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谷昌恒さんはこんなことを③-「ひとむれ第8集」評論社 1994年 (3) / 「私達はまた笑い合うことが出来る」 吉行和子 『2011 ベスト・エッセイ』光村図書 2011年 より【再掲載 2013.12】 [読書記録 教育]

今回は、6月12日に続いて、わたしの教育ノートから、
「谷昌恒さんはこんなことを」③を紹介します。

評論社「ひとむれ第8集」の要約 3回目です。



出版社の案内には、



「教護院・北海道家庭学校真の愛に貫ぬかれた教育の軌跡。傷ついた少年たちの心を変革
 しようと願う教育の姿を伝え、大きな感動と共感をよんだ、珠玉のエッセイ集。 」




とあります。





今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「孤児の父・石井十次」


・「変化の中に一筋貫いているものがある。
その一筋を見据え,それを継ぎ伝えるのが教育」


・「屈辱ほど人間を大きく育てるものはない。屈辱の中で静かに事態の推移を見る。」


・「もし各地の紛争が人と人とが素手で殴り合いをしているなら協力したい。」 





もう一つ、再掲載となりますが、『2011 ベストエッセイ』より吉行和子さんのエッセイ、
「私達はまた笑い合うことが出来る」を紹介します。
身近な人の訃報を聞くことが増え、生死について考えることが多くなりました。






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☆谷昌恒さんはこんなことを③-「ひとむれ第8集」評論社  1994年 (3)

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◇第一回石井十次賞を受けて

□児童福祉の先駆者 

 石井十次(宮崎県高鍋町)
医学を捨て,すべてを孤児救済のために



□実業教育 

 岡山孤児院 - 宮崎へ

 孤児の父・石井十次  
   信仰・勤労・自律・農業・家庭的処遇
 




◇変貌する世相

 子供と一緒に歩くだけでよい
   そんな触れ合いをしたい


 安部能成 
  「万物流転」「一理慣行」
 変化の中に一筋貫いているものがある
その一筋を見据え,それを継ぎ伝えるのが教育
 




<1993年>
 
◇仏教者
   
□東井義雄  

  火事の火も恐ろしいが 

  怒りや憎しみの炎も 

  それに負けん恐ろしい

  相手も自分も 

  共に焼き滅ぼしてしまうからだ
         
  この恐ろしい 

  この火を消す水  

  それが「がまん」なんだね
   


□報恩学園長 山下充郎

 屈辱ほど人間を大きく育てるものはない
 
 屈辱の中で静かに事態の推移を見る



 「いのちの根」をつくる
 




◇賛美歌を歌う

□463番 

 ジュリア・カーニー女史 ボストン・小学校教師


 家庭学校では一人一人のあゆみが違う 同級生は自分一人



早いことが必ずしも良いことではない



 短気の人が自分は短気だと思っていることは辛い。しかし,その自覚があって初めて自
分の欠点から抜け出せる。
 




◇憲法の話

 1889年 大日本帝国憲法
 
      「五箇条のご誓文」から離れたところへ
         

 自由民権運動
1880年代初め 河野広中「日本後来の政略を論ず」



   欧米に随従模倣することなく,道理に立脚して,人民自治に自律の気風を養い,世
  界に先んじて侵略と植民主義を一掃する道を推進すべし


 1915年5月9日
中国に五条21条の要求 = 国恥記念日

公正さを欠いた態度 - 国の信用を大きく失う
   

 1931年 満州事変


 1932年 満州国建設 1937年日支事変 1941年太平洋戦争


 1947年5月3日
もし各地の紛争が人と人とが素手で殴り合いをしているなら協力したい。


  大量の兵器が先進国から輸出されている。









☆「私達はまた笑い合うことが出来る」 吉行和子 『2011 ベスト・エッセイ』光村図書 2011年 より【再掲載 2013.12】

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 母はよく、人間も氷みたいに溶けるといいのにね、と言っていた。


