鷲田小彌太さんはこんなことを 27-「日本人のための歴史を考える技術」PHP 1999年 (7) /「日常を愛する」 松田道雄 平凡社 2002年 【再掲載 2002年】 [読書記録 一般]
今回は、1月5日に続いてわたしの読書ノートから、
「鷲田小彌太さんはこんなことを」27回目、
「日本人のための歴史を考える技術」の紹介 7回目です。
おもしろい説だと思いました。
出版社の案内には
「邪馬台国論争とは何か、『記紀』の正しい読み方はなど、歴史の『なぜ』を
いかに問い、考えるかについて、全ての知識や学問の基礎が歴史にあると
考える哲学教授が挑む日本人のための日本史講座・古代篇。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「大化の改新は国難と内紛の時代の始まりである」
・「中大兄皇子と古人大兄も継体系の正統な王位継承権を持った。
『大兄』とは689年の飛鳥浄御原令までは天王位継承者を示す称号」
・「孝徳妃で中大兄皇子の妹である間人(はしひと)との確執もあり、百済系
の多い飛鳥に中大兄皇子が戻った。古人大兄が生きていたから孝徳天皇後
に中大兄皇子は即位せず」
もう一つ、再掲載になりますが、松田道雄さんの
「日常を愛する」を載せます。
- 日常を愛する
好きな言葉です。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆鷲田小彌太さんはこんなことを 27-「日本人のための歴史を考える技術」PHP 1999年 (7)
◇大化の改新は国難と内紛の時代の始まりである
□外交政策の再転換
継体系
- 親唐・新羅政策に転換
百済系の天王宗家は絶え,継体系が唯
一 天王位継承権
660年
百済王朝再建願う百済の旧臣がヤマト政権に救援を請う
∥
もともと百済系 救援軍 663年 失敗
∥
反唐・反新羅路線
~ 緊張感
□中大兄皇子と古人大兄
「大兄」
689年飛鳥浄御原令までは天王位継承者を示す称号
クーデター語初めて「大兄」に
「中」と「古人」とどちらが先か?
「古人」も「中」も継体系の正統な王位継承権を持った
彦人大兄(物部守屋)の孫
彦人大兄は天王馬子(聖徳太子)に殺害され権利失う
|
『日本書紀』では古人大兄は吉野に入り中大兄皇子の命で殺害
(謀反発覚として)
しかし本当に殺されたのか?
天智と大海人のいきさつと同
石渡
「古人大兄こそ大海人」
|
中大兄皇子が即位しなかった理由
「即位に足る競争者がいたため」
= 古人大兄 大海人
□天智と天武は異母兄弟
古人
継体系宗家の長子
馬子の娘を母とする=馬子の孫
古人 = 大海人 = 天武説
中 = 天智にとっては目の上のたんこぶ
額田王ライバル
□孝徳と天智の間
孝徳と中大兄皇子との確執
中国・朝鮮政策
孝徳妃で中大兄皇子の妹である間人(はしひと)との確執も
↓
百済系の多い飛鳥に中大兄皇子が戻った
孝徳天皇後に中大兄皇子は即位せず
その理由は… 古人大兄が生きていたから?
『日本書紀』皇極が重そして斉明になった
661年斉明死して中大兄皇子が称制
|
ピンチヒッターは?
