「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」新谷尚紀 文春新書 2003年 ① /「~しなさいと言わない教育」平井雷太 日本評論社 1995年 ②(後半)【再掲載 2014.3】 [読書記録 民俗]
今回は、新谷尚紀さんの
「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」の紹介 1回目です。
出版社の紹介には
「超情報化社会にありながら、私たちの暮らしには、昔からの慣習が生きてい
る。ことに、生と死、神と仏に関するしきたりには―。しかし、よく考えれ
ば疑問がいっぱいだ。例えば、神さまに供える賽銭を無礼(?)にも、なぜ
投げるのか?玄関になぜお札を帖るのか?葬儀でなぜ香典を出すのか?死者
になぜ枕飯や火を供えるのか?それら民俗信仰のもつ意味を見つめ直し、自
らの来歴を忘れがちな現代人に改めて問う、示唆に富む論考。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「喪失と聖化の老人期」
・「民俗学の出発は生活の中の疑問」
・「新暦により日取りが一か月早くなった。そりれにより、端午の節句では、
薬草としての菖蒲や蓬にまつわる習俗後退した」
・「梅雨は青い梅の実が太り始める時期。一年間の四分の一の降雨が有、それ
は農村にとっては恵みの雨となる」
もう一つ、再掲載になりますが、平井雷太さんの
「~しなさいと言わない教育」②を載せます。
☆「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」新谷尚紀 文春新書 2003年 ①

◇はじめに
□一つだけの絶対
人生の段階毎の喜怒哀楽
ほのかな思い出の幼少期
甘酸っぱくもあり苦くもある青年期
社会的労働と家族運営との両立で精一杯の壮年期
喪失と聖化の老人期
◎一つだけの絶対 = 死
□民俗信仰とは
民間信仰
一般庶民の信仰 姉崎正治 堀一郎
民俗宗教
宮家準 習合宗教と民間信仰との両者を含める
「民間」と「宗教」を避ける
→ 民俗 信仰
□日本人論と民俗学
個人と位置
日本論の背景
ここもニッポン
□伝統に学ぶ
民俗学の出発は生活の中の疑問
◇四季おりおり
1 花と水の季節
□4月 日本人はなぜ桜を愛でるのか
辻誠一郎
「桜は落葉広葉樹林の高木が葉を茂らせて陽光を遮る前に一足早く
花をつけることによって実を結び生き残る戦略を身に付けた樹林
である」
平城宮造営
人間の開発による高木伐採
→ 桜にとって有利
都城の近くでは、ミツバチ媒介による品種館の交雑多様
な変異種
中国の花である梅に対して桜を愛でる
→ 平安
仁明天皇
紫辰殿の桜(梅から)変えた
「左近の桜」「右近の橘」
桜
命が短い 樹齢自体数十年 ~ 人間の一生と類似
樹木と人間とが交わす生命と霊魂の共感
□5月 端午の節句に鯉のぼりをあげるのはなぜか
近世後期、町方から
もとは菖蒲で邪気を祓った
鯉のぼり
- 源流は戦国武者の旗指物や吹き流し
↓
江戸期
- 世継ぎの男子の健やかな成長を願う武家
幟の鍾馗(しょうき)の絵
= 子どもを疫病から守る願い
元気な鯉の滝のぼりへのあやかり
明治6(1873)年
→ 新暦 日取りが一か月早くなった
↓
◎ 薬草としての菖蒲や蓬にまつわる習俗後退
□6月 6月の長雨はなぜ梅雨というのか
梅雨
… 青い梅の実が太り始める時期
黴雨(ばいう)とも言う
蓑笠、着物、桐たんす、唐ひつ、高床、燻蒸
農村にとっては恵みの雨
- 一年間の四分の一
◎自然の試練を克服するところにこそ味わい深い伝統文化
☆「~しなさいと言わない教育」平井雷太 日本評論社 1995年 ②(後半)【再掲載 2014.3】

◇「できる・できない」を考えず,ただやる教育とは何か
話すこと
「ヤマギシ会」特別講習研鑽会
書くこと
毎日書くこと 「ニュースクール」
考現学の誕生
「月刊らくだ」「月刊ニュースクール」
◇発見と気付き
瞬時の破壊と再構築
「インタビュー」の大きな役割
らくだ学習
「自分から進んで学習する力を育てる教育」
◇「長期的やる気」を育てる教育の展開
「~しなさい」と言わない教育発見の前兆
モンテッソリー教育
- 自己決定力の尊重
しかし,自分で決めると苦手なものから遠ざかる
強制と放任の間
「短期的やる気」の発見
「学ぶときには,自分の好みだけでは進めないことが大切。学び
たくないものを学ぶことが大事」
古典的やる気
フリースクール
「学びたいものを自分で選ぶ中でやる気は育つ」
水道方式
「楽しい授業,分かる授業をすることでやる気は育つ」
公文
「進度一覧表作成し競争させ表象することでやる気は育つ」
短期的やる気
外から刺激を与えられて「人にやらせよう,人を変えよう」とす
る意識の中で育ったやる気 = 古典的やる気論
長期的やる気
◎ 人を変えようとする意識の中ではなく,自分が「できる・できな
い」を決めつけずにまずやってみる。ただ,やっていく中で何がで
きて何ができないかを自覚し,できないことがどうしてできるよう
になるか,できるようになる仕組みを自分で作っていくことこそや
る気
◇エピローグ
教育の限界
森有礼と福沢諭吉
個性重視の福沢諭吉のやり方がこれからか?
◇ニュースクールとわたし
加藤哲夫
カタツムリ社主 エコロジー事業研究会主宰
場のパラダイムを変える
ニュースクール叢書
考現学という方法
毎日書く
インタビューとは何か
主題の時代から方法の時代へ
◎ 他者の中に自分を見る,自分の中に他者を見る
新しい自発性の探究
「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」の紹介 1回目です。
出版社の紹介には
「超情報化社会にありながら、私たちの暮らしには、昔からの慣習が生きてい
る。ことに、生と死、神と仏に関するしきたりには―。しかし、よく考えれ
ば疑問がいっぱいだ。例えば、神さまに供える賽銭を無礼(?)にも、なぜ
投げるのか?玄関になぜお札を帖るのか?葬儀でなぜ香典を出すのか?死者
になぜ枕飯や火を供えるのか?それら民俗信仰のもつ意味を見つめ直し、自
らの来歴を忘れがちな現代人に改めて問う、示唆に富む論考。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「喪失と聖化の老人期」
・「民俗学の出発は生活の中の疑問」
・「新暦により日取りが一か月早くなった。そりれにより、端午の節句では、
薬草としての菖蒲や蓬にまつわる習俗後退した」
・「梅雨は青い梅の実が太り始める時期。一年間の四分の一の降雨が有、それ
は農村にとっては恵みの雨となる」
もう一つ、再掲載になりますが、平井雷太さんの
「~しなさいと言わない教育」②を載せます。
☆「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」新谷尚紀 文春新書 2003年 ①

