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教育ノートから「教師」 67 -「先生」 クオレ ② [読書記録 教育]

今回は、11月6日に続いて、わたしの教育ノートから、
キーワード「教師」の紹介、67回目です。



クオレの「先生」。
心に響く話がたくさん詰まっています。
(クオレが何の本かがわかりません。記録ミスです。)







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☆教育ノートから「教師」 67 -「先生」 クオレ ② 


◇「頼むぞ」 山本ひろし(佐賀 自営業35歳)


 小学校3年生までの私は、無口で内向的でした。


 相手が誰であれ話をするのが苦手で、一人でいることの多い、家でテレビばかり見てい
るような子供でした。


 そのため、学校に通うのは苦痛でした。

 授業中に当てられても、もじもじするばかりです。友達もいませんでした。

 クラスのみんなは互いにあだ名で呼び合っていたものですが、私にはあだ名もありませ
んでした。



 3年生の担任はT先生という、四十代ぐらいの少し太った男性でした。


 いつも大きな声でしゃべる人で、活動的というか、とても元気な先生でしたので、私は
最初、この先生にも嫌われるかもしれない(2年生のときの女性の先生からは嫌われてい
ました)と不安になったものです。


 4月の最初の学級会のとき、クラス内での各係を決めることとなりました。


 最初に学級委員を男女一人ずつ投票で選出し、それから保健係だとか図書係、学級新聞
係などの係を決めていくのです。


 自薦もありますし他薦もありますが、仲のいい友達同士で同じ係を希望することが多か
ったようです。私は目立たない存在でしたので、当然ながら誰も推薦しませんし、自分か
ら手を挙げることもありません。


 そしてすべての係が決まり、自分がどの係にもならなかったことでいつもほっとするの
でした。



 5月の連休明けになり、T先生がバケツに入った5匹のメダカを持って来ました。


 クラスのみんなが

「先生、それどうしたの」

と聞きます。


 すると先生は

「知り合いからもらったんだけど、せっかくだからクラスで飼おうと思ってね」

と言います。

 そして、

「山本、メダカの飼い方、知ってたよね」

と私を名指ししたのです。


 4月の家庭訪問のときに、先生は私がメダカを飼っていることを、母から聞いて知って
いたのでした。


 クラスのみんなの注目を浴びて、私がこわばった顔でうなずきますと、先生は

「じゃあ山本にメダカ係になってもらおう。頼むぞ」

と強引に決めてしまいました。


 しかし、要するにメダカを学校でも伺えばいいだけのことですから、別に苦痛なわけで
はありません。

 家から小さな水槽や砂利、水草なども持ってきて、本格的にしました。

 えさは金魚のえさをくだいたものです。


 クラスのみんなは私にいろいろと質問してきます。

 
 オスとメスの見分け方だとかどれくらいまで大きくなるのか、卵を産んで増えるのかと
いったことを次々と聞かれ、私は知っていることを教えました。


 不思議と緊張しないで答えられました。


 ある日、みんなが騒ぎ出して、私を呼びました。

 メダカのおなかに卵がいくつもくっついていると言うのです。

 先生もやって来て

 「卵はどうすればいいんだ?」と聞きます。


 そこで私は、卵は別の小さな容器に移し換えなければならないことを説明しました。

 網でメダカをすくって柔らかい布の上に寝かせ、筆の先で卵を取って水を入れたコップ
に入れ、親とは別々にするのです。

 そうしないと親に食べられてしまうからです。


 みんなは私の実演を真剣な顔で見ていました。先生が

「うん、メダカ係はやっぱり山本だなあ」

と言い、みんなもうなずきます。


 このとき私は、生まれて初めてといっていいぐらいに誇らしい気持ちになりました。


 その後、卵がかえり、小さなメダカがいっぱい産まれました。


 みんなが

「えさはやらないの?」

と聞きます。

 私は

「赤ちゃんはおなかがふくらんでるだろ。おなかに栄養があるから、しばらくは何もやら
 なくていいんだ」

と教えてやりました。


 そうこうするうち、みんなの私に対する態度が何となく変わってきていました。

 知らない間に「ヤマっち」と呼ばれるようになり、私も少しずつながら、友達と話がで
きるようになったのです。


 そして、4年生に進級する頃になると、自分でも信じられないぐらいに人と話ができる
子供になっていました。


 授業中に当てられても、緊張してもじもじすることもなくなりました。


 T先生は私たちが4年生に進級したときに、よその学校に変わりました。


 5年生になったとき、理科の授業でメダカの飼い方を習いました。

 その時私は、T先生は本当はメダカの飼い方を知っていたのだと気がつきました。

 知っていたけれど知らないふりをして私に「頼むぞ」と言ったのです。そして、メダカ
係がきっかけで、私は積極性を持つことができるようになったのでした。


 思い返せば、T先生は大恩人でした。でも、今、会ってお礼を言ったとしても、あの先
生なら「そんなこと覚えてないけどなあ」と、とぼけそうな気がしないでもありません。







◇武ちゃんの心遣い 山座狐(東京 翻訳業42歳)

