『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)静岡県女子師範学校郷土研究会編 1994年 ④ [読書記録 郷土]
今回は、12月14日に続いて、静岡県女子師範学校郷土研究会編による
『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)4回目の紹介です。
出版社は郷土の本を出し続けている静岡の羽衣出版。
素晴らしい本です。
採話してきた学生さんの苦労はたいへんだったと思います。
今回は、「ぼっこ山」「ダイダラボッチ」「ダイダラ坊子」の話です。
「ダイダラボッチ」の話は日本各地に伝わっていますね。
子どもたちに話すとなかなかおもしろがってくれます。
「ぼっこ山」の伝わる浜名郡伊佐見村はナウマンゾウの発掘でも知られています。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)静岡県女子師範学校郷土研究会編 ④
1山男、山婆、巨人、天狗の話 続き
(5)ぼっこ山 (浜名郡伊佐見村・現浜松市)
伊佐見村伊左地に、ぼっこ田、ぼっこ山という地名がある。
昔、琵琶湖からボツコ(モッコ)を使って土を運んで富士山を作ったときに、ちょうど
伊左地の所で、そのモッコからひとかたまりの土がこぼれ落ちて、ぼっこ山が出来たとい
う。
また、引佐郡井伊谷村にもこれと似た伝説がある。
この地に三合山という山がある。
昔、ダイダラボッチという、たいそう力のある人が富士山を作ろうとして、琵琶湖の土
をモッコに入れて行く途中、モッコが採れて土がこぼれ落ち、この山が出来たという。
(本多みち)
(5)ダイダラボッチ (浜名郡神久呂村神ケ谷・現浜松市)
昔、ダイダラボツチという大男が、近江の土を大きいモッコに入れて駿河まで運ぶ途中、
引佐郡の伊目という所で肩替えをした。
その時、モッコの採れた拍子にモッコの目から土がこぼれ落ちた。
その土が根本山だという。
神ケ谷字原山に、その時大男が通った足跡というのがある。
数年前まで窪みになっていて雨水がたまっていたが、今は開かれて桑畑となっている。
またそこから半道(半里・約二㌔)東の神にも足跡というのがあったという。
またダイダラボッチは、浜名湖東岸の宇津山へ腰を掛けて弁当を食った。
その時、中に小石があったので、箸で湖中に捨てたが、これが島になったという。
(本多みち)
(6)ダイダラ坊子 (引佐郡三ケ日町)
昔、ダイダラ坊子という人があって、西方から東の方へ行く途中、浜名湖の西北海岸で
弁当を使った。
そしたら、米の中に石が混じっていたので、その石を投げると、たちまち浜名湖の中に
あるツブテ島になったという。
そして、その人は東方に下ったが、三ケ日町只木の風越峠のふもとと、その横の峠のす
ぐ下に、ちょうど足の形をした大変大きい池がある。
それはこの人の足跡だそうである。
(山本ふみ)
『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)4回目の紹介です。
出版社は郷土の本を出し続けている静岡の羽衣出版。
素晴らしい本です。
採話してきた学生さんの苦労はたいへんだったと思います。
今回は、「ぼっこ山」「ダイダラボッチ」「ダイダラ坊子」の話です。
「ダイダラボッチ」の話は日本各地に伝わっていますね。
子どもたちに話すとなかなかおもしろがってくれます。
「ぼっこ山」の伝わる浜名郡伊佐見村はナウマンゾウの発掘でも知られています。
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☆『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)静岡県女子師範学校郷土研究会編 ④
1山男、山婆、巨人、天狗の話 続き
(5)ぼっこ山 (浜名郡伊佐見村・現浜松市)
伊佐見村伊左地に、ぼっこ田、ぼっこ山という地名がある。
昔、琵琶湖からボツコ(モッコ)を使って土を運んで富士山を作ったときに、ちょうど
伊左地の所で、そのモッコからひとかたまりの土がこぼれ落ちて、ぼっこ山が出来たとい
う。
また、引佐郡井伊谷村にもこれと似た伝説がある。
この地に三合山という山がある。
昔、ダイダラボッチという、たいそう力のある人が富士山を作ろうとして、琵琶湖の土
をモッコに入れて行く途中、モッコが採れて土がこぼれ落ち、この山が出来たという。
(本多みち)
(5)ダイダラボッチ (浜名郡神久呂村神ケ谷・現浜松市)
昔、ダイダラボツチという大男が、近江の土を大きいモッコに入れて駿河まで運ぶ途中、
引佐郡の伊目という所で肩替えをした。
その時、モッコの採れた拍子にモッコの目から土がこぼれ落ちた。
その土が根本山だという。
神ケ谷字原山に、その時大男が通った足跡というのがある。
数年前まで窪みになっていて雨水がたまっていたが、今は開かれて桑畑となっている。
またそこから半道(半里・約二㌔)東の神にも足跡というのがあったという。
またダイダラボッチは、浜名湖東岸の宇津山へ腰を掛けて弁当を食った。
その時、中に小石があったので、箸で湖中に捨てたが、これが島になったという。
(本多みち)
(6)ダイダラ坊子 (引佐郡三ケ日町)
昔、ダイダラ坊子という人があって、西方から東の方へ行く途中、浜名湖の西北海岸で
弁当を使った。
そしたら、米の中に石が混じっていたので、その石を投げると、たちまち浜名湖の中に
あるツブテ島になったという。
そして、その人は東方に下ったが、三ケ日町只木の風越峠のふもとと、その横の峠のす
ぐ下に、ちょうど足の形をした大変大きい池がある。
それはこの人の足跡だそうである。
(山本ふみ)