SSブログ

「恵みあれば」 鈴木秀子  中央公論新社 1999年 ⑦(最終) / 「ラジオ深夜便」2010年9月号【再掲載 2013.5】 [読書記録 一般]

今回は、わたしの教育ノートから、10月2日に続いて、鈴木秀子さんの
「恵みあれば」7回目の紹介 最終です。





出版社の案内には、


「自分だけが恵まれず、不幸だと感じたことはありますか? 満たされない、味気ない毎
 日だと思ったことはありますか? しかし、恵みはすべての人に訪れているのです。あ
 るがままの自分を見つめ、魂の奥深いところでの自分と他者とのあたたかいつながりに
 気づいたとき、新たな生がはじまる。」


とあります。



今回は、一房の葡萄(5)の紹介です。



もう一つ、再掲載となりますが、「ラジオ深夜便」2010年9月号を載せます。
番組のエッセンスがコンパクトにまとめられた充実した雑誌です。




☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」




ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
2.jpg





<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。

















☆「恵みあれば」 鈴木秀子  中央公論新社 1999年 ⑦(最終)

◇一房の葡萄(5)
      幼い子どもたちへ

1.jpg 

 武郎は子どもたちに精神の糧となるものを与えたいという想いから、童話を書きました。
その一編が、『一房の葡萄』です。


 武郎は、自殺に先立つ3、4年前から、童話を次々に発表しました。


 それは、精神、生活上の行き詰まりから、武郎の創作力に衰えが見えはじめた時期と一
致します。


 すべての童話に一貫して流れるのは「愛の力」というモチーフです。


 それは人間を育て、人との深いつながりを生み出す力です。



「帰宅したら『一房の葡萄』15冊が来ていた。表装なかなかよくできている。子供3人
 がたいへん静かだと思ったら、熱心に読んでいてくれるので、たいへんうれしく思う」


と日記にも、父親として弾む武郎の心が残されています。




 この童話は、少年とたった2つの絵の具の話ですが、この少年を大人に、絵の具をもっ
と大きな深刻な問題に置き換えた時、この少年の味わっている心理は、大人の誰もが、自
分の体験と照らし合わせることができるでしょう。



 思想遍歴の果てに、40歳を超えた武郎は、生きることを激しく希求しながらも、それ
以上に、満たされることのない空虚さが心を占めていました。


 寒々とした虚ろな心の底に、自分を満たしてくれる無垢の世界への強い憧憬を持たずにはいられませんでした。



 武郎が挫折感のどん底に沈みながら求めたもの、それは人間の深いつながりがもたらす、
相剋や対立のない調和の世界でした。


 『一房の葡萄』の中に描かれた、人種を超えて通い合う、温かい人間味の漂う世界でし
た。



 絵の具への望みに象徴される自分自身の希望や、生徒という周囲の人々からの圧迫感、
若い美しい先生の寛大さによって癒されていく自分の弱さなど、人間の真実の姿が、この
作品には溢れ出ています。



 母のない少年が母を恋い慕うひそやかな思いにも似て、苦しみにあえぐ武郎がつよく憧
れ、ひとときの心の安らぎを求めたのが『一房の葡萄』の世界だったのです。



 妻を失った時、武郎には、幼い3人の男の子が残されました。武郎が、母を失った息子
たちに贈ったのが、その2年後に書いた『小さき者へ』です。

 お前たちが大きくなって、一人前の人間に育ち上った時、-その時までお前たちのパパ
は生きているかいないか、それは分らない事だが-父の書き残したものを繰拡げて見る機
会があるだろうと思う。


 その時この小さな書き物もお前たちの眼の前に現われ出るだろう。



 時はどんどん移って行く。


 お前たちの父なる私がその時お前たちにどう映るか、それは想像も出来ない事だ。


 恐らく私が今ここで、過ぎ去ろうとする時代を嗤い憐れんでいるように、お前たちも私
の古臭い心持を嗤い憐れむのかも知れない。


 私はお前たちの為めにそうあらんことを祈っている。


 お前たちは遠慮なく私を踏台にして、高い遠い所に私を乗り越えて進まなければ間違っ
ているのだ。


 然しながらお前たちをどんなに深く愛したものがこの世にいるか、或はいたかという事
実は、永久にお前たちに必要なものだと私は思うのだ。


 お前たちがこの書き物を読んで、私の思想の未熟で頑固なのを嗤う間にも、私たちの愛
はお前たちを暖め、慰め、励まし、人生の可能性をお前たちの心に味覚させずにおかない
と私は思っている。


