「これで日本の教育は救われる」渡部昇一 海竜社 2000年 ① / 『あの人に会いたい』「NHKあの人に会いたい」刊行委員会 新潮文庫 2008年 ③【再掲載 2017.8】 [読書記録 教育]
今回は、わたしの教育ノートから、渡部昇一さんの
「これで日本の教育は救われる」1回目の紹介です。
出版社の案内には、
「現代の教育制度はあたかも恐竜のごとく巨大である。恐竜をさらに進化させ、巨大化し
ても生き残りには連ならない。義務教育の問題点を指摘し、教育を復活させるための方
向を示す。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「明治以来日本を近代国家として急に勃興させるもとになった諸制度が、今では日本の
マイナスに働きだしたのではないか」
・「人たるものは学ばずんばあらずべからず」
・「教育を利権にしてはいけない 教育関係者は殆どすべて利権」
・「文部省の設置基準がないことを楯にとって私立の小中学校を作らせないやり方」
もう一つ、再掲載となりますが、NHKのテレビ番組を本にした、
「あの人に会いたい」③を載せます。
わたしには、知らないうちに始まっているように感じる番組ですが、
心に刺さる言葉を学ぶ番組です。
今日は、年に一度の健診日。
午後からの健診は初めてです。
自分は食べない給食指導、落ち着かないことでしょう。
☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「これで日本の教育は救われる」渡部昇一 海竜社 2000年 ①
◇戦後教育はいかに進化したか
□戦後日本人は「歴史」と「誇り」を失った
□一定の度を超す進化は自らを滅ぼす
丘浅次郎博士の生物学
□「恐竜のパラダイム」と教育進化論
明治以来日本を近代国家として急に勃興させるもとになった諸制度が、今では日本のマ
イナスに働きだしたのではないか
「パラダイムの変化」から生じた牙
① 耐用年数を終えた公教育
② 過度の平等主義が生じた軋み
山本七平
「正直者がバカを見ない社会ができたら大変だ」
③ 日本人を挫折させた単線平等主義教育
過度の集中
- ごく少数のエリートコースを作ることが国民の大部分を挫折させる
◇義務教育という名の飼育教育
□なぜ学校が塾に負けたのか
学制頒布(明治5年8月3日)
「人たるものは学ばずんばあらずべからず」
↓
学校に捧げた父兄と教師の情熱
□道徳教育 VS 日教組
□教育改革の義務教育をやめることから始まる
田中角栄
教員人材確保法
~ それをよくするための手を打てば悪化が早くなる(逆接)
↓
義務教育がなくてもいいのではないか
□文部省でなくても教育はできる
□教育を利権にしてはいけない
教育関係者は殆どすべて利権
学校給食 - 文部官僚の天下り先
□「塾」による新パラダイムの形成
□自由な教育は塾にしかできない
□小林宗作とトモエ学園
国民学校(昭和16年)以前は自由な状態
→ 義務教育化
□だれが教育から自由を奪ったか
文部省の設置基準がないことを楯にとって私立の小中学校を作らせないやり方
☆『あの人に会いたい』「NHKあの人に会いたい」刊行委員会 新潮文庫 2008年 ③【再掲載 2017.8】
◇升田幸三 1918-1991
一生創作ですから
将棋は人生だ
与えられないで自分で取る
二つの執念
大阪は東京の棋士の給料の七分の一
釈迦とかソクラテスとかキリストとか
◇今西錦司 1902-1992
パイオニア・ワーク
未知の領域に分け入る
カゲロウの下心
「棲み分け理論」
地図を作りながら樺太を歩く
初めて分け入る道の薫り
◇井伏鱒二 1898-1993
書けばいいんだ
悟りの気持ちにならなければ書けない
