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教育ノートから「教師」 68 [読書記録 教育]

今回は、11月12日に続いて、わたしの教育ノートから、
キーワード「教師」の紹介、68回目です。



クオレの「先生」。
心に響く話がたくさん詰まっています。


もう一度読みたいのですが、記録ミスで「クオレ」が何の本かがわかりません。

残念です。



「田中先生の処方箋」を読み、遠く懐かしい時代を思い出しました。






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☆教育ノートから「教師」 68


◇「先生」  クオレ ③


◇田中先生の処方箋(小泉尚子 東京)

 「私、小さいころは登校拒否でね…」


 こう言うと、たいてい「ご冗談を」なんて反応が返ってくる。


 確かに今はやかましいオバサンかもしれないが、ちゃんと証拠もある。


 正確には、さぼったのは幼稚園だから、登園拒否ということになるのかもしれないが、
小学校に入っても、いるかいないか分からないような子供だった。


 証拠というのは、自分でも気の毒なほど体を小さく丸めた情けない姿の入学式の写真で
ある。


 とにかく2年生まで、集団生活は大嫌いだった。


 けれどその私が4年生では、たしか学級副会長をやっていた。


 となると、三年生の時に私は大きく変わったということになる。



 三年生の担任だった田中先生は、私の両親と同じ年で独身の男の先生だった。

 私は三年生になっても、相変わらず背中を丸めていたのだろう。


 ある日授業中にノートを書いていると、突如背中に冷たい物がす-つと入ってきた。


 先生が一メートルのものさしを突っ込んだのである。


「背筋はピンと伸ばす。」


 めだたない子ではあったが、逆に注意を受けるということもほとんどなかった私にとっ
て、それは大変なショックだった。


 クラス中の視線が自分に集まっているような気がした。


 それからというものしばらくは、背筋を伸ばすことばかり考えていた。


 毎日そうしていると正しい姿勢を保つことが当たり前になるのか、気がつくと人から姿
勢が良いと誉められるようになっていた。


 以前、人間の胸のあたりには″チャクラ″というエネルギーのツボがあると聞いたこと
がある。


 詳しいことは知らないが、その話を聞いて私はこんなことを考えた。


 もし本当にそんなツボがあるのなら、背中を丸めていたらあまりエネルギーは出せない
だろう。


 確かにエネルギッシュな人は皆胸を張っている。


「前向きに考えよう」と思う時も、背中を丸めていては始まらない。


 「上を向いて歩こう」って歌もある。


 うつむきたくなるような時でも、意識的に胸を張ってみたらエネルギーが出てきてうま
くいくかもしれない。


 となると、先生が私の背中にものさしを突っ込んで姿勢を直してくれたことで、私のエ
ネルギーのツボが働きだしたのかもしれない。



 先生は休み時間でもはとんど教室にいて、よく子供に肩たたきをさせた。


 先生の肩をたたく子供は先生が指名するのだが、たいていおとなしい、めだたない子供
だったと思う。


 私もたびたび指名された。

 先生の肩をたたいていると、他の子供が集まってきて羨ましがる。

 肩をたたきながら先生とおしゃべりをする。

 照れくさいようで、楽しみな時間だったことを覚えている。



 またある日、先生は自分の使っている座布団を見せて、私の母に新しいカバーを縫って
もらえないかと言った。

 その座布団はすり切れてぼろぼろだった。

 私は母に頼んでみると言って、その座布団を受け取った。

 汚い座布団を大事に大事に抱えて家に帰った。

 けれど家が近付くにつれ、だんだん不安になってきた。

 当時はまだ働いている母親というのは少数だったのだが、私の母はその一人だった。

 その上、訳あって父と離れて暮らしていた。

 だから母は人一倍忙しい。

 そんな事情は3年生とはいえ、よく分かっていた。

 もし、母に断わられたらどうしよう。

 第一、布だってないかもしれない…。

 しかし母は「お易いご用」と引き受けてくれた。

 そして、休みの日に一緒に布を買いに行くことになった。

 母が私に柄を選ばせてくれたので、私は男の先生だからと、青い小さな花模様の布を選
んだ。

 母はその布ですぐに座布団を作り直してくれた。

 先生は母の腕前にとても感心して、私の選んだ柄も気にいってくれた。

 座布団を学校へ持って行く前の晩が、初めて私が
「早く学校へ行きたい」
と思った時だった気がする。



 自分のことしかよく覚えていないが、別に先生が私ばかりに特別な配慮をしてくれた訳
ではないだろう。


 きっとそれぞれの子供に応じて処方箋を書いてくれたのだと思う。


 学校嫌いの私に先生が書いてくれた処方箋が、ものさしであったり、肩たたきであったり、座布団ではなかったのかと思う。


 すでに私は当時の先生の歳を越えてしまった。


 今思えば、業者の作ったテストを使うことに反対して、テスト用紙をストープにくべて
しまったという事もあった程だから、先生に対する批判の声もあっただろう。


 それでも先生は教育に対する信念を持ち続け胸を張っていたはずだ。


 先生のことを思い出す度、先生との出会いが与える影響の大きさ、教師という職業の奥
の深さを感じずにはいられない。



 私には今も尚、田中先生の書いてくれた処方箋が効いているのである。



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