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「もう一度読みたい子どものための文学」西本鶏介 ポプラ社 2014年 ① / 「最強最後の学習法」後藤武士 宝島社 2005年 ①【再掲載 2016.8】 [読書記録 一般]

今回は、わたしの教育ノートから、西本鶏介さんの
「もう一度読みたい子どものための文学」の紹介 1回目です。



出版社の案内には、

「『母子の愛憎』『動物への愛』『子どものユートピア』『探偵小説のヒーロー』など、そ
 のテーマにふれた内外の作品を二点ずつとりあげ、比較対照的に解説。異なる時代や環
 境で描かれた作品の本質から、人間らしく生きることの意味を考える。」


とあります。




今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「杜子春」

- 通常学級担任の頃 よく読んだ本です。
  続き物で 何日もかかって読んだものです。
  ある箇所で 泣きそうになってしまうのが辛いことでした。
 


・「だいじょうぶだいじょうぶ」

- 亡き父は、わたしには「いい、いい」としか言いませんでした。
  経済的には恵まれたとはいえませんが、大変ありがたいことでした。
  子どもを信じてくれていたこそだと感じています。
  父となったわたしは、子どもたちに「いい、いい」と言い続けられませんでした。
  亡父にはかないません。


・「マヤの一生」

-椋鳩十さんの本、どれも動物への気持ちが表れています。
 動物が人間の感情をもっているかのように描かれているように感じます。
 椋さんが提唱した「母と子の10分間読書運動」、この時代にこそと思います。


・「お菓子放浪記」

- 映画を楽しみました。




もう一つ、再掲載となりますが、後藤武士さんの
「最強最後の学習法」①を載せます。
副題に「最短期間で成績を上げる」と記されています。
「答えを先に読むとよい」には驚きました。









<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」




ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
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☆「もう一度読みたい子どものための文学」西本鶏介 ポプラ社 2014年 ①

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◇絆(1)

◎「にんじん」 ルナール 南本史(ちか) ポプラポケット文庫

  母親にいじめられる少年

  ― 不幸な少年の日常生活の記録





◎「杜子春」芥川龍之介 ポプラポケット文庫
 
  己の利益を持たない正直な生き方
   
  中国唐時代の伝奇小説「杜子春伝」材料





◎「ヨーンじいちゃん」ペーター=ヘルトリング 上田真而子 偕成社
   
  孫の庇護者 ←→ 老人のエゴイズム あくなき人生への挑戦
   
  老いと死を乗り越える





◎「だいじょうぶだいじょうぶ」いとうひろし 講談社
   
  祖父と孫の心からの結びつきと子どもの成長
  
   「だからこんどはぼくのばんです。」  
   
  大丈夫だよ、大丈夫だよ。
   
  どんなにつらいことでも、必ず克服できることをわからせてやる人





◎「マヤの一生」椋鳩十 ポプラ社
   
  熊野犬マヤ  
    戦争で殺されたマヤ 
    権力・戦争への憎しみ
   
  人間のペットでも慰め者でもなく一個の独立した命





◎「黒馬物語」アンナ・シューエル ヴィクター・アンブランス画  文園社
   
  馬(ブラックビート)の自伝
   
  貧富の差のない社会を願うキリスト教の影響





◎「モモちゃんとアカネちゃん」松谷みよ子 菊池貞雄 講談社青い鳥文庫
   
  離婚 

  幼児の視点で描いた母の小説 

  幼い子に離婚がどんな影響?





