「学びの復権―模倣と習熟」辻本雅史 角川書店 1999年 ② /江戸時代の「津波避難タワー」 磯田道史(『歴史の愉しみ方』中公新書 2012年 より)【再掲載 2019.1】 [読書記録 教育]
今回は、2月14日に続いて、辻本雅史さんの
「学びの復権-模倣と習熟」の紹介 2回目です。
出版社の案内には、
「近代教育が普及する以前、日本人はどのように学んでいたのか。江戸時代の寺子
屋、藩校、内弟子制度などにおける学びの実態と学習方法を具体的に解き明かし、
荒廃する現代教育社会の中で学ぶことの意味を問い直す。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「知的言語としての漢文。テキストが漢文。洋字さえ漢文=『漢訳洋書』」
・「学問塾とは師と弟子が共に学問を目指す教育」
・「儒子とは最初から最後まで経書を読む作業に終始する学問であり、『模倣と習
熟の学習法』の原則に則っている」
・「『自得』の重要性」
自問自答の大切さについていろいろな方が指摘していますね。
もう一つ、再掲載となりますが、磯田道史さんの『歴史の愉しみ方』より
「江戸時代の『津波避難タワー』」を載せます。
わたしの町は海の近くなのですが、一番高い建物は3階建て。
女子学生と同じ心配をもっています。
わたしの家から徒歩約30分の高塚駅のすぐ南にある高塚熊野神社。
毎週末妻と徒歩で参詣して週の安全を感謝しています。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「学びの復権―模倣と習熟」辻本雅史 角川書店 1999年 ②
◇儒学の学習
1 基礎教養としての儒学
知的言語としての漢文
テキストが漢文
洋字さえ漢文「漢訳洋書」
藩校の普及は近世後期
近世中期 ほぼ18世紀後半
2 学問塾とは
教育の場としての塾
咸宜園 - 広瀬淡窓 日田 3000人以上
学問塾 = 師と弟子が共に学問を目指す教育
「学問塾」と「手習い塾」
3 儒子の学習
忘れられた儒学の学習形態
経書を読む学習
四書五経 「大学」「論語」「孟子」「中庸」「孝経」
儒子とは最初から最後まで経書を読む作業に終始する学問
素読の学習
素読 - 講義 - 会業過程
個別学習の原則
「付け読み」オウム返しに師匠をなぞる
完全に暗唱できるまで自分で稽古「温習」
日頃から繰り返し「温習」
「模倣と習熟の学習法」の原則
1対1、1対3~4人まで
登校すると句読師のところに行く
水戸藩・青山塾の「朝読み」の情景
◎「朝読み」の素読の声で子どもの頭の善し悪しはだいたい分かったもの
で大勢の中で「あれは誰さんの声」などと言われるようにはっきりした
のは必ずしも大きな声ではなくても際だって出来のいい子にきまってい
たそうです。(山川菊江)
師弟関係
読書の順序
朱子学では「大学」「論語」「孟子」「中庸」
テキストの身体化
素読は真理が詰まっている経書を声を出して暗唱して、丸ごと覚え
てしまうこと
現代の読書
… 黙読
書物の内容を理解するための読書
◎「自得」の重要性
素読課程の修了
… 四書 10~14歳には終えられる
「自読」 大きな声を出す 看書
講義
読書のパフォーマンス
集団で行う会業
会業 = 学生が会集して集団で行う学習形態のこと
数人から10人ぐらいの同程度の学力グループ
会業 = 会読+論議
闇斎学派の学習法
「講釈」読書軽視 → 一斉講義スタイル
徂来学の「読書」主義
「講釈+害論」闇斎学派批判
☆江戸時代の「津波避難タワー」 磯田道史(『歴史の愉しみ方』中公新書 2012年 より)【再掲載 2019.1】
<出版社の案内>
忍者の子孫を訪ね歩き、東海道新幹線の車窓から関ケ原合戦を追体験する方法を編
み出し、龍馬暗殺の黒幕を探る―。著者は全国をめぐって埋もれた古文書を次々発
