教育ノートから「教師」 23-「先生の現象学」小浜逸郎 世織書房 1995年 (4) [読書記録 教育]
「完成された国民においては,国家の教育はだんだん縮小し,崩壊しながら私教育にとっ
てかわると考えられる」
今回は、4月25日に続いて、教育ノートからキーワード「教師」23回目、
小浜逸郎さんの「先生の現象学」の紹介4回目です。
出版社の案内には、
「公教育の先生はどんな属性を負い、それはどのような歴史的由来や社会的条件から規定
されたのか。『センセイ』という神話的機能を解体する本。教師のアイデンティティは
どこに求めたら良いのか。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「委託されたものとしての教師権力」
・「学問や教育が,よりよく生きるための手段に他ならないことを忘れて何かそれだけで
ありがたい絶対的な自己目的であると思いこむことから頽廃が始まる。」
・「公立学校 = 社会主義部門
形骸化して耐用年限の来た『強制配給制度』」
・「」
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☆教育ノートから「教師」 23-「先生の現象学」小浜逸郎 世織書房 1995年 (4)
◇教育思想の誕生 小浜逸郎
教育 = 子供を共同体のシステムに引き込むのが目的
「教育は子供のためにある」信仰
◇私教育の過渡としての公教育 小浜逸郎
「父の家」の解体
母親の教育意志の増大
古いマナーの崩壊
私教育 → 公教育
人間と市民の分離対立
◇委託されたものとしての教師権力 小浜逸郎
「センセイ」
・何ものかから委託されてその権能を行使しているに過ぎない
・委託業務の代価としての給料(ある理念的な「社会力」から)
□二重の委託
① 家庭から 個別的教育
② 国家から 一般的人材養成
◇福沢諭吉 小浜逸郎
□実学精神
福沢
教育の目的「人生を発達して極度に導く」
「人類として至大の幸福を得せしめんが」
一身独立して一国独立する
学問を神聖視するな 手軽に扱え
「人はおおいに学問や教育に精を出すべきだが,その場合常に何のための学問,何のため
の教育であるかということを忘れてはならない」
↓
学問や教育が,よりよく生きるための手段に他ならないことを忘れて何かそれだけで
ありがたい絶対的な自己目的であると思いこむことから頽廃が始まる。
「これを教えるものも,また商売の算用を忘るべからず」
教育はサービス業
∥
竹内靖雄
公立学校 = 社会主義部門
形骸化して耐用年限の来た「強制配給制度」
◇私立を旨とすべし
公立学校の「共同私有化」
ドヌーと同じ
「完成された国民においては,国家の教育はだんだん縮小し,崩壊しながら私教育にとっ
てかわると考えられる」
◇徳育か知育か
福沢 儒教嫌い・封建制嫌い
道徳至上主義・悪平等主義的なルサンチマンの結合
福沢
①私徳 一心の内 潔白・謙遜
②公徳 人間の交際上 公平・勇強
③私智 物の理を究めてこれに応じる
④公智 人事において何が重大か何が矮小であるかを良く判断し時と場所を察する
はたらき
※ 四つの内最も重要なのは公智 = 福沢の強靱な精神
◇優れた現実感覚
理想を現実に接続させようとするときに,両者の距離を正しく見積もるその測定力なの
である
↓
平等論ではなく 毒気の多い反骨的な代物