SSブログ

「ノンフィクションは死なない」佐野眞一 イースト新書 2014年 ①(前半) /『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻) 静岡県女子師範学校郷土研究会編 1994年 ⑧【再掲載 2018.2】 [読書記録 一般]

今回は、佐野眞一さんの
「ノンフィクションは死なない」1回目(前半)の紹介です。


わたしは佐野眞一さんのノンフィクション作品のファンです。
孫正義さんについての作品『あんぽん』を読み、
取材に応じた孫さんの懐の広さに感動しました。 

10年前の橋下徹さんとのトラブル以後、執筆を続けられるか心配でした。
「改革」を声高に訴える場面をよく見るようになりましたが、
何でもかんでもよいというわけではないと思います。
「改革に伴い、大事なものが捨て去られてしまうことを心配する」ことが
佐野さんの立ち位置だったと感じています。



出版社の案内には、

「『週刊朝日』問題、盗用問題、そしてノンフィクションと出版業界の危機…
ジャーナリズム界の『巨人』が沈黙を破る!
2012年10月19日、『週刊朝日』の連載が初回で打ち切りという異常な事態
となった。絶大なる人気を誇り、権勢を振るっていた大阪市長・橋下徹の
人物像を通して、当時の未曽有の政治的停滞状況と、言論の置かれた危機
的状況を伝えたいという思いからスタートした連載だったが、その裏側で
は何が起こっていたのか。また、なぜ同じタイミングで当時の東京都知事
猪瀬直樹は、『盗用問題』を暴露したのか。このジャーナリズムの現状に
どう立ち向かうべきか。渦中のノンフィクション作家が重い口を開き、す
べての疑問に答える。」

とあります。






今回紹介分より強く印象に残った言葉は‥

・「『番屋会』
  猪瀬直樹 高野孟 美里泰伸 吉岡忍 足立倫行 山根一眞 花田紀」


・「美談ばかりがノンフィクションではない」


・「小粒化するベストセラー 『本屋大賞』『雑誌大賞』は広告代理店が主導」




もう一つ、再掲載となりますが、静岡県女子師範学校郷土会編による
『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)⑧を載せます。
師範学校の学生さんが県内各地の伝説や昔話を採集したものですが、
このような話を語ってくれる人は随分少なくなっています。
それだけに、この本を著してくれたことに感謝します。


今日は夏休み最後の日。
年休をとり、人間ドックに行きます。
この日しか取れなかったからですが、落ち着きません。



<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
2.jpg





<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。





☆「ノンフィクションは死なない」佐野眞一 イースト新書 2014年 ①(前半)

1.jpg

◇番屋会
 
「番屋会」
  猪瀬直樹 高野孟 美里泰伸 吉岡忍 足立倫行 山根一眞 花田紀凱

◎『週刊文春』企業もの連載
→『カリスマ』
→『買春ツアーの構造』 『性の王国』
『セプテンバーセックス』
 

 名ノンフィクション作家本田靖春との出会い
本田靖春 
     1971年38歳で読売新聞社退社
『不当逮捕』1983 『誘拐』1977


 「私ノンフィクション」と言う名のたすき
本田 自分のことを織り交ぜながらの作品

『遠い山びこ』1992


 「カリスマ」デイエー中内功との因縁
松下との激しい攻防
 

 『旅する巨人』1996


『あんぽん』2012


『化城の人池田大作と創価学会の80年』


朝倉喬司とのルポ修業
朝倉喬司『犯罪風土記』



◇ノンフィクションの危機

「絵になる人物」のいない時代


「大文字」と「小文字」のノンフィクション


東日本大震災に見る  
   フリー VS 組織ジャーナリズム


 阪神淡路大震災の取材で得たもの
自転車で神戸入り
   AM神戸スタッフの働き
◎ 美談ばかりがノンフィクションではない


 日本人だからこそ語れる9.11


『東電OL事件』が残したもの


「引き」の強さの秘訣


『あんぽん』
    孫正義 - インタビューに何度も応じた 
    父・三憲の存在


 今読むべきノンフィクション
編集力 
    安田浩一『ネットと愛国 在特会の闇を追いかけて』2012


経費不足を乗り越える知恵


 小粒化するベストセラー
「本屋大賞」
     -広告代理店が主導
本屋大賞 博報堂
雑誌大賞 電通


 劣化する編集者


私ノンフィクションの隷従
鎌田彗 『自動車絶望工場』1973
   堀江邦夫 『原発ジプシー』1979
   宮本常一 『忘れられた日本人』










☆『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻) 静岡県女子師範学校郷土研究会編 1994年 ⑧【再掲載 2018.2】

