「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」新谷尚紀 文春文庫 2003年 ③ /「三日でわかる古典文学」 大橋敦夫・西山秀人 ダイヤモンド社 2000年 ⑤【再掲載 2015.4】 [読書記録 民俗]
今回は、11月9日に続いて新谷尚紀さんの
「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」の紹介 3回目です。
出版社の紹介には
「超情報化社会にありながら、私たちの暮らしには、昔からの慣習が生きてい
る。ことに、生と死、神と仏に関するしきたりには―。しかし、よく考えれ
ば疑問がいっぱいだ。例えば、神さまに供える賽銭を無礼(?)にも、なぜ
投げるのか?玄関になぜお札を帖るのか?葬儀でなぜ香典を出すのか?死者
になぜ枕飯や火を供えるのか?それら民俗信仰のもつ意味を見つめ直し、自
らの来歴を忘れがちな現代人に改めて問う、示唆に富む論考。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「正月は、大人も子どもも一斉に一つずつ年を取る日。数え年、たましい
の数の年齢を数える方法で生まれたときはだれでも1歳」
・「旧暦(太陰太陽暦)は、月のリズム、太陽のリズムの両者を併せ用いる。
大の月(30 日)6ヶ月と小の月(29日)6ヶ月、1年は12か月、
354日。しかし、それでは、太陽の一回り1年と約11日と6時間のずれ
が生じる。そのために2つの工夫をした。一つは、閏月で約5年に2度
の割合で1年を13か月として調整した。もう一つは、月の満ち欠けに
関係なく太陽の黄道の一回りを24等分する24節気を儲けた」
・「月の満ち欠けの『正月 もち』と太陽の巡りの『立春 豆』」
・「3月3日の上巳の節句習俗は室町時代から始まった。一般農民は草餅と
御馳走を重箱に詰め、山遊び・町遊び・磯遊びに出かけた」
もう一つ、再掲載になりますが、大橋敦夫さん、西山秀人さんの
「三日でわかる古典文学」⑤を載せます。
☆「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」新谷尚紀 文春文庫 2003年 ③
◇四季おりおり(3)
4 禊祓と祝福の季節
□1月 正月行事の意味は?
大人も子どもも一斉に一つずつ年を取る日
数え年
= 年玉の数
たましいの数の年齢を数える方法
生まれたときはだれでも1歳
↓
◎ 正月が来るたびに一つずつ年を取る
年玉・稲魂・穀霊
元旦
小正月
1月14日~15日
行事集中 豊作祈願 年占 除災招福
∥
◎ 基本は 年取り と 除災招福
□2月 節分の由来は何か?
今でも
… 「伝統文化の商品化」
立春の前日節分 1年の変わり目
かつては旧暦(太陰太陽暦)
月のリズム、太陽のリズムの両者を併せ用いる
1か月
月の満ち欠けの一巡 = 平均29.5日
大の月(30日)6ヶ月 小の月(29日)6ヶ月
↓
1年 12か月 354日
◎太陽一回り1年と約11日と6時間のずれ
↓
◎2つの工夫
① 閏月 19年7閏
約5年に2度の割合で1年を13か月として調整
② 月の満ち欠けに関係なく太陽の黄道の一回りを24等分
する24節気を儲けた
↓
・月の満ち欠けの 正月 もち
・太陽の巡りの 立春 豆
豆まきのもとは
朝廷 12月晦日の晩の追儺の行事
|
古代中国から
方相氏が疫鬼を追い払う行事
↓
鬼やらいの節分の豆まき行事として一般化
□3月 ひな人形に込められた意味とは?