間人(はしひと)
(『日本書紀』ではもがりが2年間 = 天王と同じ扱い)
☆「日常を愛する」 松田道雄 平凡社 2002年 【再掲載 2002年】
◇松田道雄
1908~1998 茨城県生まれ
京大医学部卒
戦後
小児科医院開業 育児書・啓発書を著す
1967年
開業医をやめ研究執筆活動に専念
◇1981年
1月 続けたいこと
「テレビを見ないこと」→食卓が賑やかになる
かぜ
持論
「かぜらしかったら医者にかかるべきではない」
- 自分の体はホームグラウンド
2月 子供とテレビ
テレビは活字と違い6歳以下の人間まで巻き込んでいる
→ 子供がテレビを見ている間、家族が沈黙している
テレビへの危惧
① テレビに対して親が無力
② 暴力シーンの多いことが子供に攻撃的な傾向を生み出してい
るのではないか
↓
◎ 世界中で日本の子供ほどメーカーの好き勝手に振り回されて長
時間テレビの前にさらされているものはない
移ろいやすさ 日常はもろく移ろいやすいもの
親と先生の距離
3月 責任 国語教科書に「責任というもの」
日本の医は「3分間医療」
4月 田村洋幸 『光は失われても』
しつけ → 真似をさせるとなると、手本はたくさんあった方がいい
~ 大家族
=大家族がやってきた子どものしつけをいかに続けるか
5月 医者 保健医療の点数の哀しさ
<~途中>
「鷲田小彌太さんはこんなことを」27回目、
「日本人のための歴史を考える技術」の紹介 7回目です。
おもしろい説だと思いました。
出版社の案内には
「邪馬台国論争とは何か、『記紀』の正しい読み方はなど、歴史の『なぜ』を
いかに問い、考えるかについて、全ての知識や学問の基礎が歴史にあると
考える哲学教授が挑む日本人のための日本史講座・古代篇。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「大化の改新は国難と内紛の時代の始まりである」
・「中大兄皇子と古人大兄も継体系の正統な王位継承権を持った。
『大兄』とは689年の飛鳥浄御原令までは天王位継承者を示す称号」
・「孝徳妃で中大兄皇子の妹である間人(はしひと)との確執もあり、百済系
の多い飛鳥に中大兄皇子が戻った。古人大兄が生きていたから孝徳天皇後
に中大兄皇子は即位せず」
もう一つ、再掲載になりますが、松田道雄さんの
「日常を愛する」を載せます。
- 日常を愛する
好きな言葉です。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆鷲田小彌太さんはこんなことを 27-「日本人のための歴史を考える技術」PHP 1999年 (7)
◇大化の改新は国難と内紛の時代の始まりである
□外交政策の再転換
継体系
- 親唐・新羅政策に転換
百済系の天王宗家は絶え,継体系が唯
一 天王位継承権
660年
百済王朝再建願う百済の旧臣がヤマト政権に救援を請う
∥
もともと百済系 救援軍 663年 失敗
∥
反唐・反新羅路線
~ 緊張感
□中大兄皇子と古人大兄
「大兄」
689年飛鳥浄御原令までは天王位継承者を示す称号
クーデター語初めて「大兄」に
「中」と「古人」とどちらが先か?
「古人」も「中」も継体系の正統な王位継承権を持った
彦人大兄(物部守屋)の孫
彦人大兄は天王馬子(聖徳太子)に殺害され権利失う
|
『日本書紀』では古人大兄は吉野に入り中大兄皇子の命で殺害
(謀反発覚として)
しかし本当に殺されたのか?
天智と大海人のいきさつと同
石渡
「古人大兄こそ大海人」
|
中大兄皇子が即位しなかった理由
「即位に足る競争者がいたため」
= 古人大兄 大海人
□天智と天武は異母兄弟
古人
継体系宗家の長子
馬子の娘を母とする=馬子の孫
古人 = 大海人 = 天武説
中 = 天智にとっては目の上のたんこぶ
額田王ライバル
□孝徳と天智の間
孝徳と中大兄皇子との確執
中国・朝鮮政策
孝徳妃で中大兄皇子の妹である間人(はしひと)との確執も
↓
百済系の多い飛鳥に中大兄皇子が戻った
孝徳天皇後に中大兄皇子は即位せず
その理由は… 古人大兄が生きていたから?
『日本書紀』皇極が重そして斉明になった
661年斉明死して中大兄皇子が称制
|
ピンチヒッターは?
間人(はしひと)
(『日本書紀』ではもがりが2年間 = 天王と同じ扱い)
☆「日常を愛する」 松田道雄 平凡社 2002年 【再掲載 2002年】
◇松田道雄
1908~1998 茨城県生まれ
京大医学部卒
戦後
小児科医院開業 育児書・啓発書を著す
1967年
開業医をやめ研究執筆活動に専念
◇1981年
1月 続けたいこと
「テレビを見ないこと」→食卓が賑やかになる
かぜ
持論
「かぜらしかったら医者にかかるべきではない」
- 自分の体はホームグラウンド
2月 子供とテレビ
テレビは活字と違い6歳以下の人間まで巻き込んでいる
→ 子供がテレビを見ている間、家族が沈黙している
テレビへの危惧
① テレビに対して親が無力
② 暴力シーンの多いことが子供に攻撃的な傾向を生み出してい
るのではないか
↓
◎ 世界中で日本の子供ほどメーカーの好き勝手に振り回されて長
時間テレビの前にさらされているものはない
移ろいやすさ 日常はもろく移ろいやすいもの
親と先生の距離
3月 責任 国語教科書に「責任というもの」
日本の医は「3分間医療」
4月 田村洋幸 『光は失われても』
しつけ → 真似をさせるとなると、手本はたくさんあった方がいい
~ 大家族
=大家族がやってきた子どものしつけをいかに続けるか
5月 医者 保健医療の点数の哀しさ
<~途中>