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谷昌恒さんはこんなことを⑬-「教育力の原点」谷昌恒 岩波書店 1996年(3) / チューインガム一つ 「灰谷健次郎 子どもに教わったこと」角川文庫 2002年より【再掲載 2011.5】 / 『ふふふ』 井上ひさし 講談社 2009年より【再掲載 2011.5】 [読書記録 教育]

「現代社会は非行文化と言える(ある社会学者がそう呼ぶ)。
時代の風潮そのものが限りなく非行に近い。
人権擁護の名のもとに一切が不問に付されている。」






今回は、9月12日に続いて、わたしの教育ノートから、
「谷昌恒さんはこんなことを」の紹介 13回目です。

「教育力の原点」3回目です。





出版社の案内には、


「家庭からも地域からもはじき出された少年たち相手の教護院・北海道家庭学校の三代目
 校長として四半世紀。『焼け石に水かもしれない。でもね,そこに火傷をしている子が
 いるなら,やっぱり水をかけてやらなくては…』『心の扉は内側からしかひらかれない』
 『人の痛みを知ろうよ…』温かいまなざしで少年たちと共に生きる日々を語る。」


とあります。



今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「渦から身を引き離して渦の中にいる自分自身を見るという客観視が大切である」


・「今の世の中の子供たちはもっと深いところで苦しんでいる、迷っている、病んでいる」


・「現代社会 = 非行文化(在る社会学者が呼ぶ)
時代の風潮そのものが限りなく非行に近い」


・「『みんなもやっているよ』は免れて恥なしということ。もってのほか」








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☆谷昌恒さんはこんなことを⑬-「教育力の原点」谷昌恒 岩波書店 1996年(3)