「君の顔は歳をとるとおばあさんになるなあ」
書いていて胸がゴットンゴットンと言うような瞬間があればいいが
「黒い雨」の取材
◇西岡常一 1908-1995
土こそ「いのち」の親や
「農学校やないといかん」
自然の「いのち」を殺さず人間の知恵で組み上げる
神仏に仕える宮大工は千年先を見据えなければならない
堂塔を造るには木を買わずに山を買え
自然の「いのち」をいかに長く持たすか
自然に育ったままの方位に使える
千年の木は千年お堂としてもたせる
器量なき者は棟梁の座を去れ
職人を決して叱らない
◇宇野千代 1897-1996
「わたしあなたが好きです」と言うの
やめるのが恋愛の武士道
◇武満徹 1930-1996
作曲家はまずいちばん最初の聴衆じゃなくちゃいけない
田んぼの中を渡る風のように
自然の音はお互いを損なわない
「これで日本の教育は救われる」1回目の紹介です。
出版社の案内には、
「現代の教育制度はあたかも恐竜のごとく巨大である。恐竜をさらに進化させ、巨大化し
ても生き残りには連ならない。義務教育の問題点を指摘し、教育を復活させるための方
向を示す。」
とあります。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「明治以来日本を近代国家として急に勃興させるもとになった諸制度が、今では日本の
マイナスに働きだしたのではないか」
・「人たるものは学ばずんばあらずべからず」
・「教育を利権にしてはいけない 教育関係者は殆どすべて利権」
・「文部省の設置基準がないことを楯にとって私立の小中学校を作らせないやり方」
もう一つ、再掲載となりますが、NHKのテレビ番組を本にした、
「あの人に会いたい」③を載せます。
わたしには、知らないうちに始まっているように感じる番組ですが、
心に刺さる言葉を学ぶ番組です。
今日は、年に一度の健診日。
午後からの健診は初めてです。
自分は食べない給食指導、落ち着かないことでしょう。
☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆「これで日本の教育は救われる」渡部昇一 海竜社 2000年 ①
◇戦後教育はいかに進化したか
□戦後日本人は「歴史」と「誇り」を失った
□一定の度を超す進化は自らを滅ぼす
丘浅次郎博士の生物学
□「恐竜のパラダイム」と教育進化論
明治以来日本を近代国家として急に勃興させるもとになった諸制度が、今では日本のマ
イナスに働きだしたのではないか
「パラダイムの変化」から生じた牙
① 耐用年数を終えた公教育
② 過度の平等主義が生じた軋み
山本七平
「正直者がバカを見ない社会ができたら大変だ」
③ 日本人を挫折させた単線平等主義教育
過度の集中
- ごく少数のエリートコースを作ることが国民の大部分を挫折させる
◇義務教育という名の飼育教育
□なぜ学校が塾に負けたのか
学制頒布(明治5年8月3日)
「人たるものは学ばずんばあらずべからず」
↓
学校に捧げた父兄と教師の情熱
□道徳教育 VS 日教組
□教育改革の義務教育をやめることから始まる
田中角栄
教員人材確保法
~ それをよくするための手を打てば悪化が早くなる(逆接)
↓
義務教育がなくてもいいのではないか
□文部省でなくても教育はできる
□教育を利権にしてはいけない
教育関係者は殆どすべて利権
学校給食 - 文部官僚の天下り先
□「塾」による新パラダイムの形成
□自由な教育は塾にしかできない
□小林宗作とトモエ学園
国民学校(昭和16年)以前は自由な状態
→ 義務教育化
□だれが教育から自由を奪ったか
文部省の設置基準がないことを楯にとって私立の小中学校を作らせないやり方