掘。そこから「本物の歴史像」を描き出し、その魅力を伝えてくれる。同時に、歴
史は厳しいものでもある。地震史研究にも取り組む著者は、公家の日記などから、
現代社会への警鐘を鳴らす。
高塚熊野神社の古木
<高塚 熊野神社 - 周りよりだいぶ高くなっています>
次に大津波のきそうなところで、しばらく歴史津波の古文書をさがそうと思っ
て、2012年4月から静岡文化芸術大学にうつり、歴史上の津波の講義をはじめ
たら、授業後、女子学生から悲痛な質問メールがきた。
「自分は海岸から2キロの場所に住んでいる。震災後、津波避難所ができたが、
たいてい2階建ての屋上です。想定される最大11メートルの津波が来た場合、
それに上がって 助かるものでしょうか。」
私には「武士の家計簿」やら「忍者の履歴書」やら発見困難な古文書をみつけ
る運があるらしい。
震災後ためしに地震津波の古文書をさがしてみたらいくつも新出史料がみつか
った。
平時なら忍者の古文書だけ研究して楽しく歴史に遊んでもいい。
しかし列島が地震活動期にはいってしまった以上、そうもしていられない。
「磯田さん。あんた古文書捜査がそんなに速いなら地震津波の古文書をみつけな
よ」
天に則ればその声が聞こえる。
それで津波常襲地の大学にうつることにした。
歴史事例から津波の怖さを学生にさんざん講義したら
「東海地震の怖さは小学生の頃からずっといわれてきたが、先生ほど具体的な話
をする人はいなかった」
と件の質問がきた。
内閣府の有識者会議が最大級の南海トラフ連動地震がおきたときの津波の高さ
を公表。
女子学生の住む町は11メートル超、私の住む浜松は14メートル超の津波が予
想されている。
人命のかかった質問だ。私はこう答えた。
「3月3日付の『日本経済新聞』(電子版)に『津波は対抗せずやり過ごせ』とい
う記事がある。浜松に地形がよく似た名取市閖上(ゆりあげ=宮城県)の事例だ。
閖上の海岸には8.5メートルの津波が襲来。沿岸から2キロ内陸にいた人は高さ
約 5メートルの歩道橋にあがってギリギリ助かった。しかしこれが11メート
ルの津波であったら助からなかったと考えるのが自然。貴君が心配するように2
階建ての屋上は6メートル前後。最大級の津波には最低でも高さ8メートル以上
の建物屋上への避難が必要ではないか」
いま、津波避難タワーの建設がさけばれている。
海岸ぞいで高台のない人口密集地ではまさに命綱だ。
ふと考えた。江戸時代に津波避難タワーはなかったのか。
ところが1か月もたたず、私は史料調査中にその現物をみつけてしまった。
浜松駅の西に高塚という駅がある。
近くの熊野神社に高い塚があるから高塚だ。
神社の案内板をみて驚いた。
「此の地の神主さんが高い丘を作って人びとを救えと云う不思議な夢を見たので、
村人とはかって神社の裏山に土を盛りあげた」。
それは最古かもしれない津波避難タワーだった。
高塚地区は海岸から2.2キロ。海抜約5メートル。巨大津波が来れば危ない。
だからだろう。周囲の地面から高さ8メートルの砂山を作っていた。
高塚の地名は江戸初期にはすでに見られる。
砂山の麓には樹齢500年のシイの大木があった。
「大津波のため住んでいた人達が殆ど死んでしまった。村人は津波の犠牲者を此
の地に葬り沢山の砂を浜から運んで高い塚を作った」。
これはおそらく明応の超巨大津波(1498)の時のことだろう。
明応津波は安政地震津波(1854年)の3~4倍の高さとされる。
巨大津波で高塚集落は一度壊滅したらしい。
しかし、
「安政の大地震が起り津波のため多くの死者が出たが、高塚の人達は此の丘に避
難して被害を免れた」。
このタワーは機能したのだ。
この集落は、神の声、神主の発案でこの避難タワーを作り「維新頃に至るまで
毎年正月元旦に氏子が土砂を盛っていた(『入野沿革誌』)。
しばらくして例の女子学生からメールがきた。