ひな祭りの由来
1 3月3日の曲水の宴
2 貴族幼女たちの雛遊び
3 祓えの呪具 人形(ひとかた)
|
◎ 3月3日の上巳の節句習俗は室町時代から
一般農民は山遊び・町遊び・磯遊び
- 草餅と御馳走を重箱に
☆「三日でわかる古典文学」 大橋敦夫・西山秀人 ダイヤモンド社 2000年 ⑤【再掲載 2015.4】
◇「伊勢物語」と「大和物語」
建前の「伊勢」,本音の「大和」
「筒井筒」の段に描かれる理想と現実
「伊勢」
~ 「もののあはれ」を漂わす理想的女性に価値を
「大和」は「伊勢」の裏を暴く
伊勢(陽の神社)と熊野(陰の神社)
「大和物語」の中心は散文
ゴシップ的内容が強い
◇土佐日記
中期の女流作家の誕生を促した日記文学
女流日記文学の先駆け
実録 → 文芸作品に
土佐から京へ帰る道筋で出会う人の物語
紀貫之の姿勢
「生きし生きるものいづれか歌を詠まさせりけり」
人間の変わりやすい心と変わらない心とは…
変わらないのは子を思う親の気持ち
名声の高い紀貫之も出世はいまいち
◇菅原道真
異例のスピード出世
32歳で学問の道のトップ = 文章博士
「日本の白楽天」漢詩上手
↓
宇多天皇の寵愛 ← 周囲の反発
藤原時平が謀反の罪を着せる
↓
道真 57歳
右大臣 → 太宰府で二年後没
追放に関わった人が次々に死去
→ 北野天満宮
◇平安期
宮廷貴族文化
女流作家活躍
平安中期 969~1086
- 摂関政治全盛時代
一夫多妻制・夫の通い婚が基本
→ 女性・自分の存在理由にもがき苦しむ
◇蜻蛉日記
自分の反省を回想した日本初の私小説の誕生
名を残しても名前を知られない女性
「道綱母」
本朝第一の美人三人の内の一人
和歌にも才
正妻も子供もいた兼家の妻に
19~40歳
女盛りの半生の回想録
新しいジャンルを生み出した「蜻蛉日記」
一夫多妻制の下での妻たちの葛藤
結婚生活への夢が破れ自分と向き合う
正妻の地位は安泰
- 天皇正規の配偶者も正妻(中宮・女御)
兼家
9人の妻 → だんだんと許せなくなる
「百人一首」の名歌には切実さと嫌味が混在
儚い存在の平安時代の妻たち
20年間の結婚生活に終止符 → 別荘に住む
兼家 権力を手に
→ 正妻時媛との間に三男二女
男子は全員摂政・関白(三男が道長)
女子二人とも皇后
「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」の紹介 3回目です。
出版社の紹介には
「超情報化社会にありながら、私たちの暮らしには、昔からの慣習が生きてい
る。ことに、生と死、神と仏に関するしきたりには―。しかし、よく考えれ
ば疑問がいっぱいだ。例えば、神さまに供える賽銭を無礼(?)にも、なぜ
投げるのか?玄関になぜお札を帖るのか?葬儀でなぜ香典を出すのか?死者
になぜ枕飯や火を供えるのか?それら民俗信仰のもつ意味を見つめ直し、自
らの来歴を忘れがちな現代人に改めて問う、示唆に富む論考。」
とあります。
今回紹介分から強く印象に残った言葉は…
・「正月は、大人も子どもも一斉に一つずつ年を取る日。数え年、たましい
の数の年齢を数える方法で生まれたときはだれでも1歳」
・「旧暦(太陰太陽暦)は、月のリズム、太陽のリズムの両者を併せ用いる。
大の月(30 日)6ヶ月と小の月(29日)6ヶ月、1年は12か月、
354日。しかし、それでは、太陽の一回り1年と約11日と6時間のずれ
が生じる。そのために2つの工夫をした。一つは、閏月で約5年に2度
の割合で1年を13か月として調整した。もう一つは、月の満ち欠けに
関係なく太陽の黄道の一回りを24等分する24節気を儲けた」
・「月の満ち欠けの『正月 もち』と太陽の巡りの『立春 豆』」
・「3月3日の上巳の節句習俗は室町時代から始まった。一般農民は草餅と
御馳走を重箱に詰め、山遊び・町遊び・磯遊びに出かけた」
もう一つ、再掲載になりますが、大橋敦夫さん、西山秀人さんの
「三日でわかる古典文学」⑤を載せます。
☆「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」新谷尚紀 文春文庫 2003年 ③
◇四季おりおり(3)
4 禊祓と祝福の季節
□1月 正月行事の意味は?