 誰にも迷惑をかけないで時間がたてば蒸発してしまうのよ。私も大いに同感して、そう
よね、と言い、それをむしろ楽しい話としていたのは6、7年前だっただろうか。


 しかし現在103歳の母と私は、死を目の前にしながら、なかなか決着のつかない現実
と向い合って時を過している。



「死に時」というものがある、という言葉を知り、胸に突き剌さる。


 何らかの事情で早すぎた死を迎えた人は悲しい。


 周りはもっと悲しい。
 

 しかし、その時期を逃して死ぬことが出来ないでいるのも、悲しいことだ。


 私の中で死が恐怖でなくなっているのが救いだ。


 生きている時も、死んでからも、その人の人生は続いている、この世を駆け抜ければ、
あとは自分流に楽しいことだけして過していられる。


 だから天国、つまり極楽浄土というではないか。そんなことが、すとんと胸に落ちたの
は、妹が死んでしまったからだ。


 元気な妹と、病気ばかりしていた私は、子供の頃から仲良しだった。


 4歳の歳の差があったのに、いつも同じ遊びをして楽しんでいた。


 父は私が4歳の時に死んでしまい妹は知らない。母は働いてばかりいたので、私達はい
つも二人だけだった。


 大人になり、妹が詩や小説を書くようになって私達の関係は大きく変化した。神経の細
い妹は気難しくなり、ちょっとのことでも傷ついてしまい、女優をしている私の大雑把な
性格は彼女を困らせた。


 だからなるたけ近づかないように心がけていた。


 その妹が突然癌になった。軽いもので手柄も成功した。それなのに20日も経たないう
ちに、これまた突然、死の宣告を受けた。


 3か月、しかし、あと10日でもおかしくないという状態だと言う。


 転移して絶対に治らない種類の癌になってしまったのだ。


 その病院は緩和ケアが行き届いていることで知られていた。


 本当に実施していいのですね、と医者に念を押され、私は迷うことなく領いた。


 妹は治るものと信じている。苦しんでいく状態を知らせたくなかった。


 緩和ケアのおかげで穏やかな時間が訪れた。妹はすっかり明るい性格に戻った。私達は
ちょっとしたことにも面白がり、笑い合った。いい歳をして私達ってバカみたい、とまた
笑ったものだ。




 姉妹っていいな、と私に思わせてくれながら、5ヶ月目に妹は静かにこの世からいなく
なった。


 その時、私の中で生と死が繋った。


 それは無になったのではなく、消えているだけだ、と思った。


 月だって見えない夜もあるけれど、どこかに存在している。


 どこかに存在している妹に私は会いにいくことが出来るのだ。私達はまた笑い合うこと
が出来る。



 そんな時、映画、『おくりびと』の出演の話があった。


 死んでいく役など嫌、と日頃は思っていたのに、今までとは違う感情で死を捉えている
自分がいた。


 この役を演ってみたい、と思った。自分の死んでいる姿を見てみたい。


 フィクションではあるけれど、またとない体験だ。


 自分の顔が妹の顔と重なった。


 だいたい自分の死に顔を見られる人はいないのだから、この職業を生かさなくては。



『おくりびと』は俳優の本木雅弘さんが、10年以上も前に読んだ納棺師の仕事に感銘を
受けて、その本をもとに映画にしたいと望んだが、そんな話を映画にしても観る人はいな
い、と断わられ続け、それでも情熱を捨てずにいた為、10年目にやっと小さな形で実現
した。


 低予算で、上映館も決っていなかった。


 それがあれよあれよという間に評判となり、大きな作品となった。


 今では世界各国で上映されている。


 死というものを優しい気持で扱っている人間が描かれているからだろう。



 私はずい分前に「尊厳死」協会に入った。その時はまだ元気な妹より先に死ぬと思って
証書を妹に渡しておいたのだが、無駄になった。


 しかし、私は一人になることは確実だから、他人が困惑しないようにこの証書を生かさ
なくてはいけない。


 身の回りのことも早めに処分しておかなくては、これまた人様を煩らわせることになる。


 現実的な問題に幾つもぶつかりながら、仕事も忙しい。この歳になっても「役」がある
のは、高齢化社会のおかげだろう。


 以前より演りがいのある役が増えた。


 長年生きた経験を生かせているのだから有難い話だ。




 こうしてフィクションの世界に助けられながら私は終っていくのだろうな、本当か嘘か
区別がつかないまま、別の世界に移動出来たら最高だ。


 私の中で、脳内緩和ケアが始っている、という感じだ。


「また日が暮れる。一日過ぎればその分死ぬ日が近づくね」。




 今日もそんなセリフを言って来た。それも呑気に。こういう風にいきたいものだが、さ
て。

    よしゆき・かずこ(女優・エッセイスト)「文藝春秋SPECIAL」季刊冬号


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