キーワード「新津」⑳-「ふるさと新津」新津婦人学級 昭和57年3月5日発行(5) / 「教育改革は改革か」土居建郎編 PHP 2001年 ① 【再掲載 2011.9】 [読書記録 郷土]
今回は、11月30日に続いて、わたしの教育ノートから、
キーワード「新津」20回目の紹介です。
新津婦人学級による「ふるさと新津」5回目の紹介です。
今回は、「新津の伝説」について。
これまで、当ブログでいくつか紹介してきましたが、コンパクトにまとめられています。
地域の子どもたちに話すのにちょうどよいくらいのボリュームです。
これを残してくださった「新津婦人会」の皆様に感謝申し上げます。
伝説を要約でというのはわかりづらいものですが、よろしければおつきあいください。
もう一つ、再掲載となりますが、土居建郎さんの
「教育改革は改革か」①を載せます。
およそ20年前に出された本ですが、教育改革の成果・課題の検証が必要だと感じます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆キーワード「新津」⑳-「ふるさと新津」新津婦人学級 昭和57年3月5日発行(5)
◇新津の伝説
1.音羽の松
音羽の松 高さ,枝張り40m
① 音羽婆さん 鶴
② 鶴 松振川
③ 歌った歌 ざざんざの松
④ 白狐 八幡宮が小沢渡 → 曳馬野に
『延喜式』式内社 許部神社(こべ)
八幡宮のお祭りでは小沢渡町の人が先陣
2.将軍塚
田尻お宮北側
松本修次さん屋敷内に大きな塚
「将軍塚」大きな石が10個西に残されている
木曾義仲の家来の落人伝説
明治27年取り壊し 刀三振と鉄の鎧
↓
「牧野」姓は義仲の治めていた長野県木曽郡山口村に多い姓
昭和30年代
田尻第一古墳と考えられるようになった
◎1300年以上前の権力者の墓か?
↑
この古墳を義仲の家来が利用したのではないか?
3.堤村と小楠姓
大楠公楠木正成公の一族だと信じている
楠木伊兵衛公(小楠伊兵衛公)
小楠一族初代=南朝の武士
↓
遠江に派遣(正成より)
敵の目をくらますために「小楠」と改姓
楠木正成の剣 → 六所神社に奉納
刀を捨て帰農
伊兵衛に三人の男子
長男 伊兵衛 → 諏訪 楠屋
次男 伊之助 → 野崎の小楠性
三男 伊左衛門 → のち倉松 小楠伊吉さんの家=「本家」好徳寺 檀頭
4.虚空蔵様
新橋町 蔵興寺 2月13日に大祭
文武天皇期 1300年前
米津浜に光 → 網をかけると仏さまが…
文武天皇
知恵福徳
右手の利剣 - 知恵
左手の宝玉 - 福徳
元の虚空蔵堂 宝暦年間(1751~1763)
朱塗りの美しい建物 - 昭和20年6月1日 戦火で消失
5.宝勝寺の槇の木
田尻町
天竜川の堤防が切れたとき大勢の命を助けた
6.馬頭観音
堤町 馬頭観音 六所神社向かい
堤町好徳寺の境外仏堂
明応年間に 寛政2(1790)年7月再建
縁日 毎月15日 年一回初午の日に競馬
旧暦2日の初めての午の日
二番馬(堤町) 一馬場(西鴨江)
畜生道を救う - ウマの安全無病祈願
草競馬
場所はお台場の少し西
寄付 - いなもち,馬券
浜に露店が出るほどにぎわった
観音堂前に二つの大石
小楠伊兵衛公屋敷門の土台だとの伝
7.薬師様
東小沢渡バス停横 第16番薬師堂
康安4(1615)年 小沢渡 漁で小さな木の仏さま
→ 目の病気を治す 8日,12日が縁日
8月12日 夏薬師
昭和17年~ 富春院で管理
昭和52年 お堂新築
8.才業地蔵
馬込川掛舞線のコンクリート橋(向い橋)西側 北へ500m
道路沿いにある
六部の弔い(六部=巡礼)
いぼとり地蔵
9.いぼとり地蔵
倉松町
身体にいぼができると自分の歳の数だけ松笠(お礼も同じ)
☆「教育改革は改革か」土居建郎編 PHP 2001年 ① 【再掲載 2011.9】
◇編者の言葉
危機意識-良心の問題
<学級崩壊>
◇「一律平等」・「お子様主義」を超えよ 小浜逸郎
□小浜逸郎
1947年横浜生 横浜国立大学工学部卒 学習塾経営 評論家
□クールな「群衆」
1980年代 「荒れ」「校内暴力」-積極的アクション= ホットな集団
1990年代 「学級崩壊」-各自バラバラ = クールな群衆
※ 文化伝達としての教育が成り立たないと言う意味ではかつてよりも深刻
→ 慢性化・惰性化・拡散化
□教師を権威ある存在として感じない
「権力-権威」関係の解体
1970年代後半からの農耕社会型・産業社会型パトス・エートスの崩壊
