「日本民俗学のエッセンス」瀬川清子・植松明石編 ペリカン社 1979年 ⑳(最終) [読書記録 民俗]
「わしが蜜柑の木の前に立ったら,枝の方から『ここを切ってくれ』と言いよる。わしは,
そういわれるままに切っちょるだけじゃ。」(紀州、木の剪定の名人の言葉)
「教員もこれと同じで,子どもの気持ちの見える教師にならんといかん」
(教育学者・青木一の言葉)
今回は 12月19日に続いて 瀬川清子さん植松明石さんの編による
「日本民俗学のエッセンス」20回目の紹介 最終です。
出版社の案内には、
「本書は、日本民俗学の研究史上、重要な研究者18人をえらんで、その研究と方法を示
し、それを中心に、日本民俗学の成立、展開の理解にせまろうとしたものである。」
とあります。
今回も前回に引き続き「宮本常一」さんについての要約です。
教員として学ぶこともたくさん示されています。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「日本民俗学のエッセンス」瀬川清子・植松明石編 ペリカン社 1979年 ⑳(最終)
◇宮本常一(2) その研究と方法 岩井宏実
2.偉大なる教育者
□池田小教員時代 昭和8(1933)年
「郷土資料作文集」
調べる喜び・綴る喜び 芦田恵之助の影響
□『とろし』
泉北郡(現高石市)取石小学校
昭和12(1937)3月卒業生のため印刷して贈った郷土誌
「とろし」半紙半版136頁-生活誌
「村の略史」(宮本)「村のしらべ」(児童)
「昔話と伝説」(児童採集)「我らの生活」
□紀州、木の剪定の名人から
「わしが蜜柑の木の前に立ったら,枝の方から『ここを切ってくれ』と言いよる。わしは,
そういわれるままに切っちょるだけじゃ。」
↓
教員もこれと同じで,子どもの気持ちの見える教師にならんといかん
(教育学者・青木一が語っている)
□奈良県郡山中学の教員
生徒は多くのことを学んだ
→ その中から民俗学や考古学を学び者も
○S23(1948)
「愛情は子供と共に」馬場書店
「村の社会科」昭和書院
○S25(1950)
「ふるさとの生活」朝日新聞社
「村の生活とコミュニティスクール」長吉小中学校PTA
民衆教育の方向
○S39(1964)4
武蔵野美術大学非常勤教授に
日本観光文化研究所所長 → 「あるく・みる・きく」
旅行探検民俗学民族学文化人類学
○S40(1965)4 武蔵野美大専任教授
一般教養 - 民俗学・民族学・文化人類学・生活史
美術創作活動の中に,その根本となる日本人の思考方式が活かされないか考えた
|
造形文化の歴史的変遷と人間の関わり中心に講義
学生 民俗学・民具学・生活学へ
↓
東和町
「郷土大学」村落居住青年の育成と地域文化新興に精力
没後も活動存続
3.経済 経世済民の学
□財団法人 新自治協会へ
農業技術の改良,農業経営の指導,生活改善運動
全国篤農家の探訪 - 感動を持って全身で受け止めた
問題は - 農地解放
○S29(1954)
平野勝二中心に林業金融調査会
○S28(1953)
全国離島振興協議会 幹事長・事務局長に
飲料水確保,道路整備,殖産問題
「日本の離島」未来社 昭和35
○S40(1965)
「日本の宿」社会思想社
○S41(1966)~
「あるく・みる・きく」
日本観光文化研究所~平成元(1989.3)年
~264号 「旅学」
4.民衆史の構築
□日本民衆史の構想
-「名も無き民」の生活史
○S30(1955)
「民話」木下順二・吉沢和夫・益田勝美・西郷竹彦・山室静
第3号 ~ 10回「年寄りたち」連載-土佐源氏
→ 「忘れられた日本人」に
坂本長利の一人芝居
□旅の学,実践の学
5.民具学の提唱
「民具学は孤立してはいけない」
民俗学・民族学・考古学・建築学・歴史学・生活学
国際文化-世界の旅(晩年)
○昭和49(1974)10月26~27日
