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「やおよろず的」玄有宗久 四季社 2005年 ①(前半) /「ようこそようこそ」 東井義雄 -『ママもっと笑って』青い窓の会 光雲社 1987年の紹介文【再々掲載 2011.7】 [読書記録 宗教]

今回は、玄有宗久さんの
「やおよろず的」1回目の紹介です。


出版社の案内には、


「最新メッセージ。もっと楽に生きてみませんか。“玄侑流”生き方の妙。」


とあります。


今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「嫌だと思いながらやっていれば嫌さは増します
→ 楽しいなと思いながら掃除する」


・「8は(日本の)聖数  中国の聖数は9  インドの聖数は7」


・「イスラム教、ユダヤ教、キリスト教は仲の悪い兄弟」


・「候文は日本で作られた最初の共通語」


・「たった一人の自分の中にあるあらゆる人間の可能性が含まれている
一つ選んでペルソナ パーソナリティ 便宜上一つ」


・「日本人はいわば古代神道の『やおよろず』という基本ソフトの上に,仏教やキリスト
  教,儒教とか道教というアプリケーションソフトを開いている民族」






もう一つ、再々掲載となりますが、東井義雄さんの
「ようこそようこそ」(『ママもっと笑って』青い窓の会 光雲社 1987年の紹介文)を
載せます。
福島県郡山市の柏屋さんの支援とともに50年以上続く児童詩集「青い窓」。
単行本をつくったときの東井義雄さんの文章を読んだだけで、
その内容が伝わり、心あらわれたような気分になります。
心の垢を落とそうと、わたしは定期的に読み直しています。
経済的には貧しかった昭和中期、精神的には豊かだったのではないかと感じてしまいま
した。





<浜松のオリーブ園>

浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト







ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。





☆「やおよろず的」玄有宗久 四季社 2005年 ①(前半)

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◇福聚寺

□400年のサクラ

「柳は緑,花は紅,真面目」
  自分 = 自然の分身   我が身も自然

     ↑↓

 座禅は不自然な努力



□禅修行の日々 

 嫌だと思いながらやっていれば嫌さは増します

 → 楽しいなと思いながら掃除する



□「やおよろず」 

 若いとき

 ~ 内部にいろんな自分がいる





◇やおよろず的人生のススメ

□「八百万」

  八 = 聖数

      
  中国は9   偶数が陰で奇数が陽 陽の最大が九

         → 三三九度 三拝九拝


  インドは7  7×7=49日
  


□中央集権化しない価値観  

 欧米 - 一神教 



□「やおよろず」から「ユナイト」へ

 キリスト教 - ヒエラルキーの世界


 候文
  ~ 日本で作られた最初の共通語


 日の丸
  ~ 山形・鶴岡の酒井家

薩摩・海軍旗



借りる



□なぜ世界は「ユナイト」へ進むのか

 明治 富国強兵・殖産興業



世界をユナイトする 均一化

   イスラム・ユダヤ・キリスト教 = 仲の悪い兄弟



□日本人の「やおよろず」性

 日本

 ~ 権力が偏らないことが大切

アイデンティティ - 個人も自己同一化?

↑↓

 ◎ 人間は六道輪廻する存在

地獄・飢餓・畜生・修羅・人間・天止
一番下が金輪際  一番上が有頂天


 ◎ 仏教は本来的に人間に違いがある



□人間を分かりたい  

 狐憑き ~ 保留 器に



今は精神病



□昏睡状態の意識

 科学は繰り返さないものしか対照にしない = 万能ではない


 アーノルド・ミンデル(米)

 ~ ドリーム・ボディ
「抑圧された自分」
  


□御縁に任せては 

 たった一人の自分の中にあるあらゆる人間の可能性が含まれている

 → 一つ選んでペルソナ パーソナリティ 便宜上一つ
  


□偶然を楽しむ 

 修行は我慢ではない 

 → 人間の遺伝子は3%しか目覚めていない
  


□一貫性を求めてしまう本能 

 人間というものに一貫性を求めてしまう

コロコロ変わると考えると死刑にできない



□「やおよろず」の基本精神

 正統の仏教はない
   ある意味で日本の仏教はみな奇形



 ◎ 日本人はいわば古代神道の「やおよろず」という基本ソフトの上に,仏教やキリス
  ト教,儒教とか道教というアプリケーションソフトを開いている民族



 ◎ 今こそ「やおよろず」という考え方が大切

   聖徳太子
     第十条「人のたがうを怒らざれ。人皆心あり」













☆「ようこそようこそ」 東井義雄 -『ママもっと笑って』青い窓の会 光雲社 1987年の紹介文【再々掲載 2011.7】 

<出版社の案内>
新聞・テレビ・ラジオ・雑誌で話題!「お父さんはとうめい人間」パート2、お母さん編。
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◇富田林市・金剛コロニーの辻新太郎君