◎「ふたりのロッテ」エーリヒ・ケストナー 池田香世子 岩波少年文庫
   
  双子の姉妹 別れた父母 入れ替わり
   
  子供の心を深く考えるケストナーならではの作品





◎「家なき子」エクトール・マロ 二宮ふさ 偕成社文庫
   
  貧困をばねとした努力
   
  どんなに苦しくても必死で頑張るレミの独立精神の強さ





◎「お菓子放浪記」西村滋 講談社文庫
   
  大長編の孤児物語 
   
  「お菓子になるのよ、君自身が」





◎「にんじんケーキ」ナニー・ホクロ・キアン 乾侑美子 評論社
   
  余計なことを言わなくても信じあうことができることのすばらしさ
   
  夫婦間の思いやり














☆「最強最後の学習法」後藤武士 宝島社 2005年 ①【再掲載 2016.8】

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◇まえがき

□天才から学べることは案外少ない

 フツーの子どもたちのために




□「詰め込み」なくして応用なし

 基礎は地味なもの → いかに短期間で効率よく楽しみながら…

① とにかくすぐに始められること

② 特に能力が高い子でなくても実践できること

  ③ 比較的早期に効果が出ること

  ④ 経験及び理論的な裏付けがきちんと存在すること

  ⑤ 根気がない子でも続けられるようなものであること








◇最短期間で国語力を付ける

□全ての科目の基本は国語

 第一の目的 = 筆者が述べようとしていることを客観的につかみ取ること



 主体的なものではなく,そこに書いてあることから何が言えるのか,何が読み取れるの
か。それを正確に読み取り,また,読み取った内容を正確に相手に伝えられるようにトレ
ーニングする。  




□鑑賞としての国語の排除

 国語の真の目的 = 文章理解によって相手が言わんとすることを理解すること




□国語は独学ではできない



□国語学習ブームのウソ




□目から鱗の国語学習法 

 実践編 →「読解力を養うための問題集」


 ◎市販の国語問題集 
 
  - 解説が別冊のもの
  
  
 ◎解説を読むことが上達最短の道(解説の方が厚いもの)  
小6受験用~大学受験用




□国語の問題の種類

 メインは 
  
  ①「答え合わせ」 

  ②「解説を読んで納得すること」
 
  
 → 本文を一通り読み解答を必ず用意する




□肝心要の答え合わせ

 大切

   … 正解に対して納得がいくかどうか




□目から鱗の国語学習法 

 裏技編 → 解答を先に




□目から鱗の国語学習法 

 番外編 → 新聞を使った学習法
                   
  
 ◎コラムにタイトルを付ける 

  
 上編
   ▼に接続詞を付ける 文章をイメージする

 文章を図式化・絵化


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キーワード「新津」⑱-「ふるさと新津」新津婦人学級 昭和57年3月5日発行(3) / 「共同浴の世界-東三河の入浴文化」印南敏秀 あるむ 2003年【再々掲載 2011.9】 [読書記録 郷土]

今回は、11月20日に続いて、わたしの教育ノートから、
キーワード「新津」18回目の紹介です。

新津婦人学級による「ふるさと新津」3回目の紹介です。

大分長くなったしまいましたが、よければおつきあいください。


「新津」は「しんづ」と読みます。
浜松市南部、海沿いの農村地区です。


今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「子供たちは皆前浜で遊んだ 『ダシ』危険な場所も身体で覚えた」

-「ダシ」とは離岸流のことです。子ども時代、よく海岸に遊びに行きましたが、泳ぐこ
 とは強く止められていました。ときどき、「ダシ」による事故があったからです。今で
 も、海岸は「遊泳禁止」となっています。


・「地引き網」

- 子どもの頃、我が家の小屋にも「3段の引き出し式弁当箱」が置かれていました。祖
 父が地引き網に行ったときに使ったものと聞きましたが、小屋が建て直されてなくなっ
 てしまいました。かなり盛んだったようです。今は、大きな堤防が作られて、近いはず
 の海が遠くなってしまいました。


・「伊勢参り」

- わたしが生まれる以前のことですが、船で伊勢まで行って帰ったとのこと。風がない
 と何日もかえることができなかったそうです。浜松市博物館の特別展で、近所の小父さ
 んの名前が書かれた旗を見たことを思い出しました。


