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「お母さんぼくが生まれてごめんなさい」向野幾世 産經新聞出版 2002年 ②(後半) /「それでも人生にイエスという」V.E.フランクル 山田 邦男 (翻訳), 松田 美佳 (翻訳) 春秋社 1993年 ②【再掲載 2015.12】 [読書記録 教育]

今回は、9月8日に続いて、向野幾世さんの
「お母さん ぼくが生まれてごめんなさい」2回目(後半)の紹介です。




出版社の案内には、

「お母さんへのすべての感謝を一篇の詩に凝縮させて二カ月後、生まれなが
 らにして重度の脳性マヒだった奈良県の少年やっちゃんは天国に旅立った。
 やっちゃんを見守ったすべての人の愛と涙に溢れた珠玉の一冊。」

とあります。






今回紹介分より強く印象に残った言葉は‥

・「表情は言葉の宝庫」


・「中村鋭一さんがラジオで朗読したこで大反響」


・「テレビでやっちゃんの詩を森昌子が歌う 
   『小川宏ショー』希望の詩コーナー 」


・「人は決して姿形で生きているのではなく,その心で生きている」
「最も弱い者を一人も漏れなく守る」



もう一つ、再掲載となりますが、V.E.フランクルの
「それでも人生にイエスという」②を載せます。




<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。








☆「お母さんぼくが生まれてごめんなさい」向野幾世 産經新聞出版 2002年 ②(後半)

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◇仲間がいっぱい
  
  通い合う心と心  
    大きくなったら野球選手になりたい
    文化祭で舞台監督 

  修学旅行の感動
    スクールバスは楽しい社交場 
    キャンプの思い出
  
  森昌子さんとやっちゃん



◇幸福は自分の手で
  
  就職した君ちゃんのその後 
    責任感が  
    生きていかんとならんのです 

  やっちゃんの役割
    明るい笑顔がボクのつとめです 
    福祉地図作り



◇やっちゃんが詩を作った

  海外旅行でつかんだ言語教師への自信 
    表情は言葉の宝庫

  ごめんなさいねお母さん
    舞台に上がる決断 
    吹き飛んだお母さんの迷い

  歌われなかった詩 ~ メロディが付けられない
フォーク村村長 奈良県立高等工業専門学校・生田善太郎



◇やっちゃんが死んだ

コンサート成功の余韻の中で
    昭和50年6月2日 満15歳で

  昭和50年6月11日のこと
 「私がこの子を殺した」 
    命は一人のものじゃない 
    スカートと靴が夢だった少女



◇やっちゃんの詩が全国に紹介される

  中村鋭一さんがラジオで朗読
   → 大反響 

  レコード化される
    テイチクレコード・南口社長
    1万枚のベストセラー

  みんな同じ空の下で生きている 
  
  五千人も集まった東京のわたぼうしコンサート
    昭和52年12月10日
  
  テレビでやっちゃんの詩を森昌子が歌う 
   「小川宏ショー」希望の詩コーナー 

  新聞も伝える感動のドラマ
    昭和53年3月9日 サンケイ朝刊 社会面トップ
「小川宏ショー」再放送
  
 「たんぽぽの家」着工も間近



◇あとがき   

父 - 重度脳性麻痺 76年間生き続けた
  人は決して姿形で生きているのではなく,その心で生きている

  父「人は薄明かりの冥道を生きている。人は冥界より離れることなし」
優しさこそが大切で
     悲しさこそが美しい    教えてくれたやっちゃん
     そんな人の生き方を 


◇復刊に寄せて 
 「最も弱い者を一人も漏れなく守る」









☆「それでも人生にイエスという」V.E.フランクル 山田 邦男 (翻訳), 松田 美佳 (翻訳) 春秋社 1993年 ②【再掲載 2015.12】

<出版社の案内>

『夜と霧』の著者として、また実存分析を創始した精神医学者として知られ
るフランクル。第二次大戦中、ナチス強制収容所の地獄に等しい体験をした
彼は、その後、人間の実存を見つめ、精神の尊厳を重視した独自の思想を展
開した。本講演集は、平易な言葉でその体験と思索を語った万人向けの書で
あり、苦悩を抱えている人のみならず、ニヒリズムに陥っている現代人すべ
てにとっての救いの書である。
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◇生きる意味と価値(2)

□一回きりの人生の重み
 苦悩と死こそが人生を意味のあるものにしている
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   一日一日、一時間一時間、一瞬一瞬が一回切りだということも、人生に
  恐ろしくすばらしい責任の重みを負わせている
      
 
 「私たちの人生はラジウムに似ている」     
ラジウムは生涯の内にどんどん放射エネルギーに転換され、二度と物質
  には戻らない

  カントの定言命法 
   「あたかも…のごとく行為せよ」公式



□人間の不完全性と意味
 自分自身を裁くことができるのは、その人に裁判官の尊厳と威厳が備わっ
 ている証拠

  一人一人の人間は、「自分なりに」不完全

その人だけ



□共同体の中での唯一性
  ヒレル(タルムード創始者の一人)
「もしわたしがそれをしなければ、だれがするだろうか。しかし、もしわ
   たしが自分のためにだけそれをするなら、わたしは何であろうか。そし
   て、もし、わたしが今しなければ、いつするのだろうか」



□生きる意味と価値
 生きるとは、問われていること、答えること
   - 自分自身の生に責任をもつことである

 「生きることは課せられた仕事」
宗教的な人間は、人生は神が課した使命だと思って生きている

ヘッベル
  「人生それ自体が何かであるのではなく、人生は何かをする機会である!」

 『夜と霧の中で』 
    パイロットはブザーの連続音が聞こえるように
「唯一」の目的地に着く「一度きり」の道



◇病を超えて
  苦悩と病気

  苦悩できない精神病  
    病気になるのは精神的側面でなく心理的側面だけ

  麻痺症患者の例

  もう一つの例  
    苦悩できないことに苦悩する心の病気

  苦悩のまっただ中にいる人に聞いてみる
    強制収容所での体験

  意味を実現する方向の転換 
    ある男性の場合
     ~ 病気になった広告デザイナーのさりげない業績

  体の一部を失ったケース
    病気になって得るものがある 
    病気と死は「贈り物」

  外面的な成功と内面的な成功  
    生きる意味を内面的に実現すること

  これまでの人生が無意味でも意味を実現して死んでいく場合 
    ある死刑囚の例

  医者は病人の生命に利用価値があると考えてはならない
  医者が診ているものは「ケース」

  病気に対してどんな態度をとるかで人間らしくなれる

  不治の精神病患者
    不治だと考えられていて完治した精神病患者の例
    不治の病気も新しい治療法によって治るかもしれない

  医者の任務は命を救うこと
    救助者、治療者、裁判官、死刑執行人

  国家は「非生産的な」個人を殺害する義務があるという反論

  愛されている人間は、役に立たなくても、かけがいがない
    愛情に包まれて代理不可能でかけがえのない存在
    愛は恵み 

  唯一
    一回限り
  
  知恵遅れの子どもたちほど両親の愛情が深い  

  世界全体は無意味か? 
    それとも意味を超えているか?

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