1.jpg

2 池、淵、泉・井戸などの話 続き


(10)明神淵 (磐田郡山香付・現佐久間町)

 和泉の下の川に明神淵という所がある。


 昔は、食器などがたくさん入用な時、この明神様に願えば貸してくれた
そうであるが、ある時、誰かが、借りた茶碗を一つ割って、返さずにおい
た者があったので、それから貸してもらえないようになったという。
                           (本多みち)




(11)山婆の井戸 (磐田郡佐久間村佐久間・現佐久間町)

 私の家の飲料水にする井戸のかたわらには、周囲6尺位の椿の大木があ
って、この木の下からは、泉が湧き出している。

 それでここを椿沢という。

 また、この井戸の辺りに一千年程昔、山婆が住んでいたという。

 それで山婆の井戸と名付けられたという。
                          (尾関すず子)




(12) 片葉の葦 (引佐郡三ケ日町)

 承和年間(834~847)に板築駅にて客死した橘逸勢朝臣の墓を守って、
朝夕のお勤めをおこたりなく行っていた妙沖尼という尼があった。


 尼は逸勢の娘であった。


 浜名湖畔の入野のある若者が、用事があって三河国に行った途中、板
築駅を過ぎ、妙沖尼の住む庵に尼の唱える読経の声を聞いた。


 どんな人がおられるであろうかと垣根の間から見て、いまだうら若い尼
の殊勝な姿に、恍惚として、しばらくたたずんでいたが、やがて読経の声
の止むのを待って、庵の中を訪ね、


「尼君は何人でおわすか、申すのもはばかりながら、ただ今より御身のた
 めに薪をとり、水をくみ、勤行のお助けを致しましょう。また、私の住
 む里も遠くではない故、食べ物も運び、供養して差し上げましょう。願
 わくば、この辺りに移り住み、朝夕の法の筵に参ずる事を、お許し下さ
 れ」


 と言った。


 若者はあまりにも真剣なので、尼もその志を愛で、願いを許した。


 男は大変喜び、明朝から、かいがいしく働いた。


 そして折りあらば心の中をと思うが、道心堅固な尼の心を動かすべきす
べもなく、むなしく3年余りを過ごした。


 そこへ折しも都より使いの者が来て、父朝臣への許しの書報を伝えた。
尼は大いに喜び、父の遺品を背負って都へと帰ってしまった。


 男は、大変別れを惜しんだけれどもどうすることもできず、せめてもの
思い出にと、尼の住んでいた庵にその面影を慕ってしばらく住んでいたが、
ついに思い悩んで、浜名の湖に身を投じてしまった。


 そして幾日かの後に入野の湖岸に、若者の骸(死体)が流れ寄って来た
ので、里の人々は哀れに思って、都の方に向けて葬ってやった。


 不思議にも、この辺りに生える葦は、みな片葉であると今に伝わってい
る。
                          (掘川てる子)




(13)大城家にまつわる湯の話  (磐田郡上阿多古村・現天竜市)

 上阿多古村と下阿多古村との境にそびえる観音山の中腹に湯が噴き出し
ている。


 らい病、その他の病気にかかった者は、この湯に入れば全治するという。


 これは昔から、上阿多古村長沢の旧家、大城家の持ち山で、大城家が衰
えかかった時には、この湯を立てて人々を治癒すれば再び大城家は栄える
という。


 近来、大城家が衰えたので、三度目の湯を立てて人々が浴している。


 現在は設備を備え、温泉のような景観である。 
                           (鈴木とき)

nice!(136)  コメント(2) 
共通テーマ:学校

◎◎本日28日15時まで 「第11回 浜松ジオラマグランプリ」ザザシティ浜松で開催中◎◎「日本の人生行事  人の一生と通過儀礼」宮本常一 八坂書房 2016年 ①(前) /「地域住民から福祉・教育関係者等への無理難題要求をどう読み解き対応するか」~イチャモン研究の到達点~(講演の記録)  大阪大学教授 小野田正利 2008年 ⑥【再掲載】 [読書記録 民俗]