「近くに8メートル以上の4階建てがあるからそこに逃げるようにします」。
<熊野神社の由来書き>
<高塚駅と高塚駅から見た高塚熊野神社>
「学びの復権-模倣と習熟」の紹介 2回目です。
出版社の案内には、
「近代教育が普及する以前、日本人はどのように学んでいたのか。江戸時代の寺子
屋、藩校、内弟子制度などにおける学びの実態と学習方法を具体的に解き明かし、
荒廃する現代教育社会の中で学ぶことの意味を問い直す。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「知的言語としての漢文。テキストが漢文。洋字さえ漢文=『漢訳洋書』」
・「学問塾とは師と弟子が共に学問を目指す教育」
・「儒子とは最初から最後まで経書を読む作業に終始する学問であり、『模倣と習
熟の学習法』の原則に則っている」
・「『自得』の重要性」
自問自答の大切さについていろいろな方が指摘していますね。
もう一つ、再掲載となりますが、磯田道史さんの『歴史の愉しみ方』より
「江戸時代の『津波避難タワー』」を載せます。
わたしの町は海の近くなのですが、一番高い建物は3階建て。
女子学生と同じ心配をもっています。
わたしの家から徒歩約30分の高塚駅のすぐ南にある高塚熊野神社。
毎週末妻と徒歩で参詣して週の安全を感謝しています。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「学びの復権―模倣と習熟」辻本雅史 角川書店 1999年 ②
◇儒学の学習
1 基礎教養としての儒学
知的言語としての漢文
テキストが漢文
洋字さえ漢文「漢訳洋書」
藩校の普及は近世後期
近世中期 ほぼ18世紀後半
2 学問塾とは
教育の場としての塾
咸宜園 - 広瀬淡窓 日田 3000人以上
学問塾 = 師と弟子が共に学問を目指す教育
「学問塾」と「手習い塾」
3 儒子の学習
忘れられた儒学の学習形態
経書を読む学習
四書五経 「大学」「論語」「孟子」「中庸」「孝経」
儒子とは最初から最後まで経書を読む作業に終始する学問
素読の学習
素読 - 講義 - 会業過程
個別学習の原則
「付け読み」オウム返しに師匠をなぞる
完全に暗唱できるまで自分で稽古「温習」
日頃から繰り返し「温習」
「模倣と習熟の学習法」の原則
1対1、1対3~4人まで
登校すると句読師のところに行く
水戸藩・青山塾の「朝読み」の情景
◎「朝読み」の素読の声で子どもの頭の善し悪しはだいたい分かったもの
で大勢の中で「あれは誰さんの声」などと言われるようにはっきりした
のは必ずしも大きな声ではなくても際だって出来のいい子にきまってい
たそうです。(山川菊江)
師弟関係
読書の順序
朱子学では「大学」「論語」「孟子」「中庸」
テキストの身体化
素読は真理が詰まっている経書を声を出して暗唱して、丸ごと覚え
てしまうこと
現代の読書
… 黙読
書物の内容を理解するための読書
◎「自得」の重要性
素読課程の修了
… 四書 10~14歳には終えられる
「自読」 大きな声を出す 看書
講義
読書のパフォーマンス
集団で行う会業
会業 = 学生が会集して集団で行う学習形態のこと
数人から10人ぐらいの同程度の学力グループ
会業 = 会読+論議
闇斎学派の学習法
「講釈」読書軽視 → 一斉講義スタイル
徂来学の「読書」主義
「講釈+害論」闇斎学派批判
☆江戸時代の「津波避難タワー」 磯田道史(『歴史の愉しみ方』中公新書 2012年 より)【再掲載 2019.1】
<出版社の案内>
忍者の子孫を訪ね歩き、東海道新幹線の車窓から関ケ原合戦を追体験する方法を編
み出し、龍馬暗殺の黒幕を探る―。著者は全国をめぐって埋もれた古文書を次々発
掘。そこから「本物の歴史像」を描き出し、その魅力を伝えてくれる。同時に、歴
