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竹原泰三さんはこんなことを(月刊「少年育成」より)④-教師は教育改革についていけるか? 竹原泰三 ジャーナリスト /「昭和史をどう生きたか」半藤一利 東京書籍 2014年 ④【再掲載 2015.8】 [読書記録 教育]

今回は、11月10日に続いて、かつての月刊『少年育成』誌のコラムから、
「竹原泰三さんはこんなことを」④紹介します。


もう一つ、再掲載になりますが、半藤一利さんの
「昭和史をどう生きたか」④を載せます。
読んでいると、悲しさとともに静かな怒りがわいてきました。





☆竹原泰三さんはこんなことを(月刊「少年育成」より)④-教師は教育改革についていけるか? 竹原泰三 ジャーナリスト

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 東京・品川区の小学校に「すまいるスクール」というのがあるそうだ。


 小学生が放課後や土曜日に遊んだり学んだりする場所として、去年9月
に第1号が開校、今年9月には新たに3校が開校した。


 場所は学校の空き教室を利用したり、敷地内に別の建物を建てたりとそ
れぞれ工夫している。


 少子化で学校の教室が余っているのもこうした試みができる理由の一つ
である。


 その中身だが、「教室」はパソコン教室や英会話など、各学校で異なる
が、自由時間は好きなように過ごすのが原則。


 囲碁やトランプなどのゲームをしたり、校庭での運動、折り紙、自習
を想定しているという。


 補習を中心とする勉強会もあり、一、二年生は週一回、それ以外は週2
回で、プリントなどを活用している。


 子どもたちの相手をするのは、専任の指導員一人と非常勤スタッフ8人
で、教職経験者や志望者が当たっている。


 PTAや地域の「達人」の力を借りているところもある。放課後は午後
5時まで、土曜日や夏休みなどは午前9時から午後5時まで開いている。


 登録制にしているため、毎日受付で名前を書かせて出席を確認している
が、全校児童の6割から8割の児童が登録しているという。


 学習指導要領が改訂され、新たな教育のあり方が大きな課題になってい
る時だけに、なにかと参考になりそうだ。


 この新聞記事を読んで、団塊の世代の我々の時代はどうだったか、思い
出してみた。


 かつてないほどの大勢の子どもたちが一斉に小学校に入学する時期を迎
え、教室が足りない。


 いや、学校そのものが足りない。


 新しい学校が次々にできて、マンモス校は分割され、子どもたちは転校
していく。


 同じ学校にいても、新しい枚舎ができて、学校の様子はめまぐるしく変
わる。


 それでも教室が足りず、二部授業、三部授業も経験した。


 今となっては懐かしい思い出である。
 

 小学校の校庭はおおむね地域に開放されていたように思う。


 私は地方で育ったが、小学生の頃は地域の子供会のソフトボール部に所
属していたので、土曜日や日曜日は遅くまで校庭で練習をしていた。


 同じグラウンドでは自転車に乗る練習をしたり、ドッジボールを楽しん
だりする子どもも多く、小学校は地域の交流の場になっていた。


 先生や保護者は今ほどは授業のことにうるさくなかった。


 これは勉強をしなくてもいいという意味ではなく、子どもは勉強するの
が当たり前と考えられていたから、口に出して言わなくてもよかっただけ
である。


 けんかをして少しくらいけがをしても、けんかは子どもにはつきもの、
親の出る幕ではないと、おおらかだった。


 子どもが学校でけがをすると、すぐに学校に文句を言うようになったの
はずっと後のことである。


 日本の教育は今、大きく変わろうとしている。今年は「教育改革元年」
といってもいいのかもしれない。


「学力の低下をどうやって食い止めるか」「子どもたちに休日をどう過ご
させるか」手探りの取り組みが続いている。


 こうした現状を、全国の公立中学の先生たちは、「もっと学校の現実を
ふまえた改革にしてほしい」「改革が速すぎて余裕をなくしている」と考
えていることが、国立教育政策研究所の調査でわかったと、朝日新聞は紹
介している。


 この記事を読むと、読者の多くは、現場の先生たちは大変だ、と思うこ
とだろう。

 しかし、調査結果はその通りであっても、結果をそのまま受け入れるこ
とはできない。


 教師たちの不満の背景には、この春から導入された新しい学習指導要領
では「学力が低下する」という反発が強く、文部科学省が急きょ「学びの
すすめ」を出して学力の維持を呼びかけた、といういきさつがある。


 確かに現場の立場としては、教育方針がころころ変わっては、たまった
ものではないだろう。


 しかし、教育改革の議論の推移を見ていると、教師が反発している本当
の理由は、そのことではなく、これまで「ゆとり路線」一辺倒できていた
教育改革が、「学力優先」に方針転換しようとしていることに対する反発、
危機感ではないだろうか。


 今回の調査でも、自由記述で「教科内容の削減への不安」などを指摘し
た教員は17パーセントしかいなかったという。


 世論の多くが「学力の低下」を心配しているのに、現場の教師はほとん
ど気にしていないという、教育界の現実離れを物語っている。


 この記事の最後は「今は大改革期で、教員に、これまで以上に力量の真
価が問われているという自覚が必要だ」という言葉で締めくくっているこ
とを現場の教師も忘れないでほしい。







☆「昭和史をどう生きたか」半藤一利 東京書籍 2014年 ④【再掲載 2015.8】

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◇指揮官たちは戦後をどう生きたか 保阪正康 (後半)
□樹を植え続けた吉松喜三
  吉松喜三大佐
   … 戦争が終わると黄色の大地に植樹
戦中戦後に400万本
「緑の連隊長」第三連隊は「植樹部隊」

靖国神社境内の樹の実から苗木 
       → 遺族に!
戦場での勇猛果敢な指揮官ほど、物静かな方が多い


□佐伯静丈大佐 乙戸昇 田辺弥八
「真の勇気とは?」
    → 「義務に従って精一杯努力することでしょう」 
長谷川稔
     →  藤沢高校の英語の先生に
            ↑↓
大本営の参謀  
    生き死にが遠い世界
    計算をする生き方 



□責任を感じない人々
  愚将が戦後も復職や国会議員になった例が多い
  辻政信
   → バンコクで終戦 戦犯指定を遁れるため「僧に変装して」 
   S24.8帰国ベストセラー
  S27 参議院議員
  よくしゃべる
   反省の「は」の字もない人
      戦争中も常に責任逃れし、さんざん失敗し日本兵を殺し、戦後
も同様、責任を取らずに反省もせず 
    → こういう人物を議員に選ぶ日本人 
   

□牟田口康也の自己弁明
自分は悪くないと言い続ける
ことある毎に部下には「失敗したら腹を切れ」
            ↓
     ◎しかし自分は責任を取らない
 最後まで犠牲となった兵士たちへの謝罪はなかった


□宮崎繁三郎の部下
顔色を変え
  「あの人は畳の上で死んではいけない人間なんだ。そういう指揮官が
   何人かいるんだ」


□内藤良一中佐  
  ミドリ○○初代社長 731部隊
石井四郎 731部隊幹部
戦犯に問われるのを恐れて、偽の葬式まで出した
        |
    部下の内藤がアメリカと交渉して731部隊の研究成果を引き渡す
   代わりに免責   
かつてのミドリ○○には社員に731部隊の出身者が多い


□三波春夫と加藤大介の戦争
 加藤大介『南の島に雪が降る』回顧録
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