「第11回 浜松ジオラマグランプリ」が開催中です。
本月28日(日曜)15時まで、ザザシティ浜松(中区)西館2階特設会場
(浜松ジオラマファクトリーに隣接)で行われています。
閲覧は無料です。
お時間のある方はぜひ。
隣接する「浜松ジオラマファクトリ-」では、山田卓司さんの作品も見る
ことができます。(入館料 大人300円、中高生200円、小学生100円)



今回は、宮本常一さんの
「日本の人生行事 人の一生と通過儀礼」1回目(前半)の紹介です。




出版社の案内には、

「暦のなかに年中行事があるように、人の一生には人生行事がある。安産祈
 願・産湯などの出産儀礼、初宮参り、成人祝、結婚、還暦以降の長寿祝な
 ど古来から続く通過儀礼、そして元服や若者組、隠居制度などの失われつ
 つある習俗……。厄年や病気にまつわる民間療法・まじないをも加え、忘
 れられた日本人の一生を俯瞰する。 」

とあります。






今回紹介分より強く印象に残った言葉は‥

・「宮本民俗学とは、徹底したフィールドワークで得た民族的事実を整理し、
 比較研究したもの。日本人とは、日本文化とは何かを探究しており、膨
 大な調査記録と論考が特徴。」


・「村では一人が横車を通すと多数の者の努力が無に等しいことになる場
  合が多く、時には妥協せざるを得なくなる」
- 「空気を読む」ことに…


・「村の中に住んでおれば野垂れ死にすることはなかった」


・「子方10人以上持っている親方は、皆、申し合わせたように善良その
  もののような人たちであり、しかも、それぞれ識見をもっていた。
  ヤクザの世界にも、また政界にもそれが残っている。かつての相互
扶助の1つの手段として存在した組織が残る者の、努力温存の組織
として利用されるに至った 」




もう一つ、再掲載となりますが、小野田正利さんの講演
「地域住民から福祉・教育関係者等への無理難題要求をどう読み解き対応するか」
~イチャモン研究の到達点~⑥を載せます。
いつのまにか「モンスターペアレント」、「無理難題要求」等の言葉を
聞くことがなくなりました。
問題がなくなったというわけではなく、
それに驚かない時代になっているのかもしれません。



<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
2.jpg





<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。







☆「日本の人生行事 人の一生と通過儀礼」宮本常一 八坂書房 2016年 ①(前)

1.jpg

◇宮本常一
1907年 山口県周防大島生

 大阪府立天王寺師範学校専攻科地理学専攻卒 
   民俗学者

 日本観光文化研究所長 
   武蔵野美術大学教授 
   日本常民文化研究所理事

 1981年没 同年勲三等瑞宝章



◇まえがき  田村善次郎

宮本民俗学
  - 徹底したフィールドワークで得た民族的事実整理-比較研究

◎ 日本人とは、日本文化とは何かを探究
◎ 膨大な調査記録と論考


 アンソロジー 
   論文集ではない
産育・子供・青年(元服)・婚姻・年祝・隠居・病気・葬制

   「人の一生」

 「近代日本の人生行事」



◇日本人 - その人間模様 -講組・親方子方年功序列
 
 村の生態
日本人の非論理性や妥協性 = 農耕民族の荷
農耕村落の定住性 - 「全員賛成」が基本
◎ 村では一人が横車を通すと多数の者の努力が無に等しいことになる
   場合が多く、時には妥協せざるを得なくなる

  ◎ 気を遣う
      群れの中にいる一人がぐんぐん大きくなること
    (他部へ出て出世し金持ちとなった者は誇りとする)


 理想
  = 誇り 
   「この村はよいむらです。大きな金持ちもいないかわり、あまり貧乏
    な者もいない。」
(戦前)   「この村は仲のよい村です。、」                               |
  ◎ 自白的な構造を打ち破るには農業以外の職業を多くする以外に方法
   はなかった


 講組                                      
 2つの村 ①親方村   と  ②子方村                          (勢力が中核)    (どんぐり背比べ)                               ◎どんぐり村が農村の夢          

 どんぐり村では講が発達                               
念仏講・葬講・葬式組  10~20戸                        
◎ 村の中に住んでおれば野垂れ死にすることはなかった              
村八分(二分は葬式と火事)


 伊勢講                                       
普通年 30~40万人    
   おかげ参り-300万人超が伊勢へ

 頼母子(たのもし)
   生活に困った者が親しい者に助けを求める 
   10~20人仲間



◇親方子方

 元服  15~18歳    
     ・大人の髪 烏帽子                     
     ・大人の名前(戸籍導入以降無くなる)         