↓
密室化した核家族中心主義
∥
都市的個人主義
※「個人が公共的な場面に接する所では服従しなくてはならぬ = 権威一般という観
念を持つことの必要性を希薄化させたし、そうした権威のもとでルールを遵守して
勤勉に励むことの価値意識を後退させた」
□公教育の空洞化を後押しする「ゆとり教育」
戦後民主主義の平等イデオロギー
これまでの教育改革 → 「勉強否定」の空気
↑↓
※「競争や詰め込みの重圧が意欲を衰退させたのではない。豊かな近代都市社会が成立し
『学校成功物語』を信じる必要性が薄らいだため、勉強や競争へのモチベーションと
インセンティブを喪失したから学校に対する離反意識が育ってしまったのである」
◎ 教育改革が公立学校の生活時間から緊張感をますます奪い、彼等のだらけ気分を
助長した
↓
◎ 親が公立学校を学習の場と見なさなくなった
↓
◎ 塾や予備校、私立学校に代償を求めた
※「『お子様教』的な日本型平等主義にのっとった『ゆとり教育』路線は、明らかに公立
学校での学級崩壊的な傾向と効率義務教育の空洞化を後押ししてきた」
□学級崩壊をどう食い止めるか
誤った考え方 = 「すべては教師の努力と工夫にかかっている」精神主義
↓
◎ 効率義務教育の具体的な場のあり方そのものをどのように組み替えるかという発想が
大切
① クラスの人数を減らすこと
教えるものと教えられるものの緊張関係を! → コストは必要
② 固定学級の考え方の流動化
= 子供に変化に富む場の雰囲気を提供するアイデア
∥
教科担任制(小学校高学年から)
③ 学校長の人事権強化
学校組織の抜本的改革も!
④ 中卒・小卒資格試験(落第意識の危機)
⑤ 競争意識を!
悪平等主義は不健全
◎ かえって勉強に不向きな子供の人生に無駄をつくり出し、中身のない、だらだらとし
た修行期間に子供をいつまでも留め置く事態を生み、中等教教育課程の教師達を苦しめ
る結果となっている
= 学級崩壊現象
◎ 基礎学力の徹底をなしおえた後は、それぞれの適性に従ってそれぞれに相応しい人生
コースを選び得るような教育システムを用意するのではなくてはならない
※「一律平等」「お子様主義」に支配されたこれまでの教育改革思想を超えて、子供のそ
れぞれの能力と適性に応じた、より多様で複線的なものになるべきであろう
キーワード「新津」20回目の紹介です。
新津婦人学級による「ふるさと新津」5回目の紹介です。
今回は、「新津の伝説」について。
これまで、当ブログでいくつか紹介してきましたが、コンパクトにまとめられています。
地域の子どもたちに話すのにちょうどよいくらいのボリュームです。
これを残してくださった「新津婦人会」の皆様に感謝申し上げます。
伝説を要約でというのはわかりづらいものですが、よろしければおつきあいください。
もう一つ、再掲載となりますが、土居建郎さんの
「教育改革は改革か」①を載せます。
およそ20年前に出された本ですが、教育改革の成果・課題の検証が必要だと感じます。
<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト
☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」
〈ふじのくに魅力ある個店〉
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
ものづくりのまちとも言われる浜松。
山田卓司さんのすばらしい作品を
ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。
☆キーワード「新津」⑳-「ふるさと新津」新津婦人学級 昭和57年3月5日発行(5)
◇新津の伝説
1.音羽の松
音羽の松 高さ,枝張り40m
① 音羽婆さん 鶴
② 鶴 松振川
③ 歌った歌 ざざんざの松
④ 白狐 八幡宮が小沢渡 → 曳馬野に
『延喜式』式内社 許部神社(こべ)
八幡宮のお祭りでは小沢渡町の人が先陣
2.将軍塚
田尻お宮北側
松本修次さん屋敷内に大きな塚
「将軍塚」大きな石が10個西に残されている
木曾義仲の家来の落人伝説
明治27年取り壊し 刀三振と鉄の鎧
↓
「牧野」姓は義仲の治めていた長野県木曽郡山口村に多い姓
昭和30年代
田尻第一古墳と考えられるようになった
◎1300年以上前の権力者の墓か?
↑
この古墳を義仲の家来が利用したのではないか?
