「永六輔」隈元信一 平凡社 2017年 ③(最終) [読書記録 一般]
今回は、3月9日に続いて、隈元信一さんの
「永六輔」の紹介 3回目 最終です。
出版社の案内には、
「放送作家、作詞家、ラジオタレントなど、多彩な活躍ぶりで歴史に名を残す永六輔。そ
の生涯に貫かれた一筋の道とはいったいいかなるものだったか。新聞記者として最も身
近にいた著者がその実像を描き切った決定的評伝。時代を駆け抜けた『旅の坊主』、『六
輔六面』」の世界へ。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「永六輔は顔は願いが気は短い - 反権力」
・「子どもは背伸びして大人の番組を見て育つ」
・「『遊芸渡世人』 小沢昭一も共に好きな言葉」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「永六輔」隈元信一 平凡社 2017年 ③(最終)
◇闘うテレビ乞食
□「寄生虫」と呼ばれて
われらテレビ乞食(河原乞食)
「夢であいましょう」1961.4~1966.4
柴田錬三郎
「寄生虫」呼ばわり
大阪留学
- 出会い:秋田実、渋谷天外、小沢昭一
□テレビ時代の先頭を走る
音楽バラエティの先駆け「光子の窓」
永六輔は顔は願いが気は短い - 反権力
□「あらゆる芸が集まるダムにしよう」
テレビはプロとアマが共有できる場
- いつの間にか知ろうと全盛時代に
演出 末盛憲彦「夢であいましょう」
井原高忠「光子の窓」
□ミュージカル体験「夢であいましょう」が残したもの
子どもは背伸びして大人の番組を見て育つ
□「テレビファソラシド」の冒険
1979.4.3~1982.3.13
内海桂子好恵、ケン・フランケル、タモリ、マッチ
□ホントにテレビが嫌いだった?
「遠くへ行きたい」テレビマンユニオン(元TBS)
- 個のつながり「歩く」
旅人として80回
◇遊芸渡世人の本領
□「遊芸渡世人」
小沢昭一も共に好きな言葉
「芸に遊んで世渡りしている人」
□「黒い花びら」が初作詞ではなかった
CD2枚組「上を向いて歩こう永六輔作品集」EMIミュージック
□「上を向いて歩こう」の舞台裏
六八九トリオ
坂本九の歌い方は邦楽の産み子
= 母音を伸ばして重ねていく歌い方
母の三味線音楽を聴いて育ったから
□世界中でヒットしたけれど
□「こんにちは赤ちゃん」の幸福感
□いずみたくとの出会い
いずみたく 1930.1.20東京生
ミュージカルが最高「見上げてごらん夜の星を」
□作詞をやめた理由
2012.2「プレミアムツインベストにほんのうた」
デューク・エイセス「ふるさとを歌う」
□歌って演じて武道館 1974
中年御三家
◇わらいのめす反戦じいさん
□三波春夫の戦場体験に学ぶ
歌う学者
原点としての戦争体験
仲間たちと共に
□「弱者の応援団長」として
秋山ちえ子 - 反戦ばあさん
沖縄へのこだわり … 思いを受け継ぐ徹子さん
◇世間師としてのジャーナリズム
□「りんごラジオ」のスタジオで
現代の世間師として
「大往生」は知恵の本
□「話の特集」の仲間たち
総ジャーナリスト時代に
死に方で生き方を示す 病気との付き合い方
□死んで伝えるメッセージ
「永六輔」の紹介 3回目 最終です。
出版社の案内には、
「放送作家、作詞家、ラジオタレントなど、多彩な活躍ぶりで歴史に名を残す永六輔。そ
の生涯に貫かれた一筋の道とはいったいいかなるものだったか。新聞記者として最も身
近にいた著者がその実像を描き切った決定的評伝。時代を駆け抜けた『旅の坊主』、『六
輔六面』」の世界へ。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「永六輔は顔は願いが気は短い - 反権力」
・「子どもは背伸びして大人の番組を見て育つ」
・「『遊芸渡世人』 小沢昭一も共に好きな言葉」
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「永六輔」隈元信一 平凡社 2017年 ③(最終)
◇闘うテレビ乞食
□「寄生虫」と呼ばれて
われらテレビ乞食(河原乞食)
「夢であいましょう」1961.4~1966.4
柴田錬三郎
「寄生虫」呼ばわり
大阪留学
- 出会い:秋田実、渋谷天外、小沢昭一
□テレビ時代の先頭を走る
音楽バラエティの先駆け「光子の窓」
永六輔は顔は願いが気は短い - 反権力
□「あらゆる芸が集まるダムにしよう」
テレビはプロとアマが共有できる場
- いつの間にか知ろうと全盛時代に
演出 末盛憲彦「夢であいましょう」
井原高忠「光子の窓」
□ミュージカル体験「夢であいましょう」が残したもの
子どもは背伸びして大人の番組を見て育つ
□「テレビファソラシド」の冒険
1979.4.3~1982.3.13
内海桂子好恵、ケン・フランケル、タモリ、マッチ
□ホントにテレビが嫌いだった?
「遠くへ行きたい」テレビマンユニオン(元TBS)
- 個のつながり「歩く」
旅人として80回
◇遊芸渡世人の本領
□「遊芸渡世人」
小沢昭一も共に好きな言葉
「芸に遊んで世渡りしている人」
□「黒い花びら」が初作詞ではなかった
CD2枚組「上を向いて歩こう永六輔作品集」EMIミュージック
□「上を向いて歩こう」の舞台裏
六八九トリオ
坂本九の歌い方は邦楽の産み子
= 母音を伸ばして重ねていく歌い方
母の三味線音楽を聴いて育ったから
□世界中でヒットしたけれど
□「こんにちは赤ちゃん」の幸福感
□いずみたくとの出会い
いずみたく 1930.1.20東京生
ミュージカルが最高「見上げてごらん夜の星を」
□作詞をやめた理由
2012.2「プレミアムツインベストにほんのうた」
デューク・エイセス「ふるさとを歌う」
□歌って演じて武道館 1974
中年御三家
◇わらいのめす反戦じいさん
□三波春夫の戦場体験に学ぶ
歌う学者
原点としての戦争体験
仲間たちと共に
□「弱者の応援団長」として
秋山ちえ子 - 反戦ばあさん
沖縄へのこだわり … 思いを受け継ぐ徹子さん
◇世間師としてのジャーナリズム
□「りんごラジオ」のスタジオで
現代の世間師として
「大往生」は知恵の本
□「話の特集」の仲間たち
総ジャーナリスト時代に
死に方で生き方を示す 病気との付き合い方
□死んで伝えるメッセージ