 カネで歯を黒く染める(カネ親)                           
 頼みがいのある人に親を頼む                          
 
 仲人親                                    

 仮親
 (実の親に力がなくても、よい仮親をとっておいてやりさえすれば、その
  子が食うに困るということは少なかった)                   
          |                                     ◎一代限り
         子は親に恩を報い義理を果たす必要があった
 
 ◎ 子方10人以上持っている親方は、皆、申し合わせたように善良その
  もののような人たちであり、しかも、それぞれ識見をもっていた。
   - ヤクザの世界にも
       |
     ◎ 政界にもそれが残っている

 ◎ かつての相互扶助の1つの手段として存在した組織が残る者の、努力
  温存の組織として利用されるに至った                                |                                     
いわゆる温情主義


 年功序列                                      
年齢階梯制度                                  

 生誕以降
   7日目 名付けの親
  30日目(50日目) 宮参り
  50日目 五十日の親
 100日目 百日の親


 尊ばれた
  ◎ 子供仲間・若者組・オヤジ仲間・隠居・大じい 
    カカ仲間  (50歳くらい)
                










☆「地域住民から福祉・教育関係者等への無理難題要求をどう読み解き対応するか」~イチャモン研究の到達点~(講演の記録)  大阪大学教授 小野田正利 2008年 ⑥【再掲載】

1.jpg

(6)振り上げた拳ではなくその源を見る

 こういったロールプレイによる自身の言動や応対の仕方の振り返りは、意
外に効果をもたらしています。


 教師に限らず、人は一般的に自分のポジション(立場)を基準にしてモノ
ゴトを考える傾向か強いです。


 それは決して悪いことではありませんが、他者との交渉や話し合いの場面
では、それが強く出すぎると不必要な摩擦を引き起こしてしまうことが往々
にしてあります。


 同じ状況でも、人はまるっきりモノの見方や捉え方(認知)は違い、誰も
が一定のくせ(認知のゆがみ)をもっています。


 ロールプレイを通してそれに気づくという意味があるのです。
  

 先のアルバムのことでみれば、親にとってみれば我が子が一番で、かわい
いに決まっています。


 アルバムを作り直させることは出来ないと分かってはいても、言葉として
は先鋭化する場合があります。


 他方で学校側はうろたえるか、一方的に謝罪の言葉だけを繰り返すか(こ
れで親は「で、結局どうするんだ」と更に腹を立てるごとになります)、そ
んなこと今更言われてもと、木で鼻をくくったような態度を見せる場合もあ
ります。


   
 振り上げられた拳(言葉としての要求)ばかり見ていては、本質(ホンネ)
を見誤るおそれがありますし、実際、アルバムを作り直した(金銭的面での
問題ではなく)結果、「どこの誰が作り直しの差し金を入れたのか」が問題
となり、学校ではなく、要求をした親が窮地に陥ることもあります。


 親の要求は、オモテに見えるものがすべてではありません。


 拳の源がどこにあるかをたどることも必要なわけです。
  


 もう一つの効果は、教職員の間に連帯的な気持ちが生まれるということで
す。


 ベテラン教員が、若い教員に

「あそこはこう返答したらいいぞ」

と反省会でアドバイスをし始めるのです。


 もちろん私が「共同性の発揮」を大事にすること、学校の会議室(親との
面談)で何か起きているか「見殺しにするな!」と言っていることもありま
すが、それが自然と出てくるようになります。
  

 奇妙キテレツな私の講演を組み合わせていることも関係しますが、ロール
プレイを通して、それぞれの立場が分かり始めます。


 もちろん、ワークショップは一時的な効果しかもたらさないものです。


 仮定としてだから出来るわけであって、実際の場面では縮み上がってしま
うことは当然あるわけです。


 それでもこのロ-ルプレイの意義は、慌てずに、親の“要求”をいったん
は受け止める(受け入れることとは違います)気持ちや姿勢を培う上で一定
の有効性を持っていると確信しています。
  

 ただ付言すれば、それでもなんともならないケースも、稀にはあります。


 極めて難しい背景を抱えていたり、不当や違法な要求としか思われない言
動を繰り返したりする場合もあります。


 こういった場合は、距離を置いだり向き合う角度を変えたりするなどの別
の対応の仕方が必要になりますが、それは別の機会に譲らざるをえません。

nice!(146)  コメント(2) 
共通テーマ:学校