SSブログ

「孤独のすすめ」ひろさちや SB新書 2016年 ③ /ふえる一方の不登校をどうとらるか(上)「決断を次回送りにのばす悪癖の背景に-分かっていて動きのとれない、という心理-」 伊藤友宣(神戸心療親子研究室・主宰) 『月刊少年育成』2001年 ①【再掲載 2015.3】 [読書記録 宗教]

「日本の社会は、他人の不幸を喜ぶまでになってしまっています。まさに、地獄です。
 そして、その地獄は孤独地獄ですよね。」   本書より




今回は、12月24日に続いてひろさちやさんの
「孤独のすすめ」3回目の紹介です。



出版社の案内には、


「そもそも孤独を癒そうとするのが大間違い!現代日本がつくり出した、本当は誰しも感
 じている『孤独』な状況-。昔の共同体のような『閉じた社会』での密な関係はなくな
 り、今はネットで不特定多数とも広く繋がれる希薄な人間関係の中に生きています。い
 つでも人と繋がれる時代に生きていながらも、昔に増して孤立感・疎外感を抱いている
 人は多いようです。そして厳しい世間の荒波にもまれ、人間関係をこじらせ、ときに一
 個人としての孤立や無力さを感じたり、孤独に苛まれることがよくあります。そもそも
 今の世の中は狂っているともいえます。人は世間の物差し(常識)を押しつけられて生
 きており、かえって疎外感や生きづらさ、孤立感を感じることにつながっているのです。
 そう、そんな狂った世の中で、現代人が寂しくなく「孤独を生きる」には、実はほんの
 ちょっとコツが入るのです。本書は、『孤独』というものの本質に立ち返り、般若をは
 じめ古今東西の偉人賢人の考えも参照しつつ、ついつい癒(解消)しがちな『孤独』を
 恥や悩みとせず、むしろおかしな世の中で自分の状況をしっかりと肯定し、孤独と上手
 に向き合うことで、楽しく生きていく術を書き下ろすものです。」


とあります。


「競争は悪だ!」
 教育の世界に市場主義を取り入れようとの主張があります。
 それでいいのだろうかとわたしも思います。 




今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「兎と亀
だって亀は兎が昼寝している横を通っていったんだろう。どうして、そのとき亀は、
『もしもし兎さん、目を覚ました方がいいですよ』と兎を起こしてやらなかったのだ。
自分が勝つことばかり考えている。そんな亀は悪い。それがおまえに分からないのか。」

 「インド人の仲間意識に対して日本人のライバル意識」


・「何のための競争? それは競争させる側の利益のため」


・「弱肉強食という言葉が一般化されたのは昭和30年近くになってから。それは仲間意
識を失った時機と重なる」


・「…マラリアが撲滅されたことにより死亡率が減少し、人口が急激に増加した。しかし、
その増加した人口を村の生産力では養えなかった。村は雲散霧消するほかなかった。」





もう一つ、再掲載となりますが、伊藤友宣さんの
「決断を次回送りにのばす悪癖の背景に」②を載せます。
不登校の課題もひろさんの本と関連があるようにわたしは感じます。





<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
2.jpg





<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。






☆「孤独のすすめ」ひろさちや SB新書 2016年 ③

1.jpg

◇世間の孤独(2)

10「兎と亀」の競争 

<「兎と亀」の寓話>

□子ども 

 姉「兎は昼寝をしなければよかった」

 弟「兎と亀は競争なんかしない方がよかった」



□インド人
 
「『兎はどうすればよかったか』と訊くが、それはおかしい。だって悪いのは亀なんだか
 ら、『亀はどうすればよかったか』と訊くべきである」


「だって亀は兎が昼寝している横を通っていったんだろう。どうして、そのとき亀は、『も
 しもし兎さん、目を覚ました方がいいですよ』と兎を起こしてやらなかったのだ。自分
 が勝つことばかり考えている。そんな亀は悪い。それがおまえに分からないのか。」


○ルールとゲームは分かっている

「おまえは兎が昼寝をしていると言ったが、それは亀には分からないことだろう。」

「ひょっとしたら兎は、病気で苦しんでいるのかもしれない。病気であれば、起こしてや
 るべきであろう。起こしてやって初めてどちらが分かるわけだから、とにかく起こして
 やるべきだ。だからその亀は悪い亀だ。」
   

  ◎ インド人の仲間意識 ←→ 日本人のライバル意識 


□ペルシア(イラン)に伝わる「兎と亀」

 亀はそっくりな弟を先にゴールに立たせておいた

 = 弱い者同士が仲間の団結によって強者をやっつける話





11 競争は悪だ!

