「致知」2010年2月号 ①(前半) / 「ペンは剣よりも強し」小泉信三 恒文社 1996年 ①【再掲載 2012.9】 [読書記録 一般]
今回は、人間学を謳う月刊誌『致知』
2010年2月号 1回目(前半)を紹介します。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「to do goodを考える前に to be goodを目指しなさい」
・「まず進歩、成長しようという欲望がないと駄目。だけど、それを抑制できなければ健
康ではない。」
・「学び続け、きれいに見事に老いていく」
・「本当の学びとは生きる意味が分かること」
もう一つ、再掲載となりますが、小泉信三さんの
「ペンは剣よりも強し」①を紹介します。
メディアの姿勢が問われ続けています。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
(1)「致知」2010年2月号 ①(前半)
特集 「学ぶに如かず」
◇学び続けるリーダーこそ道を拓く
□藪土文夫JFEホールディングス社長 & 牛尾治朗 ウシオ電機社長
復元力を引き出せ
尊敬する人物を同じくして
西山弥太郎(川崎製鉄初代社長)
枝葉末節でなく根幹に触れる
「to do goodを考える前に to be goodを目指しなさい」
運命を立命に
「人材育成なんて発掘だ」 → トップは人好き
「優れたリーダーは人の見ているところで怒って、見ていないところで褒めていた」
修羅場を疑似体験する
素にありて贅を知る
大平正芳「素にありて贅を知る」 日本文化の良さ
安岡正篤
「健康の定義というものは、欲望を持っていて、しかし、その欲望に抑制が利い
ている人、自制が働いている人」
※ まず進歩、成長しようという欲望がないと駄目。だけど、それを抑制できな
ければ健康ではない。
質素+抑制力(自制力)
学び続け、きれいに見事に老いていく
◇今子どもたちに何を教えるのか 真の知育こそ徳育である
□占部賢志 福岡県立太宰府高校教諭 S25福岡県生 九州大学博士 日本史
渡邊毅 三重県中学校教諭 S35愛知県生 皇學館大学
民主党の教育政策は日教組の主張のコピー
輿石東(日政連会長)
さらに深刻な教育問題は
学力の高い子どもに共通するもの
真の知育こそ徳育につながる
偉人伝を通してつけさせたい2つの力
教師は常にアンテナを高くしておくべき
「エルトゥール号」トルコ人を助けた和歌山県
ユダヤ人を救った杉浦千畝と軍人・樋口季一郎
本当の学びとは生きる意味が分かること
ビクトゥール・フランクル
人 → 幸福 人間は人生の意味を求めると幸福が付いてくる
生きる意味
(2)「ペンは剣よりも強し」小泉信三 恒文社 1996年 ①【再掲載 2012.9】
◇序・再刊に際して
「ペンを執る者は、とかく批評されるよりも、他を批評することを好む。私自身もそうで
ある。けれども、ペンの妄用の害は、剣の妄用の害に劣らない。」
「出版の自由は尊重されるべきだが、利益のために相手に向かって言えぬことみだりに相
手を傷つけることを書いてはならない」
◇ペンと剣
「ペンは剣よりも強し」
□福沢諭吉
「もしも出版法などの妨げがなく自分に思う存分議論させたら筆の力で西南戦争を防ぐこ
とができたはずだ」
|
武器は常に濫用の危険が伴う
|
言論報道の自由はもとより大切であるが、私は今、筆を執る者の一人として、特に筆を
慎むことの大切であることを考えていい時期だと思うのである
|
日本の言論報道の自由は、日本ではいわば拾い物の自由であったことは否定できぬ。筆
執る者が往々筆の自由を濫用して、人を傷つけ、また自ら傷付くのは、このような事情に
よるものと考えられる
◇再びペンと剣
□福沢諭吉
人に対して如何なる非難攻撃を加えるのも自由であるが、ただそれは当の相手に面と向
かって言い得ることを限度とすべきで、直接、その人に向かっては言い得ないことを陰に
回って筆で書くのは卑怯な遠吠えだ。
陰弁慶の声「君子の恥ずべき処なり」
言論陣の守るべき倫理を説くよりも、声高く言論の自由を唱える方が遙かにたやすく快
い
□報道の自由
= 公共の福祉を害せず、人の名誉とプライバシーを侵さぬ限り自由でなければならない
|
本則 如何なる私事も当人の意に反しては公表せらるるべきでない
(公共の福祉や安全のため必要でない限り)
|
小泉
「問題の人が記者の友人、あるいは社長、もしくは編集長の娘であっても事実は事実
として記事にするのか差し控えるのか?」
(例:川端康成『吉野』の女主人公-捨て子だと言うべきか)
↑
もし万一自社については差し控えるが他人については遠慮無く書くと言うことになる
と報道の自由の大義名分が怪しくなる
|
しかし、この差別取り扱いは事実上行われその事例は無数であろう
「言論や報道の創作の自由を主張する者は記者や作家であるから、いずれも筆の専門家で
あり、かつジャーナリズムという巨大な機関を持っている。これに対して右の自由の制
限さるべき個とを主張したいと思っているものの側は概して『筆』がないし、また筆を
ふるうべき紙面がない。したがって、刊行物の表面には一方の主張だけが比例外に大き
く出る。それは、例えば拡声器の独占者が拡声器使用の自由を唱え続けるようなもので、
反対の意見があっても(充分拝聴すべき反対意見があっても)拡声器に妨げられて聞こえ
ないようなものだ」
2010年2月号 1回目(前半)を紹介します。
今回紹介分より強く印象に残った言葉は…