☆『あの人に会いたい』「NHKあの人に会いたい」刊行委員会 新潮文庫 2008年 ③【再掲載 2017.8】
◇升田幸三 1918-1991
一生創作ですから
将棋は人生だ
与えられないで自分で取る
二つの執念
大阪は東京の棋士の給料の七分の一
釈迦とかソクラテスとかキリストとか
◇今西錦司 1902-1992
パイオニア・ワーク
未知の領域に分け入る
カゲロウの下心
「棲み分け理論」
地図を作りながら樺太を歩く
初めて分け入る道の薫り
◇井伏鱒二 1898-1993
書けばいいんだ
悟りの気持ちにならなければ書けない
「君の顔は歳をとるとおばあさんになるなあ」
書いていて胸がゴットンゴットンと言うような瞬間があればいいが
「黒い雨」の取材
◇西岡常一 1908-1995
土こそ「いのち」の親や
「農学校やないといかん」
自然の「いのち」を殺さず人間の知恵で組み上げる
神仏に仕える宮大工は千年先を見据えなければならない
堂塔を造るには木を買わずに山を買え
自然の「いのち」をいかに長く持たすか
自然に育ったままの方位に使える
千年の木は千年お堂としてもたせる
器量なき者は棟梁の座を去れ
職人を決して叱らない
◇宇野千代 1897-1996
「わたしあなたが好きです」と言うの
やめるのが恋愛の武士道
◇武満徹 1930-1996
作曲家はまずいちばん最初の聴衆じゃなくちゃいけない
田んぼの中を渡る風のように
自然の音はお互いを損なわない
キーワード「新津」①-新津の地名 角川・静岡県の地名辞典(1) / 「子どもの民俗学」大藤ゆき 草戸文化 1982年 ④【再掲載 2012.8】 [読書記録 郷土]
今回は、わたしの教育ノートから、
キーワード「新津」1回目の紹介です。
浜松市、新津地区。
かつては、浜名郡新津村。浜松市南部海岸沿いの地区です。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「新津村 - 第2次大戦頃までは農業地域で,砂地を利用しサツマイモ・スイカ・蔬
菜を栽培した。遠州灘沿岸では引網・かうたせ網によるアジ・カツオ・サバ・イワシ
漁が盛んであった」
・「こざわたり 小沢渡<浜松市>
佐鳴湖の南、遠州灘に面して位置する。地名の由来は当地北部に池・沼などの小沢が
多く,それらを渡って往来したことにあると伝える。」
- なかなか読めません。「おざわわたり」と読む人が多いようです。
「子どもの民俗学」④を載せます。
田舎に育ったわたしには、この本を読むと、懐かしさに浸ることがせできます。
☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆キーワード「新津」①-新津の地名 角川・静岡県の地名辞典(1)
◇しんづむら 新津村く浜松市>
〔近代〕
明治22年~昭和26年の自治体名。はじめ敷知郡,明治29年からは浜名郡に所属。
遠州灘に面した馬込川河口右岸に位置する。
小沢渡・新橋・倉松・堤・米津・田尻・法枝の7か村が合併して成立。大字は旧村名を
継承。役場を大字新橋に設置。
第2次大戦頃までは農業地域で,砂地を利用しサツマイモ・スイカ・蔬菜を栽培した。
明治24年の戸数591・人口3287,厩86,船110。
遠州灘沿岸では引網・かうたせ網によるアジ・カツオ・サバ・イワシ漁が盛んであった
(浜松市史3)。
世帯・人口は大正9年689・4496、昭和25年927・5733。
昭和26年浜松市に合併。各大字は同市の大字として存続。
◇こざわたり 小沢渡<浜松市>
佐鳴湖の南、遠州灘に面して位置する。
地名の由来は当地北部に池・沼などの小沢が 多く,それらを渡って往来したことにあ
ると伝える。
〔中世〕小沢渡郷