◇はじめに
□一つだけの絶対
人生の段階毎の喜怒哀楽
ほのかな思い出の幼少期
甘酸っぱくもあり苦くもある青年期
社会的労働と家族運営との両立で精一杯の壮年期
喪失と聖化の老人期
◎一つだけの絶対 = 死
□民俗信仰とは
民間信仰
一般庶民の信仰 姉崎正治 堀一郎
民俗宗教
宮家準 習合宗教と民間信仰との両者を含める
「民間」と「宗教」を避ける
→ 民俗 信仰
□日本人論と民俗学
個人と位置
日本論の背景
ここもニッポン
□伝統に学ぶ
民俗学の出発は生活の中の疑問
◇四季おりおり
1 花と水の季節
□4月 日本人はなぜ桜を愛でるのか
辻誠一郎
「桜は落葉広葉樹林の高木が葉を茂らせて陽光を遮る前に一足早く
花をつけることによって実を結び生き残る戦略を身に付けた樹林
である」
平城宮造営
人間の開発による高木伐採
→ 桜にとって有利
都城の近くでは、ミツバチ媒介による品種館の交雑多様
な変異種
中国の花である梅に対して桜を愛でる
→ 平安
仁明天皇
紫辰殿の桜(梅から)変えた
「左近の桜」「右近の橘」
桜
命が短い 樹齢自体数十年 ~ 人間の一生と類似
樹木と人間とが交わす生命と霊魂の共感
□5月 端午の節句に鯉のぼりをあげるのはなぜか
近世後期、町方から
もとは菖蒲で邪気を祓った
鯉のぼり
- 源流は戦国武者の旗指物や吹き流し
↓
江戸期
- 世継ぎの男子の健やかな成長を願う武家
幟の鍾馗(しょうき)の絵
= 子どもを疫病から守る願い
元気な鯉の滝のぼりへのあやかり
明治6(1873)年
→ 新暦 日取りが一か月早くなった
↓
◎ 薬草としての菖蒲や蓬にまつわる習俗後退
□6月 6月の長雨はなぜ梅雨というのか
梅雨
… 青い梅の実が太り始める時期
黴雨(ばいう)とも言う
蓑笠、着物、桐たんす、唐ひつ、高床、燻蒸
農村にとっては恵みの雨
- 一年間の四分の一
◎自然の試練を克服するところにこそ味わい深い伝統文化
☆「~しなさいと言わない教育」平井雷太 日本評論社 1995年 ②(後半)【再掲載 2014.3】

◇「できる・できない」を考えず,ただやる教育とは何か
話すこと
「ヤマギシ会」特別講習研鑽会
書くこと
毎日書くこと 「ニュースクール」
考現学の誕生
「月刊らくだ」「月刊ニュースクール」
◇発見と気付き
瞬時の破壊と再構築
「インタビュー」の大きな役割
らくだ学習
「自分から進んで学習する力を育てる教育」
◇「長期的やる気」を育てる教育の展開
「~しなさい」と言わない教育発見の前兆
モンテッソリー教育
- 自己決定力の尊重
しかし,自分で決めると苦手なものから遠ざかる
強制と放任の間
「短期的やる気」の発見
「学ぶときには,自分の好みだけでは進めないことが大切。学び
たくないものを学ぶことが大事」
古典的やる気
フリースクール
「学びたいものを自分で選ぶ中でやる気は育つ」
水道方式
「楽しい授業,分かる授業をすることでやる気は育つ」
公文
「進度一覧表作成し競争させ表象することでやる気は育つ」
短期的やる気
外から刺激を与えられて「人にやらせよう,人を変えよう」とす
る意識の中で育ったやる気 = 古典的やる気論
長期的やる気
◎ 人を変えようとする意識の中ではなく,自分が「できる・できな
い」を決めつけずにまずやってみる。ただ,やっていく中で何がで
きて何ができないかを自覚し,できないことがどうしてできるよう
になるか,できるようになる仕組みを自分で作っていくことこそや
る気
◇エピローグ
教育の限界
森有礼と福沢諭吉
個性重視の福沢諭吉のやり方がこれからか?
◇ニュースクールとわたし
加藤哲夫
カタツムリ社主 エコロジー事業研究会主宰
場のパラダイムを変える
ニュースクール叢書
考現学という方法
毎日書く
インタビューとは何か
主題の時代から方法の時代へ
◎ 他者の中に自分を見る,自分の中に他者を見る
新しい自発性の探究