史は厳しいものでもある。地震史研究にも取り組む著者は、公家の日記などから、
現代社会への警鐘を鳴らす。
高塚熊野神社の古木
<高塚 熊野神社 - 周りよりだいぶ高くなっています>
次に大津波のきそうなところで、しばらく歴史津波の古文書をさがそうと思っ
て、2012年4月から静岡文化芸術大学にうつり、歴史上の津波の講義をはじめ
たら、授業後、女子学生から悲痛な質問メールがきた。
「自分は海岸から2キロの場所に住んでいる。震災後、津波避難所ができたが、
たいてい2階建ての屋上です。想定される最大11メートルの津波が来た場合、
それに上がって 助かるものでしょうか。」
私には「武士の家計簿」やら「忍者の履歴書」やら発見困難な古文書をみつけ
る運があるらしい。
震災後ためしに地震津波の古文書をさがしてみたらいくつも新出史料がみつか
った。
平時なら忍者の古文書だけ研究して楽しく歴史に遊んでもいい。
しかし列島が地震活動期にはいってしまった以上、そうもしていられない。
「磯田さん。あんた古文書捜査がそんなに速いなら地震津波の古文書をみつけな
よ」
天に則ればその声が聞こえる。
それで津波常襲地の大学にうつることにした。
歴史事例から津波の怖さを学生にさんざん講義したら
「東海地震の怖さは小学生の頃からずっといわれてきたが、先生ほど具体的な話
をする人はいなかった」
と件の質問がきた。
内閣府の有識者会議が最大級の南海トラフ連動地震がおきたときの津波の高さ
を公表。
女子学生の住む町は11メートル超、私の住む浜松は14メートル超の津波が予
想されている。
人命のかかった質問だ。私はこう答えた。
「3月3日付の『日本経済新聞』(電子版)に『津波は対抗せずやり過ごせ』とい
う記事がある。浜松に地形がよく似た名取市閖上(ゆりあげ=宮城県)の事例だ。
閖上の海岸には8.5メートルの津波が襲来。沿岸から2キロ内陸にいた人は高さ
約 5メートルの歩道橋にあがってギリギリ助かった。しかしこれが11メート
ルの津波であったら助からなかったと考えるのが自然。貴君が心配するように2
階建ての屋上は6メートル前後。最大級の津波には最低でも高さ8メートル以上
の建物屋上への避難が必要ではないか」
いま、津波避難タワーの建設がさけばれている。
海岸ぞいで高台のない人口密集地ではまさに命綱だ。
ふと考えた。江戸時代に津波避難タワーはなかったのか。
ところが1か月もたたず、私は史料調査中にその現物をみつけてしまった。
浜松駅の西に高塚という駅がある。
近くの熊野神社に高い塚があるから高塚だ。
神社の案内板をみて驚いた。
「此の地の神主さんが高い丘を作って人びとを救えと云う不思議な夢を見たので、
村人とはかって神社の裏山に土を盛りあげた」。
それは最古かもしれない津波避難タワーだった。
高塚地区は海岸から2.2キロ。海抜約5メートル。巨大津波が来れば危ない。
だからだろう。周囲の地面から高さ8メートルの砂山を作っていた。
高塚の地名は江戸初期にはすでに見られる。
砂山の麓には樹齢500年のシイの大木があった。
「大津波のため住んでいた人達が殆ど死んでしまった。村人は津波の犠牲者を此
の地に葬り沢山の砂を浜から運んで高い塚を作った」。
これはおそらく明応の超巨大津波(1498)の時のことだろう。
明応津波は安政地震津波(1854年)の3~4倍の高さとされる。
巨大津波で高塚集落は一度壊滅したらしい。
しかし、
「安政の大地震が起り津波のため多くの死者が出たが、高塚の人達は此の丘に避
難して被害を免れた」。
このタワーは機能したのだ。
この集落は、神の声、神主の発案でこの避難タワーを作り「維新頃に至るまで
毎年正月元旦に氏子が土砂を盛っていた(『入野沿革誌』)。
しばらくして例の女子学生からメールがきた。
「近くに8メートル以上の4階建てがあるからそこに逃げるようにします」。
<熊野神社の由来書き>