戦国期に見える郷名。
遠江国敷智郡のうち。永禄10年8月5日の今川氏真判物写によれば、氏真から鈴木重
時・近藤康用らに三河の吉河の替地として充行われた村の1つである。
翌年暮れ氏真は武田信玄によって駿府に追われ、掛川城に入るが,徳川家康はこの機に
乗じて遠江に進攻し,当地は家康の支配に入る。
同年のものと推定される12 月12日付徳川家康判物では鈴木重時・近藤康用・菅沼忠久の3人に同じく安堵されている(鈴木氏旧蔵文書/茨城県史史料中世1)。
〔近世〕小沢渡村
江戸期~明治22年の村名。
敷知都のうち。慶長6年からは浜松藩領。村高は,「元禄高帳」154石余,「天保郷帳」302石余、「旧高旧領」304石余。
慶長年間の「浜松藩郷村帳」では小佐渡村と見え村高152石余、うち舟役1隻分5石
余・野銭1石6斗,反別は田方8町余・畑方13町余。
慶長15年「浜松領御知行割」では高152石余(浜松市史史料編4〕。
延宝5年「浜松町村帳」では高154石余,家数65(う ち役家54)。
東海道舞坂宿の定助郷を勤める(浜松市史2)。
元禄4年高塚川の漁業をめぐって高塚村と当村ほか3か村が川論を展開したが,裁許で
は,高塚村の漁権が保護されたのに対してほか3か村は藻草の入会採取権を得たにすぎな
かった。
しかし,正徳2年当村は小網役を勤め、遠州灘沿岸では地引網や鰯の漁労も行われた(浜
松市史2)。
天保15年の漁船は4艘(東京都立大学所蔵水野家文書/浜松市史2)。
文化6年紀伊国海士郡大河浦の孫左衛門の船(650石積)が清水湊から帰航する際に
当村海岸の浅瀬に乗り上げ民の救援を得て出帆した(渥美家文書/浜松市史2)
江戸後期には遠州灘沿岸に小沢渡新田が開発された(浜松市史2)。
寺社には臨済宗富春院・六所神社がある。
また松の名木音羽松(小沢松・浜松の松)は八幡村にある八幡宮の神輿の御旅所であるという(旅篭町平右衛門記録/浜松市史史料編1・風土記伝)。
この松は幕末の画家で渡辺華山にも師事した福田半香によって描かれたりしたが(浜松市史2),明治10年頃には枯死した(浜名郡誌)。
明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称)同4年静岡県,浜松県を経て同9年再び静岡
県に所属。明治22年新津村の大字になる。
〔近代〕小沢渡
明治22~昭和26年の大字名。はじめ,新津村,昭和26年からは浜松市の大字。明
治24年の戸数112・人口622,厩18,船11。昭和26年小沢渡町となる。
〔近代〕小沢渡町
昭和26年~現在の浜松市の町名。もとは大字小沢渡。
☆「子どもの民俗学」大藤ゆき 草戸文化 1982年 ④【再掲載 2012.8】
◇幼年期としつけ(2)
□手代わり
祖父母
□祖父母と孫
「年寄りっ子(ばばっこ)は三文安い」
「じいさま育ちは人間があまい」
幼児期-祖父母,少年期-父母
□父と子
親の働く姿をまねて見習う
思春期の頃から父親の役割
□手伝い
手伝いは、人がみんなと一緒に生きていくための基本的な生活習慣を身に付けさせてい
くことが必要
□ことわざとしつけ
ことわざ = 耳で聞いてもすっと心に入ってくる耳の文芸
|
分かりやすい短い言葉の中に的確で痛切な意味を含め,しかもユーモアというかおかし
さ,笑いが含まれている
= 笑いの教育
※ 耳言葉 - ことわざには善悪二面性
※ 人生は一方的に決めつけられない
□おんぶとだっこ
負い紐・ネンネコ おんぶ
鎌倉室町時代 → 江戸中期以後一般化
子守 = 一年契約の年季奉公
モリと赤ん坊はその後親子のつきあい
モリとモリッコ 子どもを背負う
※ イヅミ・ユリカゴ
※ ダッコ
◇言葉と遊び
□耳言葉
耳言葉とは?