 精薄に生まれただけでなくひどいてんかんの病気を背負っていた。


 高血圧で左半身が不随でもあった。何重もの苦しみを背負いながら見事に耐えて生きて
いた彼であったが、三年ばかり前、遂にいのちが尽さて亡くなった。


 亡くなってから発見された彼のノートには

 


  ぼくの母が訪ねてきた                         

  やせてしまって細い体になっていた

  苦労したんやな

  ぼくのために

  母ちゃん ゆるしてや

  ほくがバカヤってんな

  ゆるしてや 母ちゃん




と書き遺されていたという。


 何重もの重い苦しみを、最後の日まで耐えぬかせたものは、「やせたお母さん」だった
のである。
 





◇兵庫県立盲学校の全盲の六年生のことば


「先生、そりや、もし見えたらお母ちゃんの顔が見たいわ。

 けど、見えたら、あれも見たい、これも見たいいうことになって、ぼくなんか気が散っ
て、ダメになってしまうかもしれん。見えんかて別にどういうことあらへん。

 そりゃ、見えんのは不自由やで。でも、ぼく、不幸や思ったこといっペんもあらへん。
 先生、不自由と不幸は違うんやな」


といったという。


 大好きな、お母さんの顔さえ見たことのない、光のない世界を生きながら、何という明
るさであろうか。


「そりや 、見えたら、お母ちゃんの顔が見たいわ」


と言っていることからも、この子の心の中には、「お母さん」が、ちゃんと生きていてく
ださり、それが


「不幸や思ったこと、いっペんもあらへん」


と、言わしめているのである。





◇おうちがだんだん遠ざかっている

 お母さんさえ、子どもの心の底に戻ってくだされば、盲学校の全盲の6年生の子どもの
ように、光のない世界をきえも見事に生きぬいてくれるのである。


 それなのに、お母さんたちの心は、どんどん子どもから遠ざかってしまいつつあるので
はないか。


 この夏、島根県の幼い子どもたちを預かっておられるお寺の奥さんから



「預かり始めた十数年前には、朝、お母さんと子どもの別れがたいへんでした。親も子も、
 泣き別れだったのです。それが、今では、至極あっさり別れていきます。預かる方もし
 やすいのですが、ふと、これは喜んでいいことなのかな?と、心にひっかかるものを感
 じるのです」