・「松の落ち葉『ご』が大事な燃料」
- 海岸沿いの防風林に落ちている松の葉の「ご」。父親がよく拾いに行っていました。
 風呂のたき付けに使いました。たき付け当番はわたしでした。薪を作って、入れるので
 すが、あせると煙ばかり出たものでした。


・「『山をつなぐ』本宮山と秋葉山,大通院の松をつないだ角度で判断」
 
- 大きな木は、海上から、方角の目安になったようです。


・「共同風呂調査 浜名高校・小杉達教諭
浜名湖周辺と遠州灘海岸地方のみ独特」

- わたしの町では、わたしが生まれた頃なくなったそうです。
 「当番が大変だった。」
 「終わり頃はいると、お湯がドロドロになっていた。」
 「混浴だったので、若いお嫁さんは辛そうだった。」
などと年配の方からよく聞きました。






再々掲載となりますが、印南敏秀さんの
「共同浴の世界-東三河の入浴文化」を載せます。
幼稚園児の頃(昭和30年代)、集落は違いますが、
我が町で一つ残っていた「共同風呂」に入りました(入ったかもしれません)。
男児女児一緒だったというかすかな記憶はあるものの、実際に行ったのかなあ?
印南さん、武蔵美→日本観光文化研究所ということは、
宮本常一さんの教えを受けた方でしょうか。




<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト




☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」




ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。





☆キーワード「新津」⑱-「ふるさと新津」新津婦人学級 昭和57年3月5日発行(3)

◇新津の人々の暮らし

1.前浜と暮らし 

 ◎ 子供たちは皆前浜で遊んだ

 ◎「ダシ」危険な場所も身体で覚えた
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   倉松海岸
 ◎ 国道1号線バイパスが影響

(1)漁業 半農半漁

   魚米税(明治13年)
高い順
      舞阪宿136円 掛塚村30円 馬郡村21円
篠原村19円 中田島村19円 坪井村12円
倉松村12円



  ◎総収入を三分 1は船と網代 2は漁の人で分け合った 


[地引き網]
・浜のトヤで色見 

 ・「オーイオイオイオイ」大声で

・何をおいても腰網をつけて浜へ駆けつける

・沖合に船を出し網を掛ける
400mくらい 二方に分かれて取り組む

・早朝網をかけ終えてもあがるのは午後2~3時

・一家総出(女子供も)
4~5月 サバ・タチウオ・アジ
12~2月 イワシ

 ・魚はボウラに入れて天秤で担いで肴町の魚問屋に売りに走った

 ・イワシ → 浜に上げ日に干して肥料に
土居(ドエ)の北方までイワシで埋まることもあった

 ・浜弁当 3段の引き出し式弁当箱
     上二段がご飯 
     下一段はイモの煮転がし
浜から仲間の者が各家庭に集めに行った 
     屋号が目印
大漁時は3合ずつ各家から持ち寄り「たいめし」「ひらめし」等にして食べた



[小船]
・小船「チョロ」(一丁櫓)
    2~3人 
    海底に針をおろして引きずる
コチ・ヒラメ
昭和26・27年頃から舞阪の船に押された



現在 倉松新田 船と網 = 仲間のレクリエーション・観光用



[船日待ち]
  ・20日日待ち

・1月20日 船頭の家に歳神棚
仲間が集まり神主様がお祓い→新年の会食



[伊勢参り]
・4月東風が吹く頃前浜から伊勢神宮へ

・船縁に藁を飾り,紅白の幕,吹き流しの幟

・船に帆を張り,東風で出発 → 西風を受けて帰る
伊勢には2~3日滞在(悪天候で帰れないこともあった)