<高塚駅と高塚駅から見た高塚熊野神社>
「信ずる宗教,感ずる宗教」山折哲雄 中央公論社 2008年 ③ /「東井義雄一日一言」米田啓祐・西村徹 致知出版社 2007年 ③【再掲載 2016.7】 [読書記録 宗教]
今回は、2月12日に続いて、山折哲雄さんの
「信ずる宗教、感ずる宗教」の紹介 3回目です。
出版社の案内には、
「現代日本人にとっての信仰とは? 宗教とは? 明治以降日本が受け入れてきたキリス
ト教的な価値判断でははかれないわれわれ日本人の信仰心を、歴史をさかのぼって探る
宗教エッセイ」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「来迎図に見る『山中浄土観』 - 中央に例外なく山」
・「山の仏教(エリート中心)から(情的な)里の仏教へ」
・「インド人の『天親』と中国人の『曇鸞』から『親鸞』と名づけた
日本人仏教の否定ちつながるか」
・「無我のインドと無私の日本。日本人のココロイズムを示す心技体」
・「鎌倉時代は日本仏教が『一神教化』する転換期」
もう一つ、再掲載となりますが、米田啓祐さん、西村徹さんの
「東井義雄一日一言」③を載せます。
教師の教師ともいうことができる東井義雄さんのメモしたい言葉が数多く載せられ
ている本です。米田さん、西村さんに感謝します。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「信ずる宗教,感ずる宗教」山折哲雄 中央公論社 2008年 ③
◇曼荼羅宗教学(3)
□山岳信仰と3点セット - 山中浄土観(阿弥陀ヶ峰,池,浄土ケ原)
3点
①阿弥陀ヶ峰 ②地獄谷 ③賽の河原
道元と寺田寅彦が共有していた感覚
自然の中にカミ,ホトケを感ずる心
来迎図に見る「山中浄土観」
- 中央に例外なく山
□浄土信仰を広めた「聖」
最澄 天台宗 <「法華経」研究 + 浄土観(浄土往生)>
阿弥陀如来 南無阿弥陀仏
昼は法華経に基づく修行 夜は念仏
↓ 阿弥陀聖
◎ 民衆に広げた
高野山でも弘法大師信仰とともに浄土信仰の人気
山上 <南無大師遍照金剛 + 南無阿弥陀仏>
↓ 高野聖
◎ 浄土信仰
◎ 比叡山も高野山もいつのまにか霊山へと変貌
□仏教ホスピスを生んだ源信 - 日本に於ける地獄学,極楽学
「二十五三昧会」念仏結社
25人同志
毎月15日
□法然の3つの顔
① 山の仏教 → 里の仏教
エリート中心 → 情的
② 流派の思想課題を批判的に整理した分析家
専従念仏
③ 親鸞との関係
先覚者・法然
□親鸞の脱日本的意識 9~29歳 比叡山
名前を3度改める
綽空 → 善信 → 親鸞
非僧非俗
インド人の天親と中国人の曇鸞から親鸞と名づけた
◎ 日本人仏教の否定
□言葉の魔術師道元
比叡山 → 入宋 → 永平寺
弟子のしつけに全精力
「正法眼蔵」思
索の書 ~ 禅文化の祖
□日蓮
社会生活に深く浸透
□日本人の「こころ好き」の源流
無我のインド・無私の日本
□「心・技・体」を生んだ世阿弥
日本人のココロイズム
無は無限に通じる
□無常と「ノアの方舟」
無常 = 永遠のものは存在しない
□長期の平和を支えた信仰
平和の時代
① 平安時代
② 江戸時代
神仏習合,国を鎮める
平安時代350年間の平和 = 神仏習合
祟りと鎮魂の儀礼
- 神仏共存システムによりマイルドに鎮魂
□「動乱」の時代をどう考える
平安350年(平和) - 南北朝応仁戦国450年(戦乱) - 江戸250年(平和)
□「一神教」の鎌倉仏教
法然、親鸞、一遍 → 「念仏」
道元 → 「座禅」
日蓮 → 「題目」 仏教の一神教化
□信長の危機意識
鎌倉時代は日本仏教が「一神教化」する転換期
□乱世が生んだ個性
日本仏教 ~ 戦乱期 ~ 「一神教」「個人化」
独創者
世阿弥 蓮如 千利休
□変化の世界を演出した世阿弥
