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「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」新谷尚紀 文春文庫 2003年 ⑦ /「新しい歴史教科書の絶版を勧告する」谷沢永一 ビジネス社 2001年【再掲載 2015.2】 [読書記録 民俗]

今回は、11月25日に続いて新谷尚紀さんの
「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」の紹介 7回目です。



出版社の紹介には


「超情報化社会にありながら、私たちの暮らしには、昔からの慣習が生き
 ている。ことに、生と死、神と仏に関するしきたりには―。しかし、よ
 く考えれば疑問がいっぱいだ。例えば、神さまに供える賽銭を無礼(?)
 にも、なぜ投げるのか?玄関になぜお札を帖るのか?葬儀でなぜ香典を
 出すのか?死者
 になぜ枕飯や火を供えるのか?それら民俗信仰のもつ意味を見つめ直し、自
 らの来歴を忘れがちな現代人に改めて問う、示唆に富む論考。」

 
とあります。


今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「最澄は故郷へ。空海は異郷へ」


・「豆大師は観音三十三化身であり豆粒状画像の農作物の虫除け。
  角大師は降魔の姿の疫鬼の画像であ鋭く尖った針状のものに魔除け
  の力。」


・「院政期、貴族は石卒塔婆、中世武士は五輪塔、宝筺印塔、板碑」







☆「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」新谷尚紀 文春文庫 2003年 ⑦

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◇比叡山の水脈

1 最澄 - 極愚の水源
    なぜ比叡山か
    神と仏の山 
      当時山林修行の場
    最澄と比叡山 
      近江平野を見下ろす
故郷と異郷
回帰飛翔
      最澄 - 故郷
空海 - 異郷へ


2 良源 - 権化の奔流
  権化の人 良源 18代天台座主(912-985)
①「権化の人」並はずれた能力
② 藤原氏に接近 
          異例の昇進
③ 石造墓塔造立供養方式先駆け
祈祷調伏
良源画像 
      山門の悪僧 
      暴徒の調伏の護符

飢饉 疫病外敵調伏

豆大師・角大師
      元三大師の豆大師や角大師の護符のもと
良源 
      永観3(985)年正月3日に入寂
       → 元三大師
元三大師のお札  
        虫除け・厄除け効験
豆大師:(観音三十三化身)
        - 豆粒状画像
        ~ 農作物の虫除け
角大師:(疫鬼退散・降魔の姿)
        - 疫鬼の画像~疫病除け・厄災除け

◎ 鋭く尖った針状のものに魔除けの力

 
3 別所と創造
得度と昇進 
      行基以来当代初の大僧正に昇進

右大臣 藤原師輔の後援
後継者 
      伊勢国朝明郡の郡領船木良見の尽力による
義昭(興福寺法相宗の英傑)と対論し弁舌の才が認められた
世俗権力 
      師輔と良源の接近
966年 55歳の若さで第18代天台座主に

宗外での活躍  
       - 巧みな朝廷工作
隠棲と研鑽 
      横川への隠棲
円仁との関連
藤原師輔
     - 横川に法華三昧堂の建立寄進
円仁という伝統的権威の巧みな活用
別所論 
      別所 - 僧の集まる自由の場
東塔の神蔵寺
西塔の黒谷
横川の帝釈寺・釈迦院・安楽谷

◎ 比叡山の五別所
京都大原も横川の別所
寺院から離脱した聖が住む

 別所が寺に
       → また別に
           別所再生のメカニズム
 墓所と別所 
      葬送造墓の先駆け
石卒塔婆 
      横川の良源の墓所
        - 恐れられる場所「みみょうの森」
    長い水脈 
      葬送造墓方式 
        良源 → 源信 → 法然 → その門流へ
院政期 貴族の石卒塔婆

