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「恵みあれば」 鈴木秀子  中央公論新社 1999年 ⑥ [読書記録 一般]

今回は、わたしの教育ノートから、9月27日に続いて、鈴木秀子さんの
「恵みあれば」6回目の紹介です。





出版社の案内には、


「自分だけが恵まれず、不幸だと感じたことはありますか? 満たされない、味気ない毎
 日だと思ったことはありますか? しかし、恵みはすべての人に訪れているのです。あ
 るがままの自分を見つめ、魂の奥深いところでの自分と他者とのあたたかいつながりに
 気づいたとき、新たな生がはじまる。」


とあります。



今回は、一房の葡萄(4)の紹介です。


問題行動を起こしてしまった児童生徒に対する教師の姿勢について考えさせられました。




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☆「恵みあれば」 鈴木秀子  中央公論新社 1999年 ⑥

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◇一房の葡萄(4)


<一房の葡萄をくれた先生>


 長く感じられた一時間がたちました。


 「ぼく」はほっと安心したのですが、それもつかの間、クラスで一番できて体の大きい
生徒に、運動場の隅に呼び出され、ジムの絵の具のことを問い詰められます。


 ジムも入った3、4人に取り囲まれ、無理やり、ポケットに手を入れられると、ビー玉
やメンコなどと一緒に絵の具が取り出されました。


 「それ見ろ」とばかりに、子どもたちは憎らしそうに「ぼく」をにらみつけます。


 「ぼく」は「取りかえしのつかないことになってしまった」と、ひとりでに体が震え、
目の前が真っ暗になるようでした。


 弱虫の「ぼく」はさびしく悲しくなって、泣き出してしまいますが、大きい子は

「泣いておどかしたってだめだよ」

と軽蔑するように言い、みんなして、「ぼく」を受け持ちの女の先生のところに引きずっ
て行きました。


 不審そうな顔の先生に向かって、大きくてよくできる子は、「ぼく」が絵の具を盗んだ
ことをくわしく言いつけました。

「それはほんとうですか」

と大好きな先生に聞かれて、自分がそんないやなやつだと知られるのがつらくて、「ぼく」
はまた泣き出してしまいます。


 先生はしばらく「ぼく」を見つめていましたが、やがて生徒たちに向かって静かに教室
に戻るように言います。


 すこし物足りなさそうな表情の生徒たちは、どやどやと下におりて行ってしまいました。


 こうした場面は、今でもよくあることではないでしょうか。『一房の葡萄』の先生は、
いったいどのように対処していくのでしょうか。


 先生は、まず生徒たちの訴えにじっと耳を傾けます。


 そして、「ぼく」に向かって、皆の言うことが事実かどうか確認します。


 事実だと判明すると、皆の前で「ぼく」を問いつめることはしません。


 皆を引きとらせたあと、先生といわゆる「問題を起こした生徒」2人きりになります。







 こんな場面で、一般に先生はどんな対応をしがちでしょうか。厳しく叱るでしょうか。


 盗みがどんなに悪いことであるか説教し、訓戒をたれ、もう二度としないという約束を
とりつけるでしょうか。


 この少年ほ、誰に言われるよりも先に、盗みがどんなに悪いことか、そして自分自身を
も傷つけることか、いやというほどわかっています。


 その気持ちに追い討ちをかけるように、くどくどと説教したりすると、子どもの心は、
反撥に向かいます。


 『一房の葡萄』の先生は、「ぼく」にどのように接したのでしょうか。







 先生はすこしの間なんとも言わずに、ぼくの方も向かずに、自分の手のつめを見つめて
いましたが、やがて静かに立って来て、ぼくの肩の所を抱きすくめるようにして

「絵の具はもう返しましたか」

と小さな声でおっしゃいました。


 ぼくf返したことをしっかり先生に知ってもらいたいので深々とうなずいて見せまし
た。

 「あなたは自分のしたことをいやなことだったと思っていますか」

 もう一度そう先生が静かにおっしゃった時には、ぼくはもうたまりませんでした。


 ぶるぶるとふるえてしかたがないくちびるを、かみしめてもかみしめても泣き声が出て、
目からは涙がむやみに流れて来るのです。


 もう先生に抱かれたまま死んでしまいたいような心持ちになってしまいました。








 先生は、生徒の自主性を重んじながら、「他人のものを盗んだら持ち主に返す」という
適切な処置を、ていねいに確認していきます。


 先生の態度の中には、相手を責める気持ちはみじんもないどころか、相手の気持ちに沿
いながら、共感を持って、子供を導いていきます。「ばくの肩の所を抱きすくめるように
して」、先生は辛い気持ちを味わっている少年を支えながら話しているのです。


