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山本七平さんはこんなことを ⑥ -「宗教について」PHP研究所 1995年(4)/「わたしが死について語るなら」山折哲雄 ポプラ社 2010年 ①【再掲載(抜粋) 2013.5】 [読書記録 宗教]

「『人生の大部分はドラッジャリーだ』内村鑑三

 ドラッジャリー (骨折り仕事 = 労役・労苦)
 人生の9割9分がドラッジャリー
→ 残る一分のために人生はある」

「9割9分のドラッジャリーは,残る1分のためであり,この1分を捨てれば9割9分
 が消えることは自明。9割9分を投げ出せばその1分も消えてしまう。」







今回は、5月20日に続いて、「山本七平さんはこんなことを」⑥、
山本七平さんの「宗教について」4回目の紹介です。


「人生の9割9分がドラッジャリーだが、それは残る一分のために人生はある」
この言葉、そうだなあと納得し、いつも頭のどこかにありました。
内村鑑三さんの言葉だと覚えていたのですが、どの本に載っていたかすっかり忘れていま
した。
残念に思っていたのですが、今回記事にするに当たり思い出すことができました。
よかったとつくづく思いました。




山本七平さんが、宗教について、分かりやすく深い言葉で教えてくれます。



出版社の案内には、


「親鸞における『自然』、蓮如における『組織』、内村鑑三における『日常』。クリスチャ
 ンであった著者が、永遠の視座に立ち鋭く考察。日本人の宗教観に新たな視点を与える、
 単行本未収の10編を収録。」



とあります。






今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「人生の9割9分がドラッジャリー(骨折り仕事) → 残る一分のために人生はある」


・「同じ嫌な仕事を君がやるときは,正しく勇ましくそれをやってのけなければならぬ。
 その仕事を君がやらないのならば,君はその仕事について論ずる資格がないのだ。かく
 牛車を引いて得た自由でなくては貴くないのだ。」


・「失敗したら失敗して良い。それを恐れて万事に気を配るから何もできないのである。」


・「私たち人類が前方に進む前に振り返るべきものは歴史」
- 為政者にこそ歴史を恐れてほしいと強く望みます。






もう一つ、再掲載となりますが、山折哲雄さんの
「わたしが誌について語るなら」①を載せます。
一部略してありますが、コロナ禍のもと考えさせられます。





☆学校休業中の子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」






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☆山本七平さんはこんなことを ⑥ -「宗教について」PHP研究所 1995年 (4)

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◇重荷を負う牛車を引く(内村鑑三)

□「人生の大部分はドラッジャリーだ」内村鑑三

 ドラッジャリー (骨折り仕事 = 労役・労苦)


 人生の9割9分がドラッジャリー

→ 残る一分のために人生はある

 ※9割9分を避けて1分だけを手に入れることはできない
       



□「国賊」とそしる肉親家族

※ 9割9分のドラッジャリーは,残る1分のためであり,この1分を捨てれば9割9分
 が消えることは自明。

  9割9分を投げ出せばその1分も消えてしまう。




□泣かんと欲せざるに泣くとは

「もし君が耐えられないなら,君はどこへ行っても役に立たぬ。それを嫌がってはだめだ。
 君がやらなければ誰がやる。誰かがやる。同じ嫌な仕事を君がやるときは,正しく勇ま
 しくそれをやってのけなければならぬ。その仕事を君がやらないのならば,君はその仕
 事について論ずる資格がないのだ。かく牛車を引いて得た自由でなくては貴くないの
 だ。」



□失敗したら失敗して良い

「誤解と失敗とは決して恐るに足りない。やろうと思ったら勇ましくやってみろ。必ず運
 命が開かれる。」


「失敗したら失敗して良い。それを恐れて万事に気を配るから何もできないのである。」
 






◇自ら語る「言葉」への忠誠

□バニヤン 『溢るる恩寵』

 清教徒主義(ピューリタリズム)創始者



勤勉・安保・自助独立


 日本的清教徒 口説(くぜつ)の徒でない実行者



私たち人類が前方に進む前に振り返るべきものは歴史
 


◎山本七平 
 1921(大正10)~1991(平成3)青山学院高等商業学校卒

昭和33年山本書店創立(聖書関係出版物)












☆「わたしが死について語るなら」山折哲雄 ポプラ社 2010年 ①【再掲載(抜粋) 2013.5】

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◇はじめに
死への不安や恐怖 ←→ 人生の哀しみや無常

人間の死亡率は百パーセント


◇わたしが実感した死

<略>   

 蓮如上人 「白骨の御文章」お通夜・葬儀

死が近付くに連れ半眼になっていった父

念仏を唱えて亡くなった母
   


□日本人にとっての「死」とは 
  
 海の彼方のお浄土へ





◇日本人の心の底に流れる「無常観」

□人間はいちど死んだら肉体は生ごみになってしまう
中世「九相図」

葬儀写真の変化 
   喪服写真    →    普段着の写真に
(中間表情)       (にこやかなスナップ)
死者を送る儀式      別れの儀式
   他界に送り届けよう    生に執着する気持ち(生き残った側)

※「死んだ人間の生きているときの面影をこの世にとどめておこうという生き残った側の
  エゴイズムの感情がそこに漂っているように感じるのです」
   

□人は一人で死ぬ運命           

 死について教えない限り本当の「生きる力」は身に付かない

死んでいくときは「ひとり」
「共死」 すべての人間が一人で死ぬ運命の中に投げ出されている

  
□仏教の無常 
 ① 地上に永遠なる者は一つもない

② 形あるものは必ず壊れる     三原則

③ 人は生き、やがて死ぬ

<略>

※教育
 ~ 「死」について「無常」について教えることを教育の根本に組み入れてほしい

 = 人はやがて死ぬ 人は必ず死ぬ

<略>
  
□2008年 4人の日本人がノーベル賞
 
 4人はすぐ何かに役立てようと思って学問をしたわけではない
 
- 短期的な視野では本当の問題をつかんだり発見したりすることはできないはず 

↑↓

 ※ ところが、今はみんな「就職に役立つ学科」に人気が集まる
    高い収入が得られる職業が花形としてもてはやされる     



末法?

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