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「私の教育観」学研教育ジャーナル編集部 2000年 ① / 「澄んだ瞳の悲しみ」 小川洋子 『2011 ベスト・エッセイ』光村図書 2011年 より ⑦【再掲載 2014.2】 [読書記録 教育]

今回は、わたしの教育ノートから、学研教育ジャーナル編集部による
「私の教育観」の紹介 1回目です。



出版社の案内には、

「秋山仁、金田一春彦、俵万智、山田洋次…。37人の著名人が自らの生い立ちや天職を
 得た動機などを語り、学校・家庭・社会の教育問題へ提言する。『教育ジャーナル』掲
 載の『ひと・模様』(途中改題)をまとめる。」


とあります。




今回紹介分より強く印象に残った言葉は…

・「教師は子どもの人生の応援団長たるべき」
「『教師五者論』 学者,医者,役者,易者,芸者」


・「『両親が和して子どもに関心があり愛情を十分に注いでいる』家庭から非行に走る子は少ない」


・「差をなくす = 我が子だけかわいいとする親のエゴイズム」


・「親が『いい学校』から『いい会社』への神話にとりつかれている
    <それぞれのディファレントを発見するのが教育>」








<浜松のオリーブ園>
浜松にもオリーブ園ができました。
和Olieve 園のサイト





☆子供たちの学習に
文部科学省の
「子供の学び応援サイト(臨時休業期間における学習支援コンテンツポータルサイト)」




ふじのくに魅力ある個店
静岡県には、個性ある魅力ある個店がいくつもあります。
休みの日に、ここにあるお店を訪ねることを楽しみにしています。
機会があれば、ぜひお訪ねください。
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<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。








☆「私の教育観」学研教育ジャーナル編集部 ①

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<学校教育>
◇秋山仁 1946東京生 東海大学教授
  
 教師 = エキサイティングな職業


 恩師・福地先生に憧れて
   教師は子どもの人生の応援団長たるべき

  大学教員  … 学問固有の面白さやすばらしさを伝える

小中高教員 … 若者の将来を作るかけがえのない場面に立ち会う仕事

   = 若者を育てる


 まず社会が変わらなければ


 少子化,マルチメディアと教育


 教科の楽しさを教えるのが教師
教師がどのくらい素晴らしい人生を歩んでいるか



教師自らがいつも輝いていなければ  教師=世間知らず?


 秋山 - 「教師五者論」学者,医者,役者,易者,芸者





◇佐木隆三 1937朝鮮生
  
 崩壊過程の子どもを救うのは学校しかない
  

 超常現象をあおるマスコミ 
   輪廻転生


 家庭環境の欠陥を補えるのは…
「両親が和して子どもに関心があり愛情を十分に注いでいる」家庭から非行に走る子は少ない」



◎家庭環境の悪い子を救うのが学校,先生
  

 子どもは危険信号を発している → 教師が自分を見せる,さらけ出す
    子どもたちを愛しているという信号を  


 更正の道を閉ざさないように


 他人の子どもを叱る勇気を! 
   子どものためになる大人に





◇櫻井よしこ 1945ベトナム生
  
「教師と生徒とは平等ではありません」


 内気な子ども時代
   大分県→新潟県


 間違った戦後教育 
  間違いの原因 
   ① 文部省下 画一化された教育

   ② 日教組が力を入れた誤った平等主義


 そがれる子どもの向上心
   差をなくす = 我が子だけかわいいとする親のエゴイズム


 権利の裏には義務と責任
   人間は善悪両面を備えているもの


 言うべき時にははっきり言う
「人間にとって恥を忘れた行為はいけないことだ」



◎教師自身,悔いのない教育を





◇佐高信(まこと) 1945山形県生
  
「教師は生徒の砥石となれ」 
  

 教師は干物か生ものか? 
   佐高の父は国分一太郎の先輩 

→ 教師は干物の世界に住んでいる


 まるで文部省の写し絵


 教育をダメにする要因
親が「いい学校」から「いい会社」への神話にとりつかれている
    <それぞれのディファレントを発見するのが教育>  

→ 教師自身が自分のディファレントの発見を
  

 久野収の教え

















☆「澄んだ瞳の悲しみ」 小川洋子 『2011 ベスト・エッセイ』光村図書 2011年 より ⑦【再掲載 2014.2】

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 1月11日、アムステルダム郊外でミープ・ヒースさんが亡くなった。


