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「半藤一利 語りつくした戦争と平和」保阪正康監修 東京新聞 2021年 ① / 水谷修講演会「さらば哀しみの青春」-非行を防ぐ子育て,街づくり- 2005.2.26(土)於:アクト ①【再掲載 2012.9】 [読書記録 一般]

第10回ハイスクール国際ジオラマグランプリ(HiD2023)
がいよいよ本日24日(金)12時よりから開催されます。
場所は浜松駅近くのザザシティ浜松西館1F 特設会場。
本日と明日25日(土)は12:00~20:00、最終日26日(日)は10:00~16:00。
高校生の熱意あふれる作品をみることができます。

お時間があればぜひ!

主催者の案内は次の通りです。

「子どもたちへの『ものづくり』伝承を目的に浜松ジオラマファクトリーを運
 営するNPO法人はままつ未来会議(理事長 内山淳平)が主催するコンテス
 ト。全国の高校生が部活動などを通じてチームで作り上げたジオラマ(情景
 模型)作品の展示と作品に関わる情熱をプレゼンで競い合いプロ審査員と会
 場来場者の投票でグランプリが決まる国内最大規模の大会。今大会は一次予
 選を通過した19校28チームが出場する。」

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今回は、保阪正康さん監修による
「半藤一利 語りつくした戦争と平和」紹介の1回目です。



出版社の紹介には

「日本近現代史の語り部が論客たちと紡いだ平和への願い。『歴史探偵』とし
 て日本の近現代史を究め、多くの著作を発表、2021年1月12日に亡くなっ
 た作家・半藤一利さん。その探求心をつき動かしたのは『戦争のない、平
 和な世の中を続ける』こと。新聞紙上で残した対談も、『戦争』『憲法』『天
 皇』など過去を知り、検証し、未来につなげるための道標となるものばか
 りだ。これら珠玉の対談を埋もれさせまいと、盟友・保阪正康氏を監修に
 迎え、保阪氏はもちろん、作家・田口ランディ氏、日本近現代史が専門の
 古川隆久氏、半藤氏の親友で国文学者の中西進氏を相手にした、計7本の
 対談を1冊にまとめた。折に触れて新聞に寄せた見識やエッセイストで半
 藤氏の妻・半藤末利子氏の寄稿も収録。」
 
とあります。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「1庶民の側に立つ 2やさしい言葉で歴史を語る 3決して使わない言葉
  をきちんと整理する」


・「昭和天皇は2・26事件に激高した。4日間断固討伐、横暴を許さない強
い意志を示した。どうしてそれが指導者に受け継がれなかったのか」


・「事業化された戦争。勝って賠償金を得る、事業化。日本は戦争を事業にして
しまった。戦争は事業ではなく、政治的な決着が付かないときの最終手段」


・「特別攻撃隊、人間を爆弾として使うことを戦術戦略として考えて良いのか。
  特攻隊を送り出した参謀や司令官は『わたしも後から続くから』と言って、
後に続いた者はほとんどいなかった。『特攻隊員はみんな志願して行った
んだ』という嘘をまき散らして自分の責任を逃れようとした」



もう一つ、再掲載になりますが、
水谷修講演会「さらば哀しみの青春」①を載せます。


昨年度同様、年度末で異動となります。
再任用、またハーフ勤務ですので、毎年度異動が基本となります。
少しさびしく感じますが、新しい出会いも楽しみです。



<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。





☆「半藤一利 語りつくした戦争と平和」保阪正康監修 東京新聞 2021年 ①

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◇あの戦争から何を学ぶのか~半藤一利さんの遺言 保阪正康 2021.8.12
 
□大事なことはすべて昭和史に書いてある
  1 国民的熱狂をつくってはいけない。そのためにも言論の自由・出版
    の自由こそが生命である。

  2 最大の危機において日本人は抽象的な観念論を好む。それを警戒せ
    よ。すなわちリアリズムに徹せよ。

   3 日本型タコツボにおけるエリート小集団主義(例:旧日本陸軍参謀本
    部作戦課)の弊害を常に心せよ。

   4 国際的常識の欠如に絶えず気を配るべし。
  
   5 すぐに成果を求める短兵急な発想をやめよ。ロングレンジのものの
    見方を心掛けよ。 

   
□「真理は細部に宿る」
  1 庶民の側に立つ

   2 やさしい言葉で歴史を語る

   3 決して使わない言葉をきちんと整理する
  × 絶対に
  × 完全に


□ターニングポイントは2・26事件
   1 暴力が政治を支配することになった  
    言論を封じ込める暴力が前面に出ていた。
  
   2 軍がこのクーデターを利用して軍部大臣・現役武官制を統治した以
    前のものに戻した 

   3 広田弘毅内閣は自由主義者を一切官僚として認めなかった。軍の言
    い分に頷くだけ。

◎ 2・26事件を利用して軍部指導者たちは権限を拡大した


□受け継がれなかった天皇の意思
昭和天皇は2・26事件に激高した
  4日間断固討伐
       - 横暴を許さない強い意志
~ どうして指導者に受け継がれなかったのか

