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「毎日小学生新聞にみる子どもの世相史」NTTメディアスコープ 1997年 ④(最終) /「エリート×アウトロー世直し対談」堀田力・玄秀盛 集英社新書 2012年 ④(最終)【再掲載 2014.7】 [読書記録 教育]

今回は、11月23日に続いて
「毎日小学生新聞にみる子どもの世相史」の紹介4回目 最終です。



出版社の紹介には


「日本の子どもたちが、60年前に何を考え、どう生きてきたのか?そして、
 あなたが21世紀で実現する夢は?60年の時を超えて、歴史から21世紀へ
 のメッセージ!!毎日小学生新聞の60年の歩みから、無垢な子どもの心をう
 つしだす。」

「創刊60年を迎えた『毎日小学生新聞』に見える、時代と子どもたちの移り
 変わりを、紙面の復刻により紹介する。手塚治虫などのマンガや、教育制
 度の変遷による影響などの項目に分け、巻末には年表を付した。」

 
とあります。


今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「大人ってずるいなあ」
- わたしも子どもの頃、そう感じていたことを思い出しました。


・「チラシみたいな小さな新聞 タブロイド判半分」


・「かつて戦費を集めるための賞金付き切手、
  弾丸切手があった」




もう一つ、再掲載になりますが、堀田力さん、玄秀盛さんの、
「エリート×アウトロー世直し対談」④を載せます。
最も印象に残った言葉は
 - 愛の反対は憎しみだと思うかもしれませんが、実は無関心なのです。
  憎む対象にすらならない無関心なのです。



☆「毎日小学生新聞にみる子どもの世相史」NTTメディアスコープ 1997年 ④(最終)

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◇作文・投書から見た子どもの世界
僕の夢わたしの夢

戦争を語る作文から平和を願う

すてきだなお父さんの働く姿
働く父の姿が見えず
少ない家族素材の作品

大人ってずるいなあ

悩みも喜びもみんなのもの

初めての号外 昭和天皇が亡くなられたとき 
    昭和64年1月7日(土) → 8日(日)より「平成」


◇毎小と子どもたち
プラネタリウムで星の散歩

戦前にもあった大きなイベント

チラシみたいな小さな新聞
1949年 タブロイド判半分 表裏2ページ

学校教育に新聞を 
    NIE運動

ぼくの新聞わたしの新聞
新聞をつくる力と読む力ともに育てる
「アリとキリギリス」ひろさちや

顕微鏡コンクール 
    出てこい小さな科学者たち

生きた社会科で社会勉強

広告は時代の鏡
スタートは広告なし 
    受験参考書の広告が出始める

  グリコのおまけで社会科授業

  弾丸切手って何だろう
賞金付き切手
     ~ 戦費を集めるため
1942(昭和17)年6月8日


◇未来を担う子どもたち
毎小とともに歩んで 
    昭和少年少女文学館

未来の夢を語ろう  
    大人年表・子ども年表


◇あとがき・奥付
「毎日小学生新聞に見る子ども世相史」1997年1月4日
発行者 高橋均
発行所 ㈱ NTTメディアスコープ





☆「エリート×アウトロー世直し対談」堀田力・玄秀盛 集英社新書 2012年 ④(最終)【再掲載 2014.7】

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◇無関心社会からの脱皮
  中途半端な自立意識
1981年 マザー・テレサ
「日本の多くの人は、弱い人、貧しい人に無関心です。物質的に豊か
   な人の多くは、他人に無関心です。愛の反対は憎しみだと思うかも
   しれませんが、実は無関心なのです。憎む対象にすらならない無関
   心なのです」

  偽善でもやった方が上等
  「ああーっ、またこんな人が出てきたんや」
       ~ 学校もボランティアのつもりで! 

  弱さが分かる人の幸せ
  昔の栄光だけを生きている人は寂しい

  60代からのボランティア

  幸せになるには気力がいる

  理解を得るための宣伝は必要で大切
  2011年7月 日本財団の助成事業に

  日本の寄付は「付き合い」
  「寄付させていただく」
  「そういう活動をやってくれてありがとう」
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「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」新谷尚紀 文春文庫 2003年 ⑥ /「遠江」28号【再掲載 2014.12】 [読書記録 民俗]

今回は、11月22日に続いて新谷尚紀さんの
「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」の紹介 6回目です。



出版社の紹介には


「超情報化社会にありながら、私たちの暮らしには、昔からの慣習が生きてい
 る。ことに、生と死、神と仏に関するしきたりには―。しかし、よく考えれ
 ば疑問がいっぱいだ。例えば、神さまに供える賽銭を無礼(?)にも、なぜ
 投げるのか?玄関になぜお札を帖るのか?葬儀でなぜ香典を出すのか?死者
 になぜ枕飯や火を供えるのか?それら民俗信仰のもつ意味を見つめ直し、自
 らの来歴を忘れがちな現代人に改めて問う、示唆に富む論考。」

 
とあります。


今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「しっぺい太郎の伝説は東北から九州の日本各地にある。犬の名前は地方
により、『きんとも』、『三毛犬』、『こんぶの太郎』とも」