蓮如と「悪人正機」
5夫人27子
□禅からの離陸を試みた千利休
☆「東井義雄一日一言」米田啓祐・西村徹 致知出版社 2007年 ③【再掲載 2016.7】
<出版社の案内>
「教育界の国宝」と呼ばれた「いのちの教育」の実践者が残した人生に光をともす
言葉 ― 根を養えば樹はおのずから育つ。
◇7月
失敗はわたしにわたしの一番足りない所を教えにきてくれた大切なお使い」
愛と憎
楽しくなるような言葉を
整理することを
形を与えることを
考えること 自分を見えるようにする
いたわってやる 書くつらさ
書くことによって伸びる
書くという仕事
しゃんとする
聞くと言うこと
口と耳の断絶
聞くことは吸収すること、伸びること、新しい世界に生まれ変わること
聞くことは相手の存在を大事にすること 聞くということは相手を理解すること
「仏法は聴聞にきわまる」(蓮如)
腹を立てる前にまず聞いてみよう
耳を育てる
問いを育てること、それが耳を育てること
「自分の生き方をひっさげて読む」
下農は雑草を作り、中農は作物を作り、上農は土を作る
喜ぶは全身全霊のもので、褒めるは口先の問題
清書(互助会)老いの喜び 老い
◇8月
川は岸のために流れているのではない
川のために岸ができるのである
男と女
男を男にするのは女だ
だんだん男が男でなくなってきているのは、女が女でなくなってきたこと
である。
女の値打ち
選択・決断 … 人生は何を捨て何を得るかという岐路の連続である
滅びに向かう
欲望や衝動の奴隷 … 自由、民主主義と言いながら他罪主義の鬼
因果
… 逃げて事が済むと思ったら大間違い
逃げることは果を果たさずに行くことで因が残っている
「シイ」と「タイ」
「~しい」「~たい」に負けてしまっている
代わる者あることなし
「身自ら之に当たる。代わる者あることなし」(大無量寿経)
問題の渦中に身を投じていく
欲望の主人公に ←→ 欲望の奴隷
男らしく女らしく
男の子は女の子や女の先生の女らしさに慣れて男の自覚を育てられる
「さん」と「くん」
男であること女であること
… 平等・同権が特質を塗りつぶすことと同義ではない
人生の卒業という一大事
幸せの大きさ … 幸せに小さいのはない、大きいのばかり
本番
… 今こそが本番、今日こそが本番、今年こそが本番
スイッチ
… 仕掛けはどんなに立派でもスイッチを入れなければ灯はともらない
人生を一日に例える
- 人生を一日とすると一日の一時間は人生の三年間
人生 9歳 18歳 27歳 36歳 45歳 54歳 63歳 72歳
時刻 3時 6時 9時 12時 15時 18時 21時 24時
楽しさということ
… 浦島太郎が竜宮城の楽しさに満足できず戻ってきたということの意義を一度
考えてみるべきではないだろうか
自分という責任者
… 自分は自分を創っていく責任者
自分は自分の主人公
世界でただ一人の自分を創っていく責任者
「女」の人に込められている願い
自分の人生
自分の人生を自分で壊すようなことだけはしてくれるな
自分の人生を自分で汚すようなことだけはしてくれるな
負けてはダメ
… わたしたちの心の中にはいろいろな美しい宝物がしまってある。
でも、それを掘り出さないようにする悪魔もたくさん住んでいる。
それが、わたしたちにがんばりを忘れさせよとする。でも、それに負けては
ダメ。
世界でただ一人の責任者
亀は兎になれない。しかし、そのつもりになって努力すれば日本一の亀にはな
れる。わたしも、わたし以外のだれにもなることはできない。日本でただ一人の
わたしを創る以外にないと願いながらここまで来た。
君は君を立派にするただ一人の責任者。
呼び水
ポンプの水 - 呼び水が必要
よろこびは魂の記録
人間皆兄弟
分け合えば喜びは大きくなり悲しみは小さくなる
野良猫
飼い猫の脳より野良猫の脳の方が発達している
愛情