 盗みなどしでかしてしまったこんないやな自分を、先生は嫌うどころか、やさしく受け
入れてくれていることを、「ぼく」は、実感します。


 そんな先生の大きなやさしさのまえに、「ぼく」は、自分のしたことを、心から反省し、
もうそうした過ちは二度とおかさないと、固く自分自身に誓うのでした。






 先生は「よくわかったらそれでいいから泣くのをやめましょう」とやさしく言います。


 「次の時間には教場に出ないでもよろしいから、私のこのお部屋にいらっしゃい。


 静かにしてここにいらっしゃい。

 「私が教場から帰るまでここにいらっしゃいよ」

と、二階の窓べまで高くはい上がった葡萄蔓から、一房の西洋葡萄をもぎ取って、「ぼく」
の膝に置き、次の授業に出て行きます。

 一時がやがやとやかましかった生徒たちはみんな教場にはいって、急にしんとするほど
あたりが静かになりました。


 ぼくはさびしくってさびしくってしようがないほど悲しくなりました。


 あのくらいすきな先生を苦しめたかと思うと、ぼくはほんとうに悪いことをしてしまっ
たと思いました。


 葡萄などはとても食べる気になれないで、いつまでも泣いていました。







 そして「ぼく」は泣き疲れて眠ってしまいます。


 この間、教室で、先生と生徒たちのあいだで何があったのでしょうか。


 ジムをはじめ、生徒たちは、先生が皆のまえで、「ぼく」を厳しく叱責しないので、か
なり不満を抱いたままです。


 このままおけば、いじめになりかねません。『一房の葡萄』の中には、先生が生徒に向
かって何を話したのか書かれていません。


 教室から部屋に戻った先生は、肩をゆすぶられて目をさました「ぼく」に、

「明日はどんなことがあっても学校に来なければいけませんよ」

と言い、「ぼく」のかばんに、そっと葡萄の房を入れてくれます。


 ぼくはいつものように海岸通りを海や船を眺めながら家に帰り、おいしく葡萄を食べま
した。


 しかし、翌日になると、「ぼく」は、どうしても学校には行きたくないという気持ちに
なります。


 おなかが痛くならないかとか、頭が痛くならないかとか、いろいろ口実を考えますが、
虫歯一本痛みません。


 昨日の別れ際に先生のおっしゃったことを思い出し、「先生の顔だけはなんといっても
見たくてしかたがありませんでした。ぼくが行かなかったら先生ほきっと悲しく思われる
にちがいない。もう一度先生のやさしい目で見られたい」その一心で、「ぼく」は勇気を
出して登校しました。


 「見ろどろばうのうそつきの日本人が来た」とののしられると思い、びくびくしていた
のに、校門をくぐると、ジムが真っ先に飛んで来て、「ぼく」の手を握り、先生の部屋に
連れて行ってくれます。


 ノックする前に、先生はドアを開けて迎えてくれました。


 そして、「ぼく」とジムに上手に握手するように言います。ジムは、もじもじしている「ぼく」の手を引っ張り出すようにして、堅く握ってくれました。


 「ぼく」はうれしくてにこにこし、ジムも気持ちよさそうな笑顛を浮かべていました。


 先生はにこにこしながらぼくに、

「昨日の葡萄はおいしかったの」

と問われました。ぼくは顔を真赤にして

「ええ」

と白状するよりしかたがありませんでした。

 「そんならまたあげましょうね」

 そういって、先生は真白なリンネルの着物につつまれたからだを窓からのび出させて、
葡萄の一房をもぎ取って、真白い左の手の上に粉のふいたむらさき色の房を乗せて、細長
い銀色のはさみでまん中からぷつりと二つに切って、ジムとぼくとにくださいました。


 真白い手のひらにむらさき色の葡萄のつぶが重なって乗っていたその美しさをぼくは今
でもはっきりと思い出すことができます。


 ぼくはその時から前よりすこしいい子になり、すこしはにかみ屋でなくなったようです。

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