・伊勢まで凡そ9時間
氏神様にお参り,水盃をしてから出発

・神島付近が難所

・村中の大人子供が浜へ出て船を見送り出迎え






(2)ごかき・こわし拾い
・味噌・醤油・砂糖・塩 - みな手作り

  ・松の落ち葉「ご」が大事な燃料

  ・風の吹いた翌朝,前浜松林に競って「ごかき」

  ・熊手で寄せ集めて縄でつかねて家に持ち帰る→乾いたごは小屋や軒下に

  ・浜で打ち上げられた木の枝 「こわし」→燃料に

DSC_0502.JPG
 松林がごかきの場所の一つ


(3)天気
・波の音で天気を予想 波小僧

  ・波の音
     西から聞こえると  → 晴れ
南東から聞こえると → 雨
ずっと東からドロドロ → 台風
たたきつける音 → 暴風雨





(4)方角 
  ・大通院のひときわ大きな松の木がめあて

  ・「山をつなぐ」本宮山と秋葉山,大通院の松をつないだ角度で判断








2.共同風呂

□明治から昭和35,36年まで新津には十か所の共同風呂があった
(米津地区本船は42年まで)



□共同風呂調査 浜名高校・小杉達教諭

「浜名湖周辺と遠州灘海岸地方のみ独特」
・30~40戸が共同で

・湯番
       昼過ぎ水を汲み → 沸かして火加減の世話
一か月か一月半に当番が回ってくる

   ・廃止は燃料節約が一番の理由 → 社交と情報交換の場

 ※ 昭和42年米津町本船の共同風呂が最後

















☆「共同浴の世界-東三河の入浴文化」印南敏秀 あるむ 2003年【再々掲載 2011.9】

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◇印南敏秀

 1952年生

 1974年武蔵美大-近畿日本ツーリスト-日本観光文化研究所

 現愛知大学経済学部教授 
   民具学・民俗学

共同浴~銭湯,もらい風呂,共同浴場


□共同浴場 … 仲間意識 + 海での共業(顔が見える相手と入る)

 ① 身体観
   
 ② 折り合い方





◇駒形共同浴場を訪ねて

□共同浴場の組合員

 明治41年 元銭湯 → 大正6年共同浴場に 磯部村内の駒形組

 昭和30年再建



□共同浴場組合員と善光寺講員



□共同浴場での観察





◇共同浴場の発見

□共同浴場を巡る人の輪
  
 静岡県側 - 小杉達氏の調査

 東海地方    東三河~天竜川





◇二つの入浴文化の展開

□「フロ」と「ユ」の系譜

 「フロ」   ムロ(室) 窟あるいは岩屋-風呂(石風呂か)

 「ユ」    ユ(斎)  潔斎のための沐浴



□入浴文化の地域差 

 宮本常一
   西日本 「風呂に行く」フロ

東日本 「湯に行く」 ユ



□「フロ」周縁の籠風呂





◇入浴文化とエネルギー

□共同浴とエネルギー  

 1/15のエネルギー

 江戸時代の湯銭は蕎麦の「もり・かけ」とほぼ同額



□個人浴のエネルギー

 鉄砲風呂

 子持ち風呂

 五右衛門風呂

 籠風呂

 へそ風呂

 長州風呂



□もらい風呂と共同浴場

 共同浴場
   明治・大正・昭和前期 ~ 昭和30・40年代





◇共同風呂成立

□辻風呂から共同浴場

 辻風呂 - 辻辻で営業しながら移動する小規模銭湯



□シマと共同浴場

「静岡県史資料編25 民族三」 小杉達氏論文

 東三河 「シマ」中心に

    シマヤ同士の競争意識 ~ 共同浴場ブーム



□沿海文化と共同浴場



□銭湯から共同浴場





◇共同浴場が衰退した理由

□だれと入るのか
  
 混浴のところも<経費・手間の軽減>
混浴だと女性特有の陰口や告げ口がなかった



 内風呂の普及 =  嫁の力,女性の社会的地位の向上



□共同浴場のエネルギー 地域開発と共同浴場





◇共同浴場の魅力

□共同浴場と情報

  情報伝達の場



□顔が見える交流



□子供の頃の記憶

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