   天皇でさえ軍事勢力に対して「おびえ」のような感情
= 軍がこの国一切を支配、天皇のお気持ちさえも支配

 
□太平洋戦争五つの段階
1 勝利

2 挫折

3 崩壊

4 敗退

5 幸福

◎ すべての状況に甘い判断
    → 主観的願望を客観的事実にすり替え

※ 雰囲気、同調する空気
  ○「勝つ」という選択肢以外は認めずに戦った
    - 冷静な議論ができない   

 
□事業化された戦争
勝って賠償金
     ~ 事業化 
       ※ 日本は戦争を事業にしてしまう
◎戦争は事業じゃありません。政治的な決着が付かないときの最終手段

 
□「国力の差」に目を背けたミッドウェー海戦
ミッドウェーで失ったもの 
    - 空母4隻と多くの熟練パイロット
  日本軍 ~ 連合軍の国力をきちんと分析していない

◎ 軍事が無責任に戦闘だけを繰り返すような戦争をした

 
□戦略なき戦いの末の「十死零生」
特別攻撃隊
    -「十死零生の思想」 
◎指導者の責任は重い

     3,900余名の死 = この時代の犠牲者

     ※ 人間を爆弾として使うことを戦術戦略として考えて良いのか

 
□「本土決戦」で日本崩壊の危機
◎ 特攻隊を送り出した参謀や司令官は「わたしも後から続くから」と
    言って、後に続いた者はほとんどいなかった。
「特攻隊員はみんな志願して行ったんだ」という嘘をまき散らして自
    分の責任を逃れようとした

 
□太平洋戦争から学ぶ3つの教訓
  1 シビリアンコントロール(文民統制)が守られなければならない

2 文化や伝統に反する戦争であった
玉砕や特攻は生命軽視観の表れ

  3 国際ルール無視 
「日本人はそういったことを恐れない」というふうに日本の文化
      を曲解して戦争を進めた






☆水谷修講演会「さらば哀しみの青春」-非行を防ぐ子育て,街づくり- 2005.2.26(土)於:アクト ①【再掲載 2012.9】
 
◇講師プロフィール
 1956年横浜生 上智大卒 48歳 
  平成16年9月30日まで横浜市夜間高校教師



◇夜の世界で13年間
□夜間高校教諭・友人の「腐った魚はどうしようもない」に反感
  → 夜間高校教師に

□進学高校の横浜市立金沢高校から横浜市立みなと高校(定時制)へ
  市民からは「横浜市立暴力団養成所」と揶揄
  35歳で生徒指導部長 
  「職員室で子どもを呼んで指導するのは卑怯」
     → 「自分が出向くべきだ」 


□夜間高校では授業が成立しなかった
 → 夜回りの始まり
     最初は自校生徒のみ声掛け
次第に他校生徒にも声掛け
以後13年間にわたって夜回り
他都市にでも夜回り
 
   ◎「浜松」は地方都市での回数№1
「96年当時の浜松はひどかった」


□「夜の闇に沈められた子どもたち」の世界へ
主に 『対薬物』



◇3年前に生活が一変
□九州での講演の際,自傷行為女子高生との出会い 
  → 『リスト・カット問題』へも
  「夜眠れない子どもたち」 
      = 非行児童・生徒の10倍
  

□保護者に
 「午前2時,部屋でのに子どもの様子を10日間そっと見れば分かる」
→ ◎安心してよいのは
       … 寝ているとき
    △対応が必要なのは
       … メールを打っている,泣いている
… パソコンに向かっている


□「夜眠れない子どもたち」へのメッセージとして書いた『夜回り先生』


□『夜回り先生』ベストセラー 
   1部32万部 2部16万部
メールアドレス公開後全国から11万通のメール


□リストカットする子どもたちに 
 → 「人の前で切ってみればいい。助けてくれる人間が必ずいる」


□小4の子が最年小のリスト・カッター
 小4男子
    母…美容師 父…ギャンブル
 貧乏でいじめられている 
  風呂も入れさせられず食事も与えられず
友だちばかりか家族からさえ
 夜眠れない日々 
    → 手首を切ると楽になって眠れる
 ある日,「これから死ぬ」と水谷にメール
    → 電話をする
水谷 「優しく信じてくれる大人はいないのか」

子ども「女性校長が声掛け,抱きしめてくれる」

水谷 「明日,校長先生の所に行ってからにしなさい」

子ども「分かった」

   翌日 校長室から電話有り
 水谷 → 校長に3つの願い
①児相に当たって,家に戻さない
②体制を整えて転校させる
③校長と担任は自らを処分せよ
→ 校長は退職して児童を養子縁組

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