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「しぶとく生きろ」野坂昭如 毎日新聞社 2011年①(前半)/「遠江」28号浜松史蹟調査顕彰会【再掲載 2019.2】 [読書記録 一般]

今回は、野坂昭如さんの
「しぶとく生きろ」の紹介 前半です。


永六輔さん、小沢昭一さんとの中年御三家が話題となったのはもうかなり前のことです。
わたしは、大きく影響を受けています。



出版社の案内には、


「『3・11』以前から、一貫して言い続けてきた言葉が『3・11』以後、揺るぎないものと
 して身にせまる。作家は何を見つめ、何を語るのか。この人の生き様に学ぶ。」


とあります。





今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「お上は手練手管を弄し世間を惑わしにかかる
  ― お上の本性」


・「今ある日本の繁栄は、想像が欠如の上に成り立っていたとよくわかった」
- 今回のコロナ対策についても…


・「日本はやがて飢える、食えなくなるだろう」
- マスクでさえ大騒ぎになりました。食料確保は万全でしょうか。
  輸入に頼ることを期待できるのでしょうか。


・「先進国で日本ほど自給率の低い国はない」





もう一つ、再掲載となりますが、浜松史蹟調査顕彰会の「遠江28号」の要約を載せます。
「しぶとく生きろ」にもあるルメイ司令官の言葉、
戦争中のこととはいえ、大変辛く感じます。





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☆「しぶとく生きろ」野坂昭如 毎日新聞社 2011年 ①(前半)

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◇あの日から
 
□ひたすら胸ふたがれるのみ 地震列島・火山列島 2011.3.19
   
 原子力の主導権は恩恵を受ける側にある
 


□僕らは自然に抗えない 2011.4.2
   
 なぜ第三者による検証がなされないのか
  - 専門家は政府寄り
   
 お上は手練手管を弄し世間を惑わしにかかる
  ― お上の本性
   
 原子力を利用するうえで反対派の意見は相手にされなくなった
  

 ◎もし六ケ所村を大地震が襲ったらどうなるか

  → 日本だけの大惨事では済まない
   

 ◎ 今ある日本の繁栄は、想像が欠如の上に成り立っていたとよくわかった
 


□震災からひと月、人災という問題 2011.4.30
   
 あてがいぶちの食糧 
  → 例えパン一つでも自分の意志で選択するゆとりがない
   
 人間というものは長期化することによって集中できなくなるものだ
   
 今、日本人の生き抜く力が試されている 



□安全性の確率論  2011.4.30
   
 文明という便利なものを手に入れるだけ手にし、一方で死の灰をつくり出し、その後始
末は僕らの子孫に押し付ける
 


□震災、空襲、焼け野原の死生観 2011
 
 カーチス・ルメイ指揮 大都市焼尽作戦 5/24 5/25 山の手
   
 3/10初日 → 下町

 

□米どころ 的外れな騒動 2011.6.11 

 

□置き去り2011.7.9   



□親の心配は尽きない2011.7.23
 


□震災と敗戦二つの記憶2011.8.20 



□核の技術温める2011.8.6  



□被ばく国民の無関心2009.8.8  



□近所付き合いの復活を2011.9.32011.9.3



□原発の高齢化問題2014.20104.8
  
 原発列島火災事故は天災ではない






◇食を見直し農へ還ろう
 
□飢餓望郷 070407
 
 胃袋〇〇の垂れ流しは目に余る - 食べ物は一日でなくなる
   
 コメについて考えない日本人は危ない  
   
 日本はやがて飢える、食えなくなるだろう
   
 食べ物に関心をもて、コメに関心をもて
 


□おにぎり070820  



□いびつな飽食の時代101009  



□資源の危機101106
 


□捕鯨とマグロ100327 
 
「地球にやさしく」の裏腹  

 コメ問題
 


□輸入だより黙認の危うさ次の世代は?081205  



□食の自給率080523  



□食品偽装生んだエゴイズム081205 
 
 うまくて安全なものは当たり前度を過ぎれば 逆効果



□移ろう「農」090404 

 農協は永田町を見ている
 
 遺伝子組み換えががもたらすもの



□田を棄て今更自給率101120  

 先進国で日本ほど自給率の低い国はない



□食と言葉に誇りを持て081107



□成長神話から脱却を091212 

「安い商品を手に取った時、それが海の向こうからということを忘れていないかどうか。
 いまの世間を動かす中心には気力、迫力のようなものが欠けているように思える」













☆「遠江」28号浜松史蹟調査顕彰会【再掲載 2019.2】 

◇小笠原源太夫と伊藤東涯

□小笠原源太夫基長 正徳・享保・元文(1711-1740)

 浜松藩主 松平安芸守資俊・資訓 2代に仕える


 源太夫堀を開き新田開発  
   馬込川~天竜川


 昭和8年2月  
   関市三編 『郷土史』五島村



□古義堂学派領袖・伊藤東涯






◇岸田劉生のコレクター 浜松の山本貞次郎

□山本貞次郎の劉生コレクションと山本家の家系

 「松竹山房」文化の店 
   ~ 浜松駅前  竹村啓介


 貞次郎旧蔵は19点あった 
   2005年現在 浜松市に国宝が一点もない不思議さ



□山本貞次郎 1890-1923






◇浜松艦砲射撃

□C・E・ルメイの回想
   
 カーティス・E・ルメイ 米陸軍航空隊第21爆撃機集団司令官 

浜松は名古屋の南東,天竜川と浜名湖の間にあり海岸確認が容易だった
    

「来る月も来る月もB29にとって浜松はなじみの場所だった。日本に侵入したもののト
 ラブルに遭遇(故障等)した場合,パイロットたちは浜松に積荷(爆弾)を捨てるように指
 示されていた。そして,浜松は数え切れないほどの爆弾を投下された。なぜなら,当時
 のB29には数え切れないほどの問題が発生したから…」  


「わたしは,浜松が何トンの爆弾を投下されたのか正確には知らない。誰だってそうだろ
 う。そこは,本当に徹底的にやられた。我々は,搭乗員が浜松に爆撃しても,出撃に対
 する功績を認めることはできなかった。浜松は爆撃を終了するためのごみ箱だったのだ
 …」






◇浜松名木 渥美登良男

□颯颯之松  

 938年八幡宮が小沢渡より曳馬野に遷座



□音羽松   

 旧は音羽慎一家内  新は六所神社内

 社より600m東に松振川という沼地 → 鶴松

 今も六所神社のすぐ北に「八幡山」「八幡河岸」

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