メンコメンコ,オカタラマンチン,ウメ,テモチ,スカンスカン
おさな言葉
アンマ,ポンポン,タンタン
※ことばとこころ ~ 言葉をかけることの大切さ
赤ちゃんの不安 - 一人で放っておかれること
□遊ばせ歌
イナイイナイバー, ニンギニンギバー, チョキチョクアババ
□遊び,手遊び
□遊び方
一人遊び, 軒遊び, 外遊び, 辻遊び
◇少年期から成人へ
□群れのしつけと自治
子ども組 = 地域の年齢集団 正月道祖神祀り,二月初午,三月五月節句
七夕,盆釜,十五夜,亥の子,村祭り
∥
自治的行動
※ 子ども自身に任せるコツ
地の人
※三九郎仲間
信州ー道祖神信仰
三九郎仲間 7~15歳男子 14歳で親方・親玉・大将として行事主宰
□年中行事と子ども
年中行事と農事暦
成木責め = 正月果物のなる木に談判して豊熟を誓わせる古風な呪法
嫁祝い
「嫁の尻叩き」
正月の訪問者
公認されたいたずら
十五夜
だんごつき
ハレの日のあいさつ イキミタマ
□性教育 - オバクレフンドシ 女の祝い(初潮)
□成年式
一人前
現代の成人式 - 児やらい
キーワード「新津」1回目の紹介です。
浜松市、新津地区。
かつては、浜名郡新津村。浜松市南部海岸沿いの地区です。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「新津村 - 第2次大戦頃までは農業地域で,砂地を利用しサツマイモ・スイカ・蔬
菜を栽培した。遠州灘沿岸では引網・かうたせ網によるアジ・カツオ・サバ・イワシ
漁が盛んであった」
・「こざわたり 小沢渡<浜松市>
佐鳴湖の南、遠州灘に面して位置する。地名の由来は当地北部に池・沼などの小沢が
多く,それらを渡って往来したことにあると伝える。」
- なかなか読めません。「おざわわたり」と読む人が多いようです。
「子どもの民俗学」④を載せます。
田舎に育ったわたしには、この本を読むと、懐かしさに浸ることがせできます。
☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆キーワード「新津」①-新津の地名 角川・静岡県の地名辞典(1)
◇しんづむら 新津村く浜松市>
〔近代〕
明治22年~昭和26年の自治体名。はじめ敷知郡,明治29年からは浜名郡に所属。
遠州灘に面した馬込川河口右岸に位置する。
小沢渡・新橋・倉松・堤・米津・田尻・法枝の7か村が合併して成立。大字は旧村名を
継承。役場を大字新橋に設置。
第2次大戦頃までは農業地域で,砂地を利用しサツマイモ・スイカ・蔬菜を栽培した。
明治24年の戸数591・人口3287,厩86,船110。
遠州灘沿岸では引網・かうたせ網によるアジ・カツオ・サバ・イワシ漁が盛んであった
(浜松市史3)。
世帯・人口は大正9年689・4496、昭和25年927・5733。
昭和26年浜松市に合併。各大字は同市の大字として存続。
◇こざわたり 小沢渡<浜松市>
佐鳴湖の南、遠州灘に面して位置する。
地名の由来は当地北部に池・沼などの小沢が 多く,それらを渡って往来したことにあ
ると伝える。
〔中世〕小沢渡郷
戦国期に見える郷名。
遠江国敷智郡のうち。永禄10年8月5日の今川氏真判物写によれば、氏真から鈴木重
時・近藤康用らに三河の吉河の替地として充行われた村の1つである。
翌年暮れ氏真は武田信玄によって駿府に追われ、掛川城に入るが,徳川家康はこの機に
乗じて遠江に進攻し,当地は家康の支配に入る。
同年のものと推定される12 月12日付徳川家康判物では鈴木重時・近藤康用・菅沼忠久の3人に同じく安堵されている(鈴木氏旧蔵文書/茨城県史史料中世1)。
〔近世〕小沢渡村
江戸期~明治22年の村名。
敷知都のうち。慶長6年からは浜松藩領。村高は,「元禄高帳」154石余,「天保郷帳」302石余、「旧高旧領」304石余。
慶長年間の「浜松藩郷村帳」では小佐渡村と見え村高152石余、うち舟役1隻分5石