 だからこの書き物を私はお前たちにあてて書く。(中略)


 深夜の沈黙は私を厳粛にする。私の前には机を隔ててお前たちの母上が坐っているよう
にさえ思う。


 その母上の愛は遺書にあるようにお前たちを護らずにはいないだろう。


 よく眠れ。


 不可思議な時というものの作用にお前たちを打任してよく眠れ。


 そうして明日は昨日よりも大きく賢くなって、寝床の中から跳り出して来い。私は私の役目をなし遂げる事に全力を尽すだろう。


 私の一生が如何に失敗であろうとも、又私が如何なる誘惑に打負けようとも、お前たち
は私の足跡に不純な何物をも見出し得ないだけの事はする。


 きっとする。


 お前たちは私のたおれた所から新しく歩み出さねばならないのだ。


 然しどちらの方向にどう歩まねばならぬかは、かすかながらにもお前達は私の足跡から
探し出す事が出来るだろう。


 小さき者よ。


 不幸な而して同時に幸福なお前たちの父と母との祝福を胸にしめて人の世の旅に登れ。


 前途は遠い。

 而して暗い。

 然し恐れてはならぬ。

 恐れない者の前に道は開ける。

 行け。

 勇んで。

 小さき者よ。         (筑摩書房 現代日本文学全集)


 




また、『一房の葡萄』は、こう結ばれています。



 それにしてもぼくの大すきなあのいい先生はどこに行かれたでしょう。


 もう二度とは会えないと知りながら、ぼくは今でもあの先生がいたらなあと思います。


 秋になるといつでも葡萄の房はむらさきに色づいて美しく粉をふきますけれども、それ
を受けた大理石のような白い美しい手はどこにも見つかりません。

















☆「ラジオ深夜便」2010年9月号【再掲載 2013.5】

1.png

◇永遠の若大将 加山雄三
 59歳で絵画に開眼 

  少年時代の夢は造船技師 

  黒澤学校と若大将の狭間で

  どん底の辛苦 つらい時代があったからこそ



◇お経再発見の日々から 伊藤比呂美

  とんでる人生 親鸞・法然に救われて



◇ひたすらに生きた無名の母たちへ  澤地久枝

  貧しさの中の悲しみ 

  少女時代に芽吹いた反骨精神 

  父の死

母への負い目と心残りと




◇福岡ハカセが読み解く日本 福岡伸一(青山学院大学教授 S34生)

おなかの脂肪をミクロで見れば

 「動的平衡」 
  - 常に動き回りながらバランスをとっている

食べ物をとって栄養に - 古い細胞は壊れている

  蝶の禁欲に学ぶ「消化」
   = 情報の解体 ~  もとの肉や野菜の情報 = 言葉

  人類~飢え、不足、欠乏に対処できる
    過剰摂取を前提としていない

「足るを知る」

  教師
  「馬を水辺に連れて行くことができても水を飲ませることはできない」
 
  ~ 不可能性の連続の中で、それでもあきらめずに伝え続けようと努力するのが教師
   の務め
   
 「sense of wonder」を大切に
   - その人を支える芯となる

気軽に行こうよ  
   効率主義
   ~ 長い目で見ると局所的な幸福が全体の不幸につながるかもしれない 
   = とんとん

  動的平衡の考え方は「Take it easy」




◇読者のひろば

京都府京丹後市 

 「間人」=「たいざ」
 聖徳太子の生母・間人(はしうど)皇后の名と同じでは恐れ多いとして1400年
   以上「たいざ」地名を守り通してきた


nice!(152)  コメント(0) 
共通テーマ:学校