 100歳だった。


 朝、その新聞記事を目にした瞬間、私は目を閉じ、ただ偉大な何ものかに向かって祈る
しかなかった。



 ああ、これでまた一人、アンネ・フランクについて語れる人が役目を終え、去っていか
れたのだと思うと、寂しくてならなかった。



 ミープさんはアンネの父親、オットー・フランク氏が経営していた会社の従業員で、第
二次大戦中、フランク一家が隠れ家に潜んだ際、その生活を援助した女性である。



 アンネが4歳の時からフランク一家と交流を持ち、オットーの人間性に絶対の信頼を寄
せていた


 ミープさんは、彼らの秘密を守ることを約束する。ユダヤ人を援助する罪について念を
押そうとするフランク氏をさえぎり、ただ一言「迷いはありません」と答える。



 この時2人の間には、言葉では言い表せない何かが通い合ったと、ミープさんはご自身
の著書「思い出のアンネ・フランク」(深町眞理子訳)の中に書いている。


 しかし一口に援助と言ってもそれは並大抵なことではない。


 厳しい食糧事情の中、配給切符を持たない彼らを飢えさせないためには、町中を歩き回
り闇市の長い行列に並ぶ必要があった。


 倉庫に泥棒が入ったり、屋根が壊れたり、建築検査があったり、密告の恐怖は常に付き
まとい、心の休まる時がない。


 にもかかわらず隠れ家の人々の前では、不安を悟られないよう朗らかに振る舞う。


 誰かの誕生日にはちょっとしたプレゼントを用意し、少しでも隠れ家生活を潤いあるも
のにしよう、何よりアンネをはじめとする子供たちに喜びを与えようと努める。


 しかも、こうした行為すべてに、彼女白身の命の危険が伴っていた。




 アンネ・フランクという一人の少女の書いた日記が本になり、60年以上世界中で読み
継がれているのは、偶然の結果ではない。


 アンネの人生最後の2年間に、成長と思索の時を授けた、支援者たちの命がけの行為が
あってこそなのだ。


 1944年8月4日、秘密警察によって隠れ家の人々が連行されたあと、ミープさんは
床に散らばったアンネの日記を拾い集め、戦後オットーが帰ってくるまで厳重に保管した。


 隠れ家の中で最も貴重なものは何か、ミープさんだからこそ正しい判断ができたのであ
る。




 取材のため私かアムステルダムのミープさん宅を訪ねたのは、1994年の初夏だった。


 丁度サッカーワールドカップのアメリカ大会が開催中で、町のあちらこちらにオランダ
を応援するオレンジの旗が掲げられていた。


 ご自宅はそんな町中の賑わいから外れた、静かな通りにあった。


 隣に自転車屋さんがあったのが忘れられない。


 潜行する日の早朝、ミープさんはアンネの姉のマルゴーを自転車で隠れ家へ案内する。


 オランダ人に成りすますため、マルゴーはユダヤ人に課せられていた黄色い星のワッペ
ンを外し、禁止されていた自転車に乗って町の中心部を走った。


 しかしミープさんは決してひるまなかった。


 もし捕まったらという恐怖より、助けを必要としている人に今自分のこの手を差し出さ
なければ、という意志の方がずっと強かった。


 あの日二人が乗ったのも…と思わせる飾り気のない頑丈そうな自転車が、店先に並んで
いた。


 きちんとした生活ぶりがうかがえる小さなアパートに、85歳のミープさんは一人で暮
らしておられた。


 アンネと、前年に亡くなったご主人の肖像画が2枚、壁に飾られていた。


 持参した花束を、アンネの母エーディトから譲り受けたという花瓶に活けて下さった。


 ミープさんは美しかった。堂々としていた。自分が正しいと信じることをやりきった人
だけが持てる、美しさだった。


 そしてそのきりっと澄んだ瞳の底には、大事な友人たちを失った悲しみが横たわってい
た。


 サインをお願いしようと、付箋だらけになった『思い出のアンネ・フランク』を差し出
した時、ミープさんは心からの優しい笑顔を見せて下さった。


 遠い日本からなぜわざわざ訪ねてきたのか、不思議な思いがあったのかもしれない。し
かし、いかにも読み込まれたその本を見て、安心してくれた様子だった。


 最後、頬を寄せてお別れの挨拶をした時、たぶんもう二度とお目にかかることはできな
いだろうと思った。一生に一度しか出会えない大事な人と、自分は出会えたのだ、という
幸運に胸を一杯にしながら私はさようならを言った。




 私の小説をフランス語に翻訳してくれているローズ・マリーから、ミープさんの死を悼
むメールが届いた。


 『アンネの日記』とミープさんとの出会いが、私の小説の根底にいかに大きな影響を与
えているか、翻訳者だからこそ気づいていたのだろう。


 こうして共に悲しめる人がいることに感謝しながら、私は叫び手を合わせたのだった。


             おがわ・ようこ(作家)「毎日新聞]2月8日・夕刊

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