・「to do goodを考える前に to be goodを目指しなさい」
・「まず進歩、成長しようという欲望がないと駄目。だけど、それを抑制できなければ健
康ではない。」
・「学び続け、きれいに見事に老いていく」
・「本当の学びとは生きる意味が分かること」
もう一つ、再掲載となりますが、小泉信三さんの
「ペンは剣よりも強し」①を紹介します。
メディアの姿勢が問われ続けています。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
(1)「致知」2010年2月号 ①(前半)
特集 「学ぶに如かず」
◇学び続けるリーダーこそ道を拓く
□藪土文夫JFEホールディングス社長 & 牛尾治朗 ウシオ電機社長
復元力を引き出せ
尊敬する人物を同じくして
西山弥太郎(川崎製鉄初代社長)
枝葉末節でなく根幹に触れる
「to do goodを考える前に to be goodを目指しなさい」
運命を立命に
「人材育成なんて発掘だ」 → トップは人好き
「優れたリーダーは人の見ているところで怒って、見ていないところで褒めていた」
修羅場を疑似体験する
素にありて贅を知る
大平正芳「素にありて贅を知る」 日本文化の良さ
安岡正篤
「健康の定義というものは、欲望を持っていて、しかし、その欲望に抑制が利い
ている人、自制が働いている人」
※ まず進歩、成長しようという欲望がないと駄目。だけど、それを抑制できな
ければ健康ではない。
質素+抑制力(自制力)
学び続け、きれいに見事に老いていく
◇今子どもたちに何を教えるのか 真の知育こそ徳育である
□占部賢志 福岡県立太宰府高校教諭 S25福岡県生 九州大学博士 日本史
渡邊毅 三重県中学校教諭 S35愛知県生 皇學館大学
民主党の教育政策は日教組の主張のコピー
輿石東(日政連会長)
さらに深刻な教育問題は
学力の高い子どもに共通するもの
真の知育こそ徳育につながる
偉人伝を通してつけさせたい2つの力
教師は常にアンテナを高くしておくべき
「エルトゥール号」トルコ人を助けた和歌山県
ユダヤ人を救った杉浦千畝と軍人・樋口季一郎
本当の学びとは生きる意味が分かること
ビクトゥール・フランクル
人 → 幸福 人間は人生の意味を求めると幸福が付いてくる
生きる意味
(2)「ペンは剣よりも強し」小泉信三 恒文社 1996年 ①【再掲載 2012.9】
◇序・再刊に際して
「ペンを執る者は、とかく批評されるよりも、他を批評することを好む。私自身もそうで
ある。けれども、ペンの妄用の害は、剣の妄用の害に劣らない。」
「出版の自由は尊重されるべきだが、利益のために相手に向かって言えぬことみだりに相
手を傷つけることを書いてはならない」
◇ペンと剣
「ペンは剣よりも強し」
□福沢諭吉
「もしも出版法などの妨げがなく自分に思う存分議論させたら筆の力で西南戦争を防ぐこ
とができたはずだ」
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武器は常に濫用の危険が伴う
|
言論報道の自由はもとより大切であるが、私は今、筆を執る者の一人として、特に筆を
慎むことの大切であることを考えていい時期だと思うのである
|
日本の言論報道の自由は、日本ではいわば拾い物の自由であったことは否定できぬ。筆
執る者が往々筆の自由を濫用して、人を傷つけ、また自ら傷付くのは、このような事情に
よるものと考えられる
◇再びペンと剣
□福沢諭吉
人に対して如何なる非難攻撃を加えるのも自由であるが、ただそれは当の相手に面と向
かって言い得ることを限度とすべきで、直接、その人に向かっては言い得ないことを陰に
回って筆で書くのは卑怯な遠吠えだ。
陰弁慶の声「君子の恥ずべき処なり」
言論陣の守るべき倫理を説くよりも、声高く言論の自由を唱える方が遙かにたやすく快
い
□報道の自由
= 公共の福祉を害せず、人の名誉とプライバシーを侵さぬ限り自由でなければならない
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本則 如何なる私事も当人の意に反しては公表せらるるべきでない
(公共の福祉や安全のため必要でない限り)
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小泉
「問題の人が記者の友人、あるいは社長、もしくは編集長の娘であっても事実は事実
として記事にするのか差し控えるのか?」
(例:川端康成『吉野』の女主人公-捨て子だと言うべきか)
↑
もし万一自社については差し控えるが他人については遠慮無く書くと言うことになる
と報道の自由の大義名分が怪しくなる
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しかし、この差別取り扱いは事実上行われその事例は無数であろう
「言論や報道の創作の自由を主張する者は記者や作家であるから、いずれも筆の専門家で
あり、かつジャーナリズムという巨大な機関を持っている。これに対して右の自由の制
限さるべき個とを主張したいと思っているものの側は概して『筆』がないし、また筆を
ふるうべき紙面がない。したがって、刊行物の表面には一方の主張だけが比例外に大き
く出る。それは、例えば拡声器の独占者が拡声器使用の自由を唱え続けるようなもので、
反対の意見があっても(充分拝聴すべき反対意見があっても)拡声器に妨げられて聞こえ
ないようなものだ」