□必要悪
 
  ・社員同士の競争

  ・死刑

  ・体罰

 ※ しかし、日本人は「善」のように思っている
     
   たいていの日本人は「必要ナラバ善」
     
   必要悪の論理を日本人は理解できないのだろうか。   


□何のための競争?

= 競争させる側の利益のため



 ◎ 義務教育の場に競争原理を持ち込むべきではない。企業同士を競争させるのはよい
  が、人間同士を競争させるのは悪。





12 この世は「弱肉強食」か?

□生存競争(明治の哲学者加藤弘之が訳したもの)

  ・種内競争

  ・種間競争


□弱肉強食

 ~ 一般化されたのは昭和30年近くになってから

   = 仲間意識を失った時機
   
 ○自然界は食物連鎖

チャールス・エルトン(1900-1991)英国
◎ わたしたちは自然の生態系の中に競争原理をもちこんでその結果「地獄」をつくり
  だす

 

□WHO
1950年代前半 エチオピアのある村 マラリアにより乳幼児死亡率80%
  
               ↓
      
 救済  イタリア医師団 マラリア撲滅
     5年間でマラリアを完全に駆逐
     死亡率が10%程度まで下がった
   
              ↓
      
 10年後 村が消滅してしまった
 ◎ マラリアが撲滅され、死亡率が減少し、人口が急激に増加した。しかし、その増加
  した人口を村の生産力では養えなかった。村は雲散霧消するほかなかった。
             
              ↓
      
  WHOが深刻なジレンマに陥った            
◎関口武『気象と文化』東洋経済新報社



          ◎ 競争原理に対する疑問!





13 資本の論理がつくった孤独
    
□競争主義 ←→ 共生原理 

   もうだめだ。我々二人で一緒に食われよう(共死の思想)


 金子みすゞ
「こぶとり」
正直じいさんこぶがなく、なんだか寂しくなりました。

意地悪じいさんこぶがふえ、毎日わいわい泣いてます。

   正直じいさんお見舞いだ、わたしのこぶがついたとは、
        
   やれやれ、ほんとにお気の毒、も一度一緒にまいりましょ。 

   山から出てきた二人連れ、
        
   正直じいさんこぶ一つ、意地悪じいさんこぶ一つ、

   二人でにこにこ笑ってた。
    
 ◎ 日本の社会は、他人の不幸を喜ぶまでになってしまっています。まさに、地獄です。
  そして、その地獄は孤独地獄ですよね。












☆ふえる一方の不登校をどうとらるか(上)「決断を次回送りにのばす悪癖の背景に-分かっていて動きのとれない、という心理-」 伊藤友宣(神戸心療親子研究室・主宰) 『月刊少年育成』2001年 ①【再掲載 2015.3】

1.jpg

◇三十年来、ふえる一方である

 病気欠席でもなく、家庭によんどころない事情があるわけでもなくて、なんだか意味不
明のまま長く学校へ出て来なくなっているのを、以前は「登校拒否」と呼んでいましたが、
最近はもっぱら「不登校」と称されて、今では子どもの問題の代表と目される程に、一般
にありふれた現象となっています。



 ほぼ30年前に、「登校拒否」(平井信義著)が公刊されたのが、世間にこの語のひろ
まった最初です。


 米語のスクール・フォビアが、これを直訳すれば「学校恐怖」ですが、わが国では「登
校拒否」と名づけられ、その当時は、全国で何千人にも昇るかも知れないと教育心理学な
どの研究課題になりはじめたのでした。


