SSブログ

「斉藤喜博さんはこんなことを」⑤-「対話 子どもの事実」斉藤喜博・林竹二 ちくまブックス 1978年(2) [読書記録 教育]

「与えるだけでなく,それが子供の血となり肉となっているか」







今回は、10月18日に続いて、
「斎藤喜博さんはこんなことを」5回目の紹介です。
「対話 子どもの事実」は林竹二さんとの対談の本です。



広く知られている林竹二さん、斎藤喜博さんの言葉。
何十年も前の話ですが、現在にも通じることが多いのではないでしょうか。





今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「今の日本の青少年が大人に反抗するのは,おとながこころにもないことやごまかしを
平気でやっているから。

「優しさの裏付けがなければ厳しさは成立しない」


・「子供の無限の可能性
  - 引き出す営み
   敲きようでどうにもなる太鼓」


・「教師と子供が一体となる授業 
   - 子供が要求する本質的なものを」


・「監督付きでなく,自分の責任で仕事をすることが専門職の専門職たる所以」




<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。

浜松ジオラマファクトリー













☆「斉藤喜博さんはこんなことを」⑤-「対話 子どもの事実」斉藤喜博・林竹二 ちくまブックス 1978年(2)



◇学校教育の荒廃
 
□与えるだけでなく,それが子供の血となり肉となっているか
  
    

□学校教育の問題

 1 人間に対する優しさがない

 2 教育に対する考え方が逆立ちしている



 今の学校教育は…
名誉心とか競争心とか恐怖心を使って勉強させる。


 「やさしさ」 = 子供が本当に必要なものを探り続ける心配り

       |

 今の日本の青少年が大人に反抗するのは,おとながこころにもないことやごまかしを平
気でやっているから。

 優しさの裏付けがなければ厳しさは成立しない
 





◇君の可能性は無限だ

□子供の無限の可能性

 - 引き出す営み

敲きようでどうにもなる太鼓



□学ぶ  

 情報の獲得 - 勉強は記憶 = 主体が没する

 情報 = インフォーム(形成)

    |

知識を通じてある形成作用が行われる
   主体の再形成



□自分を乗り越えることが学習
 





◇子供の解放
 
 教師がある型で授業を行っているのでは,子供からごくつまらないものしか引き出され
てこない。



できない子というレッテルからの解放

ひらかれた人間に
 





◇親と教師にできること

 教師と子供が一体となる授業 
   - 子供が要求する本質的なものを

↓↑

能率一本槍
 





◇子供の見ているもの

□生きる  

  未来に向かって生きる=どう自分を表現し実現するか
   


□ソクラテス 

 よりよく生きる 

 子供は可能性 ←→ 大人は現実性

 可能性と現実性とのぶつかり合い
 





◇学校の授業

□授業は一つのカルタシス

 ソクラテス・プラトン 
    学問というのはカルタシス = 人間を浄める仕事      


 ルソー
  「天才は馬鹿のように見えるものだ」



□できない子はいない



□いい授業悪い授業  
 
 教育の仕方は冒険をして新しい世界に踏み込むと。そこで力が付くという本質があるのに,逆に形式的に無難に無難にと行っている。



□教師は専門職

  専門家として本当に必要なことは何かということを判断しなければならない

  = 医者と同じ
 





◇PTA

□一年か二年で日本全国の90%以上に普及
当時米国でも30%


 
□少数で自由な集まり

 しかし,日本のPTAは官製のにおい



 ※ 大した規約もなく両親そして教師が子供たちのため勉強していこうではないか
 





◇教師

 監督付きでなく,自分の責任で仕事をすることが専門職の専門職たる所以




nice!(137)  コメント(0) 
共通テーマ:学校