愛情も相手を本当に分かってあげる知恵と結びついて、初めて真の愛情とな
る
形成者
平和的な国家及び社会の「破壊者」が育てられていると言っていい
「信ずる宗教、感ずる宗教」の紹介 3回目です。
出版社の案内には、
「現代日本人にとっての信仰とは? 宗教とは? 明治以降日本が受け入れてきたキリス
ト教的な価値判断でははかれないわれわれ日本人の信仰心を、歴史をさかのぼって探る
宗教エッセイ」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「来迎図に見る『山中浄土観』 - 中央に例外なく山」
・「山の仏教(エリート中心)から(情的な)里の仏教へ」
・「インド人の『天親』と中国人の『曇鸞』から『親鸞』と名づけた
日本人仏教の否定ちつながるか」
・「無我のインドと無私の日本。日本人のココロイズムを示す心技体」
・「鎌倉時代は日本仏教が『一神教化』する転換期」
もう一つ、再掲載となりますが、米田啓祐さん、西村徹さんの
「東井義雄一日一言」③を載せます。
教師の教師ともいうことができる東井義雄さんのメモしたい言葉が数多く載せられ
ている本です。米田さん、西村さんに感謝します。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「信ずる宗教,感ずる宗教」山折哲雄 中央公論社 2008年 ③
◇曼荼羅宗教学(3)
□山岳信仰と3点セット - 山中浄土観(阿弥陀ヶ峰,池,浄土ケ原)
3点
①阿弥陀ヶ峰 ②地獄谷 ③賽の河原
道元と寺田寅彦が共有していた感覚
自然の中にカミ,ホトケを感ずる心
来迎図に見る「山中浄土観」
- 中央に例外なく山
□浄土信仰を広めた「聖」
最澄 天台宗 <「法華経」研究 + 浄土観(浄土往生)>
阿弥陀如来 南無阿弥陀仏
昼は法華経に基づく修行 夜は念仏
↓ 阿弥陀聖
◎ 民衆に広げた
高野山でも弘法大師信仰とともに浄土信仰の人気
山上 <南無大師遍照金剛 + 南無阿弥陀仏>
↓ 高野聖
◎ 浄土信仰
◎ 比叡山も高野山もいつのまにか霊山へと変貌
□仏教ホスピスを生んだ源信 - 日本に於ける地獄学,極楽学
「二十五三昧会」念仏結社
25人同志
毎月15日
□法然の3つの顔
① 山の仏教 → 里の仏教
エリート中心 → 情的
② 流派の思想課題を批判的に整理した分析家
専従念仏
③ 親鸞との関係
先覚者・法然
□親鸞の脱日本的意識 9~29歳 比叡山
名前を3度改める
綽空 → 善信 → 親鸞
非僧非俗
インド人の天親と中国人の曇鸞から親鸞と名づけた
◎ 日本人仏教の否定
□言葉の魔術師道元
比叡山 → 入宋 → 永平寺
弟子のしつけに全精力
「正法眼蔵」思
索の書 ~ 禅文化の祖
□日蓮
社会生活に深く浸透
□日本人の「こころ好き」の源流
無我のインド・無私の日本
□「心・技・体」を生んだ世阿弥
日本人のココロイズム
無は無限に通じる
□無常と「ノアの方舟」
無常 = 永遠のものは存在しない
□長期の平和を支えた信仰
平和の時代
① 平安時代
② 江戸時代
神仏習合,国を鎮める
平安時代350年間の平和 = 神仏習合
祟りと鎮魂の儀礼
- 神仏共存システムによりマイルドに鎮魂
□「動乱」の時代をどう考える
平安350年(平和) - 南北朝応仁戦国450年(戦乱) - 江戸250年(平和)
□「一神教」の鎌倉仏教
法然、親鸞、一遍 → 「念仏」
道元 → 「座禅」
日蓮 → 「題目」 仏教の一神教化
□信長の危機意識
鎌倉時代は日本仏教が「一神教化」する転換期
□乱世が生んだ個性
日本仏教 ~ 戦乱期 ~ 「一神教」「個人化」
独創者
世阿弥 蓮如 千利休
□変化の世界を演出した世阿弥
蓮如と「悪人正機」
5夫人27子
□禅からの離陸を試みた千利休
☆「東井義雄一日一言」米田啓祐・西村徹 致知出版社 2007年 ③【再掲載 2016.7】