3.堤村と小楠姓
大楠公楠木正成公の一族だと信じている
楠木伊兵衛公(小楠伊兵衛公)
小楠一族初代=南朝の武士
↓
遠江に派遣(正成より)
敵の目をくらますために「小楠」と改姓
楠木正成の剣 → 六所神社に奉納
刀を捨て帰農
伊兵衛に三人の男子
長男 伊兵衛 → 諏訪 楠屋
次男 伊之助 → 野崎の小楠性
三男 伊左衛門 → のち倉松 小楠伊吉さんの家=「本家」好徳寺 檀頭
4.虚空蔵様
新橋町 蔵興寺 2月13日に大祭
文武天皇期 1300年前
米津浜に光 → 網をかけると仏さまが…
文武天皇
知恵福徳
右手の利剣 - 知恵
左手の宝玉 - 福徳
元の虚空蔵堂 宝暦年間(1751~1763)
朱塗りの美しい建物 - 昭和20年6月1日 戦火で消失
5.宝勝寺の槇の木
田尻町
天竜川の堤防が切れたとき大勢の命を助けた
6.馬頭観音
堤町 馬頭観音 六所神社向かい
堤町好徳寺の境外仏堂
明応年間に 寛政2(1790)年7月再建
縁日 毎月15日 年一回初午の日に競馬
旧暦2日の初めての午の日
二番馬(堤町) 一馬場(西鴨江)
畜生道を救う - ウマの安全無病祈願
草競馬
場所はお台場の少し西
寄付 - いなもち,馬券
浜に露店が出るほどにぎわった
観音堂前に二つの大石
小楠伊兵衛公屋敷門の土台だとの伝
7.薬師様
東小沢渡バス停横 第16番薬師堂
康安4(1615)年 小沢渡 漁で小さな木の仏さま
→ 目の病気を治す 8日,12日が縁日
8月12日 夏薬師
昭和17年~ 富春院で管理
昭和52年 お堂新築
8.才業地蔵
馬込川掛舞線のコンクリート橋(向い橋)西側 北へ500m
道路沿いにある
六部の弔い(六部=巡礼)
いぼとり地蔵
9.いぼとり地蔵
倉松町
身体にいぼができると自分の歳の数だけ松笠(お礼も同じ)
☆「教育改革は改革か」土居建郎編 PHP 2001年 ① 【再掲載 2011.9】
◇編者の言葉
危機意識-良心の問題
<学級崩壊>
◇「一律平等」・「お子様主義」を超えよ 小浜逸郎
□小浜逸郎
1947年横浜生 横浜国立大学工学部卒 学習塾経営 評論家
□クールな「群衆」
1980年代 「荒れ」「校内暴力」-積極的アクション= ホットな集団
1990年代 「学級崩壊」-各自バラバラ = クールな群衆
※ 文化伝達としての教育が成り立たないと言う意味ではかつてよりも深刻
→ 慢性化・惰性化・拡散化
□教師を権威ある存在として感じない
「権力-権威」関係の解体
1970年代後半からの農耕社会型・産業社会型パトス・エートスの崩壊
↓
密室化した核家族中心主義
∥
都市的個人主義
※「個人が公共的な場面に接する所では服従しなくてはならぬ = 権威一般という観
念を持つことの必要性を希薄化させたし、そうした権威のもとでルールを遵守して
勤勉に励むことの価値意識を後退させた」
□公教育の空洞化を後押しする「ゆとり教育」
戦後民主主義の平等イデオロギー
これまでの教育改革 → 「勉強否定」の空気
↑↓
※「競争や詰め込みの重圧が意欲を衰退させたのではない。豊かな近代都市社会が成立し
『学校成功物語』を信じる必要性が薄らいだため、勉強や競争へのモチベーションと
インセンティブを喪失したから学校に対する離反意識が育ってしまったのである」
◎ 教育改革が公立学校の生活時間から緊張感をますます奪い、彼等のだらけ気分を
助長した
↓
◎ 親が公立学校を学習の場と見なさなくなった
↓
◎ 塾や予備校、私立学校に代償を求めた
※「『お子様教』的な日本型平等主義にのっとった『ゆとり教育』路線は、明らかに公立
学校での学級崩壊的な傾向と効率義務教育の空洞化を後押ししてきた」
□学級崩壊をどう食い止めるか
誤った考え方 = 「すべては教師の努力と工夫にかかっている」精神主義
↓
◎ 効率義務教育の具体的な場のあり方そのものをどのように組み替えるかという発想が
大切
① クラスの人数を減らすこと
教えるものと教えられるものの緊張関係を! → コストは必要
② 固定学級の考え方の流動化
= 子供に変化に富む場の雰囲気を提供するアイデア
∥
教科担任制(小学校高学年から)
③ 学校長の人事権強化
学校組織の抜本的改革も!
④ 中卒・小卒資格試験(落第意識の危機)
⑤ 競争意識を!
悪平等主義は不健全
◎ かえって勉強に不向きな子供の人生に無駄をつくり出し、中身のない、だらだらとし
た修行期間に子供をいつまでも留め置く事態を生み、中等教教育課程の教師達を苦しめ
る結果となっている
= 学級崩壊現象
◎ 基礎学力の徹底をなしおえた後は、それぞれの適性に従ってそれぞれに相応しい人生
コースを選び得るような教育システムを用意するのではなくてはならない
※「一律平等」「お子様主義」に支配されたこれまでの教育改革思想を超えて、子供のそ
れぞれの能力と適性に応じた、より多様で複線的なものになるべきであろう