余・野銭1石6斗,反別は田方8町余・畑方13町余。
慶長15年「浜松領御知行割」では高152石余(浜松市史史料編4〕。
延宝5年「浜松町村帳」では高154石余,家数65(う ち役家54)。
東海道舞坂宿の定助郷を勤める(浜松市史2)。
元禄4年高塚川の漁業をめぐって高塚村と当村ほか3か村が川論を展開したが,裁許で
は,高塚村の漁権が保護されたのに対してほか3か村は藻草の入会採取権を得たにすぎな
かった。
しかし,正徳2年当村は小網役を勤め、遠州灘沿岸では地引網や鰯の漁労も行われた(浜
松市史2)。
天保15年の漁船は4艘(東京都立大学所蔵水野家文書/浜松市史2)。
文化6年紀伊国海士郡大河浦の孫左衛門の船(650石積)が清水湊から帰航する際に
当村海岸の浅瀬に乗り上げ民の救援を得て出帆した(渥美家文書/浜松市史2)
江戸後期には遠州灘沿岸に小沢渡新田が開発された(浜松市史2)。
寺社には臨済宗富春院・六所神社がある。
また松の名木音羽松(小沢松・浜松の松)は八幡村にある八幡宮の神輿の御旅所であるという(旅篭町平右衛門記録/浜松市史史料編1・風土記伝)。
この松は幕末の画家で渡辺華山にも師事した福田半香によって描かれたりしたが(浜松市史2),明治10年頃には枯死した(浜名郡誌)。
明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称)同4年静岡県,浜松県を経て同9年再び静岡
県に所属。明治22年新津村の大字になる。
〔近代〕小沢渡
明治22~昭和26年の大字名。はじめ,新津村,昭和26年からは浜松市の大字。明
治24年の戸数112・人口622,厩18,船11。昭和26年小沢渡町となる。
〔近代〕小沢渡町
昭和26年~現在の浜松市の町名。もとは大字小沢渡。
☆「子どもの民俗学」大藤ゆき 草戸文化 1982年 ④【再掲載 2012.8】
◇幼年期としつけ(2)
□手代わり
祖父母
□祖父母と孫
「年寄りっ子(ばばっこ)は三文安い」
「じいさま育ちは人間があまい」
幼児期-祖父母,少年期-父母
□父と子
親の働く姿をまねて見習う
思春期の頃から父親の役割
□手伝い
手伝いは、人がみんなと一緒に生きていくための基本的な生活習慣を身に付けさせてい
くことが必要
□ことわざとしつけ
ことわざ = 耳で聞いてもすっと心に入ってくる耳の文芸
|
分かりやすい短い言葉の中に的確で痛切な意味を含め,しかもユーモアというかおかし
さ,笑いが含まれている
= 笑いの教育
※ 耳言葉 - ことわざには善悪二面性
※ 人生は一方的に決めつけられない
□おんぶとだっこ
負い紐・ネンネコ おんぶ
鎌倉室町時代 → 江戸中期以後一般化
子守 = 一年契約の年季奉公
モリと赤ん坊はその後親子のつきあい
モリとモリッコ 子どもを背負う
※ イヅミ・ユリカゴ
※ ダッコ
◇言葉と遊び
□耳言葉
耳言葉とは?
メンコメンコ,オカタラマンチン,ウメ,テモチ,スカンスカン
おさな言葉
アンマ,ポンポン,タンタン
※ことばとこころ ~ 言葉をかけることの大切さ
赤ちゃんの不安 - 一人で放っておかれること
□遊ばせ歌
イナイイナイバー, ニンギニンギバー, チョキチョクアババ
□遊び,手遊び
□遊び方
一人遊び, 軒遊び, 外遊び, 辻遊び
◇少年期から成人へ
□群れのしつけと自治
子ども組 = 地域の年齢集団 正月道祖神祀り,二月初午,三月五月節句
七夕,盆釜,十五夜,亥の子,村祭り
∥
自治的行動
※ 子ども自身に任せるコツ
地の人
※三九郎仲間
信州ー道祖神信仰
三九郎仲間 7~15歳男子 14歳で親方・親玉・大将として行事主宰
□年中行事と子ども
年中行事と農事暦
成木責め = 正月果物のなる木に談判して豊熟を誓わせる古風な呪法
嫁祝い
「嫁の尻叩き」
正月の訪問者
公認されたいたずら
十五夜
だんごつき
ハレの日のあいさつ イキミタマ
□性教育 - オバクレフンドシ 女の祝い(初潮)
□成年式
一人前
現代の成人式 - 児やらい