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<少年たちと共に>

◇自分を見る目

「竹の中の蛇」 
   竹筒の中に入れられると真っ直ぐになる。竹筒から取り出すと、また、ぐるぐると
  とぐろを巻いてしまう。



「渦から身を引き離して渦の中にいる自分自身を見るという客観視が大切である。自覚す
 ることが変わること。」





◇少年たちの悲しみ

「今の世の中の子供たちはもっと深いところで苦しんでいる、迷っている、病んでいる」

→ 万引き、性非行が当たり前のこととなった

   ∥

 ◎ 何を非行とするかが大きく変わってきた



※ 何らかの非行があったとしても、その理由で施設に送るということはいかがなものか。
 児童の人権は尊重されなければならない。そういう時勢になってきた。

  |

 ◎現代社会 = 非行文化(ある社会学者が呼ぶ)
時代の風潮そのものが限りなく非行に近い



  人権擁護の名の故に一切が不問に付されている


 ※入所者
  「みんなもやっているよ」



×免れて恥なし。もってのほか
















☆チューインガム一つ 「灰谷健次郎 子どもに教わったこと」角川文庫より【再掲載 2011.5】

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◇チューインガム一つ

         3年 女児

せんせい おこらんとって


せんせい おこらんとってね


わたし ものすごくわるいことした




わたし おみせやさんの


チューインガムとってん


一年生の子とふたりで


チューインガムとってしもてん


すぐ みつかってしもた


きっと かみさん(神様)が


おばさんにしらせたんや


わたし ものもいわれへん


からだが おもちゃみたいに


カタカタふるえるねん


わたしが一年生の子に


「とり」いうてん


一年生の子が


「あんたもとり」いうたけど


わたしはみつかったらいややから


いややいうた




一年生の子がとった


でも わたしがわるい


その子の百倍も千ばいもわるい


わるい


わるい


わるい


わたしがわるい


おかあちゃんに


みつからへんとおもったのに


やっぱり すぐ みつかった


あんなこわいおかあちゃんのかお


見たことない


あんなかなしそうなおかあちゃんのかお見たことない


しぬくらいたたかれて


「こんな子 うちの子とちがう 出ていき」


おかあちゃんはなきながら


そないいうねん





わたしひとりで出ていってん


いつでもいくこうえんにいったら


よその国へいったみたいな気がしたよ せんせい


どこかへ いってしまお とおもた


でも なんぼあるいても


どこへもいくとこあらへん


なんぼ かんがえても


あしばっかりふるえて


なんにも かんがえられへん


おそうに うちへかえって


さかなみたいにおかあちゃんにあやまってん


けどおかあちゃんは


わたしのかおを見て ないてばかりいる


わたしは どうして


あんなわるいことしてんやろ




もう二日もたっているのに


おかあちゃんは


まだ さみしそうにないている


せんせい どないしよう

(灰谷健次郎 「子どもに教わったこと」角川文庫 2002年より)









☆『ふふふ』 井上ひさし 講談社 2009年 より【再掲載 2011.5】

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◇万引き

 中学三年の春、転校先の岩手県一関市の書店で、わたしは生まれて初めて万引きという
ものをした。


 どうしてその小さな英和辞典を上着の下に隠してしまったのか、その理由はいまだによ
く分からない。


 英和辞典はすでに父譲りのいいものを持っていたし、毎日でも映画館に通えるぐらい小
遣いを貰っていたし、薬屋と文房具屋をやっていた母親が万引きに遭うたびに嘆くのを身
近に見ていたし、その寸前まで代金を払わずに本を持ち出すことなどは考えてもいなかっ
た。


 だが、気がつくと、もうわたしは定価500円の英和辞典をズボンと下着の間に挟んで
しまっていた。


 店番をしていたのは細縁眼鏡のおばあさんだったが、そのおばあさんを甘く見たのか、
万引きで余ったお金で大福餅でも食べょうと思ったのか、友だちに盗品をこっそり見せて
度胸のあるところを誇りたかったのか、古くさい辞書にあきて新しいものを使いたかった
のか、あるいはその全部だったのか、それもよく分からない。


 とにかくわたしは硬い辞典の冷たさを下着を通して感じながら震えて立っていた。


あのときの <世界から外れてしまったようなおそろしさ> を今も忘れることができな
い。



「坊やにお話がある」



 おばあさんがいつのまにかわたしの横にいた。


「ちょっと奥へおいで」


「あたしが警察へ連れて行こうか」


 入れ替わって店番に立ったおじさんが云うのを手を上げて止め、おばあさんはわたしを
裏庭の見える縁側の前へ押して行った。


「上着の下に隠したものをお出し」


 震えながら差し出すと、おばあさんはその英和辞典をしげしげと見てから、


「これを売ると100円のもうけ。坊やに持って行かれてしまうと、100円のもうけは
 もちろんフイになる上に、500円の損が出る。その500円を稼ぐには、これと同じ
 定価の本を5冊も売らなければならない。この計算が分かりますか」


 400円で仕入れて500円で売っている。簡単な計算だから、こわごわ頷くと、


「うちは6人家族だから、こういう本をひと月に100冊も200冊も売らなければなら
 ないの。でも、坊やのような人が月に30人もいてごらん。うちの6人は飢死にしなけ
 ればならなくなる。こんな本1冊ぐらいと軽い気持でやったのだろうけど、坊やのやっ
 たことは人殺しに近いんだよ」


 恐ろしくなって縮み上がっていると、おばあさんは庭の隅に積んであった薪の山を指し
て云った。


「あの薪を割ってお行き。そしたら勘弁して上げるから」


 ぶじに帰してもらえるのなら、どんなことでもするつもりでいたから、死に物狂いで薪
を割ったことは云うまでもない。



 薪割りがあらかた片付いたころ、おばあさんがおにぎりを2つ載せた皿を持って現われ
た。


「よく働いてくれたねえ。あとは息子がやるから、おにぎりを食べてお帰り」


 そして驚いたことに、お金を700円、わたしに差し出してこう云った。




「薪割りの手間賃は七百円。安いと思うなら、どこへでも行って聞いてみるといい。七百
 円が相場のはずだからね。七百円あれば、坊やが欲しがっていた英和辞典が買えるから
 持ってお行き。そのかわりこのお金から五百円、差っ引いておくよ」