 ところが、過日、宮崎県のある保育園に伺ったときにも、園長先生がおなじことをおっ
しゃるのである。


 子どもが、家へ帰りたがらなくなっているとも聞いた。


 この詩集の中に、編者は、北海道の3年生の女の子が



「日本じゅうの3年生に、おかあさんの『おかえりなさい』ということばを聞かせてやり
 たい」


という詩を入れてくださっているが、いまのお母さん方に、ぜひ、子どもたちのこの願い
を、考えてみてやっていただきたいと思う。


 昔だってお母さんたちは忙しかった。


 国中が貧しかったから、お母さんたちは、外に出て働かれた。


 しかし、家に、心は残していてくださった。ある、農村の2年生の女の子の作文を思い
出す。


 ◎◎◎◎◎
                         
 きょうもおかあちゃんは、はたけだろうなとおもいながら、学校からかえってみると、
やっぱり、うちの大戸がしまっていました。


 わたしは、つまらないなあとおもいながら、よいしょと大戸をあけました。


 戸をあけたわたしはびっくりしました。

 
 にわじゅういっぱいに、なにかかいてあります。


 よくみると、それは、けしずみでかいたおかあさんのかおでした。


 大きなかおのところのそばに


「おかえり、やきやまのはたにいるよ」


とかいてありました。
 

 わたしは、けしずみでかいたおかあさんがまっていてくれたのでさみしくないとおもい
ました。

 わたしは、かばんをおろしてから、けしずみを一コもってきました。


 そして、おかあさんのかおのところのそばに、小さいわたしをかさました。


 リボンをつけたわたしにしました。


 そして、おかあさんのほうに手をのばして、かたたたきをしているところにしました。


「かあちゃん、かたたたいてあげるよ」


とかきました。


 はんたいがわに


「あしたもまっててね」


とかきました。


 すっかりかきあがったので、手をあらって、おやつをたべてから、おかあさんのかおの
ところのそばで、ゆうがたまで、いっぽんふみをしてあそびました。              
   
 ◎◎◎◎◎ 




 こういうお母さんによって、子どもたちは、人間の心を育てられていくのである。


 それなのに、お母さんの心が、子どもから遠ざかるようになって、子どもは、だんだん
人間でなくなりはじめている。


 昭和39年頃までの詩には、


 ◎◎◎◎◎

 「おかあさんのおっぱい」
                東京都一年 たけとみまつ子

 せんせい

 おかあさんの

 おちちのことが

 きになってくるので

 まいにち

 きになってくるので

 せんせい

 どうやって                                  

 わすれますか



 というように「おかあさんのおっぱい」についてのものがいくつもでてくる。


 それが、その後、すっかり出てこなくなっている。


 これは偶然であろうか。        


 学校給食が普及して、お母さんたちは、弁当づくりの苦労から解放されなさったかもし
れない。が、



 ◎◎◎◎◎

 「母」
           6年 樫本輝雄

 けさ学校に来がけに

 ちょっとしたことから母と言いあいをした

 ぼくは どうにでもなれと思って

 ボロクソに母を言い負かしてやった

 母がこまっていた

 そしたら 学校で 昼になって

 母の入れてくれた弁当のふたをあけたら

 ぼくのすきなかつおぶしが

 パラパラとふりかけてあった

 おいしそうに かおっていた

 それを見たら

 ぼくは けさのことが思い出きれて

 後悔した

 母は いまごろ

 さびしい心でごはんをたべているだろうかと

 おもうと

 すまない心が

 グイグイ こみあげてきた




 こういう感動は、今の子どもたちにはなくなってしまっているのである。


 毎日、学校で給食を受けているのだから、遠足の弁当くらい、手づくりのおむすびに、
手紙でも添えてやれば、子どもがどれだけ感動するかもしれないのに、遠足の弁当まで、
おすし屋さんのおすしにしてしまうのである。


 この詩集の中に「こたつ」という詩が出されている。

 5年生の女の子の詩である。

 

 ◎◎◎◎◎
                                         「こたつ」
          福島県 5年 佐藤悦子

 あたたかいこたつ

 家のかぞくは 五人

 「五角のこたつならいいのに」

 と おねえさん

 一番あとからはいる

 かあちゃんは

 私と同じ所

 私は やっぱり

 四角でもいい




 子どもは、こんなふうに、お母さんとの触れ合いの時と所を求めているのである。

                


 ◎◎◎◎◎
     
 「ポケット」
         東京都 3年 粟辻安子

 お母さんの エプロンの

 ポケットの中をみると

 ボタンや はんけち 小さなえんぴつ

 ちり紙や ひもも はいっている

 そのほかにも まだはいっている

 ポケットに手を入れて いそがしそうに

 はたらいている

 くしゃみをすると すぐちり紙を

 出してくれる

 妹のかおが きたないと

 はんけちを出して かおをふく

 おかあさんだけのポケットではない               

 みんなのポケットだ




「みんなのポケット」とは、よくぞ言い切ったものだ。


「みんなのポケット」ということは「みんなのお母さん」ということだ。 
 

 お母さん方、どうか、どうか、この詩集を手がかりに、「みんなのお母さん」に戻って
やってください。


 それにしても、佐藤先生、ようこそ、ようこそ、日本の子どもたちのねがいを、このよ
うに見事にまとめてくださいました。


「ありがとうございます」


と、こころからお礼を申します。
   

 おしまいに、一昨年いただいた熊本の女子高校生の作文を紹介させていただきたい。


          

 ◎◎◎◎◎
     
 「母の日」
             熊本県 高一 小林ルリ子

 
 私が母の日を意識しはじめたのは、小学4年のときでした。


 一週間100円の小づかいの中から、50円出して、お母さんの大好きな板チョコをプ
レゼントしたのが始まりでした。


 あのときは、きまりがわるくて、お母さんのエプロンのポケットにほおりこむなり、逃
げるようにふとんにもぐりこみました。


 そして、あんなものでもよろこんでくださるかしら、誰かが聞いたら笑うんじゃないか
しらと、喜びとも、不安ともつかない複雑な気もちのまま、わたしは、いつか深い眠りに
おちていきました。


 翌朝、目をさますと、わたしの枕もとに、一枚の手紙と、板チョコの半分が銀紙に包ん
でおいてありました。


「ルリ子、きのうはプレゼントどうもありがとう。お母さんね、いままで、こんなおいし
 いチョコレート、たべたことがなかったよ。こんなにおいしいんだもの、お母さん一人
 で食べるのはもったいなくて、お母さんの大好きなルリ子にも半分食べてほしくなりま
 した。どうか、これからも、元気で、そしてすなおなよい子になってくださいね」
  


 
 読んでいる中に、涙がこみあげてきて、あのときほど、お母さんの子に生まれたことを
ほこりに思ったことはありませんでした。


 あのときの感激は、生涯、忘れることができないでしょう。


というのである。




 この詩集にも「おかあさんのようなおかあさんになりたい」という詩を出してくださっ
ているが、いま、お母さん方が、ほんとうのお母さんに戻ってくださることが、いまの女
の子たちを「おかあさんのようなおかあさんになりたい」と身構えさせることにもなると
考え、それを期待するからである。


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