<出版社の案内>
「教育界の国宝」と呼ばれた「いのちの教育」の実践者が残した人生に光をともす
言葉 ― 根を養えば樹はおのずから育つ。
◇7月
失敗はわたしにわたしの一番足りない所を教えにきてくれた大切なお使い」
愛と憎
楽しくなるような言葉を
整理することを
形を与えることを
考えること 自分を見えるようにする
いたわってやる 書くつらさ
書くことによって伸びる
書くという仕事
しゃんとする
聞くと言うこと
口と耳の断絶
聞くことは吸収すること、伸びること、新しい世界に生まれ変わること
聞くことは相手の存在を大事にすること 聞くということは相手を理解すること
「仏法は聴聞にきわまる」(蓮如)
腹を立てる前にまず聞いてみよう
耳を育てる
問いを育てること、それが耳を育てること
「自分の生き方をひっさげて読む」
下農は雑草を作り、中農は作物を作り、上農は土を作る
喜ぶは全身全霊のもので、褒めるは口先の問題
清書(互助会)老いの喜び 老い
◇8月
川は岸のために流れているのではない
川のために岸ができるのである
男と女
男を男にするのは女だ
だんだん男が男でなくなってきているのは、女が女でなくなってきたこと
である。
女の値打ち
選択・決断 … 人生は何を捨て何を得るかという岐路の連続である
滅びに向かう
欲望や衝動の奴隷 … 自由、民主主義と言いながら他罪主義の鬼
因果
… 逃げて事が済むと思ったら大間違い
逃げることは果を果たさずに行くことで因が残っている
「シイ」と「タイ」
「~しい」「~たい」に負けてしまっている
代わる者あることなし
「身自ら之に当たる。代わる者あることなし」(大無量寿経)
問題の渦中に身を投じていく
欲望の主人公に ←→ 欲望の奴隷
男らしく女らしく
男の子は女の子や女の先生の女らしさに慣れて男の自覚を育てられる
「さん」と「くん」
男であること女であること
… 平等・同権が特質を塗りつぶすことと同義ではない
人生の卒業という一大事
幸せの大きさ … 幸せに小さいのはない、大きいのばかり
本番
… 今こそが本番、今日こそが本番、今年こそが本番
スイッチ
… 仕掛けはどんなに立派でもスイッチを入れなければ灯はともらない
人生を一日に例える
- 人生を一日とすると一日の一時間は人生の三年間
人生 9歳 18歳 27歳 36歳 45歳 54歳 63歳 72歳
時刻 3時 6時 9時 12時 15時 18時 21時 24時
楽しさということ
… 浦島太郎が竜宮城の楽しさに満足できず戻ってきたということの意義を一度
考えてみるべきではないだろうか
自分という責任者
… 自分は自分を創っていく責任者
自分は自分の主人公
世界でただ一人の自分を創っていく責任者
「女」の人に込められている願い
自分の人生
自分の人生を自分で壊すようなことだけはしてくれるな
自分の人生を自分で汚すようなことだけはしてくれるな
負けてはダメ
… わたしたちの心の中にはいろいろな美しい宝物がしまってある。
でも、それを掘り出さないようにする悪魔もたくさん住んでいる。
それが、わたしたちにがんばりを忘れさせよとする。でも、それに負けては
ダメ。
世界でただ一人の責任者
亀は兎になれない。しかし、そのつもりになって努力すれば日本一の亀にはな
れる。わたしも、わたし以外のだれにもなることはできない。日本でただ一人の
わたしを創る以外にないと願いながらここまで来た。
君は君を立派にするただ一人の責任者。
呼び水
ポンプの水 - 呼び水が必要
よろこびは魂の記録
人間皆兄弟
分け合えば喜びは大きくなり悲しみは小さくなる
野良猫
飼い猫の脳より野良猫の脳の方が発達している
愛情
愛情も相手を本当に分かってあげる知恵と結びついて、初めて真の愛情とな
る
形成者
平和的な国家及び社会の「破壊者」が育てられていると言っていい