・「アジアに広がる信仰の一つに『厩につながられる猿』がある。かつて猿
回しは、『見せ物芸+馬医者』であった」


・「光東照宮の三猿は、庚申信仰、中国道教の三尸の説と関連がある(彭候
尸、彭矯尸、彭質尸が『見ザル言わザル聞かザル』に)。61日ごとに
めぐる干支の庚申の日の夜、三尸が入りその人のことを天使に報告す
ると言われていた。報告されないようにと徹夜する(『守庚申』
 『庚申(かのえさる)待ち』)。申の日をめぐる信仰が動物の猿に結びついた」


・「庚申の日にできた子、生まれた子は盗人になると言われていた(代表
石川五右衛門の伝)。それを防ぐため『金』という字を名前につけた。
夏目漱石も慶応3(1867)年1月5日庚申の日の生まれであり、金之
助と命名された」



もう一つ、再掲載になりますが、
「遠江」28号を載せます。
 - 浜松は爆撃を終了するためのごみ箱だった
この言葉に驚きました。


☆「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」新谷尚紀 文春文庫 2003年 ⑥

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◇暮らしと信仰(3)

4 犬と信仰
□なぜ安産のお守りか  
  糸口「人身御供」伝説
    

□しっぺい太郎の伝説
犬の名前は地方により
    「きんとも」
    「三毛犬」
    「こんぶの太郎」
※ 東北から九州 日本各地で
「人間・文化」←→「自然・野生」
二つの世界の媒介項


□若い女性と人身御供伝説
成女式の隠喩?
    儀礼的処女破棄
見付天神社光前寺 
    しっぺい太郎
へいぼう太郎  
      へいぼう = 灰色の山犬、狼

※ 狼のイメージがある
  「おくり狼」
    - 狼の恩返し
人間と山犬の長い交流史


□人間と犬の結婚
犬供養
「犬婿入り」昔話



5 猿と信仰
□馬を守る霊力
人類 
   「死の発見」 = 生の発見
生と死、あの世とこの世
霊魂観念と高い観念の発生 
       = 宗教の誕生
石田英一郎「河童駒引考」


□アジアに広がる信仰
厩につながられる猿
かつて猿回しは「見せ物芸 + 馬医者」


□日光東照宮の三猿
庚申信仰 
   - 中国道教の三尸の説
61日ごとにめぐる干支の庚申の日の夜三尸が入り天使に報告

◎ 徹夜する 守庚申 庚申(かのえさる)待ち
申の日をめぐる信仰が動物の猿に結びつく


□遊宴から信仰行事へ


□庚申信仰と修験道  
  青面金剛と主尊
17世紀末江戸時代・元禄以降


□泥棒の守り神 
  彭候尸、彭矯尸、彭質尸が「見ザル言わザル聞かザル」に

夏目漱石
    慶応3(1867)年1月5日庚申の日の生まれ
金之助と命名
庚申の日は夫婦同衾も禁忌

※ 庚申の日にできた子、生まれた子は盗人になると言われていた
代表:石川五右衛門との伝
「金」という字を名前に
  新潟県津南町赤沢
60年に一度の庚申の土地に盛大な供養

庚申塔の下に60年間埋めた酒を掘り出し皆で飲む
再び60年後のために新しい酒を埋める






☆「遠江」28号【再掲載 2014.12】 

◇小笠原源太夫と伊藤東涯
小笠原源太夫基長 正徳・享保・元文(1711-1740)
  浜松藩主 
      松平安芸守資俊・資訓 2代に仕える
源太夫堀を開き新田開発  
    馬込川 ~ 天竜川
昭和8年2月  関市三編 『郷土史』五島村
古義堂学派領袖・伊藤東涯


◇岸田劉生のコレクター 浜松の山本貞次郎
山本貞次郎の劉生コレクションと山本家の家系
  「松竹山房」文化の店
     ~ 浜松駅前  竹村啓介
  貞次郎旧蔵は19点あった 
    ※2005年現在 浜松市に国宝が一点もない不思議さ
山本貞次郎 1890-1923


◇浜松艦砲射撃
C・E・ルメイの回想
    カーティス・E・ルメイ 
      米陸軍航空隊第21爆撃機集団司令官 
◎ 浜松は名古屋の南東,天竜川と浜名湖の間にあり海岸確認が容易
   だった
  「来る月も来る月もB29にとって浜松はなじみの場所だった。日本
   に侵入したもののトラブルに遭遇(故障等)した場合,パイロットた
   ちは浜松に積荷(爆弾)を捨てるように指示されていた。そして,浜
   松は数え切れないほどの爆弾を投下された。なぜなら,当時のB29
   には数え切れないほどの問題が発生したから…」  

「わたしは,浜松が何トンの爆弾を投下されたのか正確には知らない。
   誰だってそうだろう。そこは,本当に徹底的にやられた。我々は,
   搭乗員が浜松に爆撃しても,出撃に対する功績を認めることはでき
   なかった。浜松は爆撃を終了するためのごみ箱だったのだ…」


◇浜松名木 渥美登良男
颯颯之松(ざざんざの松)  
    938年八幡宮が小沢渡より曳馬野に遷座
音羽松   
    旧音羽松は音羽慎一家内、新音羽松は六所神社内
社より600m東(倉松町)に松振川という沼地
   → 鶴松
今も六所神社のすぐ北に「八幡山」「八幡河岸」の地名
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