日本常民文化研究所主宰 第1回民具研究講座
○昭和50.11.23~24
日本民具学会設立
そういわれるままに切っちょるだけじゃ。」(紀州、木の剪定の名人の言葉)
「教員もこれと同じで,子どもの気持ちの見える教師にならんといかん」
(教育学者・青木一の言葉)
今回は 12月19日に続いて 瀬川清子さん植松明石さんの編による
「日本民俗学のエッセンス」20回目の紹介 最終です。
出版社の案内には、
「本書は、日本民俗学の研究史上、重要な研究者18人をえらんで、その研究と方法を示
し、それを中心に、日本民俗学の成立、展開の理解にせまろうとしたものである。」
とあります。
今回も前回に引き続き「宮本常一」さんについての要約です。
教員として学ぶこともたくさん示されています。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「日本民俗学のエッセンス」瀬川清子・植松明石編 ペリカン社 1979年 ⑳(最終)
◇宮本常一(2) その研究と方法 岩井宏実
2.偉大なる教育者
□池田小教員時代 昭和8(1933)年
「郷土資料作文集」
調べる喜び・綴る喜び 芦田恵之助の影響
□『とろし』
泉北郡(現高石市)取石小学校
昭和12(1937)3月卒業生のため印刷して贈った郷土誌
「とろし」半紙半版136頁-生活誌
「村の略史」(宮本)「村のしらべ」(児童)
「昔話と伝説」(児童採集)「我らの生活」
□紀州、木の剪定の名人から
「わしが蜜柑の木の前に立ったら,枝の方から『ここを切ってくれ』と言いよる。わしは,
そういわれるままに切っちょるだけじゃ。」
↓
教員もこれと同じで,子どもの気持ちの見える教師にならんといかん
(教育学者・青木一が語っている)
□奈良県郡山中学の教員
生徒は多くのことを学んだ
→ その中から民俗学や考古学を学び者も
○S23(1948)
「愛情は子供と共に」馬場書店
「村の社会科」昭和書院
○S25(1950)
「ふるさとの生活」朝日新聞社
「村の生活とコミュニティスクール」長吉小中学校PTA
民衆教育の方向
○S39(1964)4
武蔵野美術大学非常勤教授に
日本観光文化研究所所長 → 「あるく・みる・きく」
旅行探検民俗学民族学文化人類学
○S40(1965)4 武蔵野美大専任教授
一般教養 - 民俗学・民族学・文化人類学・生活史
美術創作活動の中に,その根本となる日本人の思考方式が活かされないか考えた
|
造形文化の歴史的変遷と人間の関わり中心に講義
学生 民俗学・民具学・生活学へ
↓
東和町
「郷土大学」村落居住青年の育成と地域文化新興に精力
没後も活動存続
3.経済 経世済民の学
□財団法人 新自治協会へ
農業技術の改良,農業経営の指導,生活改善運動
全国篤農家の探訪 - 感動を持って全身で受け止めた
問題は - 農地解放
○S29(1954)
平野勝二中心に林業金融調査会
○S28(1953)
全国離島振興協議会 幹事長・事務局長に
飲料水確保,道路整備,殖産問題
「日本の離島」未来社 昭和35
○S40(1965)
「日本の宿」社会思想社
○S41(1966)~
「あるく・みる・きく」
日本観光文化研究所~平成元(1989.3)年
~264号 「旅学」
4.民衆史の構築
□日本民衆史の構想
-「名も無き民」の生活史
○S30(1955)
「民話」木下順二・吉沢和夫・益田勝美・西郷竹彦・山室静
第3号 ~ 10回「年寄りたち」連載-土佐源氏
→ 「忘れられた日本人」に
坂本長利の一人芝居
□旅の学,実践の学
5.民具学の提唱
「民具学は孤立してはいけない」
民俗学・民族学・考古学・建築学・歴史学・生活学
国際文化-世界の旅(晩年)
○昭和49(1974)10月26~27日
日本常民文化研究所主宰 第1回民具研究講座
○昭和50.11.23~24
日本民具学会設立