 このときわたしは、200円の労賃と、英和辞典1冊と、欲しいものがあれば働けばい
い、働いても買えないものは欲しがらなければいい、という世間の知恵を手に入れた。


 まったく人生の師は至るところにいるものだ。


 もちろん、それ以来、万引きはしていない。また薪割りをするのはごめんだし、なによ
りも万引きが緩慢な殺人に等しいということが、おばあさんの説明で骨身に沁みたからで
ある。



 売り上げの2パーセント前後を万引きの引当金にあてるのが書店の常識といわれている
が、その万引きが年ごとにふえて、いまでは店によっては売り上げの10パーセント以上
にも及ぶという。


 単純に計算して、売り上げの20パーセントが店の利益であるから、店によっては利益
が半減してしまう。


 これでは書店の経営は立ち行かない。





 川崎の古書店で万引きした少年が、迎えに来た警察から逃げようとして踏切りに飛び込
み即死した事件で、この古書店に「人殺し」となじる電話が相次いだというが、そんなこ
とを云ってくる人たちは、万引きがじつは緩慢な殺人行為であることを知らないのだ。



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参観会・懇談会資料 27 / 「昭和名せりふ伝」 斎藤憐 小学館 ②昭和20年以降【再掲載 2011.9】 [読書記録 教育]

今回は、わたしの教育ノートから、9月10日に続いて、
キーワード「参観会・懇談会資料」27回目、
教育界ではよく知られている教育実践者お二人(故人)の紹介です。

八ツ塚実さんの実践、言葉は心にしみます。

坂東義教さんの語り口の面白さを思い出します。



今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「人間として恥ずかしくないか!」


・「留意点 ①その場限り ②一言でおしまいにする ③二度と蒸し返さない」


・「家庭は生活の場であり愛情の場である。本当の人間教育は受験勉強やってる学校に任
 せておかれない。」

- 道徳が学校の場だけで?と言う疑問が常に頭の片隅にあります。


・「折り目を付けるのが教育」


・「鬼みたいな親は死ね」
「愛は心から受けること。子供が話しかけてきたときにちゃんと聞いてやる」





もう一つ、再掲載となりますが、齋藤憐さんの、
「昭和名せりふ伝」②を載せます。
知っている言葉もあれば、知らない言葉もありますが、流れがわかります。




昨日は、朝方は曇っていましたが、8時30分頃から雨が降りました。
雨が降り始めた頃、町の畑灌用水周辺の草刈りが始まりました。
刈り払い機を使って30人ぐらいで。
大勢でやると早いですね。40分くらいで、一応の終了となりました。
せっかくの4連休、県外には出られませんが、妻と遠州の森町に出かけました。
訪ねたところを載せます。
蓮花寺.JPG
古刹蓮花寺。
歴史民俗資料館.JPG
蓮花寺の隣にある森町立歴史民俗資料館。建物は明治時代の郡役所です。
稲葉館長から1時間近く丁寧な説明を受けることができ、感謝しております。

遺物 栗の木.JPG遺跡 穴遺構.JPG
クリの根株とドングリの貯蔵穴(縄文時代 坂田北遺跡)
天宮神社.JPG
一宮の小国神社と並ぶ、天宮(あめのみや)神社。
大洞院.JPG大洞院 石松 (2).JPG
森の石松の墓のある大洞院。

「遠州の小京都」(志賀重昂)とも呼ばれる森町。
大変充実した時間を過ごすことができました。








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☆参観会・懇談会資料 27 



◇八ツ塚実

□人間として恥ずかしくないか!
   