中世武士 - 五輪塔 宝筺印塔 板碑

◎近世以降  石造墓塔








☆「新しい歴史教科書の絶版を勧告する」谷沢永一 ビジネス社 2001年【再掲載 2015.2】

◇私の検定では合格にならない
とかくメダカは群れたがる 
    中川八洋「新・日本国憲法草案」(昭和59.5.3山手書房) ↑↓
  つくる会 
◎「事前の大宣伝+人集め」
期待はずれのつくる会 
検定制度を考える  
   文部省が一流でないために検定が生まれた
   → 自分たちの仕事を多くしようとして必要のない検定制度
      を明治19年につくる
     → 「社会問題+国際問題」
      ◎つくる会 - 大宣伝と人集めのため
中国韓国の横やり
    -  内政干渉のため 
三つある近代国家の基準
  ① 条例を守れるかどうか
  ② 時効の概念
    ③ 内政干渉すべきでない


◇口絵は初歩的な見当違いで通す
「相当する」は逃げの常道
基本文献ぐらい読むべし 
    岡倉天心 
      美術紹介
       → 不倫で東洋美術学校追放
用語の誤用,卑屈な日本文化理解
西欧コンプレックスに取り憑かれた執筆陣
  江戸時代 
      第一芸術 雅
     第二芸術 俗   雅俗折衷の江戸文化へ

◇「序章歴史への招待」 は議論倒れと右脳左
中村幸彦学説の変装
和時計は西洋時計をさらに進化させたもの


◇第一章 原始と古代の日本
孔子は? 
    仁 礼に基づく自己抑制 + 他者への思いやり
愛 仁の内のある一面

 「三国志」司馬を讃えるために書かれた
   - 晋の功績 正史にしたかった
   → 架空の国 邪馬台国の誕生
神話を読解する問題意識の欠如
  朝貢 = 臣従ではない
   天皇 大王 → 天皇?
       天王 → 天皇?
百済と日本は親しい関係


◇藤原氏を低く扱い国家構造の原理をぼかす

<以下略>

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「30分で分かる教師のための叱る技術」上條晴夫 学陽書房 2015年 ① /「忘れられた日本人を読む」網野善彦 岩波セミナーブックス 2003年 ⑥【再掲載 2014.5】 [読書記録 教育]

今回は、倉本聰さん、上條晴夫さんの
「30分で分かる教師のための叱る技術」の紹介 1回目です。



出版社の紹介には


「騒がしい教室をどうにかしたい先生へ!生徒が素直になる叱り方、指導
 法がこの本1冊でわかる!
 今日からすぐに実践できる叱るときのコツから、叱らなくて済むように
 なる一工夫など、教師がラクになるノウハウが満載!」

 
とあります。


今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「騒々しい教室を変えるには毅然とした態度で叱る技術が必要」


・「学級崩壊の特徴はコミュニケーションに関する問題。
  私語、おしゃべりや離席、立ち歩きが目立つようになる」


・「最低限のルールについて、その善し悪しを明示し、断固として叱る
  技術が必要」


・「従来の授、おとなしく座っている、黙って話を聞いているというよ
うな、二大ルールを前提としない新しい授業も工夫したい」




もう一つ、再掲載になりますが、網野善彦さんの
「忘れられた日本人を読む」⑥を載せます。
 - 我々は、ともすると前代の世界や自分たちより下層の社会に生きる
  人々を卑小に見たがる傾向が強い。それで一種の非痛感をもちたがる
  ものだが、御本人たちの立場や考え方に立ってみることも必要ではな
  いかと思う。百姓のことをどのくらい知っておるのだ。いったい進歩
  とは何だろうか




☆「30分で分かる教師のための叱る技術」上條晴夫 学陽書房 2015年 ①

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◇まえがき
□本書のめあて 
  = 騒々しい教室を変えること
   ◎ 毅然とした態度で叱る技術
  叱る以外 
    1 教室の空気を変える方法 
   学習クイズ 静かな音楽
    2 騒々しさの中で学ぶ方法 
「静かに」「座って」
        →「明るく」「体験的に」(アクティブラーニング)