 その先生は武彦という名前だったので、私たち6年生から武ちゃんと呼ばれていた。


 武ちゃんはちょっとずぼらな九州男児。


 ものごとにこだわりがなくて、つまらぬことは、あっはっはと笑い飛ばしてしまう。


 生徒にも腕白でたくましく育つことを期待している先生だった。



 私は真面目でひ弱な学級委員。


 武ちゃんからは「それでも男か」と叱られることがよくあった。


「いくら勉強ができても、おまえみたいにおとなしいのはダメだぞ」

とみんなの前で言われた時は、ひどい先生だと思った。


 先生のくせに人の気持ちを思いやることがないのではないか、と恨みもした。


 でも、そんな武ちゃんを、私はいちどだけ見直したことがある。


 腹のなかにミミズのような虫がいないかどうか、寄生虫検査というのがあった。


 朝、起きたら尻の穴にベタリとシールのようなものを貼りつけて、それを調べてもらう
という検査だ。


 二週間後に結果が出る。虫がいないと青いマイナスのスタンプを押した紙をもらい、虫
がいると、…その紙がもらえない。


 かつて昭和の二、三十年代では、子供が腹に回虫やサナダムシを宿すことはさほど珍し
くなかったが、農薬や化学肥料の普及によって、昭和も40年代に入ると、虫を腹に宿す
者はかなり稀になっていた。 



 一時間日の授業の始まる前に、武ちゃんは寄生虫検査の結果を配った。

 子供心にも腹に虫のいることはあまり気色がよくなかったので、青のスタンプをもらう
と、ほっとしたものだ。

 中には「やった青だ」と言って万歳をする生徒がおり、「おまえどうだった?」と言っ
て他の者の結果を気にするおせっかいもいた。私の名前はなかなか呼ばれなかった。


 早く青をもらって安心したいのに、他の生徒の名前ばかりが呼ばれた。


 そして、ついに私の名前は呼ばれぬまま、武ちゃんの手元の紙は一枚もなくなってしま
った。


「まだもらってない者いるか?」


と問われて私は手を挙げた。


「あれえ、おかしいなあ」

と武ちゃんは首をひねり、教卓の上の出席簿や教科書を引っくり返してみた。それでも検
査結果は出てこなかった。


「ひょっとして職員室に置き忘れたのかもしれないから、後で取りに来てくれ」

と言って、武ちゃんは授業に入った。



 休み時間に職員室へ行くと、武ちゃんは妙に優しげな笑みを浮かべて「あったあった」
と言った。


 差し出された紙には赤でプラスのスタンプが押してあった。欄外に″ベンチュウ″と虫
の名前まで記されていた。


 私はさほど清解さを重んずる生徒でもなかったが、それでもショックと恥ずかしさに打
ちのめされた。


 寄生虫検査で赤いスタンプをもらったの生まれて初めてだった。


 私の表情が強張ったことを見取った武ちゃんは、自分の出っ張った腹を叩いて言った。



「オレも子供の頃はよくそいつを飼っていたものさ。ちっちゃいやつだから、どうってこ
 とないけど、まあ薬もついてきたから欧んでみるといいさ」



 職員室を出てひとり廊下を歩きながら、私は落ち込んでいた。


 ベンチュウ、ベンチュウと、馴れぬ言葉が耳の裏に飛び跳ねていた。


 私は水道場で水を飲み、階段を上りかけたところで、はっと気がついた。


 武ちゃんは私に教室で私ずかしい思いをさせないために、一芝居打ってくれたのだ。


 さもなくば、今頃は私は口の悪い奴らに囲まれて

「汚ねえこいつ、近寄んじゃねえよ」

などと罵声を浴びせられていたかもしれない。


 そんなことにならないよう、武ちゃんは私を庇ってくれたのだ。


 私はぼんやり校庭を眺めながら、武ちゃんの心遣いにじんときた。



 それだけではない。教室で紙をもらわなかった生徒は私の他にもうひとりいた。

 M子である。


 M子は快活で頭がよく、笑みの爽やかな女の子だった。寄生虫が腹にいるなど、もっ
とも似合わない子だ。ひそかにM子に好意を抱いていた者は私だけではなかったろう。


 しかし、ささやかな推理を働かせてみるに、そのM子にも虫のいた可能性が高い。


 M子は私とおなじように、職員室で武ちゃんからそっと赤いスタンプをもらったのだ。


 私ははっと胸を撫で下ろすような思いだった。


 もし、M子がみんなの前で寄生虫呼ばわりされたら…。それは考えただけでもおぞま
しく許せないことだった。


 私は武ちゃんをあらためて見直し、なんだ、いい先生じゃないか、と思った。



 いまにして思えば、武ちゃんが私を救ったのはついでであったのかもしれない。


 武ちゃんが芝居までして庇いたかったのはM子だったのだ。


 しかし、その頃の私は物事を自分の都合のいい方に解釈する癖があった。それどころか、
ひょっとしてベンチュウがM子と私の仲を取り持つのではないか、などとはかない夢を
抱いては、ほのぼのとした気持ちにさえなっていた。


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