 ◎こんな一言を!
 ・そういうものの言い方は失礼だよ

・そこで頭を下げるんだよ

・相手の目を見て話なさい

・良く聞きなさい

・少々図に乗っているようだね

・ここは笑う場面じゃない



 ◎留意点
   ① その場限り

   ② 一言でおしまいにする

   ③ 二度と蒸し返さない








◇坂東義教

※ 教育の源は真の愛

□ 家庭は生活の場であり愛情の場である。本当の人間教育は受験勉強やってる学校に任
 せておかれない。 

 - 愛情だけは押しボタンできない




□育の字と羊の肉と

 教育 エデュケーション = 能力を引き出してやる


 「育」上の部分は子が逆さになっている=どんな子供でもと言う意味

どんな子供にも一番いい食べ物は羊の肉



 ◎ 愛は一番いい食べ物を子供に食べさせてやること

教育の育の字は最高の食べ物を子供に食べさせるという親の愛情


 「教」愛情のムチの方 ちゃんとした折り目を付けるしつけ



折り目を付けるのが教育




□番長は手を上げる先生の目に涙を見た

 躾 ~ 道理
     人の道で仕付ければよい「折り目の仕付け方」


 森田宗一 - 非行少年の研究、判事 著書非行少年の作文




□鬼みたいな親は死ね

 バーランド・ラッセル  
    愛情の裏付けのない統制、躾は子供を傷つけるだけ


 素手でウンチに触れる先生
   ~ いい先生だなって感じちゃう


「愛情 + 躾」

 愛 - 心から受ける → 子供が話しかけてきたときにちゃんと聞いてやる

    「知るは愛なり」「士は己を知る人のために死す」




□キリスト先生はひたすらに耳を傾けた

 キリストの先生(北海道)非行少年も言うことを聞く  真の愛情






















☆「昭和名せりふ伝」 斎藤憐 小学館 ②昭和20年以降【再掲載 2011.9】

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◇昭和25年「オオ・ミステイク」-アプレと悪夢-

□アプレの犯罪 

 昭和24年11月 「光クラブ事件」   山崎晃嗣  27歳

 昭和25年 7月 「金閣寺放火事件」  林承賢  21歳

 昭和25年 9月 「日本ギャング事件」 山際啓之19歳 

 昭和23年    笠置シズ子「東京ヴギウギ」


◎ 犯罪者バッシングと都合のいい部分だけを繋いだ偉人伝はファシズムの両輪である

   |

 彼等が犯罪を起こしたのは僕たちの日本が若い者たちに救いのない収容所と見えたから




□食料と共産主義

 昭和21年5月1日 11年ぶりのメーデー

  5月19日 食糧メーデー


 プラカード
 「国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食っているぞ ナンジ人民飢えて死ね 
  ギョメイギョジ」




 ◎ 食糧不足が共産党の躍進につながると考えた







◇昭和26年「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」-マッカーサーと12歳-

□昭和26(1951)年4月16日マッカーサー解任

 名せりふ
「アイ・シャル・リターン」

「メルボルンから東京までは長い道のりだった」

「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」




□マッカーサーの関心

 1948年の共和党・大統領候補に選ばれ大統領選挙に勝つこと

→ そのために 民政での有能さを示したかった

民主主義推進イメージ

◎しかし、「よい占領」の結果、日本人は戦争に負けるとどうなるかを知る機会がなくなった




□朝鮮戦争

 6月22日 ワシントンからの指令を無視 = マッカーサーの独走

 12月1日 中国攻撃を巡りワシントン大統領とのたたかい

→ 1951.7.8 日本政府に「7万5千人の警察予備隊」書簡

三白景気(セメント、硫安、紙・パルプの白物)