◇前提の話
□騒がしい教室が増えている
学級崩壊の特徴
   = コミュニケーションに関する問題
       ① 私語(おしゃべり)
       ② 離席(立ち歩き)   

  
□騒がしい教室を叱る技術
  毅然とした態度で叱る「叱る指導法」
    ① 最低限のルールについて
    ② その善し悪しを明示し
    ③ 断固として叱る
     ※ 前提条件 
        教師の言葉に説得力があること
         =「なぜそうすべきか」納得させられる  

  
□教室の空気を変える対処の仕方もある
 私語への対処法
  ① 私語を叱ってやめさせる
 ② 私語の中で何かを始める
 ③ 私語のできる学びをする
    ◎ 空気を変えるための方法

  
□新たな学びを生むチャンスもある
 従来の授業
①おとなしく座っている
  ②黙って話を聞いている

◎二大ルールを前提としない新しい授業
・問題解決授業 アクティブ・ラーニング
・グループ討論を中心とした授業
     ・学習遊びを中心とした授業 
・表現活動を中心とした授業

  
□教室の騒がしさを指導の出発点に
 騒がしさ
    大学 → 高校 → 中学 → 小学校
葬式でもおしゃべり
   → この現象と付き合って行くには、ざわざわしている教室の空気
    を変えたり、ざわざわしていてもできる授業方法の工夫が必要







☆「忘れられた日本人を読む」網野善彦 岩波セミナーブックス 2003年 ⑥【再掲載 2014.5】

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◇東日本と西日本(2)
□先進・後進というのではなく社会構造の差異
  - 戦後歴史学への疑問
     
  宮本常一 
   「我々はともすると前代の世界や自分たちより下層の社会に生きる
    人々を卑小に見たがる傾向が強い。それで一種の非痛感をもちた
    がるものだが、御本人たちの立場や考え方に立ってみることも必
    要ではないかと思う」
「百姓のことをどのくらい知っておるのだ」
   石母田・藤間批判 清水三男評価
    → 「いったい進歩とは何だろうか」
宮本民俗学  
    女性、老人、子ども、遍歴民、病者に対する注目
     → 進歩、先進への批判         


□民族の差異が感じられるほどの大きい言葉の違い

  東と西の差
何本かの境 
      越後と越中
信濃・三河と飛騨・美濃・尾張
      フォッサマグナより若干西より
考古学、民俗学、言語学
宮本常一の分類   
     A西日本         B東日本
   a盆かま行事 b大師講
   a八朔の馬節句 b11.15アブラシメの祝い
     a両墓制
   a年齢階梯制       b同族的結合 


□東と西の違いの諸相
  aかまど b囲炉裏
a牛 b馬


□日本は孤立した島ではない
◎ 島国イメージは明治以後の政府が国民に刷り込んだ


□形質人類学から見た東西の差異 
  - 小浜甚次と植原和郎
小浜甚次 形質人類学 
    朝鮮半島人と近畿・瀬戸沿岸の人々との相似 (形質上は同じ)
    東北・北陸の人々はむしろアイヌに近い
◎ 差別されている被差別部落の人々は、東日本人、東北北陸型
     の人々と形質上は似ている
植原和郎「日本人の誕生」 
  縄文人の文化はアジア大陸と深く関わっている
  縄文前期より海を主な活動舞台とした人がいる
              (縄文人の動きはアジア的)
  紀元前3世紀から6世紀の千年間に数十万~数百万の人々が列
    島日本にやってきた
(北方アジア系、ツングース系の新モンゴロイド)
◎「植原百万人説」
   弥生文化の担い手 → 古墳文化 → 東部


□「日本国」7世紀末から
 「倭国」列島西部の国家が「日本」と名を変えた-7世紀末
  しかし東北北部は「日本国」の外
そこを「日本国」が侵略し、国境を北上
→  (11世紀まで下北・津軽は日本ではなかった)
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