大人も子どもも一斉に一つずつ年を取る日
数え年
= 年玉の数
たましいの数の年齢を数える方法
生まれたときはだれでも1歳
↓
◎ 正月が来るたびに一つずつ年を取る
年玉・稲魂・穀霊
元旦
小正月
1月14日~15日
行事集中 豊作祈願 年占 除災招福
∥
◎ 基本は 年取り と 除災招福
□2月 節分の由来は何か?
今でも
… 「伝統文化の商品化」
立春の前日節分 1年の変わり目
かつては旧暦(太陰太陽暦)
月のリズム、太陽のリズムの両者を併せ用いる
1か月
月の満ち欠けの一巡 = 平均29.5日
大の月(30日)6ヶ月 小の月(29日)6ヶ月
↓
1年 12か月 354日
◎太陽一回り1年と約11日と6時間のずれ
↓
◎2つの工夫
① 閏月 19年7閏
約5年に2度の割合で1年を13か月として調整
② 月の満ち欠けに関係なく太陽の黄道の一回りを24等分
する24節気を儲けた
↓
・月の満ち欠けの 正月 もち
・太陽の巡りの 立春 豆
豆まきのもとは
朝廷 12月晦日の晩の追儺の行事
|
古代中国から
方相氏が疫鬼を追い払う行事
↓
鬼やらいの節分の豆まき行事として一般化
□3月 ひな人形に込められた意味とは?
ひな祭りの由来
1 3月3日の曲水の宴
2 貴族幼女たちの雛遊び
3 祓えの呪具 人形(ひとかた)
|
◎ 3月3日の上巳の節句習俗は室町時代から
一般農民は山遊び・町遊び・磯遊び
- 草餅と御馳走を重箱に
☆「三日でわかる古典文学」 大橋敦夫・西山秀人 ダイヤモンド社 2000年 ⑤【再掲載 2015.4】
◇「伊勢物語」と「大和物語」
建前の「伊勢」,本音の「大和」
「筒井筒」の段に描かれる理想と現実
「伊勢」
~ 「もののあはれ」を漂わす理想的女性に価値を
「大和」は「伊勢」の裏を暴く
伊勢(陽の神社)と熊野(陰の神社)
「大和物語」の中心は散文
ゴシップ的内容が強い
◇土佐日記
中期の女流作家の誕生を促した日記文学
女流日記文学の先駆け
実録 → 文芸作品に
土佐から京へ帰る道筋で出会う人の物語
紀貫之の姿勢
「生きし生きるものいづれか歌を詠まさせりけり」
人間の変わりやすい心と変わらない心とは…
変わらないのは子を思う親の気持ち
名声の高い紀貫之も出世はいまいち
◇菅原道真
異例のスピード出世
32歳で学問の道のトップ = 文章博士
「日本の白楽天」漢詩上手
↓
宇多天皇の寵愛 ← 周囲の反発
藤原時平が謀反の罪を着せる
↓
道真 57歳
右大臣 → 太宰府で二年後没
追放に関わった人が次々に死去
→ 北野天満宮
◇平安期
宮廷貴族文化
女流作家活躍
平安中期 969~1086
- 摂関政治全盛時代
一夫多妻制・夫の通い婚が基本
→ 女性・自分の存在理由にもがき苦しむ
◇蜻蛉日記
自分の反省を回想した日本初の私小説の誕生
名を残しても名前を知られない女性
「道綱母」
本朝第一の美人三人の内の一人
和歌にも才
正妻も子供もいた兼家の妻に
19~40歳
女盛りの半生の回想録
新しいジャンルを生み出した「蜻蛉日記」
一夫多妻制の下での妻たちの葛藤
結婚生活への夢が破れ自分と向き合う
正妻の地位は安泰
- 天皇正規の配偶者も正妻(中宮・女御)
兼家
9人の妻 → だんだんと許せなくなる
「百人一首」の名歌には切実さと嫌味が混在
儚い存在の平安時代の妻たち
20年間の結婚生活に終止符 → 別荘に住む
兼家 権力を手に
→ 正妻時媛との間に三男二女
男子は全員摂政・関白(三男が道長)
女子二人とも皇后