 1951年4月11日 トルーマン大統領によるマッカーサー解任



冷戦


 1950.7.10 ガリオア計画 4年間に109万人の留学生

 1952年~ フルブライト計画

◎「日本がもっと早い時期に対米敗戦を受け入れていれば20年8月のソ連軍の朝鮮半島
  進出はなく、朝鮮が南北に分断されることもなかった。また、もっと遅れていたなら、
  日本も朝鮮のように分断されたはず。」







◇昭和31年「もはや戦後ではない」-湘南と水俣の海-

□公害の始まり

昭和31年「もはや戦後ではない」(経済白書)

工業生産 = 自然から製品とヘドロを生み出す破壊



◎ 「世界の工場」に住んでいた日本人は産業廃棄物の中に住んでいた




□原子力の未来  反対は非国民




□地球号の住民 「公害輸出」

日本人は昭和30年代からの高度経済成長がもたらす実権のモルモット


「沈黙の春」1962

  → 30年掛かって関心(タイムラグ)


◎「都市部の杉は自動車の排気ガスや工場の煤煙によって瀕死の状態になっている。絶滅
  の危機に陥った杉たちは必死になって子孫を残そうと通常より多量の花粉を作ってば
  らまく。」


  =  星新一の『おーい でてこーい』







◇昭和35年「声なき声」-樺美智子とララ物資-

□樺美智子 

 1960(昭和35)年6月15日

新聞各社、歴史書はなぜ歴史をねじ曲げるのか

安保闘争が広範な大衆を動員した




□幸運な岸信介 

 共産党は敵前逃亡




□屈辱の味わい 

 日本共産党 - モスクワの方針に振り回される

 「アイク訪日中止」

 小林トミ「声なき声」代表






◇昭和47年「恥ずかしながら」-しらけ世代の単独犯-

□横井庄一 

 昭和47(1972)年2月2日 28年ぶりに

「恥ずかしい」 = 天皇にご奉公できなかったから




□ベトナム戦争と聖戦

 奥崎謙三 昭和44年1月「ヤマザキ天皇を撃て」




□追い詰められた者たちの犯罪

 金嬉老、永山則夫、富村順一




□横井氏  

「耐乏生活評論家」に転身




□ブラジル勝ち組

「天皇が生きていらっしゃる限り日本は戦争に負けたのではない」







◇昭和50年「やむを得ないこと」-海洋博とウルトラマン-

□1975(昭和50)年1月 モロタイ島 

 元陸軍一等兵 中村輝夫 → 台湾に帰る




□海洋博 

 演出はウルトラマンライター・金城哲夫

 1969年メインライター金城が沖縄に帰った

 ※ ウルトラマン = 米軍  で  科学特捜隊 = 自衛隊




□外務省密約事件 

 西山太吉 元毎日新聞記者




□二人の帰還兵

 陸軍中野学校二俣分校出身 小野田寛郎元少尉

 小野田寛郎 ルバング島の住民130人を殺害していた



鈴木紀夫 = 自衛隊の秘密隊員?


 小野田寛郎
  「天皇は自ら戦争責任を取るべきだった」

→ 周囲がやむを得ずブラジルへ

 ※ 中村輝夫 - 小野田との差




□国境のない海 

 海民独自のアニミズム







◇昭和54年「ジャパンアズナンバー1」-ユートピアの悪夢-

□大国の都合

「自由の国」アメリカと「正義の国」ソ連の非難する、「ならず者国家」は次々とかわる




□難民の世紀

中国残留孤児
「どれだけたくさんの貧しい中国農民が難民となった日本人の子供を引き取ったのか。あ
 の里親たちは日本に国と農地を奪われた人々だったことを日本人は忘れているのではな
 いか」







◇昭和62年「バブルの中の懲りない面々」-バッシングと魂の貧困-

□地上げ




□政府がやった全国的ネズミ講がバブル

「銀行の尻を叩いた大蔵省と土地が担保ならいくらでも貸した銀行」




□ODAの難

① 貧しい人々の生活は変わらない

② ODAは物を売ることが目的であり、人材を育てることに時間は使わない


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