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「思春期の子に本当に手を焼いたときの処方箋33」土井高徳 小学館新書 2014年 ⑦ / 特集「喜怒哀楽の人間学」のことば-『致知』2004年11月号より【再掲載 2013.5】 [読書記録 教育]

今回は、9月16日に続いて、土井高徳さんの
「思春期の子に本当に手を焼いたときの処方箋33」の紹介 7回目です。



出版社の紹介には


「子どもの言葉が荒くなった。暴力をふるわれた。口をきいてくれないので何
 を考えているのかわからない......。10歳からはじまる思春期。子どもの突然
 の態度の変化に戸惑う親は多い。
 37年間に100人。福岡県北九州市の「土井ホーム」にやってくるのは、ほ
 かの施設では手に負えないほど心に傷を抱えた子どもたち。ともに暮らしな
 がら心の傷を癒し、社会へと自立させてきた日本でただひとりの『治療的里
 親』が、だれにでもできて、どんな子にもすぐによく効く10~22歳、思春期
 の子育ての処方箋を伝授。」

 
とあります。


今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「言葉と実際の行動との間に大きな乖離や矛盾があることは混乱をうむ」


・「どうしても怒りが抑えられない時には幸せ・よいところさがしをする」


・「ペアトレーニングの中心は『怒りの感情規制』」


・「隣からいつも『いつでもそばにいるよ』とメッセージを発し続けるのが親
の大事な役割」



もう一つ、再掲載になりますが、『致知』2004年11月号より
特集「喜怒哀楽の人間学」のことばを載せます。
「お菓子放浪記」を思い出しました。




<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
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☆「思春期の子に本当に手を焼いたときの処方箋33」土井高徳 小学館新書 2014年 ⑦

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◇思春期の子育てにすぐに効く処方箋 子どもとの接し方のテクニック(5)

23 言葉と行動が矛盾してはいけない
教育 ◎向き合って言葉で教える面
◎無言のまま背中で学ばせる面
言葉と実際の行動との間に大きな乖離や矛盾があることは混乱

〈一口メモ〉子どもはタテマエとホンネの使い分け


24 どうしても怒りが抑えられない時には
   「ピンクの象のことを考えない」 
      考えないよう集中することでますます考えてしまう
→ 幸せ・よいところさがしをする


25 親が自分の怒りをコントロールする方法
「冷静さを失わない限りわたしはこの状況をコントロールできる」
「ことが知れても他人に言い訳する必要はない」
「怒りに支配されてはいけない 今すべきことに集中しよう」
「あわてて結論を出さないようにしよう」

〈一口メモ〉ペアトレーニングの中心は「怒りの感情規制」
         「自己教示」技法は有効


26 頭が真っ白になった時には  
「この緊張こそが味方」
「リラックスしよう コントロールできている ゆっくり深呼吸して」
深呼吸 → 手足「温かい」と言い聞かせる

   〈一口メモ〉呼吸が速くなる(ファイト オア フライト反応)
          → 丹田呼吸法


27 子ども時代の自分と向き合ってみる   
「アンガーコントロール」が何より重要
満たされなかった親自分のことをノートに書き出す
      → そのできごとに「つらかった」「悲しかった」とラベリング

   〈一口メモ〉
     「モンスターペアレント」     
一見常識を欠いたことを要求する親の多くが、子ども時代に解
      決すべき課題を積み残したまま大人になっていると考えられます。
      確かな大人との応答を通じて、自己の成長を図った経験がないと、
      他人との適切な関係を保つことができずに、過大な要求を押しつ
      けるか逆に極端に回避してしまいがちになってしまいます。


28 「この子さえいなければ」と思ったら
子ども1357歳の節目の写真を選び机上に置く
     → 当時の出来事や思い出を写真のそばの紙に書いていく  
感情を書き出す → 和解

   〈一口メモ〉子どもの問題 - 夫婦の問題
         子育ては己育て自分育て  


29 子どもが安心できるのは特別で特定の人
   2012年 映画「隣(とな)る人」  
         特別で特定の人
           - 安心安定の基盤
   隣からいつもメッセージを発し続けるのが親の大事な役割
     「いつでもそばにいるよ」








☆特集「喜怒哀楽の人間学」のことば-『致知』2004年11月号より【再掲載 2013.5】


 少年は両親の愛情をいっぱいに受けて育てられた。


 珠に母親の溺愛は近所の物笑いの種になるほどだった。


 その母親が姿を消した。


 庭に造られた粗末な離れ。そこに寵もったのである。


 結核を病んだのだった。

 
 近寄るなと周りは注意したが、母恋しさに少年は離れに近寄らずにはいられ
なかった。


 しかし、母親は一変していた。


 少年を見ると、ありつたけの罵声を浴びせた。


 コップ、お盆、手鏡と手当たり次第に投げつける。


 青ざめた顔。


 長く乱れた髪。


 荒れ狂う姿は鬼だった。


 少年は次第に母を憎悪するようになった。哀しみに彩られた憎悪だった。


 少年6歳の誕生日に母は逝った。


「お母さんにお花を」と勧める家政婦のオバサンに、少年は全身で逆らい、決
して柩の中を見ようとはしなかった。


 父は再婚した。少年は新しい母に愛されようとした。だが、だめだった。


 父と義母の間に子どもが生まれ、少年はのけ者になる。

 
 少年が9歳になって程なく、父が亡くなった。やはり結核だった。


 その頃から少年の家出が始まる。


 公園やお寺が寝場所だった。
 

 公衆電話のボックスで体を二つ折りにして寝たこともある。


 そのたびに警察に保護された。


 何度目かの家出の時、義母は父が残したものを処分し、家をたたんで蒸発し
た。


 それからの少年は施設を転々とするようになる。


 13歳の時だった。


 少年は知多半島の少年院にいた。


 もういっぱしの「札付き」だった。


 ある日、少年に奇蹟の面会者が現れた。


 泣いて少年に柩の中の母を見せようとしたあの家政婦のオバサンだった。


 オバサンはなぜ母が鬼になったのかを話した。


 死の床で母はオバサンに言ったのだ。


「私は間もなく死にます。あの子は母親を失うのです。幼い子が母と別れて悲
 しむのは、優しく愛された記憶があるからです。憎らしい母なら死んでも悲
 しまないでしょう。
 あの子が新しいお母さんに可愛がってもらうためには、死んだ母親なんか憎
 ませておいたほうがいいのです。そのほうがあの子は幸せになれるのです」


 少年は話を聞いて呆然とした。


 自分はこんなに愛されていたのか。


 涙がとめどもなくこぼれ落ちた。
 

 札付きが立ち直ったのはそれからである。


 作家・西村滋さんの少年期の話である。
                                        


 喜怒哀楽に満ちているのが人生である。


 喜怒哀楽に彩られたことが次々に起こるのが人生である。


 だが、その表面だけを掬い取り、手放しで受け止めてはなるまい。


 喜慈哀楽の向こうにあるものに思いを馳せつつ、人生を歩みたいものである。


 その時、人生は一層の深みを増すだろう。


 われわれが人間学を学ぶ所以もそこにある。


 中江藤樹の言葉がある。 


「順境に居ても安んじ、逆境に居ても安んじ、常に担蕩々として苦しめる処な
 し。これを真楽というなり。萬の苦を離れてこの真楽を得るを学問のめあて
 とす」

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