンダー」に
愛と憎しみという相反するものを、なぜ人は持たねばならぬの
か。その上、自分の憎しみを正当化し他人の愛を非難する。強く
偉くなることばかりを教える世の中にあって自分の矛盾を見据え
愚かしさを恥じらえることを教えるものこそ浄土真宗である。
自分の心
~ 「自分の憎しみを正当化し他人の愛を非難」するもの
↑
自力の心を徹底的に砕いてくださるのがお念仏の働き
◇人生の方向を定めて
人生の方向
是真会病院の高原憲先生
「人間は量と長さばかり問題にしている。金・寿命・うまい
もの、すべて量と長さばかり。大事なことは方向が決まる
こと。」
仏の願い
必死滅度(不安動揺のない寂静の世界に必ず至らしめよう。)が
人生の方向を決める
~ 人生の方向が定まった人の大いなる安らかさがある
私を理解してくれる人
「阿弥陀仏」(真実のいのち)
◇いのちの医者
はじめに
… 道心中ニ衣食アリ
~ ひたすらに真実の道を求めていけば衣食は恵まれてくる
本来平等無量の世界に生きている
~ 念仏
医者は慰者である
病は天が治す
自然治癒力
時間が治す
水医者
~ 水を飲む 玄米菜食
のどが渇いたら水を飲めばよい
|
自然に帰ることが大切(高原憲先生『水の味』)
花びらは散っても
金子大栄師
「花びらは散っても花は散らない」
この肉体はやがて亡んでしまうでしょう。しかし、こ
の私を支えているのは永遠です。無量寿です。肉体が生
きているときだけの人生ではない。
|
患者に
「どっちに転んでもいいじゃないですか。よくなったらそれで
よし、いのちに縁がなく名残は惜しいけれど、永遠のいのち
の世界、お浄土に往生するのも、また、めでたいじゃないで
すか」
|
人生の長さではなく人生の質
「真実にいきることはどういうことか」
=「人生の最大の勝利者」(高原先生の言葉)
藤井実応師
「お葬式は人生の凱旋式」
= お浄土への凱旋
◇大肯定の生活
人生のすべてを頂いて
私に必要だから
いつかは死ぬるからこそ私たちはこの苦しみの多い娑婆を生き
ていける
運命に親しむ
「人生のすべてを頂いて生きる」大肯定の生活
すべてがよかった
塩尻公明先生(神戸大)『自と他の問題』
「すべてがよかった すべてを受け取る」イデオロギー
行き行きて
曾良
「行き行きてたふれ伏すとも萩の原」
- どこでどうなろうとそこはいつも「萩の原」
= どこも美しいお浄土
◇竹下哲(たけした さとる)
大正12年(1923)年 長崎市生
広島高師卒
長崎県教育長 長崎図書館長 県教育センター長
県立長崎西高校長等歴任