 それが年々ふえる一方で、その後の国の統計では、30日以上意味不明で長期欠席する
のを「登校拒否」と見なして、発表される数が3万人になった、いや5万人になったと見
る間に、平成13年には、13万人と報告される次第です。



 世間では、病原菌の発見されない奇病が、なす術もなく子どもを襲っているとでも思わ
れているふしもある程、正体不明と取り扱われがちなのですね。


 ですが、決して正体不明の難病などではありません。



 これは、子ども自体の個々の問題と見る以上に、世の中全般の不用意な歪みのしわ寄せ
と見るべきでしょう。



 私は、町の中の小さなカウンセリング・ルームを開いて27年になります。


 わが子が気になると訴えて相談来所なさる、主に母親との出会いを重ね続けて来ました
が、その中に親が全く訳が分からなくて、学校にどうしても行ってくれないのですと嘆く
例がちょくちょくあらわれはじめた時、直接家庭訪問して子どもに会っても、いわゆるよ
い子で、家庭や親の様子も、家にこもりきりの子ども自体にも、とりたてて問題があるよ
うには見えない。これは一体何だろうと首をかしげたものでした。




◇時代の変容に、心が取り残される

 思えば、私が今のカウンセリング・ルームを開く前の、ほぼ30年昔迄は、(私自身は
それまでの十数年間は、親が育てられない事情にある子どもを、集団的な収容形態の養護
施設に代ってわが家で育てたいと志す里親をふやそうという、家庭養護促進の民間活動に
加わっていたのですが)子どもの問題といえば、両親あるいは片親の欠損とか、不運な事
態での家計の窮乏とかの、いわば家庭環境が整わないための止むを得ない長期欠席を問題
としていた訳です。


 それが,病気でもなく家庭が経済的に逼迫している訳でもなくて、子どもが何が問題だ
と訴えもしない、なのに、子どもなら文句なく駈けだしていく筈の学校には、明日は行く
と約束しながら、親や先生の気がかりをよそに、今日も又、朝にはいっかな動こうとしな
い。

 これは何だろうと、いぶかって子に問いただしても

「何もないよ。だから明日から行く」

とそっけない返事がかえってくるばかり。


 で、やっぱり翌朝には、押しても突いても行こうとはしない。


 これはなんだろう、と大人はだれもみな首をかしげるしかないのです。


 それまでは、いいえ、多分にいまだにそうなのですが、子どもは文句なく、特に小中学
校なんて、みんな行ってるから自分も行くのが当り前とばかりに連れ立って元気に出て行
くものとされていて、もし行きしぶる子がいると、熱でもあるのであれば無理させること
はないや、とか、家の事情でどうにも行かせられない時には、親が、仕方なく学校に連絡
して休ませるものだという以上にむずかしく考えてはいないものなのですね。


 さしたる理由もなく動きの悪い子なんて、親が強く叱って、大人の圧力や指導力で強引
に行かせてしまえばいい、と、まあ、子どものことは深刻に考えないのが一般です。


 つまり、子はみんな連れ立って学校に行くのが当り前、行こうとしない子があれば、親
の権力で取りあえず行かせときゃいいと、それでやって来たのですね、これまでずっと。


 それが、こんな風に30年来、長く休み続ける子がふえる一方である。「なになのだ?」
と、世間の首のかしげ方は一向に変らないまま、その呼び名も、「登校拒否」が「不登校」
に、いつ変ったのだか、なぜ変ったのかもよく様子が分からないで、何もかも曖昧なので
すね。


 世界がどんどん変っている。


 電子機器の目まぐるしい変容で、人の行き来から、携帯の日常化、IT産業、流通、経
済の構造のすべてのありようを根底から日に日に動かし続けている時代ですのに、子ども
の暮しをめぐる学校なり家庭なり地域環境に停滞している、人の心のありようについては、
あまりにも旧態依然たる理解の程度でありすぎるわけです。

→ ②に続く

nice!